「ええっ!さんが!?」
それは、電話口の菜々子さんの絶叫から始まった。


DEATH CRIMSON


「親父、って誰?」
受話器を握り締める菜々子をこっそり覗き込んだリョーマが、同じく後ろで同じようにこっそり覗き込んだポーズを取ったままの父、南次郎に訊ねた。
「おう、リョーマ。お前は知らねえだろうなぁ……俺の遠い親戚でな、今は医者やってる」
「ふーん…その人がどうしたの?」
いったん南次郎を見やってから、リョーマは再び視線を電話口に戻す。

菜々子が青ざめた顔で「はい……はい」と小さく返事をしているのが分かった。
が、しかし一方のこの親父はなんだかとても楽しそうなのだ。
「どうやらこの近くの病院に転任になったらしくてなあ、それでうちに来るっつってんだよ」
まるで新しい玩具を見つけたかのようなにやけた表情だ。父がこんな顔をするときは決まって何か面白いことが起きる。

ある種の期待を抱き、リョーマはさらに聞いた。
「ねえ、その人、強いの?」


昼下がりの寺のコート。
そこでは、越前リョーマが生き生きとした表情で準備運動をしていた。

父から聞いた話。
その越前という男は、とんでもなく、強い。
「へへっ……」
楽しそうに笑みを浮かべコートに立つ息子の姿を、父南次郎は鐘撞き台から見ていた。
菜々子の話によると、今日の昼過ぎあたりに来る予定とのこと。
おそらくリョーマはと打ち合いたいのだろうが、それは無理な相談だ。と南次郎はその時のリョーマの顔を想像して口の中で笑った。

確かには強い。だが、強いといっても奴は──


そこまでで思考は中断される。
庭に銃声が轟いた。

さらに数秒遅れて、何かが注を舞って境内に飛び込んできた。
「なっ……!?」
驚いたリョーマは身を防御で固め、恐る恐る空を見上げてみる。そこには。

「……む、ムササビ……?」
全長約1メートルはあろうかという巨大なムササビ(らしき生物)が滞空していた。

そう、滞空、である。まるで空に貼り付いたように飛空しているのだ。
リョーマは地上からムササビと対峙する。が、そいつはそこから動かず、そのままの体勢でしばらく経った。


ややあって。

「せっかくだから、俺はこの寺に入るぜ!」

「!?」


やけに爽やかな棒読み加減の声が寺の入り口のほうから聞こえてきた。
振り返るとそこには、一人の男。

年のころは20代後半。中背中肉に、堀の深い顔。
中途半端なパーマのかかったような髪形、中途半端なミリタリールック。

そして驚いたことに、左右の足の長さが違う。


歩きにくそうなことこの上ない。


「……あれがかな……?」
その男の所在を認めたリョーマだったが、なんとなく声をかける気にならない。
普段は相手がどんな奴だろうと強ければ関係ない、と豪語しているのだが、さすがに質の悪いポリゴン製のようなその男に話しかけるのはいくら越前リョーマといえど気が引けたのだ。

それでもリョーマが男の方に向かっていったのは、担いでいるケースの中身が気になったから。
あの中には、きっとラケットが入っている。そしてテニスをすれば、自分を楽しませてくれるくらいの強さを持ち合わせている、と。
いったんコートに入ってしまえば、男の異様な雰囲気など気にせずに済む。

一縷の望みにかけて、コートから出て入り口のらしき男の前に出る。
男が口を開く前に、リョーマは先制パンチとばかりに言い放つ。


「あんたが?」
「今の俺は越前だ。コードネームで呼べ」

男は即答した。
もちろんあのやけに爽やかな棒読みで、である。

(普通コードネームに本名使う……?)

リョーマは当然の疑問を頭に浮かべたが、当の……いや、越前の顔は本気だ。


ええい、気にしない、気にしない。きっとコートに入れば、この、親父いわく「とんでもなく強い」男は、自分を楽しませてくれるほどの──
リョーマが引きつりながらも次の言葉を紡ごうとしたその時、越前はリョーマの身長を通り越した頭上から後ろにあるコートをのぞいている。
「ね、ねえ。あんたもテニスやるん……」
「何だこのコートは?」

あからさまに驚愕の声を出す。
見上げると、どうやら彼の視線は先程飛来したムササビ(らしき生物)に注がれていた。

「ダニー!グレッグ!無事か!?」
そんなわけの分からない言葉を吐き捨てると同時に、今まで担いでいたケースの中身を何やらごそごそとし始める。
しかし取り出したそれは、どう見てもラケットではなかった。


「なっ……銃!?」
リョーマは息を飲んだ。
彼が去年まで暮らしていた米国ならともかく、ここは日本なのだ。
こんなものを持っていていいはずが無い。

そんな疑問をよそに、……いや越前は取り出した銃を構え、コートに向けて一発……


「オーノー!」
情けない声とともに鈍い音が響いて、越前はその場に倒れ伏した。
どうやら弾はあらぬ方向へ飛んで行ったらしい。近所から苦情がきやしないかと、リョーマはハラハラした。

しかし、それだけでは事は終わらなかった。
越前の狙ったらしき「そいつ」が、こちらに向かってきていた。
その当人も、無事だったのか再び立ち上がり狙いをつけ直す。

リョーマはただただ見守るしか出来なかった。


……何今の。
何、今の!!

ああもう何なんだよこいつ全然照準合ってねえよ俺の方が射撃上手いよ!


そんなことを思いながら。

そういえば鐘撞き台にいた父はどうしたのだろうと思いちらりと視線をやってみるが、そこには既に人影はなく、錆びた鐘が佇んでいるのみである。

あんにゃろう、逃げやがったな。
そう毒づく間もなく、突如出現した(としか思えないほどのタイミングで現れた)謎の生物はどんどん近づいてくる。

これって襲われてるって言うのだろうか。
そばでは、いまだ越前が謎の生物に向けて銃をぶっ放している。
ロックオンはしているはずなのに、何故かなかなか当たらない。

「やりやがったな!」
そう叫んで越前がもう一撃すると、ようやく命中したらしく、謎の生物はどさりと地面に落下する。
そして、風に吹かれてさらさらと崩れていく。


どうやら終わったらしい。
が、この修羅場を体験した後で、修羅場を作り出した張本人に対してテニスやろうよなどとは、さすがの越前リョーマといえど言えたものではない。
出来れば何事もなかったようにここから立ち去りたい。

さて、どうしたものか──


そうリョーマが考えていると。
救いは思わぬ方向からやってきた。
救い……菜々子が縁側に立ち、声をかける。

「リョーマさん、お夕食何がいいですか?」
これ幸いとばかりにリョーマはそちらに反応した。
人ひとりのためにここまでペースを乱されたのだ。夕食くらい自分の好きなものにしてくれなければ癪だ。
そう、『せっかくだから』。
「じゃあ焼きざか……」
「焼きビーフン」

リョーマより早くメニューを言う声。
もちろん越前こと越前のものであった。
「……分かりました、さん。それじゃ準備しますね」

菜々子の姿が見えなくなると、は境内を抜け、家の方へと入っていった。


「……は〜ぁ」
ラケットを肩に担いだまま、リョーマは深い深い溜息をついた。
とりあえず、これからしばらくの家庭生活を思うと、そうなってしまうのも当然……なのかもしれない。

もちろん、当の本人は、そんなリョーマの気持ちなど分かろうはずもなかった。


ちなみに…もとい、越前の来訪とともにやって来たムササビは、今も境内のコートのあたりを元気に飛んでいる。

撃ち落としては、いけない。




元ネタの分かった方も、そっとしておいてください。

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