第十三話 バビロニアの旗のもと


「では、あなたも記憶を?」
目を丸めるエリカに、は首肯する。

記憶を失い、大空魔竜に保護された少女エリカの世話は、竜崎一矢をはじめとする何人かの人間が交代で行っていた。
もちろん、もそれに名乗りをあげ、今こうして彼女の部屋に紅茶を入れて持ってきているのである。
ちょっとしたティータイムを楽しむつもりで。

エリカの世話役に立候補したのには、わけがあった。
それが冒頭交わされたセリフである。
同じ記憶喪失同士、何か通じるものがあった、というか。
記憶を取り戻すきっかけが何かつかめないかと思った次第である。

だがそう簡単にことが運ぶわけでもなく。
「……そういうわけで、思い出しそうで思い出せないというのが結構もどかしくって。パイロットらしいっていうのは分かってるんですけど」
「そうですか……」
カップの中をかき混ぜながら喋り続けるに、エリカはそうとだけ答えると目を伏せた。
「?どうかした?」
「いえ……」
の問いにも、曖昧に言葉を濁す。言おうかどうか、迷っている。そんな感じだ。
首を傾げながら、エリカの次の言葉を待った。やがて意を決した彼女の口から、こんな言葉が紡がれる。

さん、思い出すのが怖いと感じたことは……ありませんか?」
「え……?」
一瞬、言われたことが理解できず、聞き返す。
真剣な眼差しがに突き刺さる。彼女は本気でそう尋ねているのだ。
しばらくの逡巡の後、はぽつりと言う。
「そんなこと、考えたこともなかったな」

あるいは、敢えて考えないようにしていたのかもしれない。
エリカが一矢の拾ってきた避難民『らしき人』で、身元がはっきりしないという理由で一部クルーから嫌疑の目で見られているのと同じように、もまた、元ティターンズという疑いをかけられている。
もし記憶を取り戻して、本当にティターンズだったとしたら。この艦のみんなと、敵対しているのだとしたら。

意識しないようにしていたが、エリカとの会話で意識せざるを得なくなる。
一瞬浮かんだ恐ろしい答えに身震いする。
は頭をぶんぶんと振って、両手でティーカップを持ち一口含む。
そんな考えを悟られたのか、エリカは静かに告げた。
「今、さんが感じたであろう不安と、同じものを私も抱いています」
「……」
「私は怖い……思い出してしまったら、もうここにはいられない気がして……」
己をかき抱いてそう語るエリカの瞳に悲しみの色を感じ取った。

「……エリカさん」
「はい?」
突然名を呼ばれて、エリカは首を傾げた。
カップを置いて、存外に真剣な眼差しをしているに向き合う。
「エリカさんは、大空魔竜の人たちのこと、好きですか?」
「え……」
エリカの頭の中に、ふと精悍な笑顔が浮かぶ。
「ええ……私はここの皆さんが、……一矢たちが好きです」
「私もです」
短くかかるの言葉が、すとんと心に入ってきた。
さん……」
「私もここの皆が好きです。きっと、記憶が戻っても好きでい続けると思います」
そう言っては胸を張った。表情や仕草がどことなく晴れやかに見える。
エリカはそれに笑んで返した。
「ありがとう、さん。あなたと話して、少し勇気が出ました」

優しい言葉に、は少しだけ一矢の気持ちが分かったような気がした。
(というか、これで落ちない男の方がおかしいわ)
にそう思わせるほどに、芯の通った彼女の微笑みは美しかった。


そうして、穏やかな時間は過ぎていった。

この後起こる悲劇を、二人はまだ知らずに────



そんな話をしたのが、ついこの間だ。

今、は大空魔竜のレクリエーションルームに一人ぽつんと座る一矢の前に、カップを二つ持って立ち止まった。
「一矢さん」
「…………」
「ハーブティーです。落ち着く香りがするんだそうですよ」
ちらりと顔を上げるも、一矢は何も答えなかった。
そんな彼に無理やりカップを押し付けるように持たせると、は一矢の座る椅子のすぐ横の壁にもたれかかった。
そして自分もハーブティーを一口。少し酸っぱい。
横目でちらりと一矢を見る……彼は相変わらず、カップを持ったままぼんやりと虚空を見つめていた。

今の一矢の心境は、人心に疎いですら容易に推し量ることができる。
地球へと帰る途中のこと。バーム軍と遭遇し、戦闘中にエリカが記憶を取り戻した。彼女はバーム星人、それもリヒテル提督の妹だったのだ。
そして達の目の前で、彼女はバーム軍に捕らえられ、連れ去られて行った。
部隊の誰も、も、一矢でさえも止めることができなかった。

前に彼女と話した時のことをふと思い出す。
はからずもエリカの不安は的中してしまった。自分の根拠のない励ましは、記憶を取り戻した彼女を苦しめたのだと思った。「記憶を取り戻しても、それまでの好意は消えることはない」という自分自身の言葉はおそらく真実だった。だがそれゆえに、エリカはひどく苦しんだに違いない。
それは即ち、間接的に一矢をも……

彼は今、悲しみと、悔しさと、苛立ちとで、潰されそうになっている。
下手に刺激できないくらいの棘を今の一矢は持っていた。それは火星で父を喪った時と同等か、おそらくそれ以上。
はお茶を勧めるだけで、それ以上のことは何も言えないでいた。

沈黙に包まれた二人に割って入ったのは、もどかしく開かれるドアの機械音と、無粋な靴音。

「ここにいたか」
硬質な声が響く。入ってきたのはピートだった。
「……何ですか」
普段以上に緊迫した面持ちの彼に、無意識にも気を引き締める。
やや警戒気味に告げるが、ピートはさして気にした風も無く、事務的に続けた。
「マザーバンガードで避難民の身元チェックを行うことになった。お前にもそれを受けてもらう」
「……!」

無慈悲に告げられた言葉に身を固くする。

ピートの言うことはもっともだった。エリカの件がある以上、艦内の警戒を厳しくする必要がある。
エリカがスパイだとはには思えなかったし、それは一矢に聞いてもそうだろう。だがここで重要なのは真実がどうか、ではなく、可能性の問題だ。
避難民の中に敵のスパイが一人もいない、との断言はできないのだ。
「……分かりました」
普段より幾分かトーンの落ちた声で答えると、紙コップをダストボックスに投げ入れ、ピートの誘導に従って部屋を出る。
通路まで出ると、壁際に心もとなげに立っている一人の少女と目が合った。
「あ、あの……」
金髪を一つにまとめた、大きな瞳の可愛らしい少女だ。レクリエーションルームからとピートが出てきたのを見ると、二人を交互に見て小さく声を出す。
「待たせたな。マザーバンガードまでは俺が案内しよう」
だがピートは少女の言葉を聞かず、一方的に告げると先に歩き出した。
少女は焦った様子で彼の後を追い、そのすぐ後ろをもついて行った。

歩きながら、少女の隣に並ぶ。
はこの少女に見覚えがあった。
以前サウザンスジュピターに潜入した時に見た避難民の一人だ。
不運にも彼女は木星帝国に見つかり、宇宙海賊に達と共に脱出してきたのだ。
あの船に乗っていた、ということはつまり、怪しいと言えば怪しいことになる。
なるべく彼女を刺激しないよう、優しく、話かける。
「ええと、ベルナデットちゃん、だっけ?」
「え、あ……はい」
少女──ベルナデットはキョトンとの方を向く。一見気弱そうな雰囲気があったが、その声には不安や怯えの色は見えない。なかなかどうして、肝の据わっているところがあるようだ。
はそのことに少し安心していた。
「よかった。身元チェックなんて言うから、怖がってるんじゃないかと思ったけど……大丈夫みたい?」
「はい」
微笑んでそう聞くと、ベルナデットが頷く。
「でも、あなたは避難民ではありませんよね?どうして……?」
「あーっと、それは……」
少女のもっともな疑問に、は一瞬次の言葉に詰まる。視線は無意識に、前を歩くピートに向けられていた。

あの人に疑われているんです。
などと言えるはずがない。

それににかかっているティターンズの疑惑は、決してピートの個人的なものではない。

「まあ、何とかなるよ」
ベルナデットの疑問には答えず、は一人でうんうんと頷いた。ベルナデットはしばらくを見ていたが、やがて小さな口の端が上がる。
「……そうですね」

この時点で、ベルナデット・ブリエットと名乗る少女には、身元を調べられるとまずい事情があった。
だから表情には出ずとも、彼女の心の中には不安があったのだ。
だが、と話したことで、ほんの僅かでもそういう気分を払拭することが出来る……ベルナデットはそう感じて安堵の笑みを浮かべた。

視線を前に向ければ、格納庫が見えてくる。マザーバンガードに移動するため、二人は相変わらずの速度で歩き続けるピートの後を追った。


他の避難民たちと共に、マザーバンガードへと到着した。はベルナデットと二人、他の人たちとは少し離れた所に通された。
「ご苦労」
着いて程なく、声がかけられる。
低く硬質な響きを持った男の声だ。
同時に眼帯をつけた金髪の男がこちらに向かってくるのが見えた。
「あ、はい。えっと……」
男がつかつかとこちらに近づいてくる。が軽く頭を下げてチェックのことについて聞こうとしたが、男はには目もくれない。
「ここからは別々になって頂きます。あなたはこちらへどうぞ」
恭しくベルナデットの手を取り、くるりと背を向けて再び歩き出す。引っ張られてベルナデットが驚いた様子だったが、彼は気にしていないようだ。
は慌ててその背中に問いかける。
「あのー!私はどこへ行けばー!?」
「チェックは向こうの部屋で行われている」
振り返りもせず、男は酷く簡潔に答えた。空いている片方の手で通路の一つを指差し、そう不躾に言うと、先程と変わらないスピードで去っていく。
はぽかんと口を開けてクロスボーンの黒い制服を見送った。

「……何あれ?ちょっと失礼じゃない!?」

我に返ったが怒りの声を上げたが時既に遅し。
マザーバンガードの通路に、は一人ぽつんと立ち尽くすことになった。

「……はぁ〜あ、しょうがない、行くか……」
溜息を吐いて、とぼとぼと歩き出す。別にさっきの男にベルナデットと同じような扱いをして欲しい、というわけではなかったが、あの扱いの差はさすがにどうか。
クロスボーン・バンガードにはあんなのしかいないのだろうか。
そんなことを考えかけ、はぶるんと首を振る。
いやいやいや、そんなはずがない。
艦長のベラさんは美人で優しいし、キンケドゥさんはまだ若いはずなのに妙に大人の貫禄があって頼もしいし。
そういえば、サウザンスジュピターに潜入した際の帰り、マザーバンガードまで乗せて行ってくれたのもあの人だ。しかもガンダムという大盤振る舞い。
どうせならキンケドゥさんに目的の場所まで案内してほしかったなぁなどと不純なことに思考が行きかけた頃。

一瞬だけ、その願いが叶うことになる。

「……って、あ、キンケドゥさん?」
前を見てギョッとする。
普段は落ち着いた雰囲気の彼が息を乱して走っていた。
こちらに気がついたらしく、急制動をかける。の目の前ギリギリの所でやっと止まる。
「!?か?何故こんな所に……いや、そんなことを聞いている場合じゃない」
バランスを崩しかけたためか、バランスを取るようにの肩を持って、キンケドゥは頭を振る。直接知り合って間もないとはいえ、彼がこんなに焦っている姿を見るのは初めてだった。
「……どうか、したんですか?」
恐る恐る、は訊ねる。キンケドゥは深刻に頷いてみせた。
「緊急事態だ」
「?」
「反乱が起きた」
「…………え?」
言われた言葉が飲み込めず、反応が遅れる。が、そんなの様子も気にせず、キンケドゥはさらに続けた。
「ベラが……ベラ艦長とベルナデットを人質に取られた!」
「そ、そんな」
突然降ってわいた驚愕の事実に軽くパニック状態になる。
反乱?
ベラ艦長が、人質?
ベルナデットも?
先程まで一緒にいた少女を思い出す。確か、彼女だけ眼帯の男に連れられて──……

(……あの時か!)

あの男の目的は最初からベルナデットだったとしたら、同じチェックを受けに来たに目が向かないのも当然ではないか?
おそらく、彼女が人質に取られたのはその時だ。
そこまで思い至るとほぼ同時に艦内に鳴り響く警報。敵の識別は木星帝国。あまりにもタイミングが合いすぎる。
は確信した。反乱を起こしたものは木星帝国に寝返る算段だと。

こうしてはいられない。

とりあえず言い終えてさっきより少しだけ落ち着いたらしきキンケドゥと一瞬だけ目が合う。どうやらこちらと考えていることは同じようだ。
お互いに頷いて、それぞれ反対方向に走り出す。
キンケドゥは格納庫へ。は、ブリッジへ。


息を切らせてブリッジまで駆け抜ける。
スライド式のドアが開き、どこか優雅な雰囲気を思わせるマザーバンガードのブリッジの全貌を見渡す。
先程まで占拠されていたらしいそこは、慌しくデッキに向けて出撃のコールを送っていた。
中央にある艦長席には、誰の姿もない。

反乱を企てた張本人は、クロスボーン・バンガード首領ベラ・ロナと、ベルナデット・ブリエットを人質に取り、モビルスーツで艦を脱出、コスモ・バビロニア時代からの直接の部下と共に木星帝国へと下った、らしい。
あの時の男だ、とは直感する。その予想は外れてはいないのだが、今は確証がないために口には出さないでおく。もっとも、ブリッジクルーならば反乱者の顔も知っているかもしれないが。

複雑な表情で無人の艦長席を通り抜け、通信を続けているクルーのそばまで寄る。まだ年若い通信士はの姿を認めると驚きの声を上げたが、構わず告げる。

「大空魔竜に通信を入れてください!ヒュッケバインを出してもらいます!」
通信士は戸惑いながらも頷き、すぐに大空魔竜に繋げられた。

(間に合え──!!)

通信を聞きながら、は拳を握り、祈った。




記憶喪失つながりということで、エリカとの絡みが欲しかったので入れてみました。
あとはもう、アレですね。ザビーネですよ、ザビーネ!クロボンばんざい!反乱捏造裏話!
でもさすがにX2に男一人女三人は入りすぎかと思い、ヒロイン人質は断念…orz

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