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堂上の誕生日は年末であり、その年はちょうど仕事納めの日でもあった。もっとも、年中無休24時間体制で勤務を敷いている防衛部員にとってはその認識は薄いが、いちおうは仕事納式もある。 ちょうど堂上班が早番であったこともあり、「堂上の誕生日だから!」―――というわけでもなく(実際どれだけの人間が堂上の誕生日を知っているのかは不明である。)、単純に「忘年会やろうぜ!幹事は堂上班な!」といつものように若い堂上班に話が振られたにすぎない。 場によっては主賓になるべき堂上が手早く一次会の店の手配をすませ、回覧を回す。二次会会場はその時の流れで誰かが手配しろ、と投げることになるが、まぁ文句は出ないだろう。 かつては二次会、三次会会場の目星をつけ、席の確保までしたりしていたが、郁が入隊してからは堂上が二次会に参加することはほとんど皆無となったし、特に今回は個人的に時間を割きたいこともある。 その後のことは残った人間が適当にするから、との小牧のフォローの言葉もあり、あとは投げることにした。 あとは―――。 「郁、明日、外泊出しとけよ」 官舎裏の夜の逢瀬でそう釘刺され、郁は頬に熱が集まるのを感じながら頷いた。 飲み会の際にはもともと遅くなることを考慮して外泊届を出していくのが常だ。それを念押しするということはつまり―――そういうことだ。 純で初心だった郁と言えども、半年以上外泊を経験すればそれくらいは酌める。 部屋に戻ったら、一泊分の外泊セット用意しなきゃ。 「風邪ひく前に戻るか」 「―――はい」 二人の今後のスケジュールは春先までめいっぱい詰まっている。体調を崩して寝込んでいる暇などない。 くしゃりと頭を撫でた後、堂上は郁の左手を取る。その時にそっと薬指を撫でられる。 今月に入り―――仲直りのデート後、「恋人」から「婚約者」という関係に変わってから加わった堂上の癖だ。 「―――篤さん」 郁のプライヴェートで変わった堂上の呼称。まだ、照れが残る声音で郁はその名を口に乗せる。 「指環、もうそろそろですかね?」 出来上がり楽しみです、と ほわり、と笑う郁の指に堂上は自身の指を絡める。 当初は、婚約指環は男性の一方的な出費になるだの言っていた郁だが、やはりそこは「女の子」だ。 堂上に手を引かれながら訪れたジュエリーショップでは、最初は緊張しっぱなし、恐縮しっぱなしだったが、実際にサンプルを見せられ、デザインを考えていく内に興奮に目を輝かせていた。そんな郁を堂上は眩しそうに見詰めた。 さざめく感情は多くある。苦しくなることだって。 そしてそれが収まることはきっとないのだろう。 けれど、最後に落ち着く場所はここなのだと思う。 その場所がずっと自分と繋がっていればいいと思う。 乱れる感情は郁に起因し、それを治めることが出来るのも郁しかいないのだ。 隣に居たいと思うのも、隣に居て欲しいと思うのも。 「―――離さねぇから」 ポツリ、と呟いた言葉は郁には届かなかったようだが、聞かせる言葉でもないのでそのままにする。というか、思わず零れた言葉を聞かれたのなら、それはそれでこっ恥ずかしいというものだ。 寮までの僅かの距離。繋いだ手をコートのポケットの中に入れて歩く。 早く歩くことに慣れた二人だが、こうしてプライヴェートの時間で歩くときはことのほか歩みが遅くなる。 その理由は口にするまでもない。 「こーしてたら、あったかいですね」 白い息を濃紺の空に溶かしながら、郁が笑う。 堂上もそれに「そうだな」と頷き返しながら、一層強く郁の手を握る。 寮の正面玄関のガラス戸を開け、エントランスで靴を脱ぎ、それぞれの部屋へ戻るため繋いでいた手が離される。 その瞬間が堪らなく切ない。 「―――おやすみなさい」 「ああ。あったかくして寝ろよ」 堂上の温もりを辿るように、左薬指に触れながら、寂しさを滲ませた瞳で微笑む郁に、堂上はますます狂おしいほどの愛おしさが募って仕方がないと思う。 このまま抱きしめたい衝動に駆られる。それをぐっと抑え込むのがどれほど大変か、この無自覚に煽るのが得意な、痛みすら伴う愛おしさを伴った婚約者は知らないのだろう。 関係が近くなればなるほど、別れがたい距離がある。 寮室に戻った郁は携帯を開いてメールを作成する。 「あらあら、さっきまで一緒だったのにお熱いこと」 茶化す柴崎の声も聞こえないほど真剣に。 満足いく文が打てたのか、ふぅっと息を吐いた郁はクローゼットを開いて明日の準備を整える。 外泊用に下着は1セットずつ袋に入れているので、それを詰めればいい。こうしておけば間違ってスポーツブラを持っていくことも、上下揃っていない下着を持っていくこともない。 堂上は気にしないと笑うが、そこは乙女心の意地だ。 残念ながら、翌日も勤務なので、着替えは出勤できる恰好で控えめにそろえる。 あとはスキンケアグッズを詰めれば終わりだ。 寝不足は美容の大敵。お肌のゴールデンタイムは22時からよ、あんたも早く寝なさいよと言い置いて早々に床に就いた柴崎に倣うように、郁もベッドに潜り込む。 そろそろ日付が変わる。 携帯を開き、ぼんやりとした光を宿す液晶を見る。カチカチ、とボタンを操作して作成したメールを呼び出す。 「―――おやすみなさい、篤さん」 メールの送信完了を見届けて、郁もまた眠りに就いた。 「―――あんま可愛いこと書いてくんな、バカ」 日付が変わると同時に届いた、愛しい婚約者からのメールに堂上は相好を崩しながら、もどかしくなる。 早くこの距離が埋まる日がくればいい。 その日は「くれぐれも飲みすぎるなよ」と厳命されていたこともあり、乾杯時に小さなグラスに注がれたビール数口と、酎ハイ1杯が郁のアルコール摂取量だ。普段はからかうように四方から酒を勧めてくる隊員たちもこの日は何故か頗る大人しかった。 そんな様子になんだかいろいろとバレている気がする堂上だが、ここで要らんことを言って下手に突かれては堪らんと気づかない振りでやり過ごす。 二次会へ向かう面々と別れ、郁と堂上の二人は予約しているホテルへ向かった。 店を出て、別れの挨拶を終えればプライヴェートの時間だと言わんばかりに繋がれた手は、ずっぽりと堂上のコートのポケットの中に入っている。 照れがまったくなくなったわけではないのだろうが、何かが吹っ切れたらしい堂上はほかの隊員の目がある場所でもこうした接触を求めるようになった。 あまりに堂上が堂々として開き直ったためか、大きなからかいもない。 恥ずかしくもあるが、堂上に触れられることが好きな郁としてはそうした時間が増えるのが嬉しい。 事前にネットで予約登録をしていたため、フロントでは簡単に宿泊カードを記入するだけですぐに部屋のカードキーが渡された。 数回の外泊を経て、今では部屋はダブルルームが基本だ。 郁に照れがなくなったわけではないけれど、一台のベッドを見て固まることがなくなるくらいには慣れた。 荷物を置いていると、ベッドの縁に腰掛けた堂上が「郁」と名を呼んだ。 何です?と郁は呼び声に応じて歩み寄る。 「きゃっ」 近づいたところ腕を取られ、そのまま郁の身体は堂上の腕の中に納まる。 突然のことに驚きこそすれ、そこは郁にとって一番安心できる場所だ。 ゆっくりと身体を落ちつけていく。 「―――誕生日、おめでとうございます」 日付が変わると同時にメールを送り、出勤時にも簡単に告げたが、それでもこうして完全なプライヴェートの時間では初めてだ。 もうこんな時間ですけど、と小さく苦笑する郁に、堂上も柔らかく笑う。 「時間なんかより、お前が祝ってくれようとしてくれたことが何より嬉しい」 それまで堂上は自分の誕生日など特別なにかを思うことはなかった。気づいていたら過ぎていたこともある。 けれど、郁と過ごすようになってからは、素直に待ち遠しいと思うようになった。 多くの人間にとってなんでもない一日が、郁の中で特別な日だと認識されていることが嬉しいと思う。 その時間を一緒に過ごし、祝ってくれるという気持ちが何物にも替え難い幸福だ。 もしかしたら、今この瞬間、郁と過ごせていなかった可能性があったのだから余計にだ。 「郁。手、出せ」 不思議そうに首を傾げながら、郁は両掌を受け皿のようにして差し出す。 子供のような反応に堂上は小さく噴き出す。 「そうじゃない。 左手、此処に乗せろ」 言われるがまま、郁は差し出された堂上の左掌にそっと左手を重ねた。 重なった掌がスっと持ち上がる。それはどこか恭しく。 「―――誕生日プレゼント、貰っていいか?」 「え?」 「これから先、一生分のプレゼントだ」 目を瞠る郁の前で、左薬指に永遠のきらめきを閉じ込めた指環が静かにはまっていく。 「―――プレゼントは、お前がいい」 「―――ずるい。あたしだって」 瞳を潤ませながら、郁は頬を膨らませ、精いっぱいの拗ね顔を作る。 その顔に堂上は笑う。 「もっと早く気付けばよかったな」 「―――じゃあ、今度のあたしの誕生日には、素敵な旦那様ください」 「却下」 いつか聞いたものと同じ台詞。 けれど、その声は甘く、柔らかく、郁を傷つけることはなく届いた。 「そこまで待てるか」 郁と堂上の二人は、これから1か月ほど後、郁の誕生日を待たずして夫婦になるのだから。 |