いたいキスをあげる


その日の熱気バサラは、最悪な気分であった。
原因というのは、他でもない。のことだ。

普段多忙な二人は、デートするのだって時間との戦いになる。そんな中ようやく取れた時間をささやかながら楽しもうとしていた所だった。
の様子がおかしいと気付いたのは。


「……何も逃げることはねえだろ……」
苛立ちが言葉となって漏れ出す。
バサラはベッドにどさりと倒れると、少々寂しそうに自らの唇にそっと触れてみた。
つい先ほど味わった感触が思い出される。もっとも、今日のは最低だった。
静かに目を閉じ、先ほどの顛末を思い出してみると、こうなる。



二人とも、もういい年した恋人同士だった。
少ない時間で効率良く逢瀬を重ねていれば、自然とそういう雰囲気になってくるのも必定というもので……ふと、がバサラの方を見上げたのが合図になった。
の頬に手を当てる。逃げないように、中指と薬指で耳朶を挟み込んで、顔を近付ける。

しかし、その日のはなぜだか様子がおかしかった。
普段なら自然な流れで目を閉じて身体を預けてくるはずのその彼女が、今日に限っては顔をこわばらせて唇をきゅっと結んで固まっている。
そういえば、今日のは口数が少ない。
表情もどこか浮かない感じだった。何か悩みでもあるのだろうか。
だが、今まさに唇を奪わんばかりの体勢、心の準備までしっかりと出来上がってしまっているバサラに、そういうことを言及させるのは無理というもの。

覆い被さるように、影が重なる。
優しく触れるだけのキスだったが、やはりの唇は固く引き絞られたままだった。
「……?」
これにはさすがの熱気バサラも首を傾げた。
見ればは、膝の上にゲンコツを揃えたままの格好で、バサラから視線をそらしている。
「何ふくれてんだ?」
「…………」
返事は無かった。
自分は何か彼女に嫌われるようなことをしただろうか?
だがそれらしい心当たりは全くない。
第一、の性格なら嫌な面は口に出すだろう。

しばし考えた後、バサラは────


────気にしないことにした。


「……っ!!」
息を飲む音が聞こえてきた。
一向に口を開けないに業を煮やし、バサラは空いた手での脇腹をなぞっていた。
敏感な箇所を刺激され、呼吸のために唇が一瞬だけ解放される。
タイミングを逃さず、バサラは僅かに開いたの唇の間から、口内に舌を侵入させ──


「!!!」
「うおっ!?」
瞬間、脇腹に鈍い痛みを感じた。
怯んだ隙に、がさっと身を翻してバサラの腕から逃れるのが確認できた。
口を両手で押さえて……目には涙を浮かべている。
「え……」
そこまで嫌だったのか、とショックを受けている間に、は口を押さえたまま外へ走り出した。
「お、おいっ!?」
慌てて追いかけようとするが、先程の涙が脳裏に焼きついて、躊躇する。
いつの間にかは扉の所まで走り去っていた。
一度こちらに向けてぺこりと頭を下げると、今度はとぼとぼと歩き去っていく。

「……何だったんだ……?」
頭をかいて、独りごちる。
去り際ののあの表情。
あの辛そうな、それでいて申し訳無さそうな顔が、追いかけようという気持ちを萎えさせた。



そのままバサラは帰ってきた。
冒頭の『最悪な気分』の顛末がこれであった。

思い出して、バサラは小さく息を吐いた。

今更。
今更キスの一つで泣くようなタマでもあるまいに……

今日はもう何もやる気が起きなかった。心なしか、口の中がゴロゴロするような感覚もある。
そのことも手伝ってか、夜が更ける頃には、バサラの意識は既に夢の中にあった。



コンコン。
コンコン、コン。

規則正しく壁を叩く音で、バサラは目を覚ました。
身を起こして、音の発信源らしき階下へと視線を泳がせる。
ばつが悪そうに肩をすくめたの姿が確認できた。

「……」
「おはよう、バサラ……」
「おう」
声も控えめだ。だが昨日ほど切羽詰まった感じはしない。
とりあえず軽く返事を投げかけて、手で「上がって来い」とのジェスチャーをする。
昨日の夜あたりからずっと続いていた、口の中の違和感がまだ消えない。あまり喋りたくないので、挨拶も手短だ。
ジェスチャーとその手短な挨拶には軽く頷くと、二階へと続く梯子を登り始めた。


「……で、何だって?」
「あの」
いささかに剣呑な雰囲気をまとわりつかせたバサラに向かって、はいきなり頭を90度前に倒した。
「昨日はごめんなさい!」
「何が」
一方のバサラは、明らかに拗ねている……が、それでも一応話だけは聞こうとしている姿勢は、彼の性格を考えると褒めてやってもいいくらいのことだ。
「えっと……だから、ほら、昨日はいきなり逃げちゃって……」
「……今日は」
「え?」
「今日は逃げねえのか?」
低い声に反応して顔を上げてみる。バサラはやはり仏頂面継続中だったが、声色になにか暖かいものが混じっているような気がした。
「……うん」
ほっとしたような笑みをは見せた。
そして、昨日何があったのかを話し始めた。


「口内炎ー!?」
「うん……だから、喋ると痛いし何も食べられないし触っても痛いってゆーか…………バサラ?」

の口から聞かされた『真相』に、バサラはひっくり返りそうになった。
むしろ実際にひっくり返らなかったのが奇跡に近い。
その代わりに、額に手を当ててどっと疲れたという様相を醸し出している。
「はぁー……何だよ、俺が何かしたのかと思って焦ったじゃねえか……」
「バサラでもそんな風に焦るんだ」
その原因となった口内炎はどうやら快復したらしく、は昨日とは正反対ににこやかだ。
調子のいいことで。
バサラは心の中で毒づくと、それでやっと体を元に戻した。
表情もいつもの顔に戻っている。
「それじゃ、昨日の分も取り返させてもらうからな」
「う、うん」

いつもの調子を取り戻したバサラに、は少しだけ怯んだ。
でもまあ、昨日のことはちゃんと事前に言わなかった自分も悪いかな、との思いもあって、覚悟を決める。

やがて昨日とほぼ同じプロセスで唇が重ねられた。
今度はもリラックスした状態だった。上唇を舌先でつつかれて、それに答えるように少しずつ、口を開いていく──その時だった。


「────!!!」
「……バサラ?どうしたの?」
突然バサラがの体を放し、口元を押さえてうずくまっていた。
顔を覗き込んでみると、うっすらと目元に涙……
「まさか」
の脳裏に何か閃くものがあった。
なるべく刺激しないように、バサラに口を開かせて、中を見てみる。


口内炎だった。




微エロじゃないですよ、ギャグですよ(笑)
口内炎ってホントにつらいですよねえ……

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