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柔らかな綿毛を纏った薄がさらりとした秋風にふわりふうわりと揺れる。 空にはまん丸お月様が柔らかな黄金色の光を湛えながらにっこりと笑っている。 ほんの一週間前はまだまだ熱帯夜を抜けきれず夜ですら蒸し暑かった日々が嘘のように、今ではベランダを渡る風は涼やかで肌寒いほどだ。堂上が思わず剥き出しの腕擦ると、大丈夫ですか、と声がして振り返った。 「中に入ります?」 お盆を持ってきた郁の言葉に軽く肩を竦めてみた。そうすれば、郁は少しだけ笑みを落とした。まるで「困った人」と云わんばかりの笑みだ。 「お前の方こそ寒くはないか」 「大丈夫ですよ。ストールも羽織ってるし」 ほら、と笑って見せて、堂上の隣に腰を下ろす。 「一杯どうぞ」 トン、と小さなガーデンテーブルに置かれたお盆の上の徳利からは、ゆらりと温かな湯気が上がっていた。 羽織るものを持ってきますとベランダから出ていった郁は、それだけではなく堂上の暖も用意していた。 もしかしたら、熱燗を用意するついでにストールを持ってきたのかもしれない。 「最近飲んでないでしょう?いいんですよ?私に気を使わなくたって」 そう言って、郁はお猪口を堂上に渡してトクトクと慣れた手つきでお酌をする。 今でもあまり多くのアルコールを取ることは出来ないが、堂上の晩酌に付き合う形で御猪口一杯をちびちびと一緒に飲むのは郁の日常の楽しみの一つになっていて、酒の美味しさを楽しめるようになっていた。それを知っている堂上はより郁に飲みやすい自分には少し甘い酒を買って、同じ酒を分け合うこともある。 最近ではとんと御無沙汰だが。 「それに、今はなんだかこっちの方が欲しくなってて」 嗜好が変わるってよく聞きますけど、本当みたいですね、と笑いながら手に取るのは湯のみ。中身はたんぽぽ茶。 最近の郁の飲み物は堂上が買い集めたノンカフェインのお茶がメインだ。 「晴れてよかったですね」 空を見上げる郁に「そうだな」と相槌を打ってお猪口を軽く傾ける。空になればとろりと酒が注がれた。 その動作があまりにも手馴れていて、思わず苦い顔をしてしまい、堂上は誤魔化すように一気に飲み干した。 そしてまた、自然に伸びてきた手を、制する。 「いい。余計な気を回さなくて。ゆっくりしろ」 「別に気を回してるつもりはないんですけどね」 「分かってはいるが、俺が居た堪れん」 堂上が苦笑すれば、そういうものですか、と郁が笑う。 ふと下を向いた郁が「ああ」と笑った。 「どうした」 「見てください。ここにも夜空に浮かぶ月が」 褐色の茶の中に黄色い円が浮かんでいる。 ふふと楽しげに笑う郁に満足して堂上も酒を注げば、そこには、真ん丸い月が浮かぶ。 「流石中秋の名月だな」 「そうですね」 一つの湯飲みを覗き合える近さ。 どこからか笛と太鼓の音が聞こる。そういえば秋祭りがあると町内会の手作りのポスターが回覧板に挟まっていた。 神社の周りには出店も出て、神輿も出ているのだろう。カン、コロ、カン、コロと下駄の高い音が神社近くの通りには響いていることだろう。家族連れだろうか賑やかしい笑い声と人々の話し声は明確な言葉にはならず、それさえも神輿のお囃子の一つのように聞こえる。 秋風にのって僅かに聞こえるお囃子にさらさらと揺れる銀色の薄。 月夜に揺れる銀色の綿毛がふわりふうわりと風に舞う。 風が吹き、お猪口の中に微かな漣が立った。 「ああこっちにも」 小さな月がゆらりと揺れた。 「満月を映したお酒は甘くなるって言いますよね」 「美味くなる、じゃなかったか」 そうでしたっけ、と小さく笑う郁と視線が合う。 柔らかな前髪がゆらりと揺れる。それを堂上が指で掬い上げて、頬に触れた。 甘えるように瞼が一瞬閉じられる。その動作は無意識だったのか。瞬きのタイミングとあっただけかもしれない。 月がゆらりと揺れるお猪口を傾けて一口含み、そして郁を引き寄せた。 「・・・ん、」という郁の小さな声と共に堂上の口から郁の口へと酒が伝う。 目を開けた郁がふわりと笑って、髪が揺れた。 「甘いな」 「美味しいです」 そうして、ふふと二人で小さく笑う。 「でも、もう良いです。十分ですよ」 久しぶりに飲んだ酒の味は一段と柔らかく喉に通っていった。 満足そうにことりと笑う郁に、「俺はまだだ」と堂上が笑う。 「篤さん?」と小首を傾げた郁の口にまた酒の味がじわりと広がった。零れる吐息を追いかけるように、唇を重ね、舌を絡ませる堂上を郁はそっと目を閉じて甘受した。 閉じられる直前の瞼の中には、やはり月が見えた。 そして目を開けた郁が「これ以上はもうダメですよ」と小さく笑えば「分かってる」と堂上が苦笑混じりに唇を離す。 けれど、抱き寄せた身体はそのままに空を見上げる。 「来年は、三人でお月見ですね」 「そして数年後は手を繋いで祭りに行かないとな」 「そうですね」 柔らかな月の光の中で「ふふ」と笑う郁に、傍らの薄も嬉しげに揺れた。 |