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それはいつもとそう変わらない、夕食の時間だったはずなのだが。 テーブルの上に並べられた彩り美しい料理。その中の一皿に堂上は目を奪われ、ビクリと動きを止めた。 「・・・い、郁っ」 いつもは白いはずのそれが赤、というかほんのりとピンクにも見える色に染まっていることに気付いたところで、堂上の動きはぴたりと止まってしまった。動力の切れた機械仕掛けの人形のように、ギリギリと視線を郁へと向け、上ずった声を上げる。 その様子に不思議そうに首を傾げた郁がスイッチとなったのか、堂上が先の動きとはうってかわり、飛びつくように郁の腕をとった。それに驚き目を丸くする郁をよそに堂上は上ずった声のまま詰め寄る。 「ど、どこか怪我したんじゃないのか」 「―――・・・は?」 切羽詰った堂上と対比するかのように、たっぷりと間をおいて発せられた郁の声はなんとも間の抜けたものだった。 「い、医者、病院!」 「ちょ、なにっ?!何なに!どうしたの?落ち着いて篤さんっ?!」 一体何を勘違いしているのか。慌てふためく夫の姿に郁がどうにかしてなだめる。 「一体どうしたの、いきなり!」 「郁、お前、怪我っ!」 「はぁ?あたしはどこも怪我なんてしてないよ!」 「ほ、本当か」 恐る恐る確認する堂上に、郁が本当だから!と落ち着いて!という言葉に堂上がようやく息をつく。 「一体、どうしたんだ」 「だって、あれ」 そう言って指指された一皿の料理。 「お前の血じゃないのか」 「どんだけですか!血染めのリンゴは結婚前に卒業しました!!だいだいそんな血染めの料理なんて本気で出すと思ってんですか?!」 それはさすがに過保護を過ぎてただの失礼!! 「どっからどう見ても、赤飯、じゃないの!!」 「セキ、ハン・・・?」 「祝いの席に出される日本食」 「・・・いや、それは分かるけど。 ・・・祝い?」 そしてやや遅れて、壁に掛けられたカレンダーへと視線を送る。あいにくと、そこには今日がいかなる重要事項を孕んだ日であるかを知らせるようなことは何も記入されてはいなかった。すぐさま思考を内側へと向け、己の記憶をざっくりと掘り返した。祝いと言うならそれは自分か郁に関するもののはずだ。 (何の記念日だ? 結婚記念日でも俺の誕生日でも郁の誕生日でもないよな) 一番妥当な線を当ってみるが、残念だが結婚記念日も二人の誕生日も本日の日付とは一致しないので却下だ。 では他には何があるだろう。 二人が出会った最初の日か、いやそれも違う。初めて二人で会話した日、でもない。初めて手を握った日でも、初めてデートした日でも、ない。 他の事ならいざ知らず、自分と郁(というか主に郁)の事に関しては悉に記憶していると自負する堂上である。しかし次々思い出せる限りのすべてを吐き出しても、結局堂上はこれだ、と明確に断定できるものを思いつくことはできないままで終わってしまった。 しかしそれでも、目の前には赤飯がある。それが祝い事を示すものと言うのであれば、なにかしらの意味があって、この赤飯にも郁が密かに込めた何かがあるのだと考えるべき、なのだろう。 堂上はそう考えを締めくくると、ついっと正面にいる郁へと視線を向けた。 「一つ、聞くが、なんで赤飯?」 俺にはその理由がまったくわかりません、と正直に告白することになるわけだが。 しかしどうしてもそれらしいものが見つけられなかった堂上がそう尋ねると、郁は一瞬だけきょとんとした表情を見せた後、にこっと少し恥ずかしそうに微笑んだ。 「5週目、だって」 郁の言葉に、今度は堂上がたっぷりと間を置いた。 「・・・何が?」 「今日病院に行ったら」 「どこか具合が悪いのか!?」 また、騒ぎ出す夫に、やんわりと静止をかける。 「そうじゃなくて。 赤ちゃん、デキマシタ」 生理が遅れてたから、もしかしてと思って行ってみたんだ、と続ける郁に、堂上は思考を止める。 ぐるぐるぐるぐる色んな言葉が浮かんでは消え、浮かんでは消え。 ぐるぐるぐるぐる考えて出てくる言葉は、これしかなかった。 「アカチャンって、何?」 「・・・ちょっと、お父さん?」 ◆◆◆
―――赤ちゃんできました。 そんな突然の郁の言葉に、堂上は今まで郁が見たことないほどの混乱を見せた。 「ちょっと―――とりあえず落ち着こう」 「うん。そだね」 篤さんが、と郁はこっそりと笑う。 「とりあえず、座れ」 「はぁい」 「静かに歩けって、なんでお前は床に座る! 冷えるだろうアホウ!ちゃんとソファに座れ」 「あはは篤さん急に口うるさくなっちゃってる」 「いくらでも言ってやる、ていうか、いい。お前は動くな!じっとしてろ!」 「え?ひゃ!」 大股で近づいてきた堂上にそのまま抱えられ、膝の上に乗る形で郁はソファに座ることになる。 「あ、あの?篤さん?」 「―――おまえに触りたい」 柔らかくお腹に回る腕に、郁が「ふふ」と笑う。 「あったかいですね」 「そうだな」 優しく引き寄せられ、郁の首筋に堂上が顔を埋める。それがくすぐったいのか、郁が笑って僅かに身体をよじる。 「ここに居るんだよな」 「ですよー」 優しく、慈しむように暖かな掌が郁のお腹を撫でる。 まだ目立つお腹ではなく、それまでと変わらないのに、それだけでより愛おしさが増す。 「普段と全然変わりなかったのに、いきなりだもんな。郁のくせに」 「あ、ヒドーイ。くせにって。 ふふ。篤さん驚かせたくて頑張った甲斐がありました。びっくりしたでしょ?」 「見りゃわかんだろ」 「―――嬉しい?」 「当たり前のこと聞くな、バカ」 コツンと柔らかく降ってきた拳骨に、良かったと郁が幸せそうに笑う。 「でも、篤さん。忙しい時期で良かったですね」 「―――――良くないだろ」 「忙しい方が、余計なこと考えなくていいでしょ?少なくとも後数カ月は」 「何で?」 「―――――――・・・・・・」 「もじもじするな」 「・・・・・・だってちょっと、恥ずかしくて。えへ」 「えへ、じゃくて説明しろ説明!」 「んと、ほら。しばらくは、その。あたしとえっち、できないし?」 緩々と動いていた堂上の掌が止まる。 「―――篤さん?」 「・・・・・・・・いつまでだって?」 「なにが?」 「できないの」 「あ。・・・んー、しっかり聞かなかったけど・・・ 安定期って・・・・・・5、6ヵ月目くらい?かな?」 「そこはしっかり聞いとけよ!」 「・・・・・・あのね、発覚当日に、そんなこと聞けないに決まってるでしょ?! い、いつになったらできますか?なんてっ!」 「それこそ一生懸命聞いてこい!」 「む、ムリ言わないで! ・・・そ、そんな恥ずかしいこと。 だっ、だったら、篤さんが聞いてよ!」 「分かった。今から電話して聞いてやる。診察券よこせ」 「ぎゃ!ちょ!やめ!恥ずかしい恥ずかしいって!! わか、わかった、次行った時にあたしが聞くから!ちゃんと聞きますから」 顔を真っ赤にさせ、ワタワタと慌てる郁に「おまえの負け」と堂上が楽しげに笑った。 |