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静寂の中。 庭に据えられた鹿威しの音だけが、響いた。 縁 その豪華な、しかし趣きある和室の中央に座しているのは四人。 二人ずつ横に並び、向かい合う。その間には、見事な陶器の茶碗。 ややあって、四人のうちの一人──深い色の和服に身を包んだ壮年の男が口を開いた。 「このたびは家のご息女との、このような会談の場を設けていただいてまことにありがたく存じます。こちらが私の倅……」 「…………ふう」 男が挨拶をしている途中、その隣にいたもう一人があからさまに溜息をついてみせる。 まだ若い。少年と言ってもいい歳だ。 「若!失礼だぞ!」 「……分かっていますよ」 若、と呼ばれた少年は、それまで少し崩していた姿勢を正し、正面を向いた。 彼らがここでしようとしていること、それは『見合い』に他ならない。 ただ一つ、付け加えるならば、少年──日吉若は、そのことについて全く知らされていなかった、ということくらいか。 話は彼を無視してとんとんと進んでいった。 無論、幼いころから厳しく躾けられていた少年がそれに途中で口を挟むなどということが、出来ようはずもない。 それは彼の真向かいに座る少女も同じことだったらしく、二人はただ黙って親達の会話を聞いていた。 どれくらいの時が経ったのだろう。 既に親達の話も終わり、とっくの昔に席を立っている。いわゆる「後はお若い二人で」というやつだ。 それなのに、二人きりになっておそらく十数分は経っているであろうその間、部屋は静まり返ったまま、一つの言葉も交わされない。 長い長い沈黙に耐えられなくなったのか、口を割ったのは日吉の方だった。 「……どうして」 淡い色の着物姿の少女は、一瞬空気が震えたのにかすかに反応したが、そのまま黙って次の言葉を待っている。 「どうしてあなたがこんな所にいるんですか、先輩」 「……私は」 普段学校で呼ばれ慣れている名で呼ばれ、初めて少女が言葉を口にした。育ちのせいか、家のことで会う時はこちらが年下でも常にきちんとした言葉遣いだ。 薄く閉じられていた瞼を開き、まっすぐに日吉を見つめる。 「私は父から話を聞いて、自分で決めてここに来ました。もちろん、お見合いだというのは分かっていましたし、良縁とも思いました。だからです」 「だって、あなたは……」 そこまで言ってく日吉は口篭る。 彼女。は、一つ年上の先輩だった。 と、学校では、それだけで説明は事足りるのだが、彼らにとってはそうはいかない理由がある。 というのも、二人の父親が古くからの友人同士で、お互い子が生まれたら結婚させよう、などと酔狂な約束をしていたのだ。 話はそれだけにとどまらない。 の家は、伝統や格式で言えば名家の部類に入る。それをいうなら日吉家だって名家といえるのだが、二つを比べてみると格差は明らかだ。 つまりは、これは言ってしまえば政略婚。 はそんなものを甘んじて受け入れてしまえるような人ではない、そう日吉は思っていた。 だからこそ、今日ここに来て話を聞いた時に言い表せないほどの衝撃を受けたのだ。 日吉がこの話を渋る理由は、もう一つあった。 彼には兄がいる。道場の跡取りとして大変有望で、自分よりもはるかに強い兄が。 そして、物心ついた頃のこと、が戯れに「兄の嫁になる」と言っていたのが、幼心に残っているのだ。 「俺と結婚したって、うちの道場は手に入りませんよ」 そんな苦い思い出からか、ついそんな言葉が口をつく。 しかしは、そんな考えなどお見通しのように答えた。 「私は道場が欲しくてこのお話を受けたわけではありません。日吉君が必要だから、受けようと決めたのです」 「へえ……そういえば先輩は一人っ子でしたよね。うちはアンタの家に恩がある。さしずめ俺は、思い通りになる理想の婿ってわけだ」 違う。そんなことが言いたいわけではないのに。 そう思っても、出てくるのはそんな皮肉ばかりだ。 俺はただ、そんな家の都合なんかで一緒になるんだと思って欲しくないだけなのに。 そんな思いを抱いて、日吉は悲しそうな目をするを目の当たりにし、内心歯がみした。 「私は家の婿を欲しているのではありません……あなたが……」 勢いよく飛び出た言葉が、どんどん小さくなっていき最後には聞き取れなくなってしまう。 感情的になるのを不躾だとしたのか、それとも簡単には口にできないような言葉だったのか、ともかくは口ごもり、日吉はその先を聞きだすことはできなかった。 「と、とにかく」 凍ったかのような空気をどうにかしようと、日吉は慌てて口を開いた。 「とにかく俺は、この話には乗る気にはなれません」 「私はあなたの妻として、相応しくありませんか」 「そういうことじゃ……」 曖昧な否定の言葉を受け取ると、やっとの顔に微笑みが戻ってきた。 「では、考えておいてくださいね……まじめに」 「考えろと言われても……」 「こういうことは、早いうちから心を決めた方がいいと思いますが。その時になっていきなり自分の意にそぐわぬ結婚相手をあてがわれたら、困るのはあなたですよ?」 「………………」 なぜろくに返事もしないうちからこうも言われねばならぬのか。 はっきり言って不愉快だ。 の勝手な物言いにも。 ──自分の気持ちをちっとも解せぬ彼女の様子にも。 「……俺は、まだ、先輩の気持ちを……聞いていません」 「この縁談には賛成である、というだけでは不満ですか?」 「そうじゃない。俺が言いたいのは、例えばこの縁談が無かったとして……」 二人の間に『家』という特別な縁が無かったとして。 それでもは自分を受け入れてくれるのか、ということ。 自分が惹かれたのは、日吉の家の縁者としての、の娘としてのではなく、あくまでという個人だと。 しかし相手も、本当にそう思ってくれるのだろうか。 「……鈍いんですね」 「なっ!?」 「ふふ、私が好意を抱かぬ殿方のもとに嫁ぐような女だとお思いですか?」 「え……そ、れじゃぁ……?」 「はい」 なんて人だ。 この女、初めから分かっててやっていたのだ。何もかも。 目の前で、先程の取り乱した様子など微塵も感じさせぬ微笑みを浮かべるに、日吉はひそかに嘆息した。 数日経った朝。 「おはよう日吉」 「…………」 「………………ひよし?」 「……なんだ、鳳か」 珍しく朝練の無い平日、校門を入ったあたりでチームメイトに声をかけられ、日吉は少しばかり立ち止まった。 鳳は挨拶もそこそこに、興奮気味に捲くし立てようとした。日吉が心の中で『宍戸さんトーク』と呼んでいるヤツである。 「そうそう、聞いてくれよ日吉!昨日宍戸さんがさ……」 「おはようございます、若さん」 その『宍戸さんトーク』を遮って、凛とした声が響いた。 やはりというかなんというか、である。日吉はどもりつつも挨拶を返そうとした。 「あ……おはよう、ございます。せんぱ……」 「」 「……、さん……」 「はい」 くそ。 だから嫌だったんだ。 あの日以来、は学校だろうがなんだろうが構わず、互いに下の名前で呼び合うことを強要してくる。 彼女いわく、けじめ、なのだそうだ。 いや、別に名前で呼び合うのが嫌なわけではないのだが、さすがに公衆の面前での『若さん』は、恥ずかしい。恥ずかしすぎる。 今までが『日吉君』だっただけに、そりゃあもう、色々と各方面。 そんな心情を知ってか知らずか、はにっこり微笑む。そして顔を真っ赤にしてそっぽを向く日吉。 少し離れたところから、それを不思議そうに鳳が見ていた。 |
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初ヒヨ。甘くないのに何でこんなにこっぱずかしいんだろう……いや、やっぱ甘いか(当社比) やっぱり『婚約者』って響きが恥ずかしいからかな。そういうことにしておきます。 えと、実際の見合いと違うとこあっても見逃してくださいね…… |