山上はご丁寧にも最高級の馬車を用意していた。
二人の荷物は御者が預かり、馬車の後ろに載せられた。
二人は山上に促され、渋々と馬車に乗り込んだ。
椅子はまるでソファーのような座り心地でとても気持ちが良かった。
しかしそれを感じたのは最初のうちだけで、伊達は非常に居心地が悪くなった。
それもこれも染谷は何も話さないし、雲の上の存在くらいのお偉いさんが目の前に座っているからだった。
蛇に睨まれた蛙とはまさしくこのことであろう。
手に脂汗を握りつつ、伊達は様子をちらちらと伺った。
一向に染谷は話す気配が無く、山上は山上で黙々とパイプを吹かし続けている。
居づらい。
とうとう沈黙に耐えられなくなった伊達は山上に今回の件について尋ねることにした。
「あの・・・山上近衛隊長、本日の自分たちが呼ばれたのはどのような件なんでしょうか。」
伊達は無礼の無いように一言一言気を遣って喋った。
一歩間違えれば、自分たちは首を切られてしまう。
それを受けた山上はパイプを口から外し、紳士らしい微笑みを伊達に向けた。
「別にそこまで堅くなくて構わない。・・・で、今回は天皇直々の命だ。」
天皇直々。
その言葉に今までずっと黙っていた染谷も眉を動かした。
天皇の命令とはつまり日本全体の問題なのだ。
そこに何故、討伐隊でも格の低い自分たちが。
「何故・・・自分らなのでしょうか。」
「本来、第1部隊や第2部隊が出るべきなんだが、あまりにも私たちじゃ目立ち過ぎてな。
君たちは別に弱くて、討伐隊内の階級が低いわけではない。
普通にやっていれば、たぶん第1部隊についたであろう。」
「俺たちを無理矢理討伐隊に入れたやつがよくそんなこと言えるもんだな。」
「染谷さん!」
「まぁ・・・、自分で入ってきた者が誰もが強いわけではないということだ。」
そこまで言うと、再び山上はパイプを吹かし始めた。
本当ならば染谷に一言言いたかったが、無理矢理入れられたのは事実。
伊達は何も言わずに窓の外を眺めた。
既に皇居内に入っているようで、物静かな森がずっと続いている。
時たま聞こえる人の声はたぶん皇族の人だろう。
外の風景をぼんやりと眺めつつ、伊達は自分たちが討伐隊に入れられた理由を考えた。
討伐隊に勅令で入れられる場合、たいてい理由は明かされない。
もし近衛隊長までになれば聞けるが、只の二等兵如きには聞く資格も無いとされる。
只でなくとも命令から逃げ続けている二人は二等兵以下だ。
無論、聞くどころではない。
染谷が言うには染谷が昔、剣術を習っていたからという理由だった。
しかしそれだけで勅令が来るかどうかが悩みどころである。
一体何故・・・。
だんだんと窓から見える光景の速さが遅くなっていく。
どうも着いたらしい。
伊達はそこで思考を止め、隣りの染谷を肘でこづいた。
「着いたようだな。」
染谷は馬車が止まるやいなや扉を開け、さっさと表へ出た。
その後に伊達の必死の譲りで山上が外へ。
そして最後に伊達が外に出た。
表に出ると、そこには表向き洋館風の建物が建っていた。
前から見ると、両側が森で見えない。
が、天皇の家であるからには相当な広さがあるのであろう。
伊達は御者から荷物を受け取り、それを染谷に手渡した。
そのついでに回りからは聞こえないように、そっと耳打ちをした。
「相手は天皇陛下ですから、くれぐれも失礼をしないでくださいね。」
「・・・俺はそう言うのは向いていない。お前が喋ればいい。」
それだけ言うと、染谷はさっさと前に歩いていってしまった。
やはり、と伊達は肩をがっくりと落とした。
染谷は性格上、誰に対しても無愛想で誰に対しても敬語を使わないのだ。
どういう経緯上、そうなってしまったのかはわからないが、どうにもそれは直らないらしい。
何度も直そうと試みてきた伊達が思うのだから、間違いはない。
自分よりも30pほど大きい染谷の背中を見つつ、伊達は後先の不安を考えてしまった。
洋館の中に入ると、そこには和洋折衷の飾り付けをされた広すぎる玄関があった。
これでもかというくらいにしつこくもなく、だからといって質素でもない。
見事に天皇の高潔さを表している、のかもしれない。
二人とも生まれてこのかた天皇に会ったこともなければ、見たこともない。
それを想像しろというのが無理だろう。
伊達は玄関にずらりと並んでいたメイドに見事に揃い、くずれの一つもない挨拶をされた。
そしてメイドの中の一人が二人を正面にあるエレベーターにへと案内した。
エレベーターは細かい見事なまでに細工が施されていた。
一つ一つが蓮の華を描いており、思わず目が奪われてしまう。
伊達も思わずそれをマジマジと眺めてしまった。
「凄い・・・ですね。」
「所詮、国民の税金で建てた家だ。凄くも何ともない。」
「まあまあ。あ、来たみたいですね。乗りましょう。」
伊達は染谷の背中を押しつつ、エレベーターに乗った。
乗るとすぐに扉は閉められ、エレベーターは地下へと向かっていった。
地下にはすぐに着いた。
そのように思えた。
実はもの凄いスピードで降りていたのだ。
その証拠に二人の他に乗っていたメイドの目が多少泳いでいた。
扉の向こうには広く続く畳と絹の薄い布で仕切られた区域があった。
ここからでは見えないが、たぶん布の向こうに天皇がいるのだろう。
伊達と染谷は畳の前で履いていた下駄とブーツを脱いだ。
靴を脱いだところから、天皇の前まではそうとうな距離があった。
一歩歩く度に、伊達の心臓が早まってゆっく。
相手は国の長で自分はただの庶民。
そのうち緊張のあまり倒れてしまうのではないだろうか。
伊達は立ち止まってしまった。
そして自分のふるえ続けている手を見た。
手には山上に出会った時以上に、汗が握られていた。
喉もからからに乾いている。
無礼な態度は許されない。
したら、今度こそ間違えなく首が飛ぶ。
伊達はありもしない唾を飲み込もうとする。
その時、不意に目の前に人影ができた。
勿論、染谷以外の何者でもなく、伊達も少し安堵した表情を浮かべた。
染谷は黙って頷くと伊達の額に右手の人差し指と中指を押しつけた。
何かを呟く。
次に手を離した時には伊達の心はすっかり落ち着いていた。
何を言ったのかは聞こえなかったが、伊達はある種のまじないでは無いかと思った。
おもしろいくらいに心臓は平常になり、喉に唾も戻ってくる。
染谷はその姿を確認すると、何事も無かったように帝のいる元へと向かって行った。
少しバツの悪そうな笑みが勝手に浮かぶ。
染谷さんに天皇と話すのを任された身なのに。
この任を無事に成功しなければ。
それだけがこの時間の伊達の唯一の救いであった。
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