シン・ゴジラ特集
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■編外余録
ここでは、これまでの観点からではなく、一映画作品として書ききれなかったことを思いつくまま書いてみようと思います。
連想作品。
庵野監督の代表作である「エヴァンゲリオン」は、多くのパクリが存在する作品といわれることがあります。
オマージュ、リスペクトと言い方は色々あるにせよ、本作にも他作品の影響が随所に見受けられます。
「エヴァンゲリオン」と1954年版が一番本作に影響を与えているのは間違いないのですが、巨大生物に命名する際、この際名前なんかどうでもいいという意見のある中、総理の「名前はついていることが大切だ」という台詞に「千と千尋の神隠し」を連想してしまいました。
また、「THE NEXT GENERATION パトレイバー 首都決戦」も意識していたのかもと思ってしまいましたが、これは考えすぎでしょう。
東宝の看板スターと大した特撮シーンもなかった作品と比べるのは酷なことです。
他には、「そろそろ好きにされたらいかがでしょう。」
この台詞に象徴されるように、庵野監督は好きにしたのでしょう。
この後、「ヤシオリ作戦」が展開され、「エヴァンゲリオン」の「ヤシマ作戦」と同じようなカット割とBGMで、庵野版ゴジラが展開されていったように思います。
女性の描き方。
「ガメラ3 邪神<イリス>覚醒」にも女性がでてくるのですが、樋口監督のせいなのか、庵野監督のせいなのかはわかりませんが、良くも悪くも女性が非常に個性的です。
「エヴァンゲリオン」では綾波レイがこれまでの女性キャラにはないキャラとして登場し、人気を博しただけに本作でも新たな女性キャラを創造しようとしたように思います。
成果は五分五分。
尾頭(市川実日子)は人気が出たようですが、パタースン(石原さとみ)はコメディエンヌになってしまいました。
ガメラも、本作も黙っていると非常に綺麗な方を抜擢するのですが、いかんせん芝居が。。。
監督の演出がわざとそうなっているのだとしたら、演じた役者さんが非難されるのは気の毒です。
画面構成。
ウィキペディアによるとスタッフリストに画像設計、イメージボード、画コンテと3つの役職があります。
どこがどう違うのかわかりませんが、ワンカットをどのように写すか、人物、ゴジラ、建物、兵器の配置を絵で表現したものではないかと思われます。
本来アニメ監督である庵野監督らしい映画作りですが、どうやら1954年版の頃から行われていたようで、特撮映画では必要な作業なのかも知れません。
その画面構成を「エヴァンゲリオン」のスタッフが大半手がけています。
そのため「エヴァンゲリオン」に似てくるのも無理ありません。
いくつか特徴的な画面構成を挙げてみますと、まず、エレベーター内を魚眼レンズで映したような画面。
これなどは実相寺監督や押井守監督の影響ではないかと勝手に解釈してしまいます。
「エヴァンゲリオン」では長尺で使われました。
大して仲の良くないアスカとレイが初めて二人きりになったシーンの筈です。
何かを言い出したいアスカと素知らぬ感じのレイを長い沈黙で描きます。
アニメーターの手抜きだという人もいますが、初対面でしかも相手のことがわからず二人きりになれば、最初はこんな感じの筈です。
しかもアスカはドイツ育ちなので、愛想笑いもしません。
実に良く出来たワンシーンだと思ったものです。
次に、背景を全面に出し、画面の片隅に人物を配置する画面。
アニメでは、人物を小さく表現することで口の動きを少なくし、作画の手間を省くことが出来ます。
「エヴァンゲリオン」では随所に出てきます。
小休止のような緊張感のないシーンのように見えますが、会話の内容は実に重要なことを話しています。
実はこの画面構成。本作が庵野、樋口コンビの最初ではありません。
平成ガメラシリーズ
帝都物語シリーズ
ローレライ
など、樋口監督作品のスタッフには必ずといっていいほど庵野監督の名前がクレジットされ、庵野監督作品のスタッフには必ずといっていいほど樋口監督の名前がクレジットされています。
ですから、平成ガメラシリーズも、帝都物語シリーズも、ローレライも必ず「エヴァンゲリオン」で観たような画面構成が出てきます。
お暇な方は探してみてください。
正攻法の作劇。
「エヴァンゲリオン」は敢えて肩透かしを食らわし続けた作品でもあります。
特にテレビシリーズは話が盛り上がって来た所でCMをはさみ、CMあけを期待してみると見事に肩透かしを食らわされて、一気にテンションが下がった状態から物語がまたスタートします。
しかも、敢えて盛り上がるであろう所を描きません。
受け手の想像に委ねたりします。
これは作品内の設定に関しても同じで、受け手の想像に委ねます。
観ている方は肩透かしばかりされるので、欲求不満がたまります。
これが、「エヴァンゲリオン」に賛否両論が巻き起こった原因の一つなのですが、肩透かしが見事に出来るということは、逆に言えば急所を見事につくことができるということでもあります。
もっと早く急所を見事についた作品を作っていれば、すぐに人気監督の仲間入りが出来た筈なのですが、なぜかしたがりません。
理由はわかりません。
今回の肩透かしは「まずは君が落ち着け。」
官僚なので冷静であるべきというリアリティを優先したのでしょう。
あるいは、危機対応時の大原則ということかもしれません。
ある意味新しいヒーロー像とも言えます。
感情に左右されることなく冷静に事態に対応します。
本作は1954年版や過去のゴジラシリーズというお手本が一杯あるので、そのお手本通りに進め、受け手の急所と思われる所を描ききりました。
冒頭30分に注力し、1時間経た頃に一度敗北、残りの1時間はただただ戦闘。
最後に紋切り型の結論を語り、ラストに次回作があるかもしれないという伏線を残して終わります。
正攻法で製作して改めてはっきりしたことがあります。
ゴジラがかっこよく見える作品にはなっていますが、泣いたり、笑ったり、怖くなったり、感情を揺さぶられる作品にはなっていませんでした。
頭でっかちになりすぎて、情報の海でおぼれそうになるきらいがあります。
ラストカットについて。
実は私はラストカットの尻尾のアップに、人型らしいものが映っているように見えませんでした。
ウィキペディアの情報やネットの情報で知ったぐらいです。
色々とラストカットについては憶測が飛んでいるようですが、単なる次回作への伏線でしょう。
次回作が製作されれば、その謎もはっきりします。
次回作が作られないで終わってしまった映画は数限りなくあるので、よくある思わせぶりな演出だと、私は思っています。
一時の特撮ブームとして。
1984年に公開された「ゴジラ」も本作のようにリニューアルしたゴジラとして製作されました。
その時の興奮と本作の興奮は少し似ているような感じもします。
1984年版の頃は、1954年版が伝説的存在で、それ以降は正義の味方。
子供の味方としてゴジラは存在していました。
ところが、1984年版で悪役として復活したゴジラは新鮮でした。
本作も前作から12年以上も経ているので、ゴジラを知らない子供達には新鮮に映ったはずです。
しかも、1954年版に近い骨太なストーリー展開であったことに、子供達が成長して再評価する頃、
再びゴジラは日本に上陸するかもしれません。