「まっずいなぁ……完璧遅刻だよ……」
日も高く上がった午前中。ぶつぶつ言いながら青春台を軽やかに走り抜けていく、一人の少女。
ここらあたりでは見慣れない制服を身に纏い、肩には大きめのラケットバッグを担いでいる。
「こりゃ赤也のこと笑えないよね……あ、きた」

そこでポケットに押し込んだ彼女の携帯電話が鳴り、少女はいったん足を止めた。
「あ、涼香!?ごっめーんマジでバス乗り過ごしちゃった〜」
誰もいない空間に向かって少女はペコリと頭を下げる。電波の向こうからは、彼女と同世代くらいの少女のトーンの低い声がかすかに聞こえていた。

「うん、うん!だから、今とりあえずテニスコート見つけたから!そこで聞いてみる!」
手早く電話を終わらせようと早口になりながら、彼女はストリートテニスコートへ続く階段を駆け上がっていった。
『はぁ!?ちょっと……』
そこで手に持った携帯電話は、再びのポケットに押し込められる。
バッグを担ぎ直し、階段を上りきった彼女が見たものは、青を基調とした爽やかな色のジャージに身を包んだ少年達の姿であった。


真昼のシンデレラ


「あれ、人来たみたい」
「見ない顔っすねー」
少年達の視線がに注がれる。
全部で四人。その四人ともが、ラケットを手にコート内に入って向かい合う形になっていた。
おそらくこれからダブルスでもやるつもりだったのだろう。

が、そんなことはお構い無しには手をあげてここへ来た目的──道を尋ねる──を果たそうとした。
いや、厳密には、果たそうとして、途中でその趣旨を変えた。
「ねえ、君……」
言いながらはコートに向かって小走りに駆けて行く。その間に、肩に担いだバッグを器用に下ろし、中からラケットをひょいと取り出すと、続きを言った。
「……あたしと勝負しない?」


は、手をあげたところまでは、本当に道を聞くつもりだった。
ぶっちゃけた話、ストテニ場よりも予定されていた練習試合のほうが面白いゲームが出来るに違いないと思っていたからだ。
だが、それは少年達の中にいた一人──帽子をかぶった一番小さな子を見た時に覆された。
あの試合を……彼女の所属するテニス部でも最強とされる人物のうちの一人を、破った者のことは知っていた。

確か、名前を。
「ね、越前リョーマ!」


少年──越前リョーマは、をぽかんとした表情で見つめていたが、やがて呟くように一言返事をした。

「アンタ誰?」


沈黙がその場を支配する。
「う…いや、誰とか言われてもここで名乗っちゃったらおねーさんがかっこ悪いじゃん……」
。立海大附属中二年、女子テニス部所属……」
しどろもどろになりながらも何とか言葉を繋げるを救うかのごとく、その説明は流れてきた。
そちらを見遣ると、背の高い眼鏡の少年がなにやらノートを広げながらぶつぶつと呟いている。

非常に助かった。は思った。
誰と言われて自分で説明するなど、箔のない証拠だし、第一格好がつかない。

説明はまだ続いていた。
「残念ながら女子部のデータはあまり無くてな。試合を見る機会はなかったが、神奈川県大会では二年生にしてシングルス2を任されていたようだ」
「ご説明どーも。そういうわけで、神奈川からはるばるやって来たんで、ここで会ったのも何かの縁だと思うし試合しない?」
説明をし終えた眼鏡の男にぺこりと頭を下げると、はあらためてリョーマに向き直った。背を少し縮めて、胸の前で手を組んだ無意味に可愛いポーズで。

リョーマは少し考える様子を見せる。
これは脈ありだ、そのまま押し切ってしまえ。とが次の作戦に出る前に、リョーマは一言だけ問いかけてきた。
「アンタ、強いの?」
「……それは、やってみれば分かると思うよ」
「へえ……そこまで言うんなら、ちょっとは楽しませてよね」
どうやらリョーマのこのセリフはOKの意味らしい。は内心ガッツポーズを作ると、早速準備をしようとベンチに向かった。

が。
それまで黙っていた二年生二人が不平を漏らした。
「おいおいちょっと待てよ、これから俺らがダブルスすんだろ?」
「先に来たのは俺達だ……先に試合する権利がある」
「いいじゃん、別に」
桃城と海堂、二人の意見をあっさりと一言ではね返す。
「俺も別に構わないっすよ」
「うん、俺達はいつでも練習できるけど、越前との試合は今しか出来なさそうだからな」
さらに、リョーマと乾の援護射撃もあり、はますます強気に出る。
「まあまあ、時間があったら君達とも……あんま時間無いかもだけど……試合してあげるから」

そう言ってブーイングを続ける二人にウインクを返す。
普通に見ると可愛く決まっているのだが、今回は二人を逆上させるしか出来なかった。
「大体!越前お前自分が試合するからいいって言ったんだろ!?俺に代われ!」
「やだ」
桃城の言葉を聞き流すリョーマ。
その間に、バッグからシューズを出し、ローファーを脱いで履き替える
「おい越前……それにそっちの女も……テメェらだけで決めてんじゃねえぞ……」
「俺はあの人とやりたいんで」
口から呼吸音を吐き出す海堂と、準備中のを指差すリョーマ。
「あの人じゃなくって、よ。
「……サンと、試合したいんで」
リョーマの言を正し、ローファーをベンチの下に片付けると、はラケットを両手で持って、再びコートに入った。

「時間無いし、ここは他の人たちのためにワンゲームマッチにしておきますか!」
「俺は別にワンセットでも構わないけど?」
リョーマは帽子を深く被りなおし、ラケットのグリップを手の中でくるくると回した。
「それはまた、次の機会に……ね。サーブあげるよ」
言ってはリターン位置につく。サービスを譲ったというのに、その表情は自信に満ち溢れている。
その様子を見て、リョーマの口元に笑みが浮かんだ。
「へえ……ずいぶん自信あんじゃん」
「君の噂は色々聞いてるから。体験してみたいじゃん?ツイストサーブって奴をさ」
「……上等!」

ちろりと唇を舐め、リョーマはトスを上げた。
右利きののまさに顔面をえぐるように、右腕でラケットを大きく振り下ろす。
バウンドしたボールはツイスト回転を加えられ、逆方向に軌道を取り跳ね上がった。
並の選手には、取れる球ではない。

しかし。

「甘いよっ!!」
は体勢を低く取り、跳ね上がるボールが軌道を変える前にラケット面で叩いた。
的確にストレートラインを描き、ボールはリョーマのいるちょうど反対側のライン上に突き刺さる。

「……0−15」
ラケットを振りぬいたポーズのまま、が言った。
そして、対面していたリョーマの瞳に輝きが灯る。

この人、強い。


リョーマがの見事なリターンに何か言おうとしたその直前、外野が一瞬だけ騒いだ。
桃城と海堂は顔を赤くしたまま硬直し、乾はコートを凝視したまま、何やらノートに書き記している。

「へえ……思ったより結構やるじゃ…………あ」
言葉の途中で、やっとリョーマもコート外の先輩達の沈黙の意味が分かったらしい。
頬を薄く染めて、を指で差し示した。
「どーした少年!まさかあれが本気とか言わないよね?」
「いや、そうじゃなくて……スカート……」
「へ?」
恐る恐るは、リョーマの指差す箇所──自らの穿いているスカートに目をやってみる。

ややあって。

「きゃあああああっ!!スコート穿き忘れてるーっ!?」
ツイストサーブの風圧により、立海制服の落ち着いた色のスカートが綺麗に捲れ上がっていた。
叫び、慌ててスカートを下ろして、ハーフパンツに着替えようとバッグの所まで駆け出そうとするが、それは思わぬ所から妨害される。
「タンマ無しだよ」
「……え?」
見れば、先程まで呆気に取られていたような照れたような、そんな表情をしていたはずだったリョーマは、明らかに楽しそうに口端を上げている。
既にその手にはボールが握られ、今にも第二打を打たんとしていた。
「ちょ、ちょっと!着替えるくらい待とうよ!ねっ!?」
「やだ」
「生意気な子はおねーさん嫌いよっ!?」
「それはどーも」
素っ気無く言葉が返され、リョーマは再びトスを上げた。サーブのモーションに入り、は反射的に構えを取る。

が、先程とは違って、風でまたスカートが捲れるのを懸念してか、はろくにラケットも振らせてもらえずにボールを見過ごした。


「15−15」
挑発的な笑みを浮かべるリョーマに、はこめかみがひくつくのを感じた。

もういい。
もう知らない。
女の子の恥じらいとかは、この際どうでもいい。

前に青学に迷い込んだ同学年の切原赤也が言っていた。
何か生意気な奴がいた、と。きっとこの少年に違いない。

そんな違った意味での悲壮なる決意とともに、はもう全てを諦めたのか、コート外に行くのをやめて再びリターン位置についた。
同時にリョーマはラケットを左に持ち替える。ツイストサーブでスカートめくりなどという幼稚な手で勝ちたくはなかったのか、それとも本気になったのか。
どっちにしても、テニスの試合なんていう激しい運動を強いられているというのに、先程のようなアクシデントがもう起こらないとは限らない。
だからもう、そんなものには惑わされない。

見る方も、やられる方も。

「……行くよ」
バウンドしたボールを握りしめ、リョーマが言った。

その時。


ストリートテニスコートに設置された時計が、12時を告げる。
遠くでチャイムの音も聞こえてくる。試合に集中しているとはいえ、さすがに気付かないはずはない。
「嘘っ!もうそんな時間!?」
慌てたのはだ。
いくら練習試合に行くよりこっちの方が楽しそうだからといっても、やはり時間の経過を実感すると焦りを感じてしまう。
今頃先生怒ってるだろうなーとか、涼香たち部員一同が「またアイツは」とか呆れてるだろうなとか。
男子部だったら裏拳炸裂だろうなーとか。

そう考えると、なにやら自分はここにいてはいけない気がしてきた。

「どうしたの、まだ終わってないよ?」
「ゴメン、勝負は全国まであずけとく!」
リョーマの問いに答えるなり、はベンチに置いてあったバッグを取ると全速で走り去った。
手にラケットを持ったままで。テニス用のシューズのままで。


「全国でって……どうやって?」
残されたリョーマがぽつりと呟いた。
「まあ女子だから直接対決することは無いだろうけど、立海の選手なら、どこかの会場で会うかもしれない。それに……」
それに答えるかのように、今まで黙って見ていた乾が背後からずいっと出てきた。
「うわ。……どういうことっすか?」
驚きながらも振り向き、再び訊ねる。
乾は黙ってベンチの下を指差した。


真昼に佇む、一足の革靴。
「シンデレラに落し物を届けに行かなきゃね。越前が王子というのが少し引っかかるが……」
「はーあ、めんどくさ……」
心底面倒そうにリョーマはローファーを拾い上げる。


全国大会が別の意味で楽しみになったのは、ここにいる先輩達の誰にも内緒だ。





ヒロインが立海とか、強いとか、色々初挑戦でした。
ちなみに本文中に出てくる「涼香」さんはゲームのS&Tシリーズのオリキャラです。
これと同じ設定のヒロインで立海キャラのドリとか書けないかなぁ……

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