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【NHK問題】朝日新聞の報道は事実歪曲したとNHKが抗議、訂正記事を要求 1 :レコバφ ★ :05/01/14 19:27:59 ID:??? NHKは14日、従軍慰安婦特集番組の改編問題で、 朝日新聞の報道は事実を歪曲(わいきょく)したとして、 同社の箱島信一社長と吉田慎一編集局長に文書で抗議。 謝罪、釈明と訂正記事の掲載を求めた。
http://www.fukuishimbun.co.jp/nationaltopics.php?genre=main&newsitemid=2005011401004187&pack=FN
安倍幹事長代理怒る「捏造」…NHK番組改変報道 中川経産相「名誉棄損だ」法的措置も http://www.zakzak.co.jp/top/2005_01/t2005011401.html 関連 http://www3.nhk.or.jp/ http://www3.nhk.or.jp/news/2005/01/13/d20050113000188.html 【国内】NHK、見解をまとめ発表「内容が変更されたことはない」放送総局長[050113] http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1105623734/
57 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :05/01/14 19:45:25 ID:nbHcdx0/ 慰安婦問題の火種を作ったのは朝日新聞。
● 慰安婦問題の経緯
1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」の中で、 昭和18年に軍の命令で「挺身隊」として、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にした という「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌年にかけ、4回にわたり、報道。
2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場に連行され、 売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一人が名乗り出た、と報道。
3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍関与示す資料」、 「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」と報道。 この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。
4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、 「甘言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例が数多くあり、 更に、官憲等が直接に荷担したこともあった」と発表。
この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴集されたことを 公式に認めてしまったことになる。これを契機として、中学高校のほとんどの歴史教科書に、 「従軍慰安婦」が記述されることになっていった。
http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html
58 :レコバたん ◆nmRecoBANs :05/01/14 19:46:09 ID:PzV7AwkA >>42 詳しくはわからんが、この辺でこういう会話があった。 http://news18.2ch.net/test/read.cgi/news4plus/1105635168/798-819
67 :<丶`∀´>(´・ω・`)(`ハ´ )さん :05/01/14 19:54:06 ID:R6trg/xc NHK 朝日新聞に抗議 http://www3.nhk.or.jp/news/2005/01/14/d20050114000164.html この問題でNHKが当時の記録を調べたり関係者から事情を聞いたところNHKの幹部が 中川氏に面会したのは、放送前ではなく放送の3日後だったことが確認されました。これ について、中川氏も「調査した結果、NHKの担当者が事業計画の説明のため会いたいと 言って私のところに来たのは、番組が放送された後のことだった。NHKも政治的圧力は なかったと言っており、私もそういうつもりはなかった。今回の一連の報道は、重大な 名誉棄損、大変なひぼう中傷であり、間違った報道をしたことを明らかにして欲しい。」 と述べています。また、安倍氏とはNHKの幹部が放送日の前日ごろに面会し、すでに 国会議員らの間で話題になっていたこの番組の趣旨やねらいを予算の説明とあわせて伝え ましたが、安倍氏から呼ばれたわけではなかったうえ番組改変を促す意向を示された事実 もないことがわかりました。これについて安倍氏は「NHK側が、予算の説明をした後、 今回の番組の中身についての説明があったので、公平公正な報道をお願いしますと申し上 げた。NHKを呼びつけたとか、政治介入した事実もない。まったく事実誤認、誤報であり、 ある意味では、ねつ造だと思う。」と述べています。NHKは、「朝日新聞の記事はあたかも NHKが政治的な介入を受けて番組を変更したかのように事実をわい曲しており、NHKの 番組制作の原則である公正・中立性に関して甚だしく誤解を招き、NHKの信用を著しく 傷つける内容になっている。」として、14日、朝日新聞社の箱島信一社長らに文書で 厳重抗議するとともに、謝罪と訂正記事の掲載を求めました。これについて朝日新聞社は 「報道にあたっては両議員、NHKの幹部の方々を含む関係者への取材を重ねており、 記事にはご指摘のような事実のわい曲はないと考えています」とコメントしています。 01/14 19:21 >http://www3.nhk.or.jp/news/2005/01/14/d20050114000164.html
[トップページ] [平成11年下期一覧][Media Watch][070.15 戦争犯罪報道][221 韓国][319 国際謀略] http://www2s.biglobe.ne.jp/~nippon/jogbd_h11_2/jog106.html --------------------------------------------------------------------------------
_/ _/_/ _/_/_/ Media Watch: 「従軍慰安婦」問題(上) _/ _/ _/ _/ 〜日韓友好に打ち込まれた楔〜 _/ _/ _/ _/ _/_/ 13,135部 H11.09.25 _/ _/ _/ _/ _/ _/ Japan On the Globe(106) 国際派日本人養成講座 _/_/ _/_/ _/_/_/ _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/
■1.米軍がレポートする慰安婦の実態■
米軍情報部は、北ビルマのミチナ慰安所で収容された慰安婦か らの聞き取りをもとに、以下のような報告書を残している。 女性たちはブローカー(および経営主)が、300〜1000円の 前借金を親に払って、その債務を慰安所での収入で返還してい る。経営者との収入配分比率は40〜60%、女性たちの稼ぎは月 に1000〜2000円、兵士の月給は15日〜25円。[1,p270]
慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋に宿 泊して、・・・・寝起きし、業を営んだ・・・・彼女たちの暮らしぶり は、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。 慰安婦は接客を断る権利を認められていた・・・・負債の弁済を 終えた何人かの慰安婦は朝鮮に帰ることを許された[1,p275]
また、ビルマのラングーンで慰安婦をしていた文玉珠さんの手 記では、その生活ぶりを次のように語っており、米軍のレポート を裏付けている。
支那マーケットにいって買物した。ワ二皮のハンドバッグと 靴をわたしのために買った。母のためにもなにか買った。 将校さんたちに連れられてジープに乗って、ぺグーの涅槃像 をみに行った・・・・ヤマダイチロウ(日本兵の恋人)と大邱の母 の無事を祈って帰ってきた。[1,p276] ちなみに文玉珠さんは、平成4年に日本の郵便局を訪れ、2万 6145円の貯金返還の訴訟を起こして敗れている。千円もあれば故 郷の大邱に小さな家が一軒買えると体験記で述べているが、現在 の貨幣価値なら、4〜5千万円程度の金額を、3年足らずで貯め たことになる。[2,p301] 「従軍慰安婦」というと、海外では"military sexual slavery (軍用性奴隷)"などと呼ばれるように、日本軍によって郷里から 強制連行され、戦地では何の自由もなく、もちろん無給で、ひた すら兵士にもてあそばれた、というイメージが定着している。し かし、この米軍の報告書では、まったく違う実態が報告されてい る。一体、どちらが真実に近いのか?
■2.慰安婦問題の経緯■
まず慰安婦問題の経緯を時系列的に見渡しておこう。
1) 昭和58(1983)年、吉田清治が、著書「私の戦争犯罪・朝鮮 人連行強制記録」の中で、昭和18年に軍の命令で「挺身隊」と して、韓国斉州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたとい う「体験」を発表。朝日新聞は、これを平成3('91)年から翌 年にかけ、4回にわたり、報道。
2) 同3年8月11日、朝日新聞は、「女子挺身隊」の名で戦場 に連行され、売春行為を強いられた「朝鮮人従軍慰安婦」の一 人が名乗り出た、と報道。
3) 同4年1月11日、朝日新聞は、一面トップで「慰安所、軍 関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」 と報道。この直後の16日から訪韓した宮沢首相は首脳会談 で8回も謝罪を繰り返し、「真相究明」を約束。
4) 同5年8月4日、河野官房長官談話、政府調査の結果、「甘 言、弾圧による等、本人たちの意思に反して集められた事例 が数多くあり、更に、官憲等が直接に荷担したこともあっ た」と発表。
この河野談話によって日本政府は、慰安婦が軍によって強制徴 集されたことを公式に認めてしまったことになる。これを契機と して、中学高校のほとんどの歴史教科書に、「従軍慰安婦」が記 述されることになっていった。
今日では、各方面の調査が進み、以上の報道、発表がどれだけ の事実に基づいていたのかが明らかになってきた。以下、この4 点を検証する。
■3.吉田清治の慰安婦狩り■
まず1)、吉田清治の「私の戦争犯罪・朝鮮人連行強制記録」 では、韓国斉州島での、慰安婦強制連行を次のように、描写して いる。
若くて大柄な娘に、山田が「前へ出ろ」とどなった。娘がお びえてそばの年取った女にしがみつくと、山田は・・・・台をまわ って行って娘の腕をつかんで引きずりだした・・・・女工たちはい っせいに叫び声を上げ、泣き声を上げていた。隊員たちは若い 娘を引きずり出すのにてこずって、木剣を使い、背中や尻を打 ちすえていた。・・・・女工の中から慰安婦に徴用した娘は十六人 であった。
当時は、戦地での強姦事件を防ぐために、公娼業者に戦地で開 業させていた。戦地であるから、業者の指名、戦地への移動、営 業状態の監督などは、軍の関与が当然あった。これらは当時、合 法であった公娼制度の戦地への延長で、特に問題はない。 「従軍慰安婦」問題とは、本人の意思に反した「強制連行を、 軍が組織的に行ったか、どうか」の問題なのである。したがって、 吉田の言うような強制連行が事実であったら、これは日本の国家 的犯罪となる。 ■4.日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物■
吉田の記述は済州島の城山浦にある貝ボタン工場という設定だ が、この記事に疑問をもった済州新聞の許栄善記者が現地で調査 し、以下のような記事を書いている。 島民たちは「でたらめだ」と一蹴し、この著述の信想性に対 して強く疑問を投げかけている。城山浦の住民のチョン・オク タン(八五歳の女性)は「250余の家しかないこの村で、15 人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はな かった」と語った。 郷土史家の金奉玉は「1983年に日本語版が出てから、何年か の間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は 日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と憤慨 している。 現地調査を行った秦郁彦日大教授は、許栄善女史から、「何が 目的でこんな作り話を書くのでしょうか」と聞かれ、答えに窮し たという。[1,p232]
この吉田清治を、朝日新聞は、宮沢首相の訪韓前後1年の間に、 4回も紙面に登場させたのだが、秦教授の調査の後は、ぷっつり と起用をやめた。今日では、慰安婦問題の中心的糾弾者である吉 見義明中央大教授すら、吉田清治の著作は採用しなくなっている。
■5.名乗り出た慰安婦■
次に2)の自ら名乗り出た慰安婦について。平成3年8月11 日付け朝日新聞は、社会面トップで「思い出すと今も涙」「元朝 鮮人従軍慰安婦 戦後半世紀重い口開く」とのタイトルで、「日 中戦争や第二次大戦の際、女子挺身隊の戦場に連行され、日本軍 人相手に売春行為を強いられた朝鮮人従軍慰安婦のうち、一人 が」名乗り出たと報じた。
しかし、この女性、金学順さんは、「女子挺身隊」として連行 などされていない事を、8月14日の記者会見で自ら語っている。 ある韓国紙はそれを次のように報じた。[2,p291] 生活が苦しくなった母親によって14歳の時に平壌のあるキ ーセン検番(日本でいう置屋)に売られていった。三年間の検 番生活を終えた金さんが初めての就職だと思って、検番の義父 に連れていかれた所が、華北の日本軍300名余りがいる部隊 の前だった」「ハンギョレ新聞」'91年8月15日付
当時、内地でもよくあった気の毒な「身売り」の話なのである。 国家による組織的な強制連行とは関係ない。
そもそも「女子挺身隊」とは、昭和18年9月に閣議決定され たもので、金学順さんが17歳であった昭和14年には存在して いない制度である。さらに「女子挺身隊」とは、販売店員、改札 係、車掌、理髪師など、17職種の男子就業を禁止し、25歳未 満の女子を動員したものであり、慰安婦とは何の関係もない。
さらに「従軍慰安婦」という言葉自体が、当時は存在しなかっ た。従軍看護婦は、軍属(軍隊の一部)であり、従軍記者、従軍 僧は、法令により定められた身分で指定された部隊につく。慰安 婦は公娼業者が雇ったもので、それはたとえば、県庁の食堂に給 食業者を入れていた場合、その業者の被雇用者は、県の職員では なく、身分も契約も県とは関係ないのと同じ事だ。「従軍慰安 婦」とは、従軍看護婦などとの連想で、あたかも部隊の一部であ ると読者に思い込ませるための造語である。
金学順さんは、その後、日本国を相手とした訴訟の原告の一人 となるが、それを支援しているのが太平洋戦争犠牲者遺族会であ り、この記事を書いた朝日の槙村記者は、会の常任理事の娘と結 婚している。当然、韓国語も達者であり、金学順さんの話した内 容はよく知っていたはずである。 金学順さんが「売られた」という事実を隠し、「女子挺身隊と して連行された」というこの記事は槙村記者による、意図的な捏 造記事である。その後の訂正記事も出していない。 ■6.強制連行された慰安婦はいたか?■
韓国で慰安婦問題の取組みの中心となっている「挺身隊問題対 策協議会」は、元慰安婦として登録された55名のうち、連絡可 能な40余名に聞き取りをした。論理的に話が合うか、など、検 証をしつつ、その中から信頼度の高い19人を選んで、証言集を 出版した。 今まで何らかの機会に、強制連行されたと主張しているのは、 9人だが、信憑性があるとしてこの証言集に含められたのは、4 人のみ。さらにそのうちの二人は富山、釜山と戦地ではない所で 慰安婦にされたと主張していて、「従軍慰安婦」ではあり得ない。 残る二人が、金学順さんと、冒頭の4〜5千万円相当の貯金をし たという文玉珠さんなのだが、この証言集では、強制連行された とは述べていない。 結局、韓国側調査で信憑性があるとされた証言のうち、従軍慰 安婦として強制連行されたと認められたものは、ひとつもない、 というのが実態である。[2,p275]
■7.軍の関与とは■
次に宮沢首相の訪韓直前に発表され、公式謝罪に追い込んだ 3)の「慰安所、軍関与示す資料」の朝日新聞記事はどうか。 発見された文書とは昭和13年に陸軍省により、「軍慰安所従業 婦等募集に関する件」であり、その中では、 民間業者が慰安婦を募集する際、@軍部諒解の名儀を悪用、 A従軍記者、慰問者らを介した不統制な募集、B誘拐に類する 方法を使って警察に取調べられるなどの問題が多発しているの で、業者の選定をしっかりし、地方憲兵警察と連繋を密にせよ [2,p267] と命じている。すなわち「関与」とは、民間の悪徳業者による 「強制連行」を、軍が警察と協カしてやめさせようとした事なの である。 この内容を「慰安所、軍関与示す資料」、「部隊に設置指示 募集含め統制・監督」とタイトルをつけて、一面トップで報道し、 さらに次のような解説を載せた。 従軍慰安婦。1930年代、中国で日本軍兵士による強姦事件が多 発したため、反日感情を抑えるのと性病を防ぐために慰安所を 設けた。元軍人や軍医などの証言によると、開設当初から約八 割は朝鮮人女性だったといわれる。太平洋戦争に入ると、主と して朝鮮人女性を挺身隊の名で強制連行した。その人数は八万 とも二十万ともいわれる。 これらをあわせ読めば、ほとんどの読者は、「日本軍が組織的 に強制連行に関与した」と思い込むであろう。まことに巧妙なひ っかけ記事である。
この記事が、狙い済ましたように、宮沢首相訪韓のわずか5日 前に発表されたことから、絶大な効果を発揮した。ソウル市内で は抗議・糾弾のデモ、集会が相次ぎ、日の丸が焼かれる中で、宮 沢首相は事実を確認する余裕もなく、8回も盧泰愚大統領に謝罪 を繰り返した。(続く)
■ 参考 ■ 1. 「慰安婦の戦場の性」、秦郁彦、新潮選書、H11.6 2. 「闇に挑む!」、西岡力、徳間文庫、H10.9 3. 「慰安婦強制連行はなかった」、太子堂経慰、展転社、H11.2 4. 「歴史教科書への疑問」、日本の前途と歴史教育を考える 若手議員の会編、展転社、H9.12.23 5. 「日本人が捏造したインドネシア慰安婦」、中嶋慎三郎、 祖国と青年、H8.12 6. 産経新聞、H11.08.27 東京朝刊 4頁 国際2面 _/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/★★読者の声★★_/_/_/_/_/_/_/_/_/_/ DAI HIROSEさんより
昨年、東南アジアを旅行し、バングラデシュのセント・マーテ ィン島という小さな島(ビルマの横に位置します)に宿泊したとき のことでした。本当に人懐っこい住人らに囲まれて食事をご馳走 してもらい、その後村を紹介してもらい、村長と会話する機会が 会った。かなり年をめいた人であった。英語で会話だったので 正確な会話を表現できないが彼等はこのように日本を語った。
「日本は良い国だ。我々は日本が好きだ。戦争中にイギリスか ら我々を解放してくれた。イギリス人は我々を動物のように扱い、 こき使ったが、日本人は優しかった。暴力などなにもしなかった。 島民は日本の軍人と協力して、平和に過ごしていたんだ」
私は本当に驚いた。彼等が戦争時の日本を肯定してたからだ。 ある場所で心無いものがひどいこともしたのは事実であろうが、 このように50年以上過ぎた今でも好意を持ってくれるほど、う まく共存していたのはも事実であろう。彼等島民を日本に連れて いって生きた証人として発言してもらい、戦時中の日本を絶対悪 のように扱うマスコミの糾弾したいものだ。彼等が発言できる間 に日本の誤った歴史認識を変え、日本、アジア、そして地球全体 を誇れる国民になれるだろうか。
アジアを旅行し、本当によかったと思う。
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