Dream Industry


ドアががちゃりと開き、そこから脱色した髪を一つにまとめた男が出てきた。
まだ若い。私──新米探偵である──と同じか、少し年下くらいだろう。
「お待たせしました、私がここの責任者の来栖です」
「あ、これはどうも。私、こういう者です」
反射的に立ち上がり、軽く会釈をするとともに名刺を差し出す。
男……来栖氏はそれを受け取ると、興味深そうにじっくりと見入っている。

「夢幻出版の黒川さん……ね。それで今日は、何の取材を?」
来栖氏は名刺を胸ポケットに仕舞うと、向かい側のソファに座った。


先程渡した雑誌編集の名刺は、勿論偽造したものだ。
私の目的は取材でも何でもなく、調査だ。
「ええ、それはもちろんあの『ドリームインダストリー』ですよ。バーチャルリアリティの世界で自分の思い通りの物語を紡ぐそのシステム!素晴らしいですよ」
「それはどうも」
私はそれと気づかせることなく、『編集者』として話を切り出した。


『ドリームインダストリー』。今から一ヶ月ほど前、この来栖という男が開発した装置だ。
カプセルの中に入った人間に催眠を促すと、一時間ほどその中で自分の思い通りの夢が見られる。
説明によれば、夢の内容はどれほど壮大でもきっちり時間内に終わるように調節できているそうだ。

何だそんなことか、と思うかもしれない。いや、実際私もそう思っているのだが、発表当初からその人気はすさまじく、あっという間に大ヒットしたことを考えると、いい夢を見て癒される人は結構いるもんなのだと思い知らされる。


私はさらに質問した。
「ストレスの溜まった現代人には良い休憩所、といった所でしょうか…しかし、いったい何にヒントを得てこのアイデアを思いついたんですか?」
手にはメモを持ち、それらしく振舞う。
おだてられて気を良くしたのか、来栖氏は頬をかきながらそれに答えた。
「いや、たいしたことじゃないんですよ……実は僕には妹がいましてね。まだ中学生なんですが……ドリーム小説、というものはご存知ですか?」
「いえ……どういったものなんです?」
「インターネット上で若い女の子たちに人気があるものでね。名前変換機能を使ったオリジナルの女の子を自分に重ねて、漫画やアニメのキャラと恋愛をする…という内容の小説なんです。いや、妹がそれにはまってましてね」
最初の印象と違い、来栖氏はやけに饒舌だ。
こういう研究者などは自分語りがよほど好きなのだろう。
「あ、そうか!それで小説形式ではなく漫画のキャラと恋愛できるシステムを作った、ということですね?」
「そういうことです」

なるほど、小説というメディアの中では、自己を投影するためのオリジナルキャラといっても完全に自分と同じには出来ない。
さらに、名前変換という機能がついているということは、おそらく他の人にも読んでもらうためのものだろう。そうなれば、どうしたって万人がそれに投影できるわけではない……

この若き天才は、純粋な研究心と女の子たちの夢を叶えたいという思いによってあのシステムを作り上げた。
このドリームインダストリーで夢を見ることによって、その子だけの恋愛物語を紡げるというわけだ。
「なるほど。お話は良く分かりました」
「どうです、実物をご覧になりますか?折角ですし、黒川さんもあれを使ってみては」
「あ、いや……残念ながら時間がおしているので…今日のところは見学だけにしておきますよ」
こちらが丁重に断ると、来栖氏は「そうですか」と笑って席を立った。
いよいよこれから実物を見ることが出来る。


今回の依頼……「ドリームインダストリーを試しに行くと言ったまま帰ってこない依頼人の娘」の手掛かりを。


そこはまるでSFの世界のようだった。
だだっ広い研究室のような、薬品の匂いが漂う部屋に、いくつものカプセルが並んでいる。
使用者の様子は中からは見えない。これは別室ですべてをコンピューターが管理しているからだそうだが。
「ところで黒川さん」
「……!何でしょう?」
私は手に持ったメモ帳で部屋の様子を細かく記していた。そのためか、突然に話しかけられ呼吸が1テンポ遅れる。
不審に思われなければいいが。

が、来栖氏はそんな私の様子を見ても特に様相を変えず、言葉を続けてきた。
「バーチャルリアリティの弊害の問題については、ご存知ですか?」
「……と言うと、夢と現実の区別がつかなくなるという?」
「ええ。昔はゲーム機がその説の槍玉にあげられていましたがね……今度はこのドリームインダストリーにお鉢が回ってきたわけですよ」
「……確かに、この装置は本当に現実世界と変わらないリアリティがあると聞きましたが……」
「いや、そういうことじゃないんですよ」
来栖氏がこめかみに指を当てる。その表情はどこか苛立たしげにも見えるが、逆に自慢げにも見える。
「と……言いますと?」
メモをやめ、私は来栖氏に向き直った。
「どれだけ理想の世界でも夢は夢だ。体験した人の中にも区別がつかなくなるような人はいなかった……だが、その『理想』はこんなに簡単に手に入る。カプセルに入りさえすれば、ね」
愛しそうにカプセルを撫でる来栖氏。その瞳の澄んだ輝きからは、確かに研究者としての情熱が感じられた。
だが同じように、そこには何があっても自分の研究を手放さない、という研究者としての狂気の色も、一緒くたに感じられたような気がした。


「……喉が渇きましたね。今飲み物を持ってきますよ」
そう言って来栖氏はカプセルルームから出て行った。
コンピューター管理されているこの部屋には、人っ子一人いない。今いるのは、外部の人間である私だけ。

これはチャンスだ。

私はそっと部屋を後にした。
事前調査によると、セキュリティはしっかりしているが、ところどころに穴がある。
そこをかいくぐるようにして、あるいは細工をし無理やりに突破して、私はどうにか管理室へとたどり着いた。
ここは管理者特権でセキュリティの対象外となっているはずだ。
「よし……あったぞ……」
探していた資料はすぐに見つかった。現在の使用者のデータだ。
「…来栖、……これだ!」
私はその中から、一人の少女のデータを抜き取る。データ、というよりはカルテに近い。やはり体質的に使用が無理な者もいるのだろう。
その少女は、今なお装置の中にいるようだ。


ことは思った以上にスムーズに進んだ。ちょっと泥棒みたいでいい気はしないが、解決の糸口が見つかったような気がした。
だが、同時に嫌な予感もしていた。
あまりにもうまく運びすぎている。ひょっとして、自分は泳がされているんじゃないか。

一瞬立ち止まり、手に持ったデータファイルを置いてそっとこのビルから脱出しようかとも考えたが、もう手遅れだ。
先に進むしかない。

私はもといたカプセルルームへと駆け出した。


願わくは、来栖氏の戻りが遅いことを。


どうやら私の願いは通じていたらしい。
カプセルルームに戻ってみると、出た時と同じようにそこには人影の一つもなかった。
「今のうちだ……!」
データにある少女、来栖が最後にこの装置に入ったとされているのは三日前だ。
だがその日の記録には、出た時のことが一切書かれていない。
ドリームインダストリーの使用が終われば自動的に記されるはずのそれが、一切の記録に残っていないのだ。
これは、ドリームインダストリーが彼女らを無理に閉じ込めているということの証拠にはなるまいか。
そうなのだとしたら、依頼のためだけでなく、中に囚われている人たちをなんとしても救い出さなければならない。
「今、助けてやるからな……」
EXITボタンを叩く。ぱちん、とスイッチの入る音がして、カプセルが開いていく。ひやっとした冷気が空気音と一緒に中から漏れ出してきた。

「……さん、来栖さん?」
「……ん…う〜ん……」
その中には中学生くらいの少女が眠っていた。彼女の格好は手術の時なんかに着る上っ張り一枚だ。
私に肩を揺さぶられ、彼女はゆっくりと目を開けた。覚醒時の状態といい、やはりこの装置の中で夢を見る時はちゃんと『眠って』いるらしい。
「気がついたかい?」
目がまだ半分くらいしか見開かれていない彼女に向かって、私は優しく話しかけた。そう、母が赤子を揺り起こすように。
彼女はしばらくぼーっとしていたが、目の前にいる男に気付いた途端その瞳に動揺の色が混じった。
上体を起こし、私に向けて刺すような視線を投げかけてくる。
「あなた誰?そうだ、景吾…景吾は!?」
「景吾?僕は……」
きっと恋人の夢でも見ていたのだろう。
おそらくまだ完全に覚醒していないのだと思い、彼女の顔を覗き込んで落ち着かせようとする。
しかし、彼女の肩に伸ばした手は、勢いよく振った彼女の首の動きに遮られた。
「嫌ぁっ!ここは嫌!」

その時僕が見たものは。
現実を認識し取り乱す彼女と。


絶望に彩られた瞳。


「いや……景吾…景吾の所に戻して……!」

泣き濡れた瞳。
上っ張りが着崩れ、側面からまだ幼い胸がちらちら見えているにもかかわらず、彼女はうわ言のように彼氏の名を呟き、カプセルに付いていた機械をいじる。
もちろん、そんなでたらめをやっても機械が動くはずはなく、彼女の行為はただ徒に時間を消費するだけだった。
「……やむをえんか」
小さく呟くと、私は彼女の小柄な胴を思い切り引き寄せ、カプセルから引きずり出した。
ぶちぶち……と嫌な音がして、中の人間とシステムとを繋いでいたであろう配線が引きちぎられる。
「きゃぁああああっ!助けてっ!景吾!景吾ぉっ!!」
彼女の抵抗は思った以上に激しかった。しかし、数日食事を……食べ物の口からの摂取をしていなかったその身体は、あっけなく腕の中にとらわれる。
「……すまない」
連れて帰るのに叫ばれたのではたまらない。私は一言謝罪の意を表すと、彼女の鳩尾に拳を当てた。

「けい、ご…………」
鈍い音がして、腕の中の彼女から力が抜けていく。反応が無くなったのを確認すると、私は彼女を抱え直し部屋を出ようとした。


「そこまでだ、黒川さん……いや、探偵さん」


硬質の声が響く。
振り返れば、あらかじめ定められていたかのようにそこに立つ、若い男の姿があった。
「来栖さんっ!あなたは!!」
「その子を……を返してもらいましょうか。それが彼女のためでもあるし……何より君のためだ」
「あなたは自分の妹をこんな目に遭わせて、何とも思わないのか!?」

見つかってしまったという驚きの念と、そこから先に起こりうる事態を予想しての焦燥。
そして、自らの妹をこんな所に閉じ込めておく来栖氏の狂気に触れ。
それらが私に声を荒げさせた。

来栖
彼女こそが、この巨大なシステムを……『ドリーム・インダストリー』という名の理想の夢の殻を作らせた張本人。
狂気の科学者の血縁なのだ。


そんな私の思いなどお構いなしに、来栖氏は一歩ずつ、ゆっくりと歩み寄ってきた。
「しかし、まさかこんなに早く……しかも君のような一介の探偵に嗅ぎ付けられてしまうなんてね……」

かつん。

彼が足を踏み出すたびに、私の足は一歩後ろへ下がる。
「来栖さん……あなたは自分が何をしているか分かっているのか!?こんなカプセルに閉じ込めておくなどと!」
「何を言っている?僕はただの望みを叶えてあげたに過ぎないよ」

かつん。

かつん。

一向に埒があかない平行線の会話を続けている間も、来栖氏の足は止まることを知らない。
私はじわじわと下がりつつ間合いを計っていたが、不意にかかとに抵抗を感じちらり、振り返る。


そこにはただ、クリーム色の壁紙が貼り付けられているだけ。


「探偵さん、もういい加減を戻してやってくれませんか。その子はこの現実よりも、夢の世界の住人となることを選んだんだよ……僕はその願いを実現させてあげたい」
来栖氏はあと僅かで私に手が届く所まで近づくと、両肩をオーバーに広げて見せた。
彼の瞳には一片の曇りもなく、本当に純粋に妹を愛していることが伺えた。

現実を生き抜く強さを持たず、夢の中の恋人と永遠を共にしようとした少女を。

兄妹を交互に見渡す。
妹の方は気を失ったまま、口の中でもごもごと何かを呟いている。
兄は今まさに、私の腕の中で眠る少女を取り返さんと手を伸ばす。

「あなたは…………」
来栖氏の指が妹たる少女の肩口に触れる。私は震える声で何とか言おうとしたが、腕の中に僅かな動きを感じ、そこで口ごもった。
少女は薄い唇を小さく動かすと、消え入りそうな声でこう、呟いた。

「……けい、ご…………」

「さあ、……兄さんがその景吾君とやらの所へ連れて行ってあげるよ……」
彼の手は肩から腕、そして手のひらへと移っていった。
撫でるように指先が触れると、彼女は安心したように兄の手を握り締め、気絶しているはずのその顔に微笑みすら浮かべる。


その様子を、私は見ているしかできなかった。


ただ、一言だけ。絞り出すように、言葉を吐き出す。
澄みきった目で愛しそうに妹を見るその男に。
「あなたは……狂っている」

来栖氏はまるで妹にそうするように、優しく微笑んだ。



後日。
依頼遂行に失敗した私は、依頼主……つまり来栖、そして彼の兄であるシステム開発者来栖誠司の両親に事情を説明すると、この事件からあっさりと身を引いた。
捜査に行った際当の来栖氏に言われたように、一介の探偵風情が一人でどうにかできる問題ではない、と感じたからだ。
それきり、彼の名も『ドリーム・インダストリー』の名も聞かなくなって、いくばくかの時が流れた。

あれから彼らがどうなったのか、私に知るすべはない。
いや、あの兄妹だけではない。システムに囚われたままになっていた者は数人ではすまないはずだ。
彼らは一体、どうしているのか。
皆あのシステムの中で、思い思い理想の夢とやらを見続けているのだろうか。

事務机の片隅に押しやられていた、あの時書き残したメモの切れ端を見ては、私はやり場の無い思いに取り残されることがある。


彼らは決して、夢と現実の区別がつかなくなってしまったわけではない。
ただ、現実世界で心惑わすよりも、自分の思い通りになる夢の世界にいることを選んだ人たちなのだ、と。
それが彼らにとっていい選択なのかどうか、私がどうこう言うことは出来ない。

そこにはただ、そういう事件があった、との記録が残るのみだ。




『ドリーム小説』を逆手にとってこんなの書いてみました。
バーチャルリアリティ、KANAMEは仮想と現実の区別は付けられると思います。
でも、この話の中のちゃんは、仮想を選んでしまった……と、そんな話です。
「景吾」のくだりは、まあ、イメージしやすいかなと思って……

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