花柄のハンカチーフ


ばしゃん。

「はわっ!?」

柊の耳に、水の跳ねる音と、驚いたような幼馴染の声が聞こえた。
隣を見る。共に登校中だった赤羽くれはがその場にしゃがみ込んで、袴の裾をつまんでいる。
「どうした、くれは?」
「水溜り跳ねちゃったよ〜」
困ったように柊を見上げてくるくれはに溜息を一つついて、柊は懐──正確に言えば『月衣』から、丁寧に折りたたまれたハンカチを取り出した。
「ほら、これで拭けよ」
「ありがとー……はわ?」
差し出されたハンカチに伸ばそうとしていたくれはの手が止まる。柊の手の中にあるそれをしげしげと見つめて、ぽつりと言った。
「ずいぶん可愛いハンカチだねー」
「え?……げっ、やべ!」
言われてはじめて、柊は気がついた。自分が差し出していたハンカチの柄である。
淡い色の布地に、可愛らしい花柄(なんていう花なのかは知らない)をあしらい、小さなレースで縁取りされた明らかに女物のハンカチ。
差し出していた手を思わず引っ込め、柊は慌てた様子でハンカチに視線を落としては溜息をついた。
「これ、に借りてたヤツだ……洗って返そうと思って持ち歩いてたんだが……」
「そうだったんだぁ……どうりで似合わないなと思ってた」
「うるせえよ。でも、これじゃ又貸しだな……」
「いいよ、あたし、自分ので拭くから」
にこりと笑って、くれはが立ち上がる。取り出した懐紙を汚れた裾に当てて。
「早く返してあげなよ?」
「お、おう……」
そう柊に諭すように言っていた、ちょうどのタイミングで彼女は現れた。

「おはようございます、柊さん、くれはさん」
「うおっ!?お、おはよう……」
「あ、噂をすれば」
背後からの明るい声に、柊は一瞬挙動不審になり。くれはは何やらしたり顔になる。
「ほら、柊」
くれはが後ろから柊の背中をせっつく。その手にあるものをさっさと返してやれと。だが柊が動くよりも、の方が早かった。
「あ、くれはさん、裾が汚れてますよ。これ、よかったら使ってください」
「え、はわ?ホントだ〜!後ろにも泥がついてる……」
柊の横を素通りし、くれはの後ろまで回りこむと、それまで彼女が懐紙で拭いていた箇所と反対側の裾を指す。すぐさま差し出したのは、柊がいまだ返せずに手の中で放置されたままのハンカチとよく似た花柄の可愛らしいプリント。
「ありがとう、ちゃん。これ洗って返すね」
「いえいえ、いつでもいいですよ〜」
にこにこと交わされる幼馴染と後輩のやり取りに、何故か柊は心がざわついた。
この、微妙にイライラした感情は何だろう?
自分でも分からなかった。今自分が持っている、返そうとしているハンカチと似たものを、くれはに貸そうとしている。たったそれだけのことが、彼には不満だった。
があまりにもにこやかに、前に自分にハンカチを貸してくれた時と同じように、くれはにも同じような言葉で、同じようにハンカチを貸すから。

はっとそのことに気づいた時には、柊の体はひとりでに動いていた。

「はわっ!?」
「あれれ?」
くれはにハンカチを渡そうとしているの腕を取って、自分の方に引っ張る。
二人とも驚いていたが、こんなことをしている柊自身が一番驚いていた。
「ひ、柊さん……?」
目をパチパチさせて、が柊を見ていた。掴んでいる腕の先には、くれはに渡そうとしていたハンカチが握られたまま。
同じくハンカチを受け取ろうと手を伸ばしていたくれはも不思議そうにこちらを見上げている。
「これ、使え、くれは。……又貸しになるけど、いいか?」
柊は手の中のハンカチをくれはに向けて差し出す。目の前のに視線で了承を願いながら。視界の端にちらりと映ったの顔は、さして翳ることなく小さく頷いていた。
「はわ……じゃあ、借りるねー。ちゃん、ありがとう」
「いえ、いいんですよ。それに、直接貸したのは柊さんだし……」

そんな会話をしながら、しばしくれはが裾を拭き終わるのを待った。

がくれはに貸そうとしていた花柄のハンカチーフは、いまだ彼女のポケットに入れられたままである。


2008.04.12

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