おやすみ、おやすみ


秋葉原の夜。
ビルの間をすり抜けて、魔法使いは箒で空を飛ぶ。
「はっけーん」
脳天気に言うその声はまだ年若い少女のもの。間違っても、レトロなイメージの老魔女などではない。
その証拠に、少女の乗る『箒』──ウィッチブレードは洗練された機械的なデザインを有している。アンブラ社開発のスタンダードモデルだ。

少女の名は
現代にひっそりと生きる夜闇の魔法使い──ウィザードだ。
今夜の低空飛行には、とある目的があった。それが、彼女が今見つめているマンションの最上階にある。

と。
は自分が何者かに砲身を向けられていることを感じ取った。反射的に身を硬くして周囲を警戒する。
が、それはすぐに解かれることになる。
が見ていたマンションの屋上から、こちらを見据えている人影があった。白い月明かりに照らされ浮かび上がっているのは、ビル風になびく赤い髪。
人影の手には、およそ不釣合いなほどの巨大な銃身を構えている。あれも『箒』だ。
は人影に向かって手を振った。
「おーい、あかりーん」
「……
人影──緋室灯がぽつりと名を呼ぶ。同時にガンナーズブルームがごとりと音を立ててその足元に下ろされた。
そしてはと言うと、ウィッチブレードを操作して、灯の隣へと舞い降りる。
「何しに、来たの?」
「んー、この部屋のベランダで一人寂しく夜を過ごしているある人に、差し入れをね。あぁ、あかりんもいる?ホットココア」
無機質な灯の物言いにも構わず、は『月衣』から魔法瓶を取り出した。灯がこくりと頷いたのを確認すると、プラスチックのカップに注いで手渡す。
「……美味しい」
やはり無表情に、灯が言った。それを見て満足そうに笑い返すと、すぐには再び立ち上がる。
「じゃあ、行ってくるね」
「…………」
カップを両手で持ったまま、灯が頷いた。
もう一度だけ手を振ると、箒に飛び乗って、さらに下へ。ベランダへと降下する。

そこには貧相なテントがひとつあるだけだった。
「柊さーん」
「うおっ!?」
構わず中へ入ると、そこには魔剣を抱えて制服のまま寝転がっている柊蓮司がいた。
「な、ななななっ、何だ、何でがこんなとこにっ!?」
叫びながら、すぐさま柊は起き上がる。といっても、小さなテントなのでとの距離は一向に縮まらないが。
至近距離で、は微笑んでまたあの魔法瓶を取り出した。
「寒いだろうなと思って、差し入れ持ってきました。ホットココアです」
「お、おう……サンキュ……」
何やら照れつつも、わりとすんなりと柊は事態を受け入れたようで。の差し出したプラスチックのカップを受け取る。
「ホント、寒いですねえここ……凍え死んじゃうかもしれないですよ」
「いや……ウィザードには月衣があるから、寒さじゃ死なねえよ」
「でも、寒いのは寒いでしょう?」
カップの中身を飲み干し、一息つくと、心配そうに覗き込むに苦笑する。彼女が自分を気遣ってくれるのが、柊には何より嬉しかった。
「大丈夫だって。差し入れのおかげで体暖まってきたし……ほら」
「あっ……」
何の気なしに起こした行動だった。柊が手を伸ばして、の頬に触れる。
それまでココアの入ったカップを持っていたおかげで、柊の手は酷く暖かかった。逆に、今まで冬の夜空を飛んでいたため、の頬は氷のように冷えていて。
「……ホントだ、あったかいです」
少し俯きながら、は頬に添えられた手に自分の手をそっと重ねた。
は手もやはり冷えていたが、柊の行動のおかげで、急激に熱くなったような、そんな気がした。

「あ、あのっ、それじゃ私はこれで……あ、ココアまだあるんで、また冷えたら飲んでくださいっ。じゃあ……」
「……待てよ」
急に顔をそむけてテントから出て行こうとしたの腕を取る。
少し困ったように見つめるの視線を、真正面から見つめ返して。
「お前は……全然あったまってないだろ」
「そ、そんなことないですっ。ほら、家に帰ったらちゃんと……」
「帰るまでの話だよ。……それとも、嫌か?」
「い、嫌って何がですか……っ!?」
柊自身、今自分が何を言ったのかおそらくは理解していない。ただ、手をつながれたままあたふたとするを引き寄せて、ただその腕の中におさめると、
「やっぱ俺、凍え死ぬかもしれねえから、そうならないように、ここで見張っててくれ」
「え、えぇええええっ!?だ、だって、月衣があるって」
「それでも、寒いもんは寒いだろ」
言い返すと、そのままごと倒れ込む。

の腕力では、柊の腕の戒めを抜けることは出来なかった。
ろくに布団もないテントの中は、外気が直接入ってきて寒いはずなのに、暖かいを通り越してすでに暑い。いや、『熱い』。
柊はをしっかりとホールドして抱き枕のかわりにすると、小さく囁いた。
「おやすみ」
「お、おやすみって……ちょ……えええぇぇ……!」

それだけ言うと、さっさと夢の世界へ旅立ってしまう柊。は眠れる気がしなかった。


翌朝、テントの中で抱き合って眠る二人を発見したエリス達が何事かを勘違いして盛大に騒ぐことになるのだが……それはまた、別の話である。


2007.12.05

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