忙しい。忙しい。
オフの日も無いくらい忙しい。

どうやら『早瀬未沙』が当たり役だったらしく、あれ以来私は色々と引っ張りだこ。
どこへ行っても、マスコミがついて来る日々を過ごしている。
今日だって、私が家を出たのは、朝のニュースが終わるか終わらないかくらいだったのに、こうして帰って来た時には、もうあたりは真っ暗だ。
そりゃあ疲労もストレスも鬱憤も溜まるというものだ。

おまけにラジオやドラマの仕事もあるせいで、『あの人』と歌の仕事でご一緒する機会も無くなってきている。

そろそろ新曲のひとつも出そうか、という話も浮かんだこの時期だというのに。
私はいまだ、彼に会うことができないでいた。


第五話 歌が無い!


シティの結構いい所にあるマンション。
部屋は小さめだけど、綺麗で便利もいいし、気に入っている。
私がデビューしてから、事務所に貸してもらった、私のお城だ。

が、今日は不思議なことに、中の電気がついている。
当然私は一人暮らし、しかも戸締りもしっかりしてきた。不審極まりない。
だけどそこまで警戒する必要はない、とすぐに分かった。玄関ががちゃりと開いて、ドアの隙間からよく見知った顔が覗いていたからだ。


……合鍵、なくさずに持ってたんだね。偉い偉い。


「バサラ……何か用?こんな時間に」
「ああ……」
玄関から出てきたバサラは、どことなくばつが悪そうな顔をしていた。
そわそわしている、というか。
所在なげに私と部屋の中とを交互に見ている。

あ、もしかして。
私は一つ思い浮かんだ答えに顔をほころばせると、バサラとドアの間をすり抜けて玄関を上がり、彼を再び部屋の中へと招き入れた。
「まあ、とりあえず上がって?お茶でも淹れるから」
「…………」
返事は無かったけど、どうやらそれに従って中に入ってくる。
上着を脱いでキッチンへ向かおうとしたところで、なぜか私はそれ以上前に進めなくなっていた。

私の両肩を、バサラの手が掴んでいる。

「……?何?」
ゆっくりと。
バサラの手に従って、私は後ろを振り向いた。
「何か急な用……っ!」
彼に向き直るとすぐに、大きな影が落ちてきた。
咄嗟のことで、目を閉じている暇も無かった。私は目を開けたまま、私に今キスをしたバサラの睫毛をぼんやりと見ていた。


「…………」
やがて、余韻も無くバサラが顔を離す。
普段の彼にあまり似つかわしくなく、私の肩をぐい、と押しやると、深く溜息を吐いてくるりと背を向けた。
「……ねぇ?バサラどうしたの?何か用事があって来たんでしょ?」
遠慮がちに、彼の背中に問いかけてみる。
バサラとて忙しい身だ。ふらふら私の家に来るような暇は無いだろう。
しかしバサラは答えなかった。
かわりに、後ろ向きのまま手招きをして、私を呼び寄せる。


どうしよう。
何か言って欲しい。


本当なら、バサラの口から聞きたかったのだけれど、仕方ない。
手招きのポーズを取り続けるバサラの手の上に自分の手を乗せて、私は思い切って聞いてみた。
「ここに来たってことは、もしかして、新曲持ってきてくれたの?」
ちらりとこちらを向いたバサラの表情は、何故だか怪訝そうだった。


沈黙。


やがて、
「……ねぇよ、んなモンは」
ぶっきらぼうにそう一言だけ告げると、バサラは軽く触れ合うだけだった私の手を、ぐっと引き寄せた。

「え……ちょっと何……っ!?」

唐突な行動に、疑問が口をついて出てくる頃には、遅かった。


そこはリビングからキッチンへと繋がる空間の、その手前。
私の家には、これまた事務所関係の方から頂いた三人掛けのソファがあったりする。
肌触りのよい生地で、淡い色合いがとても気に入っている。

今────引っ張られた腕の痛みと『ぽすっ』という音と共に、周囲にあるパステルカラーが目に入って──……
ついで、肩や胴体にくる何だか暖かい重みに、やっと気付いた。

上を向く。
天井が見えるはずの視界には、バサラが映っていた。


「……な……っ……!!」
やっとの思いでそれだけ口から搾り出す。
まだ思考が追いつかないでいた。
バサラは今までに、こんなことをしたことがないのだ。
必ず意思表示をしてから────って、そんなことはどうでもいい。


抵抗する暇も無く、唇が重ねられる。


「ち、ちょっと、バサ……」
「…………」


バサラは無言だった。
が、それ以上のことが行われる気配が全く無い。のしかかってキスしてるだけ。
なんなんだろう、この人は。

やがて驚くほどあっさりとその腕ははずれ、私はバサラの後を追うようにのそりと起き上がった。
さっきの勢いが嘘のように、バサラは肩を落としてソファの上に座り込んでいる。
バサラらしくもない沈黙。

「…………」
「……な、に……?」

だけど、やがてポツリと紡ぎだされる言葉。


「やっぱりダメだ……何も浮かばねえ」
「え?」
「お前の歌だ……!何も浮かばなくなっちまった!」
「……!?」


…………はい?

ちょっと待って。
それって、つまり…………

「私の新曲は……」
「無い」
「もしかして、スランプ……」
「さあな。けど、何してても、何も思い浮かばねえ……今までは、お前を見ただけでいくつも浮かんできたってのに!」


語気は荒いが、何だかバサラが落ち込んでいるように思えた。
私は立ち上がって、冷蔵庫へと向かった。飲み物を取ってくるためだ。
バサラは追って来なかった。


買い置きのレモネードと烏龍茶とを片手に一つずつ持って戻ってくる。
バサラの目の前に差し出すと、彼は烏龍茶の方を取った。
私はバサラの隣に座り、レモネードを開けた。

いまだ言葉は無い。


歌が無い、って。
つまり、このままだと私の新曲はいつまで経っても出ないわけで……でも、どうして。
確かにバサラは、今まで何度も壁にぶつかってきた。
Fire Bomberの活躍をずっと見てきた私には、それくらいのことは分かる。
だけど、それには必ず、理由があったのだ。
例えば『自分の歌が兵器として利用される』ことへの疑問だったりとか。

今回は、そんな理由なんて何も無いのに。
そんなことを考えていたためか、飲み込んだレモネードの酸味が感じられなかった。


「なんで……なのかなぁ……」
呟いて隣を見る。バサラは相変わらずだった。
ただ、一応私の声は聞こえていたらしく、ちらりとこちらを見てはまた前を向く。
これは今日はだめかな、と思いかけたその時、不意に名前を呼ばれて再び視線をやると、バサラは前を向いたままぽつりぽつりと語りだした。
……みんなに歌を聴かせるってのは、凄えことだろ?」
「え……?うん……そうだね。みんなが聴いてくれるから、もっと歌いたくなっちゃう……」
「歌手になる前に言ってたよな。お前の歌は「たった一人に向けた歌」だって」
「……そういえば、そんなこともあった、ね」

再び、沈黙。
そういえば、忙しさにかまけて忘れていたけれど、元々私の歌は、バサラ一人のために向けて歌う歌だった。
その時は、今みたいに大勢のファンなんていなかったから、それが当たり前だった。
もしかして。
「私が、自分の歌を見失っていた、から……」
はっとする。
だから、私本来の持ち味が出なくなって、バサラは曲が書けなくなったんじゃないか、と。そう思った。

だけどバサラの方は、そうではなかったみたいだ。

「みんながお前の歌を聴いてる。それはそれでいいことなんだぜ。けど……もうそいつは、俺だけのものじゃない」
「……?」
「お前が歌手になるまでは、俺だけの歌……俺だけの唇だったのに!」
「っ!?」

バサラの手に持っていたカップが床に落ちる。
そしてそれは、いつの間にか私の肩にかけられていた。
また────……
私は身構えたが、それ以上の動きはなかった。

肩をつかまれて、一瞬びくりとしたが、それを退けることは出来なかった。
こちらを向いたバサラの顔が、拗ねた子供のような表情をしていたからだ。
「……ねえ、バサラ」
「ん?」
「私、確かにデビューしてから、聴いてくれる人たちのために歌ってた」
「そうだろ。俺の他にも『聴かせる奴』ができることになるってのは、デビューした時から分かってたよ……」
「それでね……こんなこと言うの、失礼かもしれないけど……バサラはそれが嫌だったんじゃないかなって、思ったの」
「嫌?俺が?」
意外そうな顔だ。
自分でも気付いていないみたいだった。バサラの、心の奥底の、本当の気持ちに。
……まあ、推測なんだけど。
「私の歌を……他のファンのみんなに取られちゃうような気がした。……違う、かな?」
「…………」

あ、憑き物落ちた。
バサラは俯いて、私の肩に置いていた手をするりと滑らせた。
「いや、違わねえ……そうだな、お前の歌が他の奴に向けられていることに……妬いてたんだな」
あらためて、私の背中にバサラの腕が回される。
今度は私も、ちゃんと受け入れた。バサラの腕を支えるようにして、自分の手を添える。
「ごめんね」
「謝んな。俺の歌だって、別にお前一人に向けてるわけじゃねえ。みんなが聴いてくれるってのはいいもんだって、お前が分かっただけでもいいさ」

わ……いつものバサラじゃないみたい。
声も低くて優しい。腕の中は、とても暖かい。
だけど優しい中に、どこか隔意を感じるような、そんな触れ合いだった。
「けどよ、俺が作れるのは、お前が俺のために歌う歌だけだ。だから、今のお前に相応しい歌なんて作れるわけがねえ」
「そんなこと……」
「いや、前々から思ってたことだ。もうお前は一人前だ。俺が曲を書かなくても、一人でやっていける」
「そんなこと、ない!」
思わず声を荒げてしまう。
同時に暖かいバサラの腕から抜け出し、正面から顔を見据える。
バサラの目に宿っていたのは、いつもと同じ、意志の強い瞳で……

「あるんだよ」
また、低く告げる。
「俺が書けるのは、『俺のために』歌う歌だけだ。だからもう、それは書けねえ。それに知ってるんだぜ?……お前が、詞を書いてるの」
「……!!」

声が出ない。
プロデューサーが曲を作ってくれるという、かなり恵まれた立場にいたはずの私は、それなのに自分でも詞を書いていた。
それは、いつかは来るであろう『一人立ち』の時期を……自分でも無意識のうちに予想していたからなのかもしれない。

必死に声を絞り出す。
「それじゃあ……それを、私に歌え、って……?」
「お前が書いたんだから、それはお前の歌だ。俺が書いたのより今のお前に合うと思うぜ」
「バサラ……」
『ら』の字は掠れてほとんど出なかった。

今の私は、バサラの目にはよっぽど情けなく映ったのだろう。
三たびふわりと抱き寄せられると、私は目を閉じてバサラの胸にもたれかかった。

新曲は自分で作る。
そのことをようやっと承諾すると、急にどっと疲れが出てきたような気がした。
そのまま、ソファに倒れこむ。

そのまま夜を明かした。
バサラは何もしなかった。



それから、私は自分で作った歌を新曲として発表した。
結果は大好評……作詞の才能が私にあったことを十分にアピールすることとなった。

ライブを終え、楽屋に戻ると、バサラがいた。
彼は私の姿を認めると、落ち着いた口調で言った。


「俺、そろそろ降りるわ、プロデューサー」




クライマックスに向けてもっともっと甘くしたい!……んですが、どうなることやら……
でも最近こういうの書いてもあんまり恥ずかしくなくなりましたよ!(笑)
頑張った!私!もっと頑張れ!!

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