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「・・・よ、・・・いしょっ・・・と」 リビングから転がしてきた椅子を置いて、郁はその上に立つと、家で一番高い位置にある食器戸棚を開けようと手を伸ばした。 ぐらぐらと揺れる椅子に多少手元が乱れて焦りながらも、郁は戸棚の手前にある缶に手を伸ばすとそれを取ろうとする。 その手が目当ての缶に掛かった時、背伸びをした為か不安定に揺れた体がグラッ・・・と後方に傾いだ。 「わっ・・・!?」 缶を手にしたまま、郁の体が椅子の上から落ちそうになる。 それに慌てた郁の体を、 「っ・・・ぶないな」 と、酷く不機嫌に、だが焦ったように呟きながら、堂上の両腕が郁の体を抱いて支えた。 「・・・篤さん」 缶を両手にしっかりと抱えながら恐る恐る降り返れば、いつもの標準装備である仏頂面からシフトさせた機嫌の悪そうな堂上の顔。怒ったように歪められている。 堂上は郁の体を椅子の上から抱き上げるようにして床へと下ろすと不機嫌そうに顔を顰めたまま、言葉を紡ぐ。 「―――お前な」 「・・・・・・ハイ」 堂上が明らかに怒っているだろう事に対して、郁は大きな体を目いっぱい小さくし顔を俯かせながらも、上目使いに堂上を見上げる。 堂上はそんな郁に呆れたようにそっと小さく溜め息を吐くと、片手を腰に当てて斜めに郁を見下ろした。 「なに探してたのか知らねぇけどな、何か取るモンがあるんだったら俺に言えよ。 ていうか横着してキャスター付きの椅子とか使うな! ・・・・・・お前だけの体じゃねぇんだからな」 「・・・・・・ハイ」 堂上の言葉に、郁は顔を真っ赤に染めると素直にこくんと頷いた。 まだ全然目立たないけれど、今、郁のおなかの中にはふたりの間に出来た赤ん坊がいるのだ。 わかったのは本当につい先日前で、もともと郁に対しては甘いくらいの堂上だったが、郁の妊娠を知って以来、家に居る間は付かず離れず、郁の姿が視界の中に入らないと不安になるらしかった。 「ごめんなさい」 素直に謝罪する郁の髪を大きな手でくしゃっと手荒く撫でつけて、堂上はもう怒ってはいないことを郁に教える。 郁が安心した様子で微笑みながら顔を上げると、堂上もつられた様に唇にいつもの皮肉っぽい笑みを浮かべながら、 「なに探してたんだ?」 と、郁の両手が大事そうに抱えている缶を見つめた。 「えっ、と、あの、甘いの飲みたくなって」 郁が堂上に黒い缶を見せる。 羅漢果茶と印字されたそれは、郁の妊娠が分かってすぐに堂上が取り寄せたものだ。 妊婦にカフェインあまりよくないことから、ノンカフェインのお茶をいくつか用意したのだ。 御馴染みのカモミールティーを始め、他にもルイボスティーやタンポポ茶など飽きの来ないように色々な風味のお茶があるがおやつ代わりに甘いものが飲みたくなったのだ。 羅漢果の甘さは口に含むと香ばしく、黒砂糖に似て少し独特なところがある。けれど後味はすっきりとした、天然果実ならではのさわやかな甘さが特徴のお茶だった。マイルドな甘さと飲みやすさを郁は気に入って、甘さを求める時は特にこれを飲むようにしていた。 「あのな、 小分けして冷蔵庫に入れとくな って言ったろ」 「・・・・・・あり?」 さっぱり忘れてた。というか、聞いてたか、お前?な郁の態度に思わず天を仰ぐ堂上。 「頼むから、あんま心配させんな」 「・・・ごめんなさい」 しゅーん、と項垂れる郁の髪を一度だけくしゃり と撫でて手の中から缶を取り出す。開けっ放しだった戸棚に仕舞う。 「ごめんね」 ちょん と堂上のシャツの裾を掴み、首を傾げることにより見上げながらもう一度謝る郁。 もう怒ってねぇから、とポンポンと二三度頭を撫でて小さく笑ってみせる。 それに郁もホッとした表情になり「ごめんね?」と今度は小さく笑って謝る。 「淹れてやるから、座ってろって」 「え?自分で出来るよ?」 「俺も休憩するつもりだったし」 「あ、じゃああたし淹れるから、篤さんの方こそ休んでて」 「いいから、お前はじっとしてろ!」 じっとって。思わず郁はむくれる。郁の妊娠が発覚してから、過保護がすぎる堂上はあれもこれも家のことをそれこそ郁の手からひったくるようにしてやってしまい、奥さんとしては少々ご不満なのだ。 「お茶くらい淹れられるし!篤さんは心配しすぎ!!」 「だったら、安心に足りる行動を示してみろ!不安定な椅子に立つとかアホか!いいからお前はその辺に座ってろ!!」 その辺、と言って床に直接座ったら、「身体が冷えるだろうこのアホウ!!」と怒るくせに。抗議の意味も込めて座ってやろうかと一瞬考えた郁に「だいたい」と堂上の言葉が続く。 「こういうことしか、俺にはできないんだ」 産んでやることはできないからな、と照れから顔を熱らせ首筋が薄っすらと赤くなっていている堂上に、郁はむくれていたのを忘れ忍び笑いを漏らすと、 「うん・・・」 と幸せそうに頷いた。 |