タイトル | : 日本と外国人労働者 |
記事No | : 11 |
投稿日 | : 2004/12/19(Sun) 22:04 |
投稿者 | : 北の狼(おちょくり塾) |
/題:日本と外国人労働者 氏名:北の狼 日:2004/12/03(Fri) 00:58 No.1349
<<波浪規定さん>> >フィリピンの看護師の受け入れを厳しくするのは当然だ。
随分前に、「日本と外国人労働者」について考える際の予備知識として、あるサイトに投稿したものです。ですから、内容はちょっと古いかもしれませんし、また『山椒庵』のほうが相応しいかもしれませんが、ご参考までに。
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【日本と外国人労働者】
日本の高度経済成長が、欧米と比べて特異な点は、外国人労働者を導入することなしにそれを達成したということです。このことは、我々にとっては当然のようにも思えるのですが、では、何故、欧米諸国は高度成長時代、とりわけ1960年代に外国人労働者を導入したのでしょうか?
第一の理由は、欧米(特に西欧)では、追加的な労働力(主として第二次、第三次産業へ移行できる農業労働者)が絶対的に不足していたということがあげられます。多くの西欧諸国では、農業労働者の第二次、第三次産業への移行は、日本よりかなり早い段階で起こっており、また、世界大戦による人口の絶対的減少も大きく、さらには人口の自然増加率の低下も、かなり早い時点で起こっていました。 スイスでは、第二次大戦直後から労働力の逼迫に悩まされており、主としてイタリアからの労働者に依存していました。 ドイツでは、敗戦による一○○○万人を超えるドイツ系住民の東欧諸国からの帰還、さらには東ドイツからの人の流入が追加労働者の一部を満たしましており、従って、本格的に外国人労働者に頼るようになったのは、ベルリンの壁が構築された1961年以降のことです。 戦後、経済の衰退に悩んできたイギリスは、大規模な外国人労働者の導入はなされていません。 対して、日本では農村部を中心に転換可能なかなりの労働力が存在していました。
第二の理由として、西欧諸国では、一般に地域主義的傾向が強いということがあげられます。どういうことかと言うと、例えば、フランスではアルザス、ブルターニュ、プロヴァンスといった地域特有の文化は健在で、今でも、一部に言語の違いがあります。ドイツでは、地方色豊かな地域が存在するのみならず、地域の分権化が徹底しており、連邦化が顕著です。このような地域主義的傾向は出身地への定着指向を強め、国内の労働力移動に対するブレーキの役割を果たし、必然的に追加労働者を外国人に頼らざるをえなくなるわけです。 対して、日本は均質化が進んでおり、例えば、どこを旅行してもよく似た風景・環境に出会うことになります。そして、太平洋ベルト地帯への大量の労働力の移動が、苦もなく行われてきました。
第三の理由として、労働市場の柔軟性(フレクシビリティ)があげられます。 日本のシステムの長所の一つは、企業内での雇用調整や配置転換による労働力のフレクシブルな使用にあります。西欧諸国では、もともとこうした柔軟性に欠けている上、労働組合の組織化によりさらにこの傾向が強まりました。一部の国では「国有化」がこれに拍車をかけています。そして、外国人労働者を導入した後も、この問題は解決されておらず、企業のリストラの足かせとなっています。とりわけ、ザールラント、ロレーヌ、ワロニーなどの重化学工業地帯を中心としてリストラの進展しない地域がいくつも存在しており、一方では(外国人労働者を含めて)労働力過剰に悩んでいますが、他方で、情報化が必要な分野では労働力が不足するという事態が続いています。
視点を日本に移して、何故、日本は高度成長時代に外国人労働者を必要としなかったのか、産業構造という観点から見てみましょう(上でも一部、述べていますが)。ちなみに、「西欧での外国人労働者が果たしている機能を、日本では何(誰)が果たしているか」といったことを表現するのに「機能的等価物」(R.K.マートン:アメリカの社会学者)という表現をもちいることがあります。
日本での外国人労働者の「機能的等価物」として、第一にあげられるのは、戦後の日本をおそった大規模な人の移動です。多数の人が、いわゆる田舎から東京、大阪、名古屋などの大都市圏や、それらを結ぶ太平洋ベルト地帯に移動しましたが、それに匹敵するような長大な、かつ多くの労働人口をかかえた工業地帯は外国にはまず存在しませんでした。そして、東京への一極集中を生み、過疎ー過密問題を生み出しました。これは一面、農村部を中心に第二次、第三次産業へ転換可能な労働力がかなり存在していたともいえますが、他面、農村部の若者が都市へ憧れて流出したということにもなります。先述したように、西欧では言語、文化を異にする多数の地域から成り立っており、地域間の人口移動が抑制される傾向が強いのですが、日本においては、そうした傾向は希薄であり、共通な言語、弱い地域特性が、こうした人口移動を促したともいえます。
第二の「機能的等価物」は、日本の企業内部での合理化やオートメ化です。このようなシステムが「単純労働者」を必要としない環境をつくりだし、他方、生産性の向上をうみ、国際競争力を高める結果となりました。石油危機以降、西欧諸国の産業界では、日本のオートメ化・情報化の進展を目のあたりにして、外国人労働者に依存した産業体質に疑問をもつ見解が強まっています。 人手不足はあらゆる分野で一様に起こるとは限りません。一つの企業内でさえ、売れる製品と売れない製品があります。そこで、日本では、配置転換や労働力の多様化が追及され、こうした企業労働力の柔軟性(これには、組織としての柔軟性と、労働者個人の能力としてのそれがあります)もまた、外国人労働者を必要としなかった要因とみることができます。
第三の「機能的等価物」は、『企業外労働力』への依存です。なんのことかというと、主婦などのパートタイムや学生アルバイトなどの、各種非公式な労働力のことです。現在、日本の外食産業やスーパー・マーケットは、これらの労働力なしには、もはや成り立たないといっていいでしょう。欧米のファースト・フード店では、外国人労働者やエスニック・マイノリティに属する人々がしばしば働いています。 ただ、これと同様な傾向(『企業外労働力』)は欧米でもみられるのですが、しかし、日本の場合、労働組合と比べて経営側の力が強く、または、反抗的な労働組合は比較的少なく、経営者は、労働力の再編という点でフレクシブルな態勢をとりやすかったのです。いくつかの西欧諸国では、労働組合を背後にもった社会民主主義政権が成立し「国有化」政策が進められ、これによって労働市場のフレクシビリティが弱まったのでした。
第四の「機能的等価物」は、日本の労働者の「長時間労働」であり、「残業」です。旧西ドイツやフランスでは、戦後、労働時間の短縮という要求が、労働組合によって熱心に追及され、余暇志向が進みましたが、それを底辺でささえてきたのが外国人労働者でした。日本の労働過重が、外国人労働者の受け入れを抑制してきたともいえます。 また、日本では高齢者(六○才以上)の高い労働化率によって、比較的多くの低賃金労働力の獲得が可能になったという点も重要です。西欧では、むしろ定年退職年齢の繰り下げが要求され、退職後は、引退して静かな生活を送るというライフスタイルが一般的です。
以上が、外国人労働者の日本における「機能的等価物」ですが、これにいくつか歴史的偶然が加わります。
第一の偶然は石油危機です。これにより、先進国は一挙に経済不況に陥りましたが、これが西欧諸国の外国人労働者の受け入れ停止をもたらし、日本でも外国人労働者を必要とするような事態の到来を遠ざけたのでした。これには二重の意味があります。一つは勿論、不況で、もう一つは、これを契機として企業の省力化、合理化が進んだことです。 第二は円高です。これは、製造業を中心とした日本企業の海外進出を促し、国内における労働力の逼迫を緩和させたともいえます。しかし、他方、円高は外国人労働者、特に、単純作業やサービス・接待業で、しかも不法就労労働者を呼び寄せる原因にもなっているのですが。
以上のように、過去における労働力不足への対応という点での違いが、西欧諸国と日本の産業構造や労働システムを相当に異質なものにしてきたといえます。こうした特質は容易に解消するとも思えなませんが、こうした「機能的等価物」がカバーしてきた労働力を上回る労働力不足が起これば、または、除々に日本的特殊性の「メリット」が失われれば、外国人労働者の流入は止められないということになるかもしれません。
しかし、以下のことを忘れてはいけません。
”我々は労働力を必要とした。しかし、実際にやってきたのは人間だったのである” (スイスのある移民研究者の言葉より)
このことに対する覚悟と準備がない限り、(単純)外国人労働者を受け入れるべきではありません。そして、いまの日本にはその覚悟と準備があるとは到底思えません。 つまり、日本は、安易に(単純)外国人労働者を受け入れるべきではないのです。
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