『彼女』は過去を振り返らない


の仕事は、ツェントル・プロジェクトに関わる二人のパイロットを監視するだけにとどまらない。
加えて言えば、特機の陳列されるこのマグネイト・テンを見物しに来ているわけでもない。

こう見えて、彼女は忙しいのだ。

「確か…駆動系の電池交換がまだだって言ってたわね……」
呟き、デッキへと続く通路を足早に通り過ぎようとした時。
ちょうど十字路になっている場所で、の足は否応なく通行を阻まれた。
「よう、久しぶり。博士……いや、ちゃんと呼んだほうがいいかな?」
フランクに片手を上げ、の正面に回り込むようにしてその男は口を開いた。立ち止まり、はそれに満面の笑みで答える。
「すみません、どちら様?」
「水臭いな、ドイツじゃ高い飯を奢ったろう?」
「たった一度食事をしただけでそんなに馴れ馴れしくする殿方にちゃん付けされるいわれはありません」
「何だ、覚えてるじゃないか」
「奢っていただいたことは感謝します。ですが、その他の事は記憶から消し去りたいのだと、察してはいただけませんか。……そこ、退いていただけます?」

にっこりと上がった口端を戻し、すましたままは男の返答を待った。
だが次に聞こえてきたのは、彼女の望んだ回答ではなかった。
「君が俺のことをちゃんと思い出せたら通すよ。……まさか本当に忘れたってわけはないだろう?」
意味深に視線を送りながら男はの顎に指先を乗せる。眉を寄せ、キッと睨みつけてもそののらりくらいとした余裕そうな表情は揺るがない。
は観念したかのように溜息を吐いた。

「……覚えてますよ。ネルフ特殊監察課加持リョウジさんとお呼びしたらいいですか?それとも……」
「おっと」
がその先を言う前に、男──加持リョウジの指先が唇にあてがわれた。
困ったような笑みを浮かべると、彼は肩をすくませ先程より小さく告げる。
「……その辺は内緒にしておいてくれよ。秘密のバイトだからな」
「私も不用意な発言で身を崩したくはありませんからね。はい、退いてください」
加持のウインクもあっさりとかわし、は唇に置かれた手をいささか強引に振り払った。おどけたように加持は身を翻し、塞いでいた通路を開ける。

何事もなかったかのように空気が動き出す。はすっと加持から視線をそらすと白衣を翻し再び歩き出した。


──ところで。


「……で、今度また食事にでも行かないか?」
背後から肩をつかまれ、はつんのめりそうになりながらもなんとか踏みとどまった。
加持の手は意外にも強く、戦闘員でもないが振りほどくには多少困難だ。

「結構です。手、離してくださいます?」
「まあそう言わずにさ、いい店知ってるんだ」
首を傾け冷たく返すも、加持は引き下がらない。
それどころか、の肩を自らの方へ引き寄せると、顔を近づけてまた例の笑みを浮かべる。
胡散臭い。そう答えて肩に置かれた手を叩き落とそうとした時、彼のさらに背後から女の声がした。

「加持くぅ〜ん?しつこい男は嫌われるわよ?」
「あれ、葛城……いたの?」
腕を組んで分かれ道の通路の中央に立つ葛城ミサトの姿があった。

「ええ〜いましたよ〜?さっきから、ずぅ〜っと。十字路のど真ん中でナンパしないでくれる?」
ミサトはこめかみをひくつかせながら、二人をじっと睨んでいる。小脇に抱えた紙束は、おそらくこれから報告する要項なのだろう。それが力を入れた腕で無残にもいくつもの皺が形成されている。


加持は慌ててのもとを離れ、ミサトに向き直った。
「いや、違うんだ葛城」
「何が違うんですか、加持さん?」
すぐ後ろで、が問うた。まるで二股をかけられたショックでヒステリーを起こしているように聞こえるが、それは声だけのこと。口元に手を当て、彼女は必死で笑いをこらえている。
「いや、その違うっていうか……ちゃん、大人をからかうもんじゃないよ」
「私のことは遊びだったんですね!?」
「い、いやそれは違うぞ!俺は女性と軽い気持ちで付き合ったことは一度も……」
「へえ〜、何が違うの、加持君?」
に呼応するかのように、すかさずミサトもやりかえす。

前門の同僚、後門の後輩。
思いもよらぬ所で修羅場の当事者となってしまい、加持はなんとかしてここを切り抜けるべくその切れすぎる頭を総動員した。
が、解決策が出る前に、ミサトはあっさりと言い放つ。

「……ま、今回はこのくらいで勘弁してやるか」
「そうですね」
一人の男を挟んで、二人の女が不敵に笑い合う。
助かった。加持はそう心の中で思ったが、それは一瞬の出来事であった。


「それじゃあミサトさん、その人よろしくお願いします」
「モチよ、変なちょっかいかけないようにきつーくお灸据えとくから」
女性陣の和やかな会話が進む中、加持リョウジは先程の件でミサトにずるずると連行されていく。
おそらくこってりと油を搾られるだろう。葛城ミサトは、そういう女性だ。

だがイタチの何とやらと言うか、加持はまだ懲りずにを向いて叫ぶ。
ちゃん!食事の件考えといて!」
「私、過去は振り返らない主義ですから!これからちゃーんと私に相応しい人を見つけます!」
きっぱりと断りを入れ、はファイルを抱え直し、すたすたとデッキへの道を行く。
そして数歩進んだところで振り返り、さらに一言を加えた。

「それに、ちゃんと想い人がいるくせに他の女に手を出すような男とは付き合いたくありません!」

それは捨てゼリフのように。
彼女は今を、未来に向かって生きる。




ヒロインと各組織〜ネルフ編〜でした。
加持さんは大人の男性なんで、好きな人がいても食事に誘うくらいはすると思ってやってしまいました。
カジミサも好きなので、ヒロインと恋愛したりはないと思いますけど…(期待した人ごめんなさいっ!)

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