ニアミス


「お疲れ、ミレーヌ!」
「お疲れさまー!」
とある番組の収録後。
屈託無い笑顔でミレーヌはに抱きついてきた。

トップスターたる彼女がこんなことをする相手は、そういるわけではない。
二人はFire Bomberがインディーズだった頃…いや、それ以前からの親友なのである。
Fire Bomberがミレーヌをメンバーに入れ活躍するようになり、そしてが歌手としてデビューして様々な仕事をこなすようになってからも、その付き合いは続いていた。


は抱きとめていたミレーヌの肩を離し、彼女の顔を覗き込む姿勢になった。
快活そうな表情が窺えると、やっとはミレーヌに笑みを返す。
「ね、ミレーヌこの後ヒマ?」
「ぜーんぜん!すぐレコーディングだよぉ?」
「あはは、売れっ子め!…って、私もだけどね」
そう言って愚痴をこぼす二人の少女に、しかし陰鬱な雰囲気は全く見当たらない。彼女らとてプロだ。仕事には熱意と誇りを持って当たる。
ただ少しの間、普通の女の子として過ごす時間が少ないのをぼやくだけでいいのだ。

のスケジュールを聞き、ミレーヌは少しだけ残念──というか、哀れみをこめた瞳を見せた。


「なーんだ、じゃあまたすれ違いかぁ……かわいそうに」
「え、何?」
「次、バンドのレコなの。バサラも来るよ」
「マジ!?」


その単語を耳にした瞬間、の表情は一変した。
ミレーヌに詰め寄り、目をぱちくりとさせて聞き返す。

「……マジ」
一瞬の沈黙の後、ミレーヌはポツリと、しかしはっきりと聞こえる大きさで呟いた。
14歳にはあまり似つかわしくない、にやりと音が聞こえてきそうな笑顔。


バサラとは、ミレーヌがFire Bomberのオーディションを受けたことがきっかけで知り合った。
もともとバンドの名前くらいは知ってはいたのだが、ミレーヌから「スゴイ変なメンバーがいる」と紹介されたのがそもそもの始まりだ。
その時は『親友が所属しているバンドのメンバー』という位置にしかいなかったはずなのだが……人の縁というものは、何とも不思議なもので、今はお付き合いをするに至っている。


バサラが。あいつが来る。


「というわけで、次の仕事までの短い間だけどこっそり来ちゃいました」
「ああ、いらっしゃい…バサラはまだだぞ?」
「レイ鋭い。っていうか……また?」


何がというわけなのかは分からないが、ともかくは忙しい仕事の合間をぬって、Fire Bomberのレコーディングスタジオに顔を見せに来た。
帰ったらまた鬼のような形相のマネージャーが仁王立ちして待ち構えていそうだが、大丈夫、間に合わす。

しかし運命の悪戯か、それともただのサボり癖が出たのか。
お目当ての熱気バサラの姿は影かたちすらなかった。
「わざわざ尋ねてきてくれたのに、すまんな。全くしょうがない奴だ」
「ホント、しょうがないったらないわ」
レイと二人して溜息を吐く。お互いに、あの気まぐれな男とうまく折り合いをつけて付き合っていくのにはほとほと苦労しているのだ。
はレイと顔を見合わせ、苦笑した。
「まあでも、自由な所がいい所でもあるわけだしね、バサラの場合」
「ああ、奴は今のままが一番いいのかもしれん」
「デートの約束まですっぽかすのはどうかと思うけど!」
「ははは、も苦労してるんだな。……っと、お待ちかねの主役の登場だ」

レイが入り口に視線を向ける。
真打は最後に登場するもの……というのか、そこには普段着のままだらんと力を抜いた格好でドアにもたれかかる熱気バサラの姿があった。


「……なんでお前がいるんだよ」
「その言い方はないんじゃない?」
「うるせぇ」
の姿を見るなり、バサラはきゅっと引き結んでいた口を開き、苛立たしげに言い放つ。
遅刻したことを詫びるそぶりは毛頭無い。

「おいおい、せっかく来てくれたのにそりゃに失礼ってもんだぞ」
「…………」
すかさずレイのフォローが入るが、バサラの表情は拗ねたような表情を崩そうとはしない。
そしてにも何も言わず、担いでいたギターケースを下ろしてレコーディングの準備に取り掛かる。
はさすがに憤りを感じたが、次に聞こえてきたバサラの言葉に、ようやく(理不尽さを感じながらも)納得した。


「忙しいくせに、レイと喋る時間はあるんだな」


「……バサラ…嫉妬?」
「別に」
独り言のつもりで呟いたの言葉に、バサラは短く返し、ギターのセットを再開する。


確かにバサラは嫉妬していた。
自分の彼女が他の男と楽しそうに話していて、気分が良いわけがない。例えそれが共通の友人だとしても。

(何でもうちょっと早く来なかったんだ、俺)

心の中だけで、バサラは毒づく。
彼の心にあるのは、単なる嫉妬だけではない。自分の遅刻のせいでと話すチャンスをふいにした、と悔やむ気持ちがない交ぜになっているのだ。つまり、自分に非があることも頭ではちゃんと分かっている。
ただ、元が単純明快なだけに、色々な感情が自らの心にあるのが、複雑でもどかしいのだろう。それを認めたくなくて、ただの嫉妬、ということにして気持ちの整理をつけようとしただけのことなのだ。


結局それらは語られることはなく、程なくしてがここにいられるタイムリミットが近づいた。


「もうこんな時間…そろそろ帰らなきゃ」
「え…あ、おいっ」
「何?」

「……何でもねえよ」
「あっそう、じゃあいいわよ。もう知らない!」
引き止めたバサラに、は期待を込めた瞳で振り向いた。
が、それも一瞬のこと。バサラが視線をそらすように再び背を向けたのを確認すると、「ふん!」と小さく息を吐き出して、大股でスタジオを後にしようと歩き出した。

嫉妬したまま彼女を放っておくなんて、バサラのバカ。意地っ張り。

本来の彼女の性格なら、そうきっぱりと言ってからしばらく放置しておくところなのだが、あいにくと今回はそうしている時間も惜しい。
仕方なくは、それ以上バサラには何も言わず、無言で部屋を出た。


次に入っていたスケジュールは、雑誌のインタビューと撮影。
ただでさえ無い時間の中で、は素早く衣装を着替え、メイクを直してインタビュアーの向かいの席についた。
確か、新曲の作詞についての話だっけ。頭の中でざっと答える内容を反芻する。

「それじゃあさん、よろしくお願いします」
「はい、よろし……」


「ちょっと待ったぁ!!」


「え?」
「あ…あなたはっ!?」
位置的にちょうど背後からの大声に驚きを隠せず、は体をびくりとさせた。
インタビュアーは声の主が誰だか見えていたようで、とは違った意味での驚愕の声を上げている。
やって来たのは。

「バサラっ!!」
彼に負けない声でも叫んだ。仕事柄、本気で発声した際の声量はかなりのものになる。
だが、今はそんなことを気にしていられる状況ではない。
「どうしてここに……」

さっき抜け出してきたスタジオでレコーディング作業をしているはずの、熱気バサラがそこに立っていた。
走って来たのだろう、荒い息を何とか整えると、バサラはまっすぐにを見据える。

「さっきの、謝りに来た。悪かったな、俺、ムキになっちまって……」
「そうじゃなくて!だって、レコーディング……」
「お前とのこときっちりさせとかねぇと、俺の歌が俺の歌じゃなくなるからな」
「何バカなこと言ってるのよ!仕事でしょ!?」
「あんな気持ちで、納得する歌なんか歌えるか!」
「だからそこを何とかするのがプロってもん…ちょ、ちょっと、バサラ…っ!!」

言葉だけの抵抗が彼に何の意味を為そう。
呆然と立ち尽くすインタビュアーを横目に、いつの間にかはバサラの腕の中にかき抱かれていた。
「レイから聞いた。俺に会えないって愚痴ってたんだってな」
「だからってわざわざ来たの…?」
「俺にとっては大事なことだ」
「……バカ。やっぱりあんた、大バカよ」
耳のすぐ近くから聞こえてくる心地よい声に、は頬を緩ませる。
恋人が自分を優先してくれるのは、普通なら凄く嬉しいのだろう。だが、二人の場合、少々他とは事情が異なる。

そろそろとバサラの背中にの腕が回される。
は顔を起こしてバサラにと向き合うと、自嘲気味な笑みと共にそっと告げる。
「私、寂しいけど我慢して仕事ちゃんとしてるんだよ?」
「俺だってそうだぜ」
「嘘。今抜け出してきてるじゃない」
「そ、それはだな…!」

口ごもるバサラを見て、少しだけ余裕が出てくる。
腕を軽く叩き、自らを離させると、はにっこりと微笑んだ。
「それに、レイとは何でもないよ」
「わ、分かってるよ…!」
「バサラのやきもち焼き」
「うるせぇ」
僅かに頬を赤くして顔ごと目をそらすバサラ。男性に言う言葉ではないのかもしれないが、こういう表情は意外に可愛い。
心の中だけで思って、は再び目を細めた。


「こ〜らぁ〜!バサラーっ!!」
「げっ、ミレーヌ!?」

ああ、追っ手が来た。
は素早く身を翻し、バサラの元から二、三歩後ずさる。
「お、おい!!」
「サボっちゃダメよ!じゃあ、お仕事頑張ってね、バサラ」
先程と変わらぬ微笑みで、はバサラとミレーヌの追いかけっこをしばし楽しそうに眺めていた。


いまだ固まったままのインタビュアーもそのままに。




雪姫 沙拿美様、リクエストありがとうございました。
バサラの嫉妬…のはずだったんですが、どうもちょっとずれてるような気が…スミマセン…
むしろ「私と仕事、どっちが大事なの?」ネタですねはいスミマセン…!

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