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ブレイクコーヒーをあなたと 「うわー」 の目には、そこの席の周辺だけが一枚の絵画のように見えた。 「佐伯くん見て見て、葉月珪だよ葉月珪」 「分かってる、ジロジロ見んなよ」 珊瑚礁にやって来たはばたき市の有名人に興奮するに溜息をつきながら、佐伯はトレイを持つ手を上げる。 みっともない、と言い放ってからトレイを彼女の頭上に落とそうとしたその瞬間に、ドアに取り付けられたベルの音が響いて、残念ながらそれは断念せざるを得なくなった。 たったそれだけで、佐伯の表情にはまるで貼り付いたかのような笑顔が浮かぶ。 それを「またか」というような目で見てから、は彼を見送った。 「いらっしゃいませ、一名様でよろしいですか?」 「あ、ええと、連れが来ているんですけど……」 入ってきた客は、清楚な雰囲気の女性だった。 大学生くらいだろうか。年はとそう離れてはいないだろうが、それでも高校生と大学生の間には高い高い壁がある。 女性客は佐伯の肩越しに店内を覗き込み、お目当ての人物を見つけて顔をほころばせる。 「珪!」 呼ばれてそちらを向いたのは、誰あろう人気モデル。 雑誌にもそうそう見せないような優しい笑顔で、女性を手招きしていた。 そして窓際の絵画に、一つ添えられる花。 「ご注文はお決まりでしょうか?」 「それじゃあ……モカください」 いつもの営業スマイルで佐伯が女性に注文を聞いていた。 カウンターで皿を拭いていたの目には、まるでそこだけ別世界のように思えてくる。 (葉月珪はもちろん、あっちの女の人も綺麗だし、佐伯くんも顔だけはいいもんね……) もうしばらく眺めていたかったところだが、その絵からいつの間にか一人消え。 「痛っ」 「三番、モカ1、お願いします」 「……はぁい……」 絵画の中から出てきて、気がついた時にはの頭を(客から死角になるように)トレイではたいていた。 わざとらしい営業スマイルをにも向けてくる、こういう時の佐伯には逆らわない方が得策だ。 奥のマスターに注文を通して、カップの準備に取り掛かる。 綺麗なものを見るのが好きだった。 それは風景であったり、芸術品であったり、人であったりと様々だが、とりあえずジャンルは問わず、『綺麗なもの』を見つめてしまう。 あの佐伯瑛だって、内面はお子様だけれど見てくれはいい。ついつい見てしまうこともある。 そんなにとって、あの一画の雰囲気はその『綺麗なもの』以外の何物でもないわけで。 今また、注文のモカをテーブルに運ぶ佐伯とその一帯を、ついつい見つめてしまっている。 (やっぱり綺麗だ) 面食いという自覚はない。ただ単に、その場の空気が一種の芸術だと思って、は佐伯達を眺めるのだ。 そんな彼女の後頭部に、本日二度目のトレイチョップが落ちてくる。 「……もう、バカになったらどうするの」 「それ以上悪くならないから安心しろ。っつーか、見んなって」 「あー、うん……綺麗だったから、つい」 「お前ああいうのが好み?」 思わずぽろっと、三番テーブルを見つめていた理由を口走る。 対する佐伯も、思わずぽろっと、皮肉のような言葉を吐き出した。 「好みって、何が?」 「…………いい」 拗ねたように口を尖らせて、それきり佐伯は黙り込んだ。 「変な佐伯くん」 もそう言うと、それぞれの仕事に戻っていった。 やっぱり綺麗だ。 葉月珪とそのお連れは、話に花が咲いたのかゆったりとした時間を楽しんでいるようだ。 人気モデルのデートをスクープなんだろうかという野次馬な気持ちと、珊瑚礁での時間を楽しんでもらえて嬉しいという気持ちとが同時に襲ってくる。 静かな店内なので、そのつもりがなくても二人の会話が耳に入ってきた。 「ホント、美味しいね。ここのモカ」 「だろ」 おそらく佐伯も聞こえたのだろう、心なしか誇らしげな表情だと、は思った。 が。 「けど、お前の淹れたやつの方が、俺、好きかな」 「珪ってば……もう」 「バカップルだ……」 カウンター内にしか聞こえないような小さな声で佐伯が呟く。 は心の中でひっそりと同意した。 そしてその日の珊瑚礁は、おおむねそんな感じで営業を終えた。 「はー、お疲れ様!」 「お疲れ。……時間、良いのか?」 「うん、今日は大丈夫。まだそんなには……」 エプロンを外しながら言いかけて、はふとその手を止める。 客が引いてがらんとした店内。テーブル席の一つに佐伯がだらりと腰掛けて、こちらを見ていた。 「……何?」 「コーヒー淹れて」 「えぇっ!わたしが!?」 「うん、お前が」 時間、良いんだろ?と疲れたように言う佐伯の言葉に思わず耳を疑う。 「えと、でも、わたし佐伯くんみたく上手くないよ?」 「お前が淹れたやつがいいんだ」 慌ててやんわりと否定の意を示したつもりだったが、佐伯は頑なに動かなかった。 溜息を吐き、は折れた。 「分かった。珊瑚礁ブレンドでいい?」 「いや、モカ……うん、モカがいい」 「珍しいね?」 「今日はなんとなくそんな気分なんだ」 そんな会話をしながらも、ぱたぱたとエプロンを付け直してサイフォンに向かう。 手際良くモカ豆を適量取り、ドリップしていく。 「お前の分もな」 「うん、やってる」 親指を立てながらカウンター越しに笑いかけてやると、佐伯は一瞬呆れた顔をして、そしてお互いに笑い合う。 「お待たせいたしました。モカブレンドでございます」 「ああ。……サンキュ」 トレイにカップを二つ乗せて、が戻ってくる。 カップの柄もモカ用のもの、スプーンやミルクと砂糖の配置も、店で出しているものと全く同じ。 ただ違うのは、素人のの淹れたコーヒーは客には出さない、というところだけだ。 慣れた手つきで佐伯の前にコーヒーを置く。もうひとつは空いた席の前に置くと、はトレイを片付けて佐伯の向かい側に座った。 せっかく用意したミルクと砂糖だったが、二人とも使わずにそのままのを飲んだ。 「佐伯くん、お味は?」 「……うん」 「うんじゃ分からないよ」 「前より良くなってる」 「ホント!?」 ぱぁっと顔を輝かせるの頭上に、ぽす、と軽い音を立ててチョップが飛んだ。 「俺に比べたらまだまだだな」 「そりゃあ佐伯くんと比べたらそうでしょうよ……」 頭を抑えて口をとがらせるを見て、佐伯は少しだけ笑った。 もう一口、よく口の中で味わってカップを置く。 「……うん、俺、負けてない」 「?何か言った?」 「何でもない」 首を傾げるをよそに、佐伯は一人頷いた。 昼間見たあのバカップル。 が綺麗だと言った、あの風景。 コーヒーの味はまだまだ劣るかもしれないが、奴らにも負けていない。 残りを飲む。 ほろ苦くて少し甘い。ちょっとだけ水っぽい。 に少し似ていると、佐伯は思った。 |
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コーヒー党のKANAMEです(笑) なので、コーヒーにこだわってるっぽい珊瑚礁が大好きです。 キテルはこんな感じに、恥ずかしいくらいのプラトニックからじわじわと仲良くなっていくのがいいですね。 |