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カミツレの茶を飲みに行ったあの日から2つほど季節が過ぎて、ようやく堂上と郁は正式な「デート」ができるようになった。 「お前らそれで付き合ってないとか嘘だろ」と特殊部隊員をはじめとする近しい人間に思われていた二人が、ようやく正式に男女のお付き合いをするようになったのはその一つほど前の季節になるのだが、日本の検閲問題が国内どころか世界にまで飛び出そうとした、図書隊ならびに良化隊双方にとって史上最大の抗争となったいわゆる「当麻蔵人事件」において負傷した堂上は入院生活を余儀無くされた。 3か月ほどベッドの上の住人であった堂上とその恋人たる郁はその間二人で外出することは出来ず、病室での逢瀬がそれまでの二人のデートだった。 退院後、堂上としてはすぐにでも郁と外出したかったのだが、職場復帰にかかる事務手続きやら現場に出られないならと事務処理を投げられるやらで自身の身動きが取れない状態が続き、結局退院し職場復帰してから一回分ほど公休をおくこととなった。 そうして待ちに待った公休前日。寮から一緒に出かけるつもりだった堂上の考えは、郁の言葉によって立ち消えた。 「明日は1000に共用ロビーでいいな」 郁の日報待ちで、事務所に残っているのは二人。提出された日報に確認印を押せば業務時間外だと自身に言い訳をしながら、堂上はプライベートモードで郁の名前を呼んで言った。 別にここでなくとも寮に帰った後メールなり電話なりで確認すればいいことなのだが、顔を見ないと味気ないと思ってしまう自分に堂上は内心で苦笑した。同じシフト体制で、勤務中ほぼ一日中顔を見合わせているというのにそれでもまだ足りないと思う自分にだ。入院中の面会時間に比べれば遙かに会える時間は増えているのに、満足するどころか、もっともっとと思ってしまう。顔を見るだけでは満足できない。もっと名前を呼びたい。もっと触れたい。もっとキスをしたい。欲ばかりが増えていく。 けれど、それを嫌だとは思わない。そう思うことに今はもう罪悪感を覚えることはない。好きな相手に欲をもって何が悪い。それも一方的にではなく、思いが通じた恋人相手だ。欲は果てしなく、時折飢えを感じることもあるけれど、それでもそれを自然だと思える立場を手に入れられたことに堂上は心底満足している。 堂上の言葉に郁のことだからすぐに了承の返事がくるかと思ったが、意外にも「あのっ」と待ったをかけたのだ。 「あの、その件なんですが。駅で待ち合わせ、じゃダメですか?」 「何だってわざわざ。同じとこから出かけるんだ、そんな必要はないだろ」 「や、だって、なんか。いきなり、そんな、寮でこ、恋人っぽいこと」 「ぽいってお前」 思わず苦笑した堂上に郁がハッとして言いつのる。 「やっ、あ、ちがっ!ちがくて、そんな、そゆつもりじゃっ!あのっ」 あうあうとうまく言葉がまとまらない焦りからかくしゃりと泣き出す一歩手前のような表情に郁の顔が歪む。 表情が豊かで。直情型で。他人の事には思いのままに走りだすのに。いざ、自分のこととなると素直に言葉に出せない不器用さも堂上は愛おしいと思う。もう郁が何をやっても堂上の目には可愛いとしか映らない。 「なんでお前はそこでテンパるかな。ほら、落ち着け。分かってるから」 腕を引いてポスンと胸元に引き寄せる。そしてポンポンと頭を撫でてやる。 「嫌なわけじゃないんだろう」 むずかる子供のように堂上の胸元で郁がフルフルと頭を振る。 「やじゃないです。違います。違うんです、そうじゃなくて」 「―――恥ずかしい、か」 コクンと小さな頷きが帰る。 「だって、慣れない、です。そんな、い、いきなりきょ、教官とろっロビーで待ち合わせとか、そんなっ」 いくらその手の話題に疎い郁と言えど、業務外で共用ロビーで待ち合わせて出かけていく男女がどんな関係にあるのかくらい分かる。そしてそれをしようとしている自分たちも。 堂上としてはあのカミツレを飲みに行った日と違い、郁とは待ち合わせするのに自分に対して言い訳することも、誰に対して憚る必要もない関係になったのだから、そんなことを気にする必要はないとは思うのだが、そこは純粋培養天然乙女茨城県産。人一倍初心な郁には知っている人前で恋人らしいことをすることはまだまだハードルが高いのだろう。少しずつ二人きりの空間で名前呼びされることに慣れ、座る位置もイスからベッドの端に変わり堂上の腕が回されても強張らずに自然と息がつけるようになり、そして逃げ腰及び腰だったキスも退院間際になってようやく慣れ、顔を近づければ自然と目を閉じ、薄く唇を開くようにようやくなったところだ。本来であれば、密室に恋人と二人っきりでいることの方にこそ緊張感をもっているべきなのだろうが、そこは言っても仕方がない。下手に意識させて逃げられては当時の堂上に追いかける術がなかったので、敢えて何も言わなかった。そこは追々時間をかけて意識させていくべき案件だ。 とりあえず今は出来る限り、たとえそれが寮から駅までの十数分の道のりでさえ一緒に居たいのだと思うが、無理をさせてまで通す願望でもない。 分かったと、堂上が頷こうとしたとき「それに」とか細い声と共に、ツンとスーツの裾が引かれた。 「か、彼氏と、外で待ち合わせって、やってみたく、て・・・」 顔を真っ赤にさせ、最後の方は恥じらうように下を向きながらされた可愛くてたまらない彼女の可愛らしい願いを聞き入れない男がいるのなら是非ともみてみたいものだ。どんだけお前は可愛いのか!いちいち面倒くさいなどと思うこともなく、「そうか」と堂上は柔らかく笑い「じゃぁ駅前に―――1030でいいな」と約束を変更した。その言葉にこくこくと頷いた郁は幸せそうにはにかんだ。 「明日、楽しみ、です」 「お前、ほんとめちゃくちゃ可愛い」 「ひゃっ!」 たまらず堂上は掠めるようなキスを送り、「帰るか」と真っ赤になって俯く郁の手を取り事務所を出る。人の行き来が少ない特殊部隊単独の庁舎だからできることだ。庁舎を出るまでのわずかな間ではあるが、その間しっかりと握り返された掌のぬくもりがひどく心地よく幸せだと思った。 そんなやりとりがあり、とくにきっかけもなかったためそのまま堂上と郁はデートの際は駅前で落ち合って出かけるという流れが出来つつあった。今でも堂上の中から少しでも、一分一秒でも長く一緒にいたいという気持ちがなくなったわけではないが、駅で郁を待つ時間はけして苦痛ではなかった。 もちろん魅力的な針を持つ無自覚な彼女を一人待たせるようなことは出来ない。デート仕様の可愛く着飾った郁を一人外に立たせるなど、入れ食い確約の釣り堀でバクダン釣りやサビキ釣りをするようなものだ。可愛い恋人に一本釣りされるのは自分だけで十分だ。 そのため随分と早い時間から約束の場所に立つことになるがそれはそれで楽しみがあるのだと堂上は気づいた。 彼女がどんな可愛い格好をしてくるのか思いを巡らせ、その日のデートプランをなぞりながら彼女がどんな表情を見せてくれるのか考えるのは共用ロビーではできない楽しみであり、人混みの中から自分を認めた瞬間に顔をほころばせて駆けてくる彼女の姿はとんでもなく可愛くて、それだけで待つ甲斐があったというかむしろおつりがくるくらいだ。だからこそ、そのことに堂上は不満もなく、特に問題視もしていなかった。 そして、恋愛偏差値0スタートの郁は何をするにも可愛い反応を返す。 初デートの際には駆け寄ってきた彼女に前もって買っておいた切符を渡し、そのまま手を繋いだところ彼女は「ひゃっ!」と可愛らしい声を上げ、顔を真っ赤にして「あ、あの、教官?こ、これぐらいの人混みなら、迷子になったり、しません、よ?」なんて言う。 病室ではベットの上に乗る手の甲を撫でたり、指を絡めたり、終盤ではベッドに腰掛けた彼女の腰に腕を回しながら手を握ったりしていたというのに、周りに人がいるというだけでこの反応。どんだけだ。いちいち可愛くて仕方がない!開き直りを覚えた堂上は素直にそう思う。 「恋人同士手を繋ぐのに理由なんているか」 それまで堂上が郁に触れられるのは、彼女が苦しんでいるときだけだった。あるいは業務を建前にしなければいけなかった。他にどれだけ触れたくとも、理由がなければその手を伸ばすことができなかった。それが理由なく許される関係はとんでもなく幸せなことなのだと思う。だから、堂上は今までにないほど、自分から「彼女」への接触をはかる。 キュッと無言で握り返す郁の同意に堂上は柔らかな笑みを零した。 「―――まずは映画だな」 手を引かれるような形で、けれどそれは無理矢理引き立てるものではなく、郁はあえて半々歩遅れて歩き、堂上が優しく連れて歩いてくれている温もりを甘受しながら「―――楽しみです」と指に込める力を少しだけ加えて言った。 そんな中で、ふと、郁は思った。 もしかしたら、あの事件がなければあの日歩いたかもしれない道筋。けれど、あの日カミツレを飲んだ後ではきっとこんな風には歩けなかっただろう。あのときと違って、なんで堂上は手を繋ぐのか、なんて理由を必死になって考える必要はない。これは違うのだと、期待を押し留める必要はない。 堂上の負傷という思いがけないアクシデントはあったものの、だからこそそれがきっかけで今があるのだと郁は思う。じゃなきゃ、自分からあんな思い切った行動はとれなかった。それがなければ、今頃この関係はどうなっていたのか―――少なくとも郁には想像ができない。郁の中ではあくまでも自分の告白が前提での今だ。 だからと言って、堂上の怪我を喜んでいるわけではもちろんなく、出来れば今後あんな怪我は見たくない。思わず祈るように、縋るように堂上の手を握る手に力が入る。 「どうした?」 立ち止まり、聞き返す声と表情がどこまでも柔らかくて優しい。 「教官と、こんな風に歩けるなんて、幸せすぎて、夢みたいで」 「―――勝手に夢になんてするな」 ふてたような声と共に郁の手が引かれる。 「こっちは何年待ったと思ってる。今更夢でしか触れないような関係になんて戻られてたまるか」 思わず突いてでてしまった言葉に堂上は「しまった」と顔をしかめる。「え?え?」と疑問符を浮かべる郁を無視し、堂上はグイグイと少しばかり強引に引いて歩く。 「え?あの?教官??さっきの、え?あれ?」 どういう意味ですか、と聞きたげな郁の言葉を「急がないと乗り遅れるぞ」と言う言葉で堂上はかき消す。 ―――幸せすぎる、なんて絶対俺の方が思ってる! こんな風に言えない言葉が増えていく。けれどそんな言葉が増えていくたびに郁のことが心底好きなのだと再認識し、そしてますます手放せないと思う。 郁にあわせたお付き合いは、妙齢の男女の付き合いを思えばどこまでも健全で、まるで中学生日記のようなレベルではあったが、そのことに堂上は焦りはしなかった。今の郁があるのはそういう性格があってのことで、そういう奥手なところも含めて大事にしてやりたいと思う。 待ち合わせは駅で。手を繋ぐのも駅から駅まで。 それで郁が安心して笑っていられるのなら、しばらくはそのままで構わないと思っていた。 今思えば、それがそもそもの間違いだったのだが。 |