八犬伝特集


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■編外余録

ここでは思いつくまま書いていこうと思います。

八犬伝は駄作か

今から思えば、八犬伝が伝奇ファンタジーの傑作。という宣伝文句に踊らされていたように思います。

壮大なスケールの冒険活劇と期待していたものの、山田風太郎「八犬伝」では最終決戦はダイジェストで省略され、鎌田敏夫「新・里見八犬伝」はオリジナル。馬琴版のラストが一向に描かれていません。

今回の映画「八犬伝」でやっと馬琴版が映像化されましたが、傑作というほどすごいものでもありませんでした。

無理もありません。人類の存亡、地球の命運、銀河の平和、などというSF作品などとは程遠く、天下国家をかけた一大決戦でもなく、ただの地方の内戦を描いただけなのですから。

物語の進め方も、馬琴版は八犬士とまわりの人々との関係を延々と事細かく書いていくだけ。両親が何をしていようが、近所にだれが住んでいようが、お構いなしの現代の虚構の作風とは、あまりにも違いすぎます。

それだけ江戸時代は親子の関係が濃く、近所づきあいも密接だったということでしょう。

また登場人物が多いのも家族の多い江戸時代ならでは。
医療が未熟だったため、子どもが成人する前に、病気で死んでしまうかもしれません。そのため必然的に子だくさんになります。七人、八人兄弟など当たり前です。

その孫を主人公にすれば、当然、叔父、叔母が数多く登場しますから、主人公のまわりの人物を事細かに書いていくと、話は一向に進みません。

映画もラジオもTVもネットもない時代。娯楽は歌舞伎か読本しかなかったからこそ、成立した展開です。
コロナ禍で多くのエンタメが活動を制限され、「鬼滅の刃」のみが一人勝ちしたのと同じ理屈です。
それしか選択肢がなかったのです。

馬琴版がベストセラーになったのは、江戸時代の庶民の生活に根ざし、共感できる部分が多かったからだと思います。
そしてベストセラーゆえに、現在でも読むことが可能なのです。

それに八犬伝を傑作と呼ぶのは八犬伝の研究者であり、その傑作とする拠り所は非常に些末な箇所が多く、ともすればどうでもいい、あるいは考え過ぎ、と思えるような箇所もあります。

前述した「伏」が「人」と「犬」に分けられるという仕掛けも、人によっては「それが何か?」というような些末なことです。物語の大筋に関わることではありません。実際、馬琴版では、この仕掛けに触れていますが、山田風太郎版や鎌田敏夫版ではこのことに触れられていません。

また数多くのファンタジー作品に慣れ親しんだ人には、やはり時代遅れの感が否めないかもしれません。

こういったことは古典的名作とされるものにはよくあることです。ミステリーの世界では古典のトリックが現代の作品に平気で流用されたりしますから、どうしても見劣りしてしまうのは、しかたないことかもしれません。

八犬伝は傑作か

明治以降、科学万能主義、西洋思想の流入によって、八犬伝は過去の作品扱いされ、一部の時代もの好きの間だけでしか評価されなくなります。

また、忙しい明治の人々にとってテンポの遅い八犬伝を読む時間などありません。ファンタジー要素も、でたらめな子供だましの物語だと扱われていたでしょう。

そんな八犬伝が再注目されはじめるのは、高田衛「八犬伝の世界」が出版されてからです。

この考察本では、文章だけでなく挿絵を読み解くということがされています。というのも、江戸時代の挿絵は絵師が勝手に書いたものではなく、作者自ら細かく指定したものが書かれていたからです。

以降、山田風太郎版や鎌田敏夫版が書かれたのは前述のとおり。しかしまだファンタジーという言葉ではなく伝奇ロマンという言葉が一般的でした。おそらく「宇宙戦艦ヤマト」がロマンを連呼していたからでしょう。

それが「ファイルファンタジー」の出現によって、ファンタジーという言葉とそのジャンルに市民権が与えられます。

すると江戸時代に賢者の石のような宝珠、火の魔法のような火遁の術、エクスカリバーのような村雨、モンスターに化け猫を登場させていた作品があったことに、皆が再評価しはじめるのです。

以降「ロード・オブ・ザ・リング」や「ハリーポッター」の頃には、八犬伝のアニメやTVドラマがつくられ、ファンタジーブームの到来時には、必ず八犬伝にスポットがあたるようになっていきます。

八犬伝の実写化

今回の映画「八犬伝」を受けて、馬琴版「八犬伝」を全て実写化してほしいという声もありますが、追加分は、せいぜい30分か1時間でしょう。信乃がだまされるシーンと浜路の恋物語を詳しく描き、あとは新兵衛のエピソードを追加するぐらいで終了です。

というのも、その他の犬士のエピソードが弱すぎて、信乃のエピソードが強すぎるからです。名刀村雨あり、浜路との恋物語あり、荘助、現八との出会いありと省略したくとも出来ません。

新兵衛は映画「八犬伝」では最後登場して、すぐ仲間になりましたが、馬琴版では信乃並みにエピソードが豊富な犬士で、馬琴版を忠実に映画化しようとすると、これまた外せないからです。

他の犬士のエピソードでは大角の化け猫退治が映像化に向いていますが、今時、化け猫でもないでしょう。それに初見の観客が二時間で理解するには、登場人物が多く複雑に絡み合っているので、映画には向かないのです。

また「伏」の文字の仕掛けなど、映像でわざわざ解説するなど無粋です。犬づくしも同様です。文章の中でこそ生きる仕掛けです。

それに江戸時代の作品のため、当時は問題ない描写でも今ではNGになる箇所も出てくるでしょう。そこは映像化したくてもできません。

結果的として映画「八犬伝」にいくつか追加するだけの作品になるということです。

本気で完全実写化するのなら大河ドラマなみの連続ドラマにし、馬琴が作中に散りばめた謎を毎回解説するコーナーでも作らないと、この壮大な作品の面白さを完全には伝えられないと思います。

しかし、そうなると予算が際限なくかさんでしまいますから、化け猫はCGではなく、しょぼい着ぐるみになり、お子様向けのチープな作品になるのは目に見えています。アクションシーンや合戦シーンはナレーションでおしまい。ってことになりかねません。

結局ネットフリックスか、ワーナーか外資の力で映像化するしか道が残っていない。というのが「実の世界」なのです。


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