第一話 リハーサル


よく晴れた日。
人工天気なのだけれど、差してくる陽の光や青く染まったシティ7の天井は、きっと地球と何一つ変わりがない。
そんな澄みわたった空とは対称的に、私の心には分厚い雲がかかっていた。

遅々として進まないデビュー話。今日も地道にレッスンを受けるためスタジオまで足を伸ばしてはいるが、時折すれ違うデビュー済の人たちを見ては、何となく「私もあんな風になるまで頑張るぞ」とか「羨ましいなあ」とか、心の中だけでこっそり呟いている。
そして常に私のまん前を歩いているプロデューサーの編に鼻にかけたような態度と、カマっぽい喋り。
そういう人はこの世界でも少なくないのだが、何故か無性に恥ずかしさがこみ上げてくる。


気持ちが沈んでいる原因はそれだけではない。
あの男──熱気バサラ。
彼の言葉が気になって仕方がない。

少々強引な口付けと共にもたらされたあの一言。それ以来バサラと会う機会は無かった。


一体何を企んでいるのか。


ちゃん!ホラ何やってるの!もう一度最初からやってみて!」
「あっ…は、はい!」
そんなことを考えていたせいで、いつの間にか集中が解けてしまっていた。
やけに細い体の講師がきつくこちらを睨んでいる。プロデューサーの方はと言うと、キンキンする講師の声が聞こえるたびにいちいち首を振って頷いていた。

今は余計なことは考えてはダメだ。
静かに息を吸うと、今度は最後までしっかりと、課題を歌いきる。
危なげなくできてはいたはずだ。講師の顔を伺うと、多少渋い表情を残しながらも一度ゆっくりと首を縦に振っていた。

ほっと胸を撫で下ろすのも束の間、私の心の中で「何かが違う」と誰かが叫んでいるような気がした。
今のは自分でも上出来だと思うし、こういう歌い方をすればその手の人達には受けがいいというのは分かってきたが、どこか違和感がある。

一体なんなんだ。
そういえばあの男も私の歌がどうこうと言っていた。
私の歌とは何なのだろう。私はバサラと同じ場所に立ちたいと思い、バサラのために歌った。それが私の歌。
バサラ自身もそう言っていたことだ。
けれど、あの夜……あのライブの夜に言っていたことは、それとは違う感じがした。

「すみません、ちょっと顔洗ってきます」
「それじゃあ10分休憩にしましょう。早く戻ってきなさいね」
私は講師とプロデューサーに一言入れると、軽く頭を下げてレッスンルームを出た。


ばしゃばしゃと勢いよく流れ出る水に顔を晒す。幾分かすっきりはするが、それで私の気が全て晴れたわけじゃない。
鏡の前で無意味にポーズを取ってみたり、笑顔を作ってみたりする。デビュー前の卵には、ろくに化粧すらさせてもらえない。
今もこの同じ建物の別の場所では、すでに芸能界で活躍中のいろんな人たちが元気にそれぞれの仕事をしているのだろう。その中には、私よりはるかに若い子だっている……例えばミレーヌ・ジーナスだってそうだ。
彼女は14歳にしてシティ中にその名を轟かすトップスターになっているのだ。

私だって、ミレーヌレベルとまではいかないものの、多少の自信はある。というか、自分に自信を持っていないとあっという間に淘汰されるのがこの世界だ。
今スターダムを駆け上っている彼女達と私と、一体何が違うというのか。
「あー、ダメダメ!そんな暗いことは考えない!」
両頬を平手ではたき気合を入れる。今はそんなことを考えている場合じゃない。

私の歌を、シティのみんなに聴かせるために、今ここにいるのだから。


フェイスタオルで外面など気にせずがしがしと水気を取ると、ようやくさっぱりとした顔と共に気持ちを切り替えられるような気がして。
「よし、待ってろよトップスター」
握り込んだ両の拳はそのままに、パウダールームから一歩外へ出る。レッスン再開のため。
しかし、二歩目を踏み出す直前、私の足は敢え無く動きを止められる。

「「あ」」

何ともタイミングの悪いことに、廊下を歩く誰かと鉢合わせしてしまったのだ。
その人は、私よりもたっぷり二回りは高い身長を僅かにかがめ、いつもと変わらぬだるそうな表情と、それなのにその人の生気を表すかの如きぎらぎらと輝く瞳で私を見下ろす。
「よう、。ナイスタイミングだぜ」
「なっ…んで」
歳に似合わぬイタズラ好きのガキみたいな笑顔を見せるその人──あまり認めたくはないがこいつは私の最大の目標なのだが──熱気バサラ。
私は彼を指差したままぽかんと口を開けて硬直していた。
そして彼は、そんな私の様子など意にも介せず……否、むしろ抵抗しなくて好都合だとでもいう風にそのまま腕を引っ張りどこかに連れて行く。

正気に返った時には既に遅し。バサラの無駄に鍛えた馬鹿力に、私の細腕で対抗できるはずもなく。

「きゃー!人さらいーっ!!」
「騒ぐなって、いいから来い!」
「例え夫婦でも強姦罪は適応されるんだから!訴えてやるー!!」
「しねえよ!!」

……とまあ、そんなみっともないやりとりをすれ違う人たちに晒しながら、そのまま連れられしばらく歩いたころ。
「着いたぜ」
「ここって……」
重い扉の前で、やっと腕を解放される。
すぐ隣のガラス窓からは、中の様子──ミレーヌたちがスタンバイしている──がよく見える。そして扉には『FireBomber』の張り紙。
紛れもなくここは、彼らFireBomberの使っている収録スタジオだ。中をよく見てみると、彼らのプロデューサーである秋子リップスの社長と、サウンドフォースにて一躍有名になった、統合軍のドクター千葉まで揃っている。

こんな大仰な場に私を連れてきて、一体どういうつもりだろうか。
それに答えてもくれず、バサラは慣れた手つきで扉を開ける。中から彼の遅刻を諌めるような声が聞こえてきた。
目的も分からず、しかもレッスン中だったというのに、やはり私にはこんな所に来ている暇なんかない、ときびすを返そうとすると、中からまたバサラの声が聞こえてきた。

「今連れてきた奴の歌を聴いてやってくれ」
「ええっ!?」
扉は開きっぱなしだったため、その声は外までよく響いた。
それを聞いての私の反応も中まで丸聞こえだ。皆の視線がガラス越しに私に集中していた。
「え、いやちょっと…私は……」
何とか言い訳を。ここで強引にでも逃げ切らなければあの男の思うつぼだ。
両手をばたばた振って後ずさるが、バサラは素早く扉から出てくると、再び私の腕を掴んで中に引き寄せる。

前言撤回。

この男は、自分がやると決めたら周囲が何を言っても無駄なのだ。


かくして、この豪華メンバーの中、何の因果か私は歌を聴いてもらうこととなった。
当のバサラはいやに楽しそうにギターの用意をしていた。
目の前にマイクがセットされる。唐突にバサラから声がかけられた。
「何にする?」
「え?何が?」
「歌だよ。何歌う?」
「え……」
ちらりと周りを見る。みんな「バサラの戯言に付き合ってやっている」感が拭いきれていないが、それでもやる気ではいるようだ。

「……じゃあ、SweetFantasy」
一瞬だけミレーヌと目が合った。
が、お互い何を言うでもなく、すぐに演奏がスタートする。

バサラとミレーヌ、どちらが歌手としてより好みかといえば、やはり私はバサラだと言う。
でも今はそういうことを問題にしている場合じゃない。歌いやすいのは、同じ女性であるミレーヌの歌だ。
そこまで考えて、私ははっとバンドを振り返った。
もしかしたら、バサラと付き合っていることでミレーヌには嫌われているんじゃないか、と危惧したのだ。
そしてもうひとつ……私自身が、ミレーヌに嫉妬しているんじゃないか、とも。

イントロがもうじき終わる。
歌えと言われて歌うのが仕事だ。余計なことは考えず、今は目の前の歌に集中するしかない。
それだけが今私に与えられた自由だ。


「……ふぅん、なかなかいいんじゃない?昨今見ない方向性ね」
歌い終えて、最初に発せられた言葉は、秋子さんのその評だった。
「何だよ、秋子さんなら分かると思ったんだけどなぁ…」
「歌ってものは、聴く人の感性によって評価も変わるもの。バサラがそう思ったんなら、それもこの歌の側面でもあるわ」
「歌エネルギーは最高時で8万チバソング……素人でこの数字は素晴らしいがね」
「あ、あの……で結局何だったんでしょう?」
当人(もちろん、歌っていた私のことだ)をよそになにやら話し込む三人に恐る恐る近づき聞いてみる。バサラはやっぱり、いつもの自信たっぷりの笑みを浮かべたまま言った。

「俺がをプロデュースする」


「……え……えぇ〜っ!?」
叫び声にタイムラグが出るほどに私は驚いてしまったらしい。
口を開けたまま固まって、動くことが出来ない。
唯一自由になる目をきょろきょろとさせてみると、秋子さんも、ドクター千葉も、同じくびっくりした……というよりは呆れたような顔で立ち尽くしている。

だって、そんな。
そんな急にとか、もうプロデューサーは決まっているのにとか、そもそも今レッスン中だったのにとか。

色々なものが頭の中でごっちゃになって、私は間の抜けた叫び声しか声が出なかった。


「ちょっとバサラ本気ぃ!?」
ワンテンポ遅れて周りの人たちがそんなことを言いながらこっちに集まってくるのが見えた。皆一様に驚きの表情を浮かべて。
無理もない。この男のいつもの気まぐれにしたって、さすがに話が大きすぎる。
いつの間にかバサラと共にFireBomberの面々に囲まれてしまっていた。大きな目をきっとつり上げて、ミレーヌがまず口を開けた。
「無理よ、絶対!バサラにプロデューサーなんて務まるわけ、ない!」
「んなことねえって。な、?」
激昂するミレーヌにもまったく動じず(さすが、慣れている)バサラは笑って私の肩を叩く。

私も無理だと思う。
そう言おうとした時、秋子さんの口から呆然としたような呟きが漏れた。
「ちょっと待って。って、?ハニープロの研修生の?」
「そうですけど」
頷くと、秋子さんは頭を抱えて大きな溜息を吐いた。
「秋子、どうした?彼女に何か?」
さりげなくレイが秋子さんの脇にそっと寄り添う。俯いていたせいでよくは見えなかったが、なんだかものすごく疲れているように思えた。

そしてやっと聞こえてきた言葉は。
「……やってくれたわね、バサラ。この子、ハニープロの秘蔵っ子じゃないの」
「何だそりゃ?」
バサラはあくまでマイペースを崩さない。秋子さんはというと、事の重大さが分かってない、と頭を振るとバサラに詰め寄った。
「だからね!この子はもう別のプロデューサーがついてて、デビュー前の大事な体なの!それをこんな……あーっもう!!」
そこで彼女の言葉は言葉にならなくなった。
頭を掻き乱しながら意味を成さない嘆きを放っている。
他のメンバーもやはり、突然のバサラの発表についていけていない。ただ一人、ビヒーダだけは普段と変わらぬ冷静さだったが、彼女は何も言ってはくれない。

私も焦っていた。何しろレッスンを抜け出して来ているのだ。
……例え本人の意思ではなくても。

のほほんとしているのは、バサラ当人だけだ。
そんな彼に拒否の言葉を投げかけるのは少し気が引けたが、ともかく早く帰らなければいけない。前に回りこみ、思い切って声をかけてみた。
「あの、そんなわけだからこの話は無かったことに……」
何が『そんなわけ』なのか自分でもよく分からなかったが、この後レッスンルームに戻って、プロデューサーと講師に謝って、それから山ほど残っている課題を終わらせて…などと考えると、ここは何が何でも早く帰らなければと思わずにはいられない。

しかし、バサラの元を離れ部屋を出ようとした私の体は、何故かその場から一歩も動けなかった。
まで何言ってんだ。大丈夫だ、やりゃあ出来るって」
その言葉と共に。
バサラの長い腕で、いつの間にか私は背中をがっちりと抱き締められていた。
「出来るかもしんないけどもう帰ります、離してください」
「……
腕の中でじたばたと暴れてみても、バサラはびくともしなかった。
それどころか、さらにきちんと押さえつけるために、腕の拘束はますますきつくなってくる。
しまいには、顔まで異様に近づいて。

「…………俺を信じろ」
違う。根本的にこの人は言葉が通じない。
ぎらぎらと輝く視線が、私の目を突き刺した。
「だからそういう……っ!?」
言い返そうとした私の言葉を、やわらかい感触が飲み込んだ。


その後のことは、あまりよく覚えていない。
聞いた話によると、バサラが事務所まで単身乗り込んで行ったとか、そのために秋子リップスは多大な迷惑を被ったとか。
秋子さんの手腕により、ようやっと私が条件付で移籍できることになったのだとか。

そんな大変なことが自分の計り知れないところで繰り広げられていたのだと思うと、申し訳ないやらもどかしいやら、複雑な気持ちになる。

「……プロデュース業なめるとあとが怖いわよ」
帰り際にバサラに向かって放たれた、秋子さんのその言葉だけが、やけに耳に残っていた。




目指せ1話1キスで頑張っております。が、しかし!
長い!ここまで長くなるとは思いませんでした。もっとさっくり進む予定だったのに…
最後の方ぐだぐだですね……まとめる能力低くてすみません。

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