夜勤明けで仮眠をとった後、昼から食事がてらどこか近場に出かけられればと思い、堂上が郁に声をかけたところあっさりと先約を言い渡された。
「郁。今日このあと何か用事あるか?」
「あ、今日はたまたま研修同期のメンバーが休みや早番の子が多くて、よかったら一緒にごはん食べに行かない?って誘われててるんで、それまで部屋で過ごすつもりです」
「誘われたって、誰にだ」
思わず声が低くなる堂上だったが、郁はそれに気付いた風もなくさらりと答える。
「誰って、相沢たちですけど?あ、えっと相沢ってのは」
「ああ、総務部に配属になったやつか?」
「そです。・・・よく覚えてますね」
「アホウ。お前の記憶力と一緒にするな。研修受け持ったやつらのことぐらい覚えてるわ」
正直なところ、訓練生全員を具に覚えているわけではないのだが。ただ、柴崎ほどではないが、訓練期間中郁がよく一緒にいた女子グループのメンバーの一人だったので、必然的に記憶に残っているというわけだ。なんというか、当時から郁のことを意識していたことを裏付ける記憶で、思わず堂上は苦笑する。
無駄に不安がっている郁を安心させるようにポンと頭を軽く叩いて言えば、郁はあからさまにホッとした顔を見せる。どれだけ堂上が郁のことを見ていたかなんて当の本人だけが知らない。知られていたらそれはそれで恥ずかしいものがあるのだが。


「あ、あの、何かありました?」
「あ、いや。もしなんも予定がないんなら、昼からどこか出かけないかと思ったんだが」
そう言えば、郁の顔が蒼白になる。次いで慌てて謝ってきた。
「す、すみません!!あ、あたし、その知らなくてっ!あ、い、今からキャンセルして」
「いい。いい。同期との交流だって大事にしろ」
どうやら、堂上の誘いに「夜勤明けは恋人と過ごすもの」だとインプットされたらしい郁は泣きそうな顔で謝ってくる。そりゃ、堂上の本音としては出来うる限り同じ時間を過ごしたいとは思うが、彼女のすべての時間を拘束し、彼女の付き合いを狭めようというところまでは思わない。
―――男と飲みに行くというのなら、話は別だがな。
例の査問のこともあり、寮内で溝を作るようなことにはなって欲しくない。それでなくとも、職場の唯一の同期は男の手塚だ。特殊部隊に所属している分、業務での他の同期との関わりはどうしたって少なくなる。
郁に何かがあれば、自分に出来るフォローは全力でするつもりだが、女子寮での出来事は現状どうしたって柴崎頼みにならざるを得ない。少しでも親交を深めて、俺の目の届かないところで彼女に差し述べられる手が一つでも多く増えればいいと堂上は思う。


「ただ、どこかに行くときは事前に教えてもらえるとありがたいがな」
「すみません」
分かればいい、と堂上は郁の頭をくしゃりと撫でる。
「久しぶりなんだろ。楽しんでこい」
「―――はい」
にこりと笑う郁に釘を刺すのだけは忘れない。
「ただし、あんまり飲み過ぎんなよ」
「分かってます」
「それと、遅くなるようなら連絡しろ」
「え?近場なんで大丈夫ですよ」
「だから、お前が大丈夫なのと、俺が心配なのは別モンだと言ってるだろう。
 9時過ぎるようなら連絡しろ、いいな」
「―――甘いですよ、教官」
「彼女を甘やかして何が悪い」
はっきりと言ってやればば、郁はボンと音がしそうなほどはっきりと顔を真っ赤にさせる。
「な、なに言って!や、やだ、恥ずかしいっ!!」と顔を覆う郁を「お前はほんと可愛いな」と人がいないのをいいことに堂上は撫で回す。


「疲れが残ると酒が回りやすいから、しっかり休めよ」
「はい、教官も」
「ああ。
 そうだ、お前、今度の公休は空けとけよ」
言えば「ずっと先の公休も空けてます!当たり前じゃないですか!」とこぼれるような笑みで言う郁は相変わらずとんでもなく可愛かった。









そんなわけで、その日堂上は仮眠をとった後は隊員食堂で食事をとり、手をつけていなかった書籍を読んだりと部屋で時間を過ごしていた。そんな中、いつものように酒を片手に堂上の部屋を訪れた小牧が開口一番に言った。
「あれ?思ったより普通だ。っていうか、普通だ」
「何わけの分からんことを言っている」
小牧の言いぐさに堂上は思わず眉をひそめるが、慣れている小牧は「いやさ、」と勝手知ったる堂上の部屋と躊躇うことなく腰を落ち着ける。
「フリーだって思われてる彼女が飲み会に誘われたんだから、もうちょっと余裕がない姿が拝めるかと期待してたんだけど」
「妙な期待を抱くな!女子会ぐらいで余裕をなくしてたまるか!!」


「―――え?!笠原さん女子会って言って出かけたの?!」
「―――おい待て!フリーって何だフリーって!なんでそんなことになってる!アイツ俺の存在否定してんのか!?」


初めての恋人に恥ずかしがってるのは知っているが、さすがにそれは看過出来んと鬼の形相で立ち上がる堂上を小牧がなんとか押し留める。
「そうじゃない。そうじゃないよ、堂上。笠原さんが、じゃなくて、お前ら付き合ってるの隠してるだろ、だから」
「―――別に隠しているつもりはない。というか、ウチには早々にバレてるのに隠してるもくそもあるか」
「ウチと外部を一緒にするなよ。
 そうか、お前たちに隠すつもりはないのか」
「隠すようなことでもないだろうが。別にやましいことをしているわけじゃない」
確かにお互いわざわざ言って回るようなタイプではないので、吹聴して回っているわけではないが、聞かれたらそこは素直に答えるつもりだ。少なくとも堂上はそう思っている。部隊外の人間と一緒になることがあまりないため、たまたま今までそうした質問を受けていないだけで。
「いや、そうだとしても、だ。結果としては隠してるのと変わんない状況だって気づいてる?」
「は?」
「だから、お前と笠原さんが付き合ってるって知ってるのは、ウチのメンツと柴崎さんぐらいだって、お前ちゃんと分ってる?」
「―――は?」
「だからさ!お前たち、傍から見ると付き合う前と今と何も変わってないように見えてるってことだよ」
「どこがだ!」
プライベートでは、郁は相変わらず「教官」呼びだが、堂上はすぐに名前で呼び始めたし、堂上が入院中、転院してからは時間が許す限り郁は毎日のように見舞いに来ていたし、退院し落ち着いてからの公休は一緒に過ごしているし、今までなら抑えていた業務中の接触だって増えているはずだ。枷のなくなった堂上の郁に対する扱いは明らかに変わっている。



「どこがって、全部だよ。プライベートのことなんて第三者が知るわけないだろ」
「だが、公休の度に一緒に出かけてるんだから、それぐらいわかるだろ」
「俺たちのシフト知ってるのって、部隊外じゃ柴崎さんぐらいだろ。二人揃って出かけて行くならまだしも、“たまたま”堂上と笠原さんが一緒に帰ってきたからって二人が一日一緒に過ごしたかどうかなんてわかんないよ、普通。
 なんせ、お前が笠原さんと二人で帰ってくることって珍しくないからね。
 部飲みの時は寝オチした笠原さんを堂上が負ぶって帰るのなんてもはやデフォルトである意味名物みたいなもんだし、頑なに上司と部下だと言い張ってた時でも、なんだかんだでお前笠原さんをしょっちゅう飯に連れて行ったり、ロビーの自販機で奢ってやったりしてただろ。
 もうお前が笠原さんを構うのなんて周知の事実だから、たぶんみんな「ああまたか」くらいにしか思ってないから」
客観的事実を言い立て並べらて、堂上は思わず額に手をやる。
「だいたい、周りの目があるイコール業務時間中だけど、その時間とかほんと従来と変わってないから、お前ら。
 確かにさ、知ってる俺らから見たら、頭撫でる回数増えたりしててイチャついてんなーとか思う場面も増えたけどさ、それって一緒にいるから分かるだけで、お前が笠原さんの頭を撫でて褒めてやるのは今までだって0じゃなかっただろ。一方で怒るときは相変わらず拳骨落としまくってるしで、外野からは極端な変化って見えないから」
「―――だが、そこであいつを怒らないのは違うだろう」
怒らないことは簡単だ。だが、職種が職種だ。厳しい指導をしないことが却って彼女を危険にさらす事態を招きかねない。だから堂上は郁を叱咤する場合、一切の加減をしないし、郁もそれに憤ったりしない。郁はそれを分かってる。そしてそういう堂上だから認めてもいる。
「そうなんだよね。意外、っていったら失礼かもしれないけどさ、業務中の笠原さんってほんとお前のことしっかり上官として見てるよな」
「―――それは俺も思う」
堂上が職場に復帰した際、彼女は完璧に「部下」の顔をして堂上を迎えた。ちらりとも「恋人」の顔は覗かず、堂上の方が戸惑ったくらいだ。そして早くプライベートモードに戻りたくて、つい業務中じゃないからと休憩時間や、業務終了後の庁舎内で「恋人」の顔をするのは堂上の方だったりする。
「―――むしろあいつはプライベートでもたまに部下の顔をするくらいだ」
可愛く着飾った私服姿で何度敬礼をされそうになったか。
その言葉に、小牧は「ああ」と微妙な笑みを浮かべて同意した。
「―――切り替え苦手そうだもんね、彼女」
郁の中ではまだ堂上の部下である期間の方が圧倒的に長いのだ。なにより戦闘職種として上下関係の厳しさは骨の髄までしみついているといってもいい。プライベートだからと言って上官を上官として見ないなんて土台無理な話であり、それが恋人関係になったからといってフラットな関係になるにはまだまだ難しいだろう。
温い笑みで肩を叩かれ、「いらん同情するな!」と思わず堂上はその手を払う。そういうところも可愛い面の一つなのだから、ほっとけ。



「一時期、まぁ堂上が入院してた時期なんだけど。笠原さんに男が出来たっていう噂が立ったことはあったんだよね。すぐ立ち消えたんだけど」
「なんでだ」
「そりゃさ、今までと違って明らかに「おしゃれ着です!頑張りました!」って格好して外出したら誰だって勘繰るよ。
 でも、それ以外に特別変化はなかったから結局「まーあいつも女だからついに目覚めたか」くらいで落ち着いて?というか盛り上がってるんだよね。
 ほら、もともと囮捜査以降話題になってて、さらに当麻先生の事件でかなり有名な存在になったからね、笠原さん」
「あいつは何も変わってないだろ!今更勝手に盛り上がるな!というか何でそこで確認しない!!」
「いやーやっぱそこは希望を持ちたいヤツが多いってことでしょ」
「そんな希望さっさと砕いてしまえ!」
「それをお前が言うか」
再会してから今の今まで、自覚してからもウダウダしてたのはどこのどいつだ。言われてしまえば堂上としては反論のしようがない。
「でもさ、そういう希望を持つ男が多いのも仕方ないだろ。だってさ、普通に考えてみろよ」
そうして言われた言葉に、堂上は今度こそがっくりと項垂れた。


「あの年で恋人がいて外泊歴0とか普通ないでしょ。知ってる俺だって驚いたんだから」


恋愛初心者の郁に合わせた亀並の速度で進む清く正しいお付き合いにまさかこんな落とし穴が潜んでいるとは想像だにしていなかった。
これはこれで郁らしいよな、とか微笑ましく思っている場合ではなかった。
自分の魅力に無自覚なうえうっかり満載な可愛い恋人が、フリーだと思われてるとかどれだけガードしてもしきれないではないか。
というか。

「―――あいつ今日、女子会じゃないのか!?」
「今日は元堂上班での飲み会のはずだよ。男女混合の。
 酒買いにロビーに降りたら、若手君たちがブーブー文句垂れてたから。


 『今日の堂上班の飲み会、笠原参加するらしーぜ』
 『まじ?!なんだよそれ。だったら、そーいう小さい班じゃなくて同期全体に声かけろよなー』
 『ぜってぇライバル増やしたくないからだろそれ』
 『それでなくても、笠原特殊部隊でめったに会えないっていうのにさー』
 『そうそう。チャンスは平等にあるべきだろー』


 ―――てな具合だったからさ、元堂上班の飲み会という名目で、声のかかっていない元教官殿の胸中はいかばかりかとやってきたら、お前がフツーに本読んでんだもん。なんだよ面白くないなーと思ったんだけど」
「面白がるな!」
「いや、でもさ。実際問題、女子会って言って飲み会に行くってのはちょっと問題だよね。それが堂上に心配かけたくないからって理由だとしても」
「―――いや、」
半日ほど前の郁とのやりとりを反芻する。
女子会、とは言っていない。同期の女子隊員に誘われて飯を食いに行くと郁は言った。それを勝手に女子寮のメンバーで行くものだと早合点したのは堂上だ。
「いや、でも。男が参加するなら普通、言わないか」
「その辺りが笠原さんってことだろ。男も女も同期は同期って思ってそうじゃない。そして本人が周りから「女」だと思われてないって思いこんでるし」
そこはお前が気付いてやれよ、と言外に言われて堂上は押し黙る。
勤務の都合もあったのだろうが、今まで郁は合コンまがいの飲み会に参加したこともまた興味も示さなかったことから無意識にその可能性を除外していたのは堂上だ。


お互いイロイロ詰める必要があるようだ。
すっと目を眇めた堂上の行動は早かった。
取り出した携帯の短縮番号を呼び出す。
プ、プ、プルルル、プルルルと呼び出し音が鳴る間、カツカツと苛立たしげに堂上の爪がローテーブルを叩く。



「郁!お前今どこにいる?
 店の名前は?!
 ああ、駅前のか。分かった。
 あ?今から迎えに行くからそこを動くな!
 つべこべ言わずそこで待ってろ!!外には出るなよ!いいな!」
上着を羽織り、ブツリと乱暴に携帯を切った堂上は荒々しい足取りで部屋を出る。
そうそう、それそれ、と上戸に入る小牧はこの際一切無視だ!






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