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『彼女』を隠す紅の色 確かに。 研究者らしく、化粧っ気のあまりないに「たまには化粧くらいしたまえ」と勧めたのは自分だ。 それが。 は、(時間が時間なだけに)がらんとした人気の無いネェル・アーガマの食堂にて、必死に携帯端末と向き合っている。 敵の襲撃も無く、とりあえずの平穏を保っているこの時に済ませてしまいたい仕事は山ほどあるのだ。 マグネイト・テンにおいて比較的よく見られる光景ではあったが、その日のはどこか違っていた。 まず目を惹くのは、赤。 いつもは肌を守るためにきつくない程度の薄化粧を施してはいるのだが、その日は明らかに仕事には全く意味の無い、鮮やかなワインレッドの紅を引いていた。 そこから微笑の一つでも漏れたならば、普段とは全く違った魅力を男性陣に見せつけるであろう、というほどの。 案の定、ばっちりとメイクを決めた彼女を包んだのは、部隊の男共。 「さんて、さっぱり系かと思ってたけどこういうのも似合うなあ」 「なんか……色っぽくねえ?」 「あ、ああ……なんつーの、こう……いいよなぁ……」 化粧道具を変えただけでこんなに群がってくるなどと。 はっきり言って不愉快だ。 第一、彼女があんな派手目のルージュを持っているなどと聞いたことがない。その証拠に、が部隊と行動を共にするようになってからの数ヶ月、自分は……いや、他の者も、およそ見たことがない。 となれば、誰かがにそれを贈った、ということが浮かび上がってくる。ちゃんとつけているところを見ると、おそらく彼女もまんざらでもないのではないか。 全くもって不愉快だ。 そういう憤りを心に隠し持ったまま、クワトロ・バジーナはコーヒーを二つ手に持って、の座るテーブルに近づいた。 「博士、仕事に精を出すのも良いが……少し休憩にしないか?」 声に振り向く彼女。クワトロの姿を認めると、赤い唇の端をすっと上げ、とびきりの笑顔を作る。 「あら、クワトロ大尉。こっちが色々とクソ忙しい時にコーヒーブレイクですか?いいご身分ですこと」 「……意地悪い言い様だな。私は何か、君を怒らせるようなことをしたのか?」 「いいえ?別に」 「では、何だ?」 のために用意されたカップが机の端に所在無げに置かれる。笑顔を崩さぬまま、は続けた。 「そうですね……特に理由はありませんけど。大尉の場合、タイミングが悪いだけで」 にっこりと、作られていた笑みがくすくすと笑う声に崩れていく。そして出てきたのはいつもの彼女らしい、楽しそうな、自然な笑みだ。 ひとしきり笑った後、は自分の分のカップを取る。目の前に持ってきて息を吐くと、それにつれて湯気がはらはらと舞った。 「……で、何かご用ですか?」 悪戯っぽく首を傾げ、問う。余所行き用の笑顔でない分、クワトロにはその表情の方が安心できたが、真っ赤な唇とはいささか不釣合いだ。 「素敵な紅を引いている」 「……え?」 クワトロのいきなりの物言いに、は面食らった。が、すぐに笑みを取り戻し 「大尉は赤がお好きだと聞いたもので」 素っ気無く答えてから、コーヒーを一口すする。白い紙のカップが薄っすらと赤く色づく。 クワトロはなおも続けた。 「私の好みを把握してくれたのは嬉しいが……少し派手ではないか?」 「似合いません?」 一体何がおかしいのか。クワトロが何か一言発するたびに、の口からは押し殺したような笑い声が漏れ出していた。 それが何故なのか、クワトロには全く分からない。その分多少苛ついた声音で、さらに言う。 「君の返答による。自分で似合うと思って買ったものなら、私は心からの賛辞を贈ろう。しかし……」 そこまででいったん言葉を切る。自分は何故口紅一つにこんなにも過敏になっているのだろう。 目の前でずっと笑いを噛み殺している彼女には、何となく、それが見透かされているような気がする。 そんなことを思いながら次の句を継げずにいると、ふいにがその続きを口にして見せた。 「……これが殿方からのプレゼントだと、そう言ったら?」 「…………答えが、知りたいかね」 「ええ、是非」 二人の視線が絡み合う。 それが外されることは無く、背の高いクワトロを睨み付けるように向き合って、は席を立った。 やがて二人は睨み合ったまま、鼻が触れる距離まで顔を近づけていく。 遠目から見る、今にも抱き合わんばかりの雰囲気とは逆に、彼らの目は恋人に向けるうっとりとした眼差しとは程遠い。 「君に他の男からの贈り物は似合わん」 先に動いたのはクワトロの方。 目は閉じられぬまま、クワトロの唇はにつけられた紅を覆い隠すように重ねられる。 それも挨拶でする軽く触れ合うようなものではない。下唇を食むようにした後、今度は全体を覆って強く吸う。 思わずは喉から呻くような声を漏らした。 「……ああ、もう。せっかく綺麗に塗ってたのに。全部剥がれちゃったじゃないですか」 「それが目的だったのだ、仕方なかろう?」 あれだけの激しい口付けを交わしておきながら、離れた後の二人の間に流れるのはさっきまでと変わらない殺伐とした空気。 は手鏡を取り出し、クワトロによってきれいさっぱり拭き取られた自らの唇を指でなぞっている。 そこは紅色が落ちて自然なピンクになってはいるが、先程の行為の名残か、透明なものが輝いていた。 「……あれが気に入っていたというのならすまないことをした。だが、それなら何故すぐ化粧を直さない?」 「すぐに唇を拭き取るのは失礼だと思いまして」 まだ付き合ってくれとも言っていない間柄にある女の唇を奪ったというのに、クワトロはしれっとしたものである。 しかしそれを受けてもなお、自分のペースを崩さず、さらに言い返せるもたいしたタマではあろう。 は化粧を施した他の部分がさして崩れてはいないのを確認すると、端末を脇に抱えつかつかと再びクワトロに寄った。 正面から見据えるのではなく、すれ違いざま。肩越しに振り返るとまたあの笑みを見せる。 「口のまわり、ちゃんと拭いておかないとあらぬ噂を立てられますよ」 なるほどクワトロの口には、の紅の色がべったりと付着しているのであった。 それから数日後。 「時に……あれをプレゼントしてくれたのは誰だったのだ?」 「ああ、バーベム卿ですが」 「な……!」 あの老人が。 「大尉が似合わないと仰ったので、もったいないですけど処分してしまいました。もちろん、代わりのものを頂けるんでしょうね、大尉?」 「当然だろう」 「良かった!あれ、相当な高級品だったらしいので、是非それにつりあうようなもの、見繕っておいて下さいね?」 一体どういう縁があってあの老人からそんなものを贈られたのかという疑問と共に、クワトロは己の懐が急速に冷え込む予感がした。 |
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バーベム財団御用達の超高級化粧品。一体いくらになるのやら。 まあ、ライバル達に一歩先んじたと思えば(相手によって設定は別ってなるかもしれませんが) 口紅の一本くらい安いものですよね、クワトロ大尉(笑) |