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「あ、あの。教官。ちょっと、欲しいものがあるんですけど。いいですか?」 器用な上目遣いで郁がそうお伺いを立ててきたのは、あのメールから初めてのデートの最中だった。 心底申し訳なさそうな顔を見せる彼女の姿に堂上は苦笑する。妹までとはいかなくとも少しくらいプレゼントの一つでも強請ればいいのにと思っている彼氏心なんて到底理解できないだろう。 彼女に遠慮されるのははっきり言って、面白くない。 これだけいっしょに居て、それを断る理由さえもう持たなくなった。それ程互いに許された存在だと、堂上は考えているのだが、郁にはそれがなかなか分からないらしい。 もう少し、我侭を言っても。もう少し頼ってくれても。 そう思っている自分をものすごく馬鹿げていると思うが、それを否定することは出来ない。 「そういうことは遠慮せずちゃんと言えといつも言ってるだろう」 何が欲しいんだ、と尋ねれば、少しだけ言いづらそうに口籠った郁は、やや間を開けて通りの向かいの一軒を指さした。 「えっと、あのお店なんですけど・・・」 そこにあるのはパステルカラーの店構えをしたファンシーショップだ。 「あ、あの。すぐ買ってくるので、教官は近くのカフェでコーヒーでも飲んでてもらっても」 堂上がその手の店を不得手にしているのを承知している郁は慌てて付け足す。そのまま「ひとっ走り行ってきます!」とでも言いかねない様子の郁の手に絡める指の力を堂上は「まぁ待て」と言わんばかりに少しだけ強める。 確かに、得意な場所ではないが、だからと言って繋いでいる手を離す理由にはならない。 戸惑ったような顔をする郁に先立つ形で堂上がその腕を引っ張る。 「何やってるんだ。行くんだろ?」 「行きます!けど、あの、堂上教官は」 「デートだろ。なんでわざわざ離れなきゃならん。 一人なら確かに躊躇するけどな、お前と一緒なら別に構わん」 その言葉に、郁は「―――はい」と小さくはにかみ、伸ばした指先を再度堂上のものと絡めた。 堂上にはその違いが分からない似たり寄ったりの商品群の中を進む郁の足取りは迷いがない。 真っ直ぐに進んだ先は壁一面にぬいぐるみが陳列されている場所だった。 そしてその中から郁は一番小さなサイズのぬいぐるみを手に取った。―――ピンク色のイルカ、郁が好きな“ももイルカ”のぬいぐるみだ。 片掌に乗るほど小さなそのぬいぐるみをそっと両手に持ち、胸元で抱える郁が堂上を振り返る。 「あ、あの。これ、あたしが持っても、変、じゃないですか?」 「普通に可愛いと思うが?」 何をいまさらということを聞いてくる郁に堂上は恥ずかしげもなく真顔で答える。その言葉に恥ずかしがったのは郁の方で「あ、な、ならいいです」と真っ赤になった顔を隠すように顔を俯かせ、その前にぬいぐるみを掲げて堂上の視線をさえぎる。その姿がまた可愛い。 「じゃ、じゃあ買ってきます!」 「待て!だから、なんでお前はそこで俺の存在をなかったことにするか」 レジに向かって身を翻す郁の腕をとり、ついでに手の中のぬいぐるみを取り上げる。 そしてそのままスタスタと歩き出す堂上に郁が慌てる。 「きょ、教官?!」 「買ってやる」 「や、でも。そんな理由もなく」 「バカが。だから俺が買ってやるんだろうが。 こういう時こそたまには彼氏面をさせろ、アホウ」 可愛い彼女を甘やかすのに理由なんか必要ない。彼女だから建前もなく欲しがっている物を買い与えてやれる。いい加減それを解れ。 それにプシューと顔を真っ赤にさせた郁は恥ずかしさで俯き、大人しく堂上に付いて行く。 「あのっ、ありがとうございます」 会計後、「ほら」と渡された包みを郁はキュっと大切そうに抱きしめて礼を言う。まっすぐに目を見て言うところがまた可愛らしいところだと堂上は思う。 「お前はもうちょっと素直に甘えとけ。彼女の特権だ」 たいして欲しくないものを嫌がらせで強請る妹とは違うのだ。可愛い彼女が欲しがるものを買ってやれるくらいの甲斐性はあるつもりだ。 どうせならもう少し大きいものを買ってやれば良かったか、とこぼす堂上に郁は首を慌てて振る。 「いえ!これで充分です。寮室に置くとなるとあんまり大きいのは邪魔になるし。 それに―――あたしはまだこれくらいだと、思うし」 「何がだ」 「えっと、あの。その。 あたし、このももイルカも、ですけど、カワイイもの結構好きで」 「知ってるが?」 それこそ、堂上にしてみれば「何をいまさら」だ。郁が女の子らしい可愛いものが好きで、それが似合う可愛らしい女だということはとっくの昔に知っている。 「でも、あたし、こういうの似合わないって、ずっと思ってたから、持てなくて」 「―――知ってるが」 思わず声が硬くなってしまうことに、堂上は内心で舌打ちする。 「俺は、似合ってると思うし、そもそもお前自身が可愛いと思ってると何度も言ってるだろ」 何度言い重ねても、それでも首を縦に振らなかった郁が―――。 「だから。その、教官が可愛いって言ってくれるあたしなら、持っててもいいんじゃないかって、思えたから。 その、でも、やっぱりまだそこまで自信はないから、今はこのサイズだけど。 もっと、教官に可愛いって言ってもらえる自分になれたと思ったら、次はもっとおっきいのにします。 だから、おっきいのは、もうちょっと、待っててください」 正面からはにかみながら言われたその言葉に「あーもう!」と堪らず堂上は絶大に可愛い彼女を抱きしめる。 「きょっ教官?!」 アワアワジタバタとバタつく郁の動きを封じ込めるように一層強く抱き込める。 「―――だから、俺はお前には負けるんだ」 「え?負ける?負けるって何?」 え?何?なんか勝負してたっけ?とハテナマークをいっぱいに浮かべる郁に「―――こっちの話だ」と頭を押さえつけて肩口に顔を埋めさせる。今、顔を見られると、困る。 いつだって、そうだ。 郁自身は堂上の背中を追っているつもりなのだろうが。 実際には、その姿を追っているのは自分の方で、郁は一周先を走っているのではないかと堂上は時々思う。 小牧との会話を、胸の奥底で燻ぶっていた感情を知っている訳でもないだろうに。 そうとは知らず、いともあっけなくその部分を埋めてくる。 郁ではなく、いつの間にか知らず知らずのうちに自分のトラウマになっていたものを、こんな形で癒されると誰が思うか。 そのくせ、それを自分では自覚せず、初めから全部自分のものだったそれを全て堂上の手柄だと見せてくるのだから、どんだけだ。 ―――だから、俺はこいつに勝てる気がしないのだ。 いつだって先に白旗を振るのは自分の方だ。 それでも、それを悟られないのもまた、鈍い彼女のおかげか、と堂上は郁に隠れてこっそりと笑う。 ―――「だったら今から店で一番でっかいやつ買いに行くか。それでも足りないくらいだが」 そう言えば郁は顔を真っ赤にして、ブンブンと勢いよく首を振って否定するだろう。 けれど、もう、そう否定されてもジクジクとした想いを産むことはないだろう。 今この腕の中に居るのは、確かに自分が可愛いと思う郁そのものなのだから。 |