正しくないデートの誘われ方。


今日こそは。
決意を胸に、神尾アキラは校舎の出入り口、下駄箱の陰にそっと身を隠していた。


──今日こそ、杏ちゃんをデートに誘うぞ。


心の中だけで息巻いて、手の中にある映画のチケットを二枚、握り締める。


放課後の、ある日のことであった。
これから部活が始まる忙しい時間帯にもかかわらず、神尾はその場でじっと橘杏が通りかかるのを待っているのだ。
彼女の兄であり、彼の所属するテニス部の部長でもある橘桔平に見つかりでもすれば大目玉を食うこと間違いない。

それでも神尾は待っていた。


「うーん……どうやって誘えばいいのかな……」
そんな基本を忘れていたりしながら。


人通りもまばらとはいえ、ここは放課後の下駄箱だ。
下校のため通りかかる生徒だって少なくない。それすらも忘れて、神尾は杏を誘うための練習をその場で始めてしまった。
「やあ、杏ちゃん……おっと、ここにあるのは君の見たいと言っていた映画のチケット…………ダメだダメだ!こんなのわざとらしすぎるぜ……こんなんじゃリズムに乗れねえよう……」
一度ビシッとポーズを決めては、それにいちいちセルフで駄目出しをして、一人うなだれる。もうそんなことが何パターンも繰り返されている。

彼のチームメイトの伊武深司にでも見つかろうものなら、彼は翌日からしばらく部内どころか学校内で笑いものにされてしまうだろう。

それほどまでに、鬼気迫った意気込み。


しばらくすると、どうやら諦めたらしく大きく首を左右に振る。
もちろん、通りすがる人達の異様な視線などはお構い無しだ。
「あーっ!もう!やっぱり男はストレートにいかねぇとダメだ!小細工したって始まらねえんだ、そうだ!!」

どうやら開き直ったらしい。


神尾は咳払いを一つすると、それまで隠れていた(つもりの)下駄箱の陰から一歩踏み出した。
手に持ったしわくちゃのチケットを前に差し出し、目を閉じて俯いたまま短く言い放つ。
「今度の日曜、俺とデートしてくれ!」


僅かな沈黙。


「…………いいよ」

思いもかけぬ返事と共に、半ば紙切れと化したチケットが手から離れていく感触がして、神尾は顔を上げた。
そこにいたのは、もちろん『いとしの橘杏』などではなく。
「何でテメェがそこにいんだぁぁぁぁぁぁぁぁぁっ!?」
神尾の絶叫に『彼女』は耳を塞ぐ。
「何でって、これから帰ろうとしたところにあんたが『デートしてくれ』って言ってチケットを差し出した。私は承諾した。……OK?」
「そーじゃなくて!それでなんでが答えんだよう!俺はなぁ、俺はなぁ……!」
「だって、私この映画見たかったんだもん」

得意げにそう言って首を傾げてみせるを前に、神尾はこの世の終わりのような表情をして見せた。


「ダメだ!返せ!これは俺が苦労して手に入れたんだぞ!」
「いいじゃない!二枚もあるんだから!神尾のケチ!」
それから約30分後。
すのこの上に立って、二人はチケットの争奪戦を繰り広げていた。そう、あれからずっと、だ。
「お前は図々しいんだよ!だからこれは俺が……!」
「元はと言えば、神尾が渡す相手を間違えたりするからいけないんじゃないの!私嬉しかったのに!」
チケットの片方の端っこを持ち、は怒鳴った。
もう片方の端は神尾が持って、お互い紙をぷるぷる言わせながら、破いてしまわないように、均衡を保ちながら引っ張り合いをしている。

「だからそれは悪かったって言ってんだろうが!そもそもこれは…………」
そして神尾の方なのだが、どうも歯切れが悪い。
もともとこのチケットは杏のために用意したものなのだが、誤爆とはいえ一度渡して、しかも「デートしてくれ」とまで言ってしまったに真実を告げるのは、なんだか気まずい。
その上は自分に誘ってもらって「嬉しい」との感想まで言ってくれているのだ。

それが故か、神尾はなかなか「杏ちゃんに渡したいから返してくれ」の一言が言えずにいるのだ。


しかし、女は鋭かった。


「言っとくけど、杏なら誘っても無駄だよ」
「ってぇ!?な、なななんでそこで杏ちゃんがでで出てくんだよ……?」
「気付かないとでも思った?」
溜息と共に、は力を込めていた手を緩めた。
同時に、チケットの引っ張り合いをしていた神尾の体が後ろにぐらりと揺れる。
「おわっ!…っとっとっとぉ……」
何とか踏みとどまった、と思った瞬間にすのこと地面の段差に足を取られ、その場に尻餅をつく。
が手を貸して引っ張って立たせるのと同時に、彼女は神尾の耳元で小さく呟いた。


「今度の日曜、杏デートだって」

「なっ…何ぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃぃっ!?」


晴れ渡る不動峰の夕焼け空に、神尾の絶叫が響き渡る。

「お、おおおい!誰なんだよその羨まし……じゃない、デートの相手ってのはよう!?」
「さ、さあ……誰かは聞かなかったけど、確かセイガクが何とか……」
「青学……ってことはアイツか?そ、それともアイツ……いやいや、もしかしたらアイツかーっ!?」

の両肩を掴み、がくがくと揺さぶる神尾。
三半規管を駄目にされながらも、何とかは答えたが、神尾の言うアイツとかアイツとかアイツとかについては、全く分からない。
とりあえず離して、と訴えかけようとしたところで、神尾の口から意外な言葉が飛び出した。
「こうしちゃいられねえ……日曜は杏ちゃんを見張りに行かねえと!ってわけで、お前も手伝えよ!」
「それってストー」
「かわりにこれ一枚やるから!そんじゃあな!リズムに乗るぜーっ!」

の言葉に耳ひとつ傾けず、神尾はその不動峰最速ともいえる足で引き止める間もなく走り去っていった。


沈み行く夕陽に残された、一枚のチケット……
「ま、いいか」
チケットを適当に伸ばし、鞄に入れると、は靴を履き替えた。

とりあえず、目的のものが手に入っただけでも良しとしよう。





えーっと。神尾君はこの後潔くふられてヒロインとくっつくといいと思います(笑)
あ、ちなみに杏ちゃんのデート相手はモモシロ君ですよ。

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