『 悟りを開け!』
投稿者:藤本 龍夫 投稿日:2004/01/01(Thu) 15:19 No.30
[一歩踏み出す会] 幹事長 藤本龍夫
参照 http://kobe.cool.ne.jp/fujimototatsuo/
去年は、初夢を年頭に書いてみたら、意外に役に立った。自分が何をするべきなのか。政府が何をするべきなのか。判断基準が明確になったように思った。 そこで、今年も年頭に私の初夢を書いてみた。夢は活力を生み、生きている意味を深くするようだ。
一、『思い出せ。我々は栄光ある日本人なのだ』
前に「ライオンキング」という映像を見たことがある。手塚治虫氏の「ジャングル大帝」をまねした作品といわれるものだ。その中で、若いライオンに向かって、思い出せ。おまえは誰か。良く思い出せとしきりにささやきかけるものがいた。
若いライオンは、自分のせいで父親ライオンを死なせたと思いこんでいたのである。ところが真実は違った。父親ライオンを殺したのは、今のライオン王国のボスだったのである。そのボスを倒して新しいライオンキングが誕生する物語だが、その過程で、現在のボスライオンがデマを流していたことを証明するのである。 このアニメを見ていると、我が国の状況と実によく似ていることに感心する。
我が国の国民は、父祖が近隣諸国を侵略し、無辜の市民を虐殺し、自由を葬り、韓国の若い女性を売春婦として連行したというデマを教え込まれてきた。 ところが、あちらこちらで、違う、ささやきが聞こえるのである。例えば次のようなささやきが聞こえる。
元タイ首相「クウリット・プラモート」
『日本のおかげで、アジア諸国はすべて独立した。日本というお母さんは難産して母体をそこなったが、生まれた子供はたちはすくすく育っている。 今日、東南アジアの諸国民が米国と対等に話ができるのは誰のおかげか。 それは身を殺して仁をなした日本というお母さんがあったためだ。 十二月八日は吾々にこの重大な思想を示してくれたお母さんが、一身を賭して重大な決意をされた日である。吾々はこの日を忘れてはならない。』
マレーシアの元上院議員「ラジャー(王)・ダト・ノンチック」
『私たちアジアの多くの国は、日本があの大東亜戦争を戦ってくれたから独立できたのです。日本軍は、永い間アジア各国を植民地として支配していた西欧の勢力を追い払い、とても白人には勝てないとあきらめていたアジアの民族に、驚異の感動と自信とを与えてくれました。永い間眠っていた自分たちの祖国を自分たちの国にしよう〃というこころを目醒めさせてくれたのです。私たちは、マレー半島を進撃してゆく日本軍に歓呼の声をあげました。敗れて逃げてゆく英軍を見たときに、今まで感じたことのない興奮を覚えました。しかも、マレーシアを占領した日本軍は、日本の植民地としないで、将来のそれぞれの国の独立と発展のために、それぞれの民族の国語を普及させ、青少年の教育をおこなってくれたのです。私もあの時にマラヤの一少年として、アジア民族の戦勝に興奮し、日本人から教育と訓練を受けた一人です。私は、今の日本人にアジアへの心が失われつつあるのを残念に思っています。これからもアジアは、日本を兄貴分として共に協力しながら発展してゆかねばならないのです。ですから今の若い日本人たちに、本当のアジアの歴史の事実を知ってもらいたいと思っているのです。』
『私は日本人の素晴らしさは、思いやり豊かな民族であると思っていました。思いやりの 根底には、たいへんに残念なことですが、モノとカネが優先することが多くなっておりますネ。ポケットとポケットの付きあいからは何も残りません。私たち南方特別留学生が日本で教育を受けたころの日本は、現在の日本とは比べることができないほど貧しい国でした。しかも、あの当時の日本は、全身傷だらけになって、アジアを西欧植民地から解放するための大東亜戦争を戦っておりました。私たちはその貧しい戦時下の日本で、『日本の素晴らしさ』を与えられました。あの当時の日本人は、心と心がふれあう交わりをもって、アジア諸国に偉大な遺産を遺してくれました。すなわち400年の永きにわたった植民地体制を打破し、アジアの青年たちに民族自決(独立)を戦いとる決意と覚悟を与えてくれたのです。 私たちは、日本の青年が命を捨て血を流して遺してくれた、尊い偉大な遺産を基にして、祖国の独立とアセアンの結成を成し遂げたのです。』
「日本人よありがとう」日本教育新聞社 より
神戸地域産業フォーラム理事長「佐野 博持」
『私が貿易業界の代表として、マダガスカルに行ったときに驚いたことは、同国の副大統領が是非夕食会に招きしたいといってこられ、そのときに聞いた話だ。 その副大統領は、日本軍のおかげで我が国は独立できたのだ。日本人は我が国のみならず、アフリカ諸国全体の恩人である。我が国では独立前には、フランス人が我が国の人とウサギとを原野に放ち、それを追いかけて人間狩りをしていたのである。しかも値段はウサギの方が高かったのである。私は日本人にこの感謝の気持ちを伝えたくて今日、あなたをお招きしたのである。日本人は独立したアフリカ諸国のすべての人々の恩人だ。ありがとう。とおおむねこのようなことを話された。しかも握手をしたときには感謝の念から眼がうるんでいた。私も当時は、洗脳されていたのだが、この話を聞いて一度に目が覚めたのです。』
マレーシアの元外務大臣「タンスリー・ガザリー・シャフィー」
『日本の政治家の冒頭の挨拶は、ハンで押したように決まって次のような、『過ぐる大戦において我が国は貴国に対してたいへんご迷惑をおかけし申しわけありません』というお詫びです。私は、そのたびに、なぜそのような挨拶をなさるのですか。あの戦争で日本は立派なことをなさったではないですか。日本軍がイギリス軍を追い払ってくださったからこそ我々は独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシアも、インドネシアも、シンガポールも、その他インドをふくめた東南アジア諸国の独立は考えられません。』
我々は栄光ある父祖の子、日本人である。 そのことを銘記して、これからの世界をどのようにつくり変えていくべきかを責任をもって思案しなければならないのである。
二、悟りを開く年にする
私は、平成15年の年末に開かれた「佐々木正博士を囲む夕べ」で10分間のスピーチを行った。佐々木博士は元シャープ副社長、半導体の父であり液晶の開発を手がけ、今もナノテクノロジー推進に努力を傾けられている方である。 その会合で、私は平成16年は悟りを開く年にしたいと抱負を述べた。
仏教では時間は輪廻する。その永遠の輪廻の中で悟りを開くと、輪廻のメカニズムから飛び出して仏となる。こうして成仏する。
我が国の現状は、経済的にはデフレスパイラルの悪循環を永遠に下降する過程に入っている。また精神的には我が父祖が罪人であると信じ込まされることによって精神の無限地獄をさまよっている。さらに国際政治においては、我が国が先の大東亜戦争を闘った意義を忘れさせられることによって、永遠の植民地に甘んじている。
何が自分を拘束しているのか。不安を感じる根本は何なのか。それを認識できないかぎり無限地獄の輪廻から脱出することはできない。それは精神分析学でも教えるとおりであり、般若心経では無明と教えている。
@まず経済の輪廻から悟りを開こう。
経済学では、まず有効需要の原理だけを知っていればほとんど用が足りる。後は枝葉末節である。 我が国では有効需要が少ないために不況が永続し、デフレスパイラルから脱出できないでいる。有効需要の原理を覚えておけば経済政策が良い方向に向かっているか否かが判然とする。
(政府支出+民間投資支出(在庫投資を除く)+貿易黒字)>(貯蓄+税収) 左辺を右辺より大きくする政策をとれば、必ず景気が上昇する。必ずである。
これだけで、経済法則が理解できる。 我が国は、間違った経済政策を採り続けている。政府支出を削り、増税路線を採用しつつある。これから地方自治体がどんどんと破綻するだろうが、その前に各種の増税と新税を作り出すだろう。それは右辺を増加させるから不況がさらに深刻になるのである。政府は今のところ貿易黒字を増やす政策を実施しているが、これは額も小さくしかも必ず円高を招くから、腰折れになるのである。
我が国がデフレスパイラルから脱出するには、多くの方法がある。その一つは毎年50兆円規模の補正予算を組んで政府支出を増加させる方法である。これを6年間続けると財政黒字が発生する。経済成長はおおむね10%、インフレ率は約1%となるが、その財源は増税であってはならない。右辺が増加するからである。したがって財源は国債発行か政府紙幣の発行でなければならない。
我が国では国債発行を悪とする論調を財務省が作り上げているが、これはミスリードである。国債は借金ではないのである。日本銀行が買い入れたときに破り捨てれば、そのことがはっきりする。日本銀行の株式を50%所有するのは政府である。従って、連結決算を実施すれば、国債は政府の借金であるとともに同時に政府の資産となる。それはプラスマイナスゼロとなるのである。 わかりやすく言えば、日銀のような財務省の出先機関は、12月31日に、いったん財務省に吸収合併し、債権債務を民法の混同の法理により消滅させ、1月1日に独立させれば良いのである。そうすれば約500兆円の累積国債は消滅するが、困る人はどこにもいないのである。ただ全額を消滅させると貨幣循環量の調節ができなくなるので、少しは残しておかねばならないくらいである。国債を借金であると誤認するとデフレスパイラルから脱出できないのである。
政府貨幣発行は明治維新に三岡八郎が実施した例がある。明治維新は三岡八郎の財政政策によって完成したのである。現在の政府もまた政府貨幣発行権を有するから、これを発行して政府支出を増加させればよいのである。このようなやり方で不況から脱出できるのは日本だけである。諸外国がこの政策を実施するには生産能力が小さすぎるのである。生産能力とは潜在国内総生産(GDP)である。これが我が国では約830兆円から900兆円存在する。従って需要を増やせば、直ちに企業が稼働率を上げ、生産を開始する。そして、10年間10%ずつ経済を成長させてもインフレには成らないのである。 このようにして、日本はデフレの無限ループから脱出できるのである。なお、このような政策に対して諸外国や国際金融グループからの攻撃があるのではないかという心配もあるかもしれない。しかし、戦略と戦術を区別しなければならない。我が国の真の財産は、この生産能力なのである。我が国が何故、大国たり得るかと言えば、企業が人類の求めるものを直ちに生産できる、その生産能力にあるのである。 しかしながら現在の政府は、その生産能力を破壊する政策を実施しているのである。
大東亜戦争の終戦を決定するときに、我が国が最も大切と考えるものを守ることができるなら、軍隊の降伏を認めて良いとした。すなわち国体を護持することができるなら軍隊を降伏せしめ、国家として終戦を決定しても良いと考えたのである。その国体とは天皇陛下を国家の権威とする体制である。我々は、このような歴史から日本人が皇室を財産よりも武力よりも貴重だと考えていることがわかるのである。 経済においても同様である。真に重要なものは何かといえば、人間である。労働者である。それと一体となった企業なのである。この企業が毎日活動し利益を生み出し、家庭の幸福と社会の安全を支え、年金を給付しているのである。そして、この利益を全部集計したものがGDP=国内総生産なのであるから、年金も国家財政も地方自治体の税収も、すべては、ここから生まれているのである。 従って、根本的な重要性は、企業の存続であり、それを破綻させては、元も子もないことを知るべきなのである。
A悪魔の輪廻から悟りを開いて脱出しよう
我が国はかつて国連(United Nations)と戦争をしたことがある。このことを明確に認識しないと精神の自由を取り戻せないだろう。我が国に原爆と水爆を投下したのは米軍だが戦争の相手は国連である。我が国では戦闘と戦争を混同するものが多いが、戦争とは国家間の交渉ごとである。外交といっても戦争といっても同じものである。どちらも国家間の交渉ごとであり交際である。それに対して戦闘は軍隊と軍隊の行為である。戦闘には敗戦と勝ち戦がある。しかし国家には敗戦はない。あるのは終戦である。次回に宣戦するまでは戦争をやめるのである。 その契約が平和条約である。したがって終戦の日は昭和27年4月28日である。敗戦を決定して宣明したのは昭和20年8月15日である。
我が国に原爆を投下するよう命じたのは国連であり、手を下したのは米軍である。我が国では戦争の相手が米国であったかのような論調が多いが戦争の相手は国連5カ国であったことを確認しておきたい。 なぜなら、我が国の先の大戦を悪く言う者が、これら国連5カ国に多いからである。
戦争においては多くの宣伝を行う。デマを流す。そして戦争が終わっても、デマを真実であると信ずる者が多く残るのは勝ち戦を戦った軍隊を持つ国家である。したがって、この国連5カ国の枢要な地位にある者がデマを流し続けることに留意しなければならない。 その国とは米国、ロシア、中国、フランス、イギリスである。そのほか火事場泥棒のように参戦したオーストラリアである。また、そのほかの国連加盟国である。
我が国では、日本の闘った戦争を侵略戦争だと表現する者が多いが、これも国連が占領期間中に流したデマが原因である。そして、今も国連5カ国は国益のために、日本の戦争が侵略戦争であると言い張るのである。 そんなことは、国際間では常識である。しかし我が国の指導者も、マスコミの多くも目をふさいでいる。しかし、戦争が終わって51年が経過した今日、真実のささやき声が各地で聞こえるのである。あなたは日本人か。勇者日本人か。世界の植民地から圧政に苦しむ人々を解放した日本人なのか、と。そして、栄光ある日本人であることを忘れた日本人に対しては、思い出せ、おまえは何者なのか。良く思い出せとささやき続けるのである。
カントは純粋理性批判の中で自由意思の存在を強調している。人間以外の動物や物、そのほかに人間とそれらの間の関係も因果律に支配されている。しかし、人間の意思のみは因果律に支配されることはなく、したがって逆境を切り開くことも運命を変えることもできると述べている。意思は自由なのである。悟りを開けるのである。 我々は意思を強固にして、我らの父祖が夢見た世界人類の幸福を成し遂げなければならないのである。
B永遠の植民地状態から悟りを開いて脱出しよう。
我が国の教育、道徳、経済、指導者の人格、これらが憂うべき状態にあることは、心ある者なら同意してくれるだろう。 私もまた、せめて歴史教科書でもまともな物を使ってもらいたいと活動しているが、小さな出来事を一つ一つ改善していくよりも、最も根本的な、根元的な問題を解決する方が効果的であると気が付いたのである。 それは、憲法であり、日米安全保障条約であり、国連である。
まず日本国憲法は国連占領軍最高司令官マッカーサーが、米国の植民地であるフィリッピンの憲法をそのまま持ってきて我が国の国会議員を脅迫して採用させたものである。マッカーサーの父親がアメリカの植民地であるフィリピンの総督をしていたときのコピーを持っていたのである。植民地と独立国の違いは何かといえば軍隊を持つか否かである。国際法上は国家に主権があるとされているが、それは紙の上のことにすぎない。主権が実体を持つには軍隊を持つかどうかが判定基準である。軍隊を持たない憲法は憲法であり得ず、軍隊を持たない憲法を持つ我が国は、植民地なのである。
さらに日米安全保障条約によって我が国の領土に51カ所も米軍が駐留し、そこは我が国の裁判権が及ばない治外法権区域なのである。逆に言えば、そこは米国の施政下にあるのである。したがって、米軍基地に外国人である米国人がパスポートも無しに飛来し、パスポートも見せないでイラクに向かうのである。我が国の事前の同意も無しに出発するのである。一歩譲って我が国が独立国であるとするならば、このような振る舞いを許す国家は、国連の「侵略」の定義に照らせば侵略された国家というものである。 我が国には教育に熱心な人も多いが、根本的な問題から目をそらしては成らないだろう。「自主独立」のない国家に自主独立を元にした人格が育つのだろうかと問いたいのである。もしも健康な身体に健康な精神が宿るというのが真実なら、独立のない国家に不健康な精神が宿ることになるのは当然の結果であろう。
最後に国連である。我が国では連合国(United Nations)を国連(United Nations)と呼ぶものが多い。しかし、日本語ではなく、元の英語で表せば、その実態がよくわかるのである。 誰の入れ智恵かは知らないが、国際連盟をもじって国際連合と名前を付けたが、それは日本人にだけ通用する。原文を読めば、やはり日本国を敵国と規定しているのである。 国連憲章53条第2項には日本を敵国と規定している。国連憲章作成時にドイツ、イタリアはすでに降伏していたのであるから、国連憲章53条第2項に規定する「本条1項で用いる敵国という語は、第二次世界大戦中にこの憲章のいずれかの署名国の敵国であった国に適用される」の「敵国」とは日本のみと解釈されるのであり、その他の国は含まないのである。したがって国連加盟国は53条1項により、敵国日本に対する軍事攻撃については、国連安全保障理事会の承認を要しないのである。
さらに国連憲章107条 〔敵国に関する行動〕において「この憲章のいかなる規定も、第二次世界大戦中にこの憲章の署名国の敵であった国に関する行動でその行動について責任を有する政府がこの戦争の結果としてとり又は許可したものを無効にし、又は排除するものではない。」と規定することによって、国連が戦争によって得た日本に対する利益を保証しているのである。
このような国連憲章を「確立された国際法規」として、日本国憲法の最高法規の章である第10章、第98条2項「日本国が締結した条約及び確立された国際法規は、これを誠実に遵守することを必要とする」に位置づけることによって、国連憲章、日米安全保障条約、日本国憲法という鉄の三角形を構築しているのである。
あっぱれと言うほかない。この野蛮人達の精神がよくわかるではないか。日本人の武士道は野蛮人に通用するのだろうか。日本軍は敗軍の将にも礼を欠かさなかったが、野蛮人は戦闘終了後、東京においてリンチを行い、我が国の指導者を抹殺し、遺骨も粉末にして所在をわからなくしてしまった。そしてリンチによって殺す日を平成天皇の誕生日としたのである。 私は今上陛下のお誕生日には、このリンチ事件によって非業の死を遂げた英雄の魂に感謝の念を捧げるのである。A級リンチ被害者の他にB級リンチ被害者にもC級リンチ被害者の魂にも感謝の念を捧げるのである。
国連占領軍最高司令官マッカーサーは、野蛮人である。バーバリアンである。意識を対象物に投影するのが人間とするなら、彼は14歳の子供である。日本文明の奥深い精神に感化されていれば、もう少し文明人の素養が身に付いたであろうと思うが残念である。 これから、日本文明を米国指導者や世界の指導者に普及させ世界から野蛮人を駆逐して行かねばならないと切に思う。そのためには、日本人も少しばかり野蛮人となって世界を指導して行かねばならないだろう。 なおリンチとは私刑のことである。裁判とは裁判官に勝者、敗者ともになってはならない制度である。東京裁判と呼ぶものがいるが、それは裁判の意味を知らない無知をさらす者である。
以上でおおむね悟りを開くことがでたのではないかと思うが、次の世界をどのような姿に変えていくか、その理想像と、そこにたどり着く方法とをまだ示し得ていない。すなわち輪廻から脱出するには、まず現状の認識が先であるとはいえ、その方法をいくつか示さなければなるまい。 そこでどのような世界がすばらしいのだろうかと考えてみた。 簡単に言えば、日本文明を世界に輸出すれば、それで良いというのが結論だが、少しばかり野蛮人にもわかるような工夫が必要だと思う。 ここで野蛮人という言葉を多用しているが、それは私が野蛮人であると自認しているからである。野蛮人の私には野蛮人のことがよくわかると思うのである。
二、どのような世界を創るのか。
私は庶民でありお金持ちでも政府高官でも大学教授でもないことを告白しておこうと思う。なぜなら、このような文章を書く者は往々にして安楽な生活をして弱者の味方であるというポーズを取りたがるからである。思いつくままに、述べていこう。まず努力が報われない社会が良いと思う。これは私にとってはうってつけである。 買い物をすることは善行であるという社会もすばらしい。宗教戦争のない社会が望ましい。人種差別のない社会もすばらしい。女性を差別しない国がいい。失敗しても立ち直れる機会のある社会が好ましい。開放的な社会が良い。責任と権限と報酬が釣り合う社会が好ましい。
@ 努力が報われない社会が良い。
努力は報われない方がよいというと奇異に聞こえるだろうが、努力が報われる社会は息苦しくて仕方がない。そんな社会になれば大企業が尊敬され中小企業は邪魔者扱いになる。営利を目的として企業を経営する者の中で大企業となれば報酬も巨額になるうえに、努力した者として称えられることになる。それに対して、私のような弱小零細企業は、報酬が少ない上に怠け者の烙印を押されて一生を終えることになる。 これは、どの業種、どの社会、どの学校でもそうなるのだから、1等賞を取れなかった残りはすべて怠け者となる。そんな社会は息苦しくて適わない。 やはり努力することと報酬とは切り離す方がよい。すなわち努力するそのこと自身が善とするのである。つまり倫理の世界でのことにするのである。さらに努力は努力であっても人類を絶滅させるために日夜努力する者は悪と判定しなければならない。 倫理の世界は善悪の判定を決める世界である。善悪の判定基準として、人類が繁栄する方向での努力を善であると評価すればそれで足り、報酬は入らなくて良いと思う。 そして、それを実践する方法を道徳として教えれば良かろうと思う。こうして、結局の所、人類のために努力する者は善行を行う者であるという社会が良いと思う。
A 買い物をすることは善行であるとする社会がよい。
これも倫理の領域に移してはどうかと思う。 なぜなら今日のデフレは、1860年代や1920年代に起きたものと同じである。 それは人類の智恵が伝承されない昔に起きたこと故、国家の指導者ばかりか、大会社の社長も誤認するのである。 それはどういうことかと言えば、通常の社会では、いつも生産が間に合わない経済状態にある。そして、多くの国民は生産が間に合わないため毎年のインフレ(物の価値が貨幣の価値より上昇する)経済のなかで生涯を終える。
従って今日のように生産能力が過大な社会での経済政策が思いつかないのである。これは政府の指導者ばかりを責められないのであって、国民が自覚しない限り民主社会では解決策を採用実施できないのである。
バブルの頃を思い出すが、あのころ銀行はお金が余って仕方がなかった。中小企業にもお金を借りてくれと日参したくらいだが、企業経営者は土地や株に手を出さず、ほとんどは設備投資に回したのである。そのため生産能力が過剰になってしまったのである。 このようなときこそ政府が率先して国債を発行してだぶついたお金を回収し、100兆円規模の補正予算を組み、公共事業や国内の空港整備などインフラに投資しておけば生産能力に見合った需要が生まれ、毎年10%ずつ成長していたのである。 ところが政府はそれをしなかったのである。企業経営者の政府を見る目が間違ったのである。おおむね政府は間違った経済政策を実施するという判断が正しかったのである。したがって、現在好調な企業は、そのころ設備投資を行わず、その時期に拡大しなかった企業なのである。
1920年代に40歳くらいでないと、高橋是清が行ったデフレ脱出策が理解できなかっただろうと思う。人間はなかなか成長しない。2000年には120歳になっているであろう元気な老人なら、これを即座に認識して同じ経済政策を実施するから解決できただろう。
これらを考えると、あと80年後には同様のことが起こり、歴史で知る平成大恐慌も政策担当者に理解してもらえないことが予想できる。 それらの根本問題を考えているとやはり生産は善であるといいう考え方のほかに別途、消費は善であるという倫理が必要ではないかと思ったのである。
私は毎月1回開かれる「正道塾」という佐々木正博士を塾長とする会合に出席し、理事長である佐野博持氏の博学に鍛えられているのだが、佐々木博士の唱道する哲学は「共創の哲学」である。これはもともと技術者である佐々木博士の独創より共創でなければならないという発想から生まれた哲学である。 その哲学は、いずれ私は各方面で応用するつもりであるが、もともと生産から生まれた思想である。
しかし今日のように生産能力に対して政府が需要の縮小政策を採用する事態を見るにつけ、消費にも共創の哲学を取り入れなければならないと思うのである。
すなわち人類のためになる生産は善である。これには異存はないが、人類のためになる生産を応援する買い物も善である。道徳的に善であると普及させたい。 それでなければ、デフレ・ギャップが大きくなる。すなわち生産能力に対して需要が少ないままで放置されてしまって、人類にとって有用な生産物やサービスが生産されないことになるからである。
間接金融も直接金融もさらには買い主も善を行う社会が望ましいと思う。 人類にとって有用な生産・サービスを生み出す企業体をいち早く見つけ、銀行なら融資を行い、証券会社なら株券と交換に金融を与える。そのことが金融機関の使命であり、株式市場で右の者が左の者に金を渡すだけなら、それ自体には価値がないと思うのである。 なぜなら、そこには昨日と同じ地球があり、明日も同じ地球があるだけだからである。 そこで次の時代、すなわち日本国が世界を主導する時代には、日本(Nipponn)と米国(United States of America)が共同で国連(UN)を創り、共創の哲学を採用して、世界中で生産と消費が盛んに行われるよう共創の哲学を提唱したい。
B宗教戦争を行わない社会がよい。
宗教戦争を経験した人類は悲惨であるが我が国では、おおむね宗教と宗教との戦争は生じていない。神道も仏教も共存している。我が国の智恵が世界の宗教戦争を防ぐことになるだろう。これについては宗教界の指導者の活躍を期待したい。
C人種差別の少ない社会がすてきだ。
世界で最も人種差別の少ない国は日本国である。そういうと驚く人もいるだろう。 米国が一番だと思いこんでいる人もいるが、実は米国ではハーフとクオーターと1/16と1/32は区別されるのである。 ガラスの壁があるのである。上層階級に入れないのである。 その点で日本国は全く人種差別が存在しない。 日本人は混血であることを自覚しないくらいに完璧に混血を繰り返す。その結果、ロシア系とわかる骨格を持つ者も蒙古系も南方系もすべてが等しく、我々日本人と考えているのである。 朝鮮系の日本人もやがて同化し混血となって、我々日本人と言うことになるだろう。日本人は人種の区別さえできないのだから差別が生まれるわけがないのである。
D女性差別のない国がいい。
日本女性は世界一の理想女性である。大和撫子を娶った男性は世界一の幸福者である。そのように言われて久しいが、それには訳がある。日本男性が世界一すばらしいからである。 大和心をもつ男が世界一の評価を受けるのもまもなくのことになるだろう。この男達はいったん危難に遭遇すれば大和魂を発揮して勇気凛々、向かうところ敵なしの活躍をはじめる優しい武士なのである。
これほど褒めると眉唾と思う人もいるだろうし自惚れもいい加減にしたまえと忠告してくれる人さえ出てくるかもしれない。 日本女性を世界の男性が称えるのは多くの誤解から生まれていると思う。たおやかで優しく、良く気が付いて男を立ててくれるうえに、一心同体と心得、外敵には共同で防衛してくれる。などなど他にもいろいろある。 しかし、その女性を育てたのは、その社会であり、直接的には両親である。つまり半分は男性が育てているのである。
このような女性を育てるには、まず男女が同等であるという刷り込みが幼い頃に必要である。日本では女性も男性も同等であると育てるが、米国では女性は何をしでかすかわからない存在として刷り込みを行い、中国では女性は男性の種を育てる畑に過ぎないと刷り込みをする。その結果、プロテスタントの多い米国では、主婦にお金を渡さない。そのため主婦は冷蔵庫や洗濯機を買いに行けばセールス担当が寄ってこない。主婦が洗濯機を単独で買えるお金を持たされていないことを知っているからである。常識というものである。 一方中国では、女性は単に生殖のための機具にすぎないため祖先の墓を守ることを許されないし、家長となることもできないのである。そのため夫婦といっても、いつ敵になるかわからないから、強くて疑り深い女性が出現するのである。同様に男性も妻はいつ敵に寝返るやも知れないから寝物語であっても秘密を打ち明けるわけにはまいらないのである。
日本女性が世界一ならそれを許している男性の太っ腹も称賛に値する。給料全額を妻に渡す男性がこの世に存在すると米国の女性が知ったら、いっせいに求婚してくるだろう。 そればかりか、子供の将来の進路選択も妻の意見が通るとか家を買うのも妻の判断であると言うことになると、世界がひっくり返ると思うだろう。 日本人の多くは知らないようだが、世界は野蛮で未開なのである。
以上で終わることにする。あまりにも細かく散漫になるからである。今のところ気が付くところだけを述べて終わりたい。
三、理想にたどり着く方法
私は夢をよく見る。というより夜中に何かしらの思案の種が発火して夜明けまで頭が回転して眠れないことが多い。 夢について考える。佐々木博士は夢がすべての始まりであると著書に書かれている。 私は、日本を良くしたいと走り回るうちに、夢を描くようになった。それはだんだんと大きくなって世界に及び宇宙に及び、やがて宇宙の外にも及ぶようになった。
私は何者なのか。どこから来て、どこへ去るのか。夢はそれを知らせてくれるようだ。 睡眠中に見る夢と理想を語る夢がある。そのどちらも根元的な覚醒をもたらしてくれるように思う。
佐々木博士の意見によれば、人間が相手の意見を真剣に聞いているとき脳波はアルファー波となっているとのことである。社長が役員会で重要な話をしているときは、脳波がアルファー波となっており、それを聞く方も真剣に聞くためには波長を同調させアルファー波にならなければ聞こえないとのことである。ファックスがピーピョロピョロと相手の周波数に同調しないと信号を受信できないのと同様である。 そして座禅でも同様になるとのことであり、周波数が少なくなるに従ってさらに、頭が良くなるようだ。私は毎回、司会者を務めており、この話は聞き間違いかもしれないのであらかじめお断りしておきたい。このような話を寝床で考えていると、もしかすると死に近づくほど頭が冴えるなら、死んだ後の方がずっと利口になるのではないかと思いついた。 馬鹿は死ななきゃ治らない、ということわざは、馬鹿は治らないというところに重点をおいているが、馬鹿は死ねば治るかもしれないとの仮説を得たとき、死ぬことがとても愉快な気がしてきた。
同時に、この肉体の内部に存在する魂は肉体をでたときには戻るべき場所を心得ていて、そこに向かうのだろうと納得がいった。魂が存在するなら、それは非常に小さな物体かあるいはエネルギーだろうと思う。それは記憶力と判断力を持つから、ナノメートル(10億分の1)よりも更に小さい、最近発見されたクオークを半導体メモリーにしたようなものではないかと思う。 魂は海に帰るという説もあっておもしろい。私が死んだときは、宇宙の彼方に飛んでいくのか海に入って水滴の一部となるのか検証したいと思う。
佐々木博士の話は、寝床に入って何気なく思い出すとそれが起爆剤となって朝方まで眠らせてくれないものが多い。 このような仮説を得てから、私の魂は、人類の未来を創り出すべく宇宙の外から神様に志願して地球にやってきて、一歳くらいの赤子の体内に入ったのではないかと想像している。神様をゴッドと呼んでもいいが、どうも絶対者というのは相応しくない。あめのみなかぬしのみこと、というところだろう。 というのは絶対者ならビッグバンを引き起こして、宇宙を創造しなくても良いし、長い時間をかけて宇宙を創らなくても、即席でできるからである。 神様は宇宙を創って、祭りで売っている金魚を水と一緒に入れたビニール袋のように宇宙の外から、眺めているような気がする。私のつくった宇宙は暗すぎる。地球に行って、人間の体内に入って、物を生産し、金星や土星も緑にしてほしい。 宇宙全体がきらめくような美しい姿に変えたいのでよろしく、といわれて志願したのが私の魂ではないのか。そんなことを死んだ後には明確に思い出すのではないかと思うが、睡眠は、そのようなことを思い出す時間ではないかとも思う。 青年期までは肉体の爆発的膨張にあまりにも小さな魂では操縦が困難であるが、多くの睡眠が、魂の使命を思い出させるのではないだろうか。
ながながと余談を続けてきたが、私は商売人である。実際家である。それ故、日本国を独立に導き、精神の呪縛を解き放ち、人類を幸福に繁栄させるための方法を述べてゆきたい。
@経済力を使って独立を達成する
国連が我が国を攻撃し、敗退させ、占領後にデマを流した費用はいくらだったのだろう。イラク戦費については米国議会が約9兆円の戦時予算を成立させたので、その額がわかる。その他、我が国が拠出する費用やその他の国が拠出する費用を合計すると10兆円くらいだろうと思う。 それだけの費用でイラク戦争を闘い、かつ政体を変更しうるのである。
まさか大東亜戦争に使った費用はそんな少額ではないだろうが、我が国を改造するのに使った費用を使用すれば、我が国を独立させることができると思うのである。
その独立のための費用は、我が国の需要を増加させれば、そこから生まれるのである。それには多くの方法があるが、一つは政府貨幣発行を財源とする方法、2つ目に国債発行を財源とする方法、3つ目に地域通貨を発行して、政府がやらないのであれば地方で通貨を発行する方法、4つ目に現在、政府が苦し紛れに採用している外国為替特別会計を使う方法がある。1番目の政府貨幣発行を財源とする方法は、「日本の時代を準備せよ」と題して詳しく述べたので再説しない。2つ目の国債を50兆円発行して日銀に直接引き受けさせる方法もしくは国債発行と同額を日銀が買いオペレーションする方法も前に詳しく述べたので、ここではまず、4番目の方法を少し述べて3番目の方法を後で詳しく述べたい。
A現在、政府が苦し紛れに採用している外国為替特別会計を使う方法
政府はドル安円高を阻止するために外国為替特別会計の予算を来年度は40兆円増加させるようである。今年度の補正予算と合わせて介入資金枠を61兆円増加させるとのことである。 一般会計が47兆円程度なのに、国会の眼が届きにくい外国為替特別会計に61兆円をつぎ込むのである。そして表向きには為替介入資金は政府短期証券を市中で金融機関などに販売して、そこで得られた金をドルの購入資金に充てるとのことである。
ところが内需拡大政策を小泉政権は採用しないで貿易黒字を増加させようという政策を採用している。 そのため企業は、輸出することによって受け取ったドルで大量に円を買って従業員の給料などに当てなければならなくなる。そのため、内需拡大を怠った政府は、為替レートで調節されるように変動為替相場制度はできている。つまり、このような政策なら必ず円高になるのである。それを阻止するために介入資金が必要になるのである。
それが、足りなくなったのである。そこで来年度は61兆円を準備するのである。 その金は正式には政府短期証券を市中で販売して準備するということだが、おそらくそれは無理だろう。従って、おそらく政府短期証券を直ちに日銀に持ち込んで円と交換することになるだろう。これは、国債の日銀直接引き受けと同じである。財政法によれば国会の決議を要することになる。
ただしこっそりやれば、誰もわからない。専門業者を除いてである。 外国証券会社は、ドルを売って円を保有すれば、使えるところは日本市場しかないために、東京証券取引所の優良企業を安く買いたたいてその所有権を手に入れることになる。 こうして、3年もすれば、ほとんどの日本企業の所有権は外国資本が買い取ってめでたく世界は治まる。日本政府もめでたく日本の企業を売り渡す資金を外国人に渡して、実におめでたい政府である。
売国奴という言葉は国益を売り渡して利益を得る人のことをいうが、お金を贈与して国益を売り渡すのは贈国奴というのだろうか。まことに憂うべき事態である。
最も良い方法は、政府貨幣発行権を日銀に売り渡して国民に50万円ずつ振り込む方法である。これなら市場メカニズムに従って最もバランス良く経済が拡大する。次によいのは国債を発行しての公共事業である。その次によいのは国債を発行しての大減税である。外国為替市場で介入する資金を日銀に出させる方法は下の下である。
しかし政府がこのまま企業をつぶし、日本人の財産である企業をつぶすのよりもましである。 たとえ株主が外国人であっても、少なくともその頭脳と労働力は日本人のものだからである。いつしか挽回できるチャンスがつかめるだろう。
とはいうものの、その挽回は容易ではない。 ここで頭のいい人なら憂鬱な気分になるところだが、私の気分は爽快である。明治の国難を思い起こせばなんと言うことはない。あのときは危なかった。徳川幕府と小泉幕府とはほぼ同じだ。優れた人はほとんどいない。 それでも、日本は外国の植民地と成らなかったのである。明治の先達の勇気と度胸と陰謀を見習わなければならない。
B地域通貨を発行する方法(収入証紙を応用した藩札発行)
現在の状況は実に幕末に類似している。したがって範を幕末の越前藩に求めるのも道理に適っていると思われる。幕末の越前福井藩には、三岡石五郎、のち八郎、明治に由利公正と改称、がいた。 三岡八郎は、越前藩の財政赤字を瞬く間に解消して、越前藩の蔵の床が抜けるほどの金貨を稼いだ実務家である。この男のやり方を応用して、地元の経済だけでも助けたいと思うのである。
三岡八郎はどのようにして財政赤字を解消したのか。それは藩札を50万両分を発行して、それを資本に輸出奨励品を庶民に生産させ、長崎から輸出して外貨を稼ぎ、それを小判に換えたのである。 幕末には藩札を発行していたのであるから、現在であれば地方自治体がそれを発行すればよいのである。 しかしながら、地方自治体通貨発行法などといいう法律が成立する見込みはないし、そのような時間は残されていない。 そこで収入証紙を応用した地域通貨発行を考えている。
地域通貨を発行する場合に障害となる法律は、「紙幣類似証券取締法」である。地域興しを目的とした民間が発行主体となる地域通貨は、この法律に行く手を阻まれてほとんどが失敗している。 つまり、通貨とはどこでも誰でも何にでも、支払いないし決済の手段として利用できる物のことであり、それに該当すれば、主務大臣はその発行及び流通を禁止することができると規定しているからである。
しかしながら収入証紙は地方自治法第231条の2により普通地方公共団体は、使用料または手数料の徴収については、条令の定めるところにより、証紙による収入の方法によることができる。と規定している。
さらに私の地元、神戸市収入証紙条令第2条によれば、収入証紙の種類は1万円、5千円、千円、500円、100円、60円、50円、40円、10円及び5円とすると規定している。 そして神戸市収入証紙条令施行規則で売り捌き人の規定とデザインが定められている。 この規則は市長の一存で変えることができるのであるから、ほとんど現行法上の根拠条文に基づいて地域通貨が発行できるのである。
神戸市の財政はすでに破綻しているが、震災の被害があったために、お目こぼしに預かっているのであり、大阪府の財政もすでに実質上破綻している。つまり民間でいう会社更生法にあたる「準用再建団体」に実質的には転落しているのである。 実際には帳簿の操作で転落を免れているが、これを救済する方法は誰にもわからないのである。
そこで私が救済に駆けつけようと言うのである。 大阪府の財政は毎年6000億円不足しているが、毎年2兆円の収入証紙を発行し、その3割を大阪府に与え、3割を民間に与えれば良いのである。
つまり私が経済再生機構という組織をつくり、大阪府の収入証紙の売り捌き人の指定をもらうのである。ただし通常の証紙は大阪府が売ってやるという立場であるが、今回は、私が売ってやる立場だから券面額の30%で証紙を仕入れて、私が企業に券面額の70%で販売するのである。そして企業はお客さんに券面額の90%で販売するのである。
例えば1000万円分の証紙を300万円で私が仕入れて近鉄デパートに700万円で販売すると、デパートは900万円でお客さんに販売するのである。こうすると、庶民は所得が10%増加するのであり、企業は収入が20%増加して大阪府は30%の利益を得ることができるのである。私は40%の利益を常に所持して、緊急事態に備えるのである。
こうして大阪府が毎年10兆円くらい発行すれば、毎年3兆円の収入増加が得られるので、4年くらいで赤字を解消して財政黒字で蔵の底が抜けることになるのである。 もちろん発行額は参加企業の数に合わせなければならないため、最初から10兆円の発行は無理だが、急速に普及するだろう。なぜならデパートの1社が参加するとそのデパートは、ほとんどのお客を集めることになるからである。10%引きの値段になるからである。こうして10兆円の収入証紙は庶民を豊かにし、企業の収益を増加させ地方自治体の財政黒字が巨額になることになって、増税を停止させうるのである。「民富めば国富む」という横井小楠の民富論的財政論が正解なのである。
C憲法を改正する。
こうして地方自治体の財政破綻を救い、日本国の真の財産である生産能力をフルに引き出すことがうまくいけば、さらに和歌山県、兵庫県、京都府、奈良県とすべての地方自治体を救うのである。 そうして、これらの知事を集めて関西州をつくるのである。 さらにすすんで、天皇陛下に京都御所に来て頂いて、この関西州が日本の正統、唯一の政府であると宣言して日本国憲法を発布するのである。そして教育基本法を改めるのである。 すべての腐敗臭は現在の日本国憲法から発しているのだから、この憲法を取り替えればよいのである。そのほか日米安全保障条約も双務的内容に改変するのである。その方法は、前回「日本の時代を準備せよ」と題して詳説したので繰り返さない。
各地の地方自治体に財政援助と引き替えに日本国の正統政府と認めると言わしめるのである。これからは税金を巡る争いが各地で広がるだろうが、関西州では所得税を免除するのである。
すなわち州民から所得税を納める代理権を与えてもらって、日本国政府に支払わなければよいのである。こうして、日本の中に2つの政府が存在して、そのどちらかを庶民が選ぶのである。 鳥羽伏見あたりから進撃した事例に学び、まず京都府を仲間に引き込むのである。そうして全国の自治体の支持を取り付けて、新政府を樹立するのである。
そして財政援助と庶民の所得税をゼロにしていくのである。我が国の生産能力は巨大であるため、我が国政府は10年間無税でも運営できるのである。最近では運営費が42兆円でもやっていけているのである。
四、不安の元を解消していく。
悟りを開いて輪廻から脱出するには迷いや不安があっては成就できないのである。日本人の根元的な不安として地震、津波、食料、エネルギー、地政学的危険性、少子化、年金支給などがある。少子化と年金支給の不安は、経済成長によって解消されるから心配はないので、残りの不安を解消すればよい。
@地震と津波対策
地震と津波対策として緊急に資金を用意しなければならない。財源は関西州が発行する収入証紙である。収入証紙の片隅に大阪府、和歌山県、兵庫県と併記していけばよいのである。貨幣は生産能力と同額発行できるのだから、大阪府の総生産が40兆円、兵庫県が18兆円、和歌山県が3兆円だから、約60兆円の総生産がある。この稼働率が60%だとすると60×100/60=100兆円の生産能力があると推測できる。
従って100兆円発行できるが、貨幣の回転速度は1年間で10回転くらいだから、実際に印刷するのは、10分の1ですむだろう。10兆円くらいだろう。 このようにして獲得した貨幣を使用して東南海地震の対策を実施したい。その際には、 民家の地下に1月ぐらい滞在できるシェルターを設置すればいいと思う。普及品を製作して、それを設置する工事は地元の業者に任せて景気対策にも応用するのである。
地震や津波が高い確率で発生することがわかりながら対策を施さないことは、人間の英知を疑わせるに足る事態である。津波が起こった時は高台に逃げるのではなく、地下のシェルターに逃げた方がよいと思う。足腰の弱っている者が高台に逃げるのは至難の業であるし、夜中なら道がわからないだろう。 民家の地下にも学校にも地震と津波と核攻撃に耐えうるシェルターを設置した方がよい。 費用は、毎年10兆円なら用意できると思う。規格品を大量に製作すれば安価に製作できるだろう。
A食料対策
食料対策は、これは農地でなく食料を製造する工場をつくると考えると良い。土地の上でつくろうとするから限度があるのである。バイオテクノロジーが活躍するだろう。 水もためると良い。日本は新鮮な水がタダで天から降ってくる。林秀彦氏の言によれば、日本は神様から依怙贔屓されている国なのである。
Bエネルギー対策
エネルギー対策は、これは細かなエネルギーもすべて活用すればよい。水資源を活用してダムを多く創り、地下にも水溜と水溜の落差を利用してダムを造ればよい。そのほか、波を利用した発電から風力発電、原子力発電、核融合施設、ソーラー発電、などなど、いくらでも方法はある。石油に依存していると、いつまでも不安の種を抱え込まなくては成らない。我が国はエネルギー資源が豊富なのである。それは人間の研究心のことである。こうしてエネルギーの自給率を上げていけばよい。
C地政学的な不安の解消
我が国は朝鮮半島に敵性国家が大きな軍隊を配置したときは、死ぬか闘うかの決断を迫られる。また樺太に配置されたときも同様である。 これを解消するためには、日本の太平洋側に、現在の日本と同じ面積の群島を創るのがよい。日本は領海を入れれば世界で第7位の領土を持つ国家である。 そこで九州の沖から、北海道の沖合までメガフロートで人工大陸を創ればよい。その技術はすでに完成している。はじめは、東京湾空港からはじめていけばよい。これは4兆円でできる。このような飛行場を次々と作り続けて、さらに大きくさらに安定させて、外洋にも設置できるような工夫をするのである。
朝日が地平線から昇って夕日も地平線に沈むような人工大陸をどんどん創っていくのである。世界は今もなお野蛮人が多い。中国人やアメリカ人は特にそうだが、大きな物でないと尊敬できないのである。日本人なら貧しい人格者を尊敬できるし、大寺院を持たない坊さんを偉いと認識できるが、野蛮な人達は、これができないのである。
我々は世界を日本文明の恩恵に浴させる前に、大きな物を創って野蛮人をまず、引きつけ、初等教育を施した後、さらに中等教育に導き、やがて大きな物でなくとも尊敬でき、お金持ちでなくても偉人がいることを教えなければ成らないのである。
こうして我が国は海の時代を切り開き、海底希少金属やメタンハイドレートを採掘して、世界中の羨望を集めるのである。そうなれば国際公用語は必ず日本語となるのである。 なぜなら国際公用語はポケットにお金が多く入っている者の言語となること、それが定理なのである。こうして日本語を学習すれば、日本文明の恩恵に浴することが可能になるのである。
D軍備の充実
さらに、軍備も充実させなければ野蛮人を撃退できないのである。 世界は未だに野蛮人が充満しているのである。アメリカインディアンのように紳士であっては、その結末は悲惨である。マヤ文明も悲惨な結末を迎えたのである。 日本文明は、あまりにも進みすぎて洗練されすぎている。これを少しばかり退歩させて、軍備を整えておかないと、マヤ文明と同じ結末を迎えるであろう。 こうして日本が軍事経済大国となれば、世界が平和で満たされるのである。 軍事大国が国際法を作る権利を有するのである。日本が創る法律なら皆がしたがうことになるだろう。 なぜなら日本文明は武士の文明を含むのであり、戦いをやめることのできる文明なのである。
五、日本文明を普及させること
中国文明は野蛮である。あと500年は出番がないだろう。なぜなら言葉を持たない文明だからである。漢字は彼らの言葉を写す文字ではない。漢字は彼らにとっても外国の文字なのである。しかも文法がないのである。表意文字だがそれは写真を何枚か並べて、その意味を推測することに似ている。 その推測の方法として四書五経の基礎が必要なのである。
文字を持たない文明なのであるから、契約は不可能なのである。昔、漢文を習ったことを思い出す。その意味の解釈には、おおむね3説あるのである。1つの文章で解釈が3つに分かれた場合、文章が100ある時には、3の100乗の解釈が生まれるのである。 そのような人達と契約を結ぶことは、不可能である。
キリスト教文明も回教文明も、世界を幸福にすることはできないだろう。それは歴史が証明している。米国の歴史はどん欲の連続である。はじめアメリカ大陸に入植した貧民は、少数民族であって、地元の多数のインディアンに多くの支援を受けていたが、いろいろの条約、多数の契約をすべて破って、ついに全土を侵略するに至るのである。 ハワイ王国を一夜にして侵略して、さらにフィリピン、そして満州を狙って日本と衝突するに至るのが、彼らの歴史である。どん欲で野蛮な文明がキリスト教文明である。
国土の大きさは、その野蛮などん欲に対する報酬である。ロシアをみよ。中国を見よ。アメリカを見よ。 これら侵略者の犠牲になった者はおおむね洗練された文明を持つ人々であった。我が国は、これらを歴史の教訓として、哀れな文明の仲間入りをしては成らないのである。
世界を平和で安定した、そして繁栄と幸福に満ちた空間とするため、日本文明をくまなく普及させるまでは、断じて滅びては成らないのである。
以上
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