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特殊部隊の一班長であるところの堂上は、その真面目な性格と使い勝手の良さから特殊部隊内の便利屋と化している節がある。 ゆえに連日多忙を極め、定時退庁できることは少なく、今日も例にもれず残業と相成った。 出来あがった書類をトンと整え、時間を確認すればそろそろ食堂が閉まる時間だ。軽く片づけ身支度をすればそれも間もなく過ぎるだろう。 まぁいいか、と軽く肩を鳴らして堂上は携帯を開き、仕事上がりの連絡を待っていると言っていた恋人にメールを送る。 ―――『今から事務所を出る』 なんだか、夫婦のようではないか。そんなやりとりに堂上の顔はやや脂下がる。 郁からはすぐに返信が返ってきた。 ―――『ロビーで待ってます』 その返事にまたも堂上の相好は崩れる。 ◆◆◆ 「お帰りなさい!堂上教官」 寮に帰り、下足置き場に靴を並べていたところに、玄関が見えるソファーで待っていたのだろう郁がパタパタと堂上の元に駆け寄る。 郁の呼びかけに、堂上の胸がじんわりと温かなもので充たされる。残業の疲れなど吹っ飛ぶというものだ。というかこうして郁に迎えられるのなら、残業するのも悪くはないと思うあたり自分もかなり現金な性格だと、堂上は内心で苦笑を零す。 「ご飯まだですよね?」 「ああ」 「食堂のおばちゃんに頼んで、お夜食作ってもらったんです。 談話室に用意してるんでそこで食べましょう?」 手を取りながらにこりと笑う郁は可愛くて、そしてなんと気遣いの出来る出来た嫁かと堂上は思う。 談話室に入り、堂上に席を勧めた後も郁はパタパタと動く。 「お味噌汁とー、お漬け物。あとー、おかずは、ブリ大根と鶏の照り焼きです。 ご飯は乾燥しちゃうと思って、おにぎりにして包んでもらいました。 一応教官が戻る前にレンジで温めたんですけど、ちょっと冷めちゃいましたかね。温め直します?」 「いや、大丈夫だ」 用意されていた食事は熱々というわけではなかったが、食べるには申し分ない温かさを保っていた。 なるほど、それで事務所を出る時に連絡をくれと言ったわけか。 堂上の前に座り、にこにこと堂上の食事風景を見詰める郁に堂上も自然と笑みが浮かぶ。 「最近教官忙しかったから、少しでもちゃんとした食事をゆっくり食べてもらおうと思って」 「ありがとう。助かる」 「良かったぁ。あたしじゃ堂上教官のお仕事の手伝いとか出来ないから、少しでも役に立てて嬉しいです」 えへへー。と笑う郁に、俺の嫁(希望)マジ健気で可愛すぎるだろう!と堂上の胸は熱くなる。 使った紙皿等をテキパキと片づけ、ゴミ捨ててきますねと行って出ていった郁が「今日も一日お疲れさまでした」と戻って来た時に手にしていたのは冷えた缶ビールだった。 どれだけ気配り上手な嫁か。お前はいつでも嫁に行ける。というかむしろ今すぐ俺のとこに来い! 脂下がり過ぎそうになる顔をなんとか保ちつつ、堂上は郁から缶ビールを受け取る。 冷たく冷えたビールのほろ苦い炭酸が咽喉をすべり落ちていく感覚に堂上は思わず目を細める。そんなリラックスムードの堂上に郁もまたホロリと相好を崩す。 「ごちそうさん」 くしゃりと頭を撫でられて、郁がにこりと笑う。 「あの、教官」 「ん。どうした」 「明日の件なんですけど」 「ああ。映画観に行く予定だったな。11時の回でいいか」 「それ、今度にしましょう!」 「は?」 パン、と胸の前で手を叩いて提案する郁に堂上は呆気にとられる。 「あー・・・他に行きたいとこ出来たか?」 それならそれで別に構わない。もともと映画だって郁が観たがっていたものだ。 なにせ郁とのデートの基本は郁がやりたいこと行きたいとこ、だ。それが堂上のやりたいことで行きたいとこなので問題はない。 言えば、「いえ」と郁は首を振った。 「じゃなくて、明日のデートなしにしましょ。 予定してた映画の上映はまだ先まであるし、次回に持ち越しと言うことで」 「は?おい」 「あ、もうすぐ消灯ですね。 じゃあ、そういうわけで、明日はゆっくり休んでくださいね」 「ちょ、郁」 「はい。おやすみなさい」 律義にペコリと頭を下げて、玄関に駆けてきた時のようにパタパタと郁は女子寮へと戻って行った。 「―――は?」 取り残された堂上は一人、ポカンとする。 どういうことだ? 気遣いが出来る嫁じゃなかったのかよ、おい! ◆◆◆
意味が分からないまま、とりあえず郁にデートをドタキャンされたことは理解した堂上は次の日当たり前のように不機嫌だった。 不貞腐れた顔でロビーのソファーにドカリと座り、バサリと新聞を広げたところで「あれ?」と聞きなれた能天気な声が堂上の耳に届いた。 「なんで、教官居るんですか」 なんでって。 「―――お前にデートドタキャンされて、予定がなくなったからな」 つい刺々しくなる言葉に、郁はむーと口を小さく尖らせる。 「いや、だから休んでて下さいって言ったじゃないですか。もー、少しはゆっくりしてくださいよー」 なんでこんな朝から居るかなー、とぼやく郁に、ああ成程と、堂上は眉間に出来た皺を揉み、ゆっくりと解していく。 やはり堂上の恋人(未来の嫁)は可愛くて、それでいて斜め上に突っ走ることが得意なバカだった。 その後デートに行く行かないを共用ロビーで押し問答した郁と堂上のバカップルは、「じゃあ今日はゆっくりできるところに行きましょう」という郁の提案に落ち着きを見せた。 そしてやってきたのが、駅近くにあるマンガ喫茶である。 「結構ゆっくりできるんですよー此処。半個室みたいになってて、周りの目もあんまり気にならないし。 ドリンクや軽食も無料だったりして、値段も手ごろなんでで、学生時代に何度か利用してたんです」 「へー。しかし本読むなら図書館なんかでも事足りるだろ」 「シャワーもついてるとこ多いし、ネカフェや漫喫は安宿代わりに使うのにちょうどいいんですよ」 「―――女なんだから、そういうとこに泊るのは止めろ」 苦くして言う堂上に郁は「はぁい」と軽く返す。 堂上がマンガ喫茶初経験であることから、郁が受付を済ませる。非会員でも身分証の提示で利用は可能と言うことだったのでそのまま手続きを進める。 「シートのご希望はありますか?」 ご希望は、と訊かれても、よくよく考えれば郁も今まで利用したのは一人で、ほとんど寝場としか使って居なかったのでスタンダードなシングル用の個室の利用しかない。 アルバイトだと思われる若い店員はマニュアルどおり、てきぱきと説明をはじめた。 「インターネットをご利用になられるのでしたらシングルシート、DVD鑑賞やマンガ、雑誌をお読みになるのでしたらリクライニングシートがよろしいと思います。 おふたりご一緒がよろしければペアシートもございますが?」 「それじゃあ、ペアシートでお願いします」 「かしこまりました。ではこちらが部屋番号になります」 渡されたナンバーが印字された伝票を頼りにシートを探す。 「あ、ソフトクリームがある。後で食べよっと」 通りしなフリーのフードドリンクコーナーの品を目敏くチェックした郁が小声で呟く。その呟きを拾った堂上が小さく笑う。 そういうところが可愛くて、堂上の癒しになっていることを郁本人だけが知らない。 「あ、ここですね」 指定された部屋には大人二人が座ってもまだ余裕がありそうなソファーがあり、向かいの中央部分にパソコンのディスプレイがある。部屋全体がゆったりとしたつくりで座敷部分にはカーペットが敷いてあり、クッションも置いてあるから、寝転がることも可能だ。ブランケットの貸し出しもあるから、お昼寝もできそうだと郁は思った。 部屋に入り、スライドドアを閉めたところで、「あれ?」と郁が首を傾げた。 「どうした?」 「いえ。前にあたしが使ってたところは内鍵が付いてたんですけど・・・」 「・・・そりゃ、お前あれだろ」 きょとんとする郁に、堂上は苦笑する。 「こういう部屋だと、悪さする奴らもいるからだろ」 部屋が完全な個室ではなく、扉の上下が開いていて、磨りガラスが使われているのもそういう意図があるのだろう。 「煙草とか……ですか?」 郁は小首を傾げた。 斜め上の暴走は得意なくせにこういうことに関しては著しく想像力が欠如しているとしか思えないが、彼女は天然純真娘なのだから仕方ない。そういう察しが悪いところも郁の可愛いところである。 「そうじゃなくて、な」 笑って堂上はいきなり郁の腰に手を回すと、ぐいと抱き寄せた。驚き、目を見張った郁に構わずキスをする。 「わわわっ、ちょ、教官!?」 「―――それから」 堂上は個室の外の気配を伺う。人の気配はないとみるとそのまま郁を押し倒した。 「ふぎゃっ!」 なるほど、確かにこれは具合がいい。 床で致すと足元の隙間から見えかねないが、磨りガラス越しでもソファーでなら背もたれもあり、その奥での行為は見えないだろう。声さえ押し殺せば周りにバレずに出来なくもない。おまけにホテルで休憩するよりずっと安く済むときたもんだ。 「じょ、冗談、ですよね?」 「当たり前だろ」 顔を引き攣らせている郁からあっさりと堂上はどき、笑いながら起こしてやる。郁は混乱で今にも泣きそうだ。 「良識のある大人がこんなところでするわけないだろう?」 堂上はぽんぽんと郁の頭を撫でた。それに郁はホッと安堵の笑みを浮かべ「ですよね!」と強く頷く。良識って大事だ。 だが、しかし堂上の良識とはこんな壁の薄いとこでできるか、程度のものであることを郁は知らない。 その後壁が薄くないところで堂上がマンキツできたかどうかは、二人のみが知る。 |