「…♪」
古の物語を、彼は歌う。
それほどれ程昔の話であっただろう。
本来ならば人々の記憶の片隅に追いやられ、時の風が忘却させるはずの、物語。
彼は笑う。
人々の愚かさを、そして自分の醜さを。
それでも、彼は後悔しない。
何故ならば、これが自分の望んだ道だから。
彼は思う。
この物語の始まりは、一体どこであったのか、と。
顎に手を当て、しばし考え込む。
「ああ、そうでしたね」
彼は辺りを見渡す。
そこには一面に咲いた、純白の花。
雪の白さよりも、雲の白さよりも、無垢で、純粋な、白。
時折吹く風に身を任せては、ゆらゆらと。
その姿はさながら、地道に時を刻み続ける振り子を連想させた。
「ふむ…」
その中の一輪を、彼は摘み取る。
花びらは風にさらわれ、虚空の彼方へと吸い込まれてゆく。
「…始まりは、白き場所でしたね。」
誰に言うまでも無く、彼は呟き、静かに笑う。
その姿はひどく無邪気で、
それが故に、とても恐ろしかった。
Fragment of Dream 〜プロローグ〜
『 始まりは白き場所で 』
ーー遠い、遠い昔の話、そこには何でも願いを叶える、『永遠の記憶』というものがあると言われていた
人々はそれを求め、旅に出る。
しかし、誰も『永遠の記憶』を見つけることが出来なかった。
いつしかその話は伝説から御伽噺へと昇華され、人々の記憶の片隅に追いやられてゆく。
最後には、『お話』そのものが忘れ去られてしまうはずだった。
だから、彼は歌い、語り継ぐ。
確かにそこにあった、『永遠の記憶』と、悲しい悲しい、彼らの物語をーーー
そこは、白い場所だった。
地面も、空も、空気すら霧のように白く霞んでいる。
吹き付ける風もやはり白く、あたり一面、その色だけが無限に広がっていた。
無論太陽など存在せず、暖かさなどは微塵も感じない。
どこが始まりで、どこが終わりか。それすらも、見渡しただけでは皆目見当もつきそうに無い。
そんな、白い闇の中に佇む影が二つ。長身で、細身の人物。
どちらも肩で息をし、衰弱しているように見受けられる。
それもそのはず…片方の人物は全身の至るところに火傷や凍傷を負い、もう片方の人物は全身が深い切り傷だらけ…加えて、片腕すら無い。
「そろそろ…っく、吐いたらどうなんだ…」
片方の人物が搾り出すように呟く。
眉目の整った顔立ち。
その髪と双眸はどんな闇よりも深く、暗い。見るもの全てを引き込むような、黒色。
しかし、その美しい顔も今は真紅の液体に濡れ、細身の肢体には火傷もしくは、凍傷を負っていない場所などない。
剣を杖代わりにし、立つ事もままならない。
男は本来の闇色をした瞳を、もう一人の人物へと向ける。
「そっちこそ、白状したらどうなん、です?」
体を支える事が困難なのか、ゆらりゆらり、と揺れながら、もう一人の男が言った。
彼の者の髪は雪のように白く、それでいて、その瞳も瞳孔を残し、他の部分は同じ色をしていた。
だが、眉目の整った美しい顔立ちも今は苦痛に歪み、その肢体は赤い液体にまみれ、本来あるべき二本の腕も片方が欠落している。
「あくまでも…シラを切る、って訳だな?」
黒い男が力なく、それでもしっかりと、その足で立ち上がる。
「それは、こっちの台詞、ですよ…」
白い男も背筋を真っ直ぐに伸ばし、残った腕を彼へと向ける。
「全く、こうしてると…鏡を見てるような気がして、嫌なもんだな。」
どこか笑うような調子で、黒い男は言った。
しかしすぐさま目を細め、己が剣を構えなおす。
目の前の、
自分と同じ顔をした男を睨みながら。
「…次は、容赦しねぇ」
「ふん…それは、私とて同じですよ。」
ーーひゅぅぅ…
凪の空間に、突如風が巻き起こる。
否、それはただ吹き荒れたわけではない。
黒い男ーーレグアの持つ剣と、白い男ーーフィエルの翳した掌が、空気を、そして周囲に纏わり着く『力』を吸い込んでいた。
「なぁ…」
レグアが、不意に口を開いた。
「どうして、俺達はこうなっちまったんだろうな?あんなに、平和に暮らしてたってのによ…」
その様子は、自嘲しているようにも思えた。
「さぁ、それは分かりません…。けれど、私達を生み出した世界は…きっと、悪意に満ち溢れているんでしょうね。」
フィエルも、笑う。
「けれど、私達はもう立ち止まれません。己が命を燃やしつくし、無へと帰すまでは。」
再びフィエルが口を開き、
瞬間、世界が凍った。
「跡形も残しません。貴方はもう、私の一声でこの世界から消え去るでしょう。」
翳した掌の先に、黒い光が集まり始める。
空を裂き、咆哮を上げ続ける光は、まるでそれ自体が生きているかのような錯覚さえ感じさせる。
「上等だ。お前が声を上げるその一瞬…それだけあれば、お前なんぞ百度切り刻んでも、時間は余るくらいだ。」
手にした刃を高く掲げ、レグアは唸るように言う。
その剣は黒く輝き、その存在を余すことなく主張し続ける。
二人が動くその瞬間、文字通り、お互いの体は跡形も残らないだろう。
「…生まれ変わったら、今度こそ普通の人間になりてぇもんだ」
「全く、その通りですよ…」
二人が一瞬だけ表情を緩める。
恐らく、これが最後…お互い、相手への餞なのだろう。
「じゃあな、あばよ。」
「さようなら。」
最後に、穏やかな口調で二人が呟き、
「お喋りは、そこまでですよ。」
第三者の、よく通る声。
そして、
『があああああああああああああああああああああああああああああああっっっ!!!!!』
二人の、断末魔の悲鳴が上がった。
「ぐぅぅううああっつ、体がぁっ、縮む…?!!」
「ぬぉぉっ…!!これは、まさか…!!」
苦悶の声を上げながら、二人が『声』のした方を見据える。
そこには、
「あっはっは、哀れですねぇ…二人とも。」
冷たい目をして笑う、一人の男。
濃紺のフードに金銀の飾りをつけ、
背中には『太陽』の模様が掘り込まれたリュート。
フードの下から覗く髪は、銀。
瞳も、同じ色をしていた。
「大丈夫、貴方達の『力』は、私が有意義に使ってあげますよ。」
「や、やめ、ろおおおおおおおっ」
「この、ち、からは…貴方には過ぎたもの…お止めなさいっっ」
レグアとフィエル…二人の言葉も虚しく、
彼らの体は次第に縮み、
最後には、『黒』と『白』の小さな『種』へと変わり果てた。
「おやおや…ちょっと失敗しましたか…」
言葉こそ残念そうなものの、嬉々とした声色で男は言う。
「しかし、『力』は手に入りました。これで…」
くっくっ、と喉の奥を震わせる。
純粋に嬉しそうで、楽しそうで。
だからこそ、
その様子は、とても恐ろしかった。
「私の願いは、漸く叶う。」
銀色の男は、狂ったように笑い続ける。
「さぁ、行くとしますか…彼の、生まれ育つ村へ。」
そう言い残し、男の体が次第に霞み始める。
それが晴れる頃、彼の姿はまさに『霧』の如く、消え去っていた。
彼の行方は、誰も知らない。
そう、
彼自身しか…。
プロローグ『始まりは白き場所で』…End