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ぴちょん、ちょん、という遠くからする定期的な水音にうっすらと意識が覚醒し始めた。 ああそうだ、とゆるゆると昨晩のことが思い出される。 久しぶりの外泊だったから、慌ただしく二人で、そう、そのまま突入しそうだった彼を説得して、交換条件のように二人でシャワーを浴びて。 なんだか良く分からない内にバスルームからベッドルームに移っていて。 ああ、だから、シャワーノズルがきちんと締まってなくて水滴が床に零れ落ちるその音だな と、少し経ってから理解できた。 ―――みず 意識したら、無性に喉の渇きを覚えた。カラカラだ。 頭を動かそうとして、ぐに と、柔らかいような硬いような感触が首の後ろでした。 (うで、まくら・・・) 行為の後しばらく、うとうととしている時までは腕枕をされた記憶はない。 ということはわたしが眠ってしまってから差し込まれたのだろうか。 (まさか偶々こうなったとは、考えにくいし) いつから、そうだったのか。全然分からない。気づかなかった。 気配には敏感な方だと思っていたが(現に、その敏感さを他にも回してくれ、というようなことを言われる)、こうやって、腕を回されても気づかないということは、彼の温もりにそれだけ慣れてきた、ということなのだろうか。 素肌に感じる自分とは違う熱。それが中で自分のものと混ざり合う感覚。 溶け合うようにして充たされていく快感。 ひとから与えられる熱がこんなにも気持ちのいいものだとは知らなかった。 もぞり、と頭の下の腕が動く。 腕が痺れてないだろうか と、心配になってそっと、体を動かして頭を浮かせる。 (このまま、水、飲みにいこう) 冷蔵庫にはミネラルウォーターのペットボトルが入っていたはずだ。 この温もりは名残惜しいきはするけれど。 眠る彼を起こさないように、そっと。 そしたら腰に回っていた指先が引き止めるのかのように力が加わった。 ダイレクトに感じるその感覚に、思わず「ぎゃっ」なんて声が漏れそうになって、慌てて口を押さえる。 おそるおそる彼の方を見やれば、彼も目を開けわたしを見ていて、すごく眠そうに数回ゆっくりと瞬きをした。 「お、はよ・・・?ございます・・・」 「ん・・・、」 まだあまり、頭がはっきりしないようだ。 どきどきしながら声をかけて、低い、出しづらそうな、(けれどその掠れ具合が妙に色っぽい)返事が彼の喉元から聞こえてきて、その雰囲気にさらにどきりとする。 今までわたしの頭を乗せていた左腕を彼がゆっくりと動かしてさらりとわたしの髪を撫でた。 「うで、だいじょうぶですか?」 「ああ、平気だ。嬉しいからな」 なんだか、ちょっとピントのずれた会話。 だけどその「うれしい」という感覚はなんとなく分かる。 自分にだけ見せる、その態度が「嬉しい」。 「どうした?」 「みず、のもうかな、って思って・・・」 けど、もういいや。 なんか、潤った。 起こしかけた身体をもう一度沈めると、彼の顔が穏やかに緩む。 腕が抱き寄せるように優しく背中にまわされてすっと一回なでられる。すこし、くすぐったい。 「郁は?」 「うん?」 「や、痛くないかと思ってな」 心配そうに言われて思い出す。 初めてのときにあまりの痛さで泣き出してしまったわたしを教官はじっと待っていてくれた。 あのときは、想像以上の羞恥と痛みで、どうしても泣くのを堪えられなかった。 途中でやめようかと言う彼に、わたしは奥歯を噛み締めて、必死に首を横に振ってそれを拒否して ぎゅう と彼にしがみついた。 ゆっくりと労わってくれたからか、痛かったのは最初だけで、あとは初めての感覚に頭の中がごちゃごちゃになったけれど。 あのときの彼の身体の熱と痛みと何とも言えない幸福感を未だ覚えてる。 ・・・色々とイタイ思い出ともに、だ。 「ちょっと、のど、いたい、かな?でも、だいじょうぶ、ですよ?」 「ごめんな」 「あやまられるよなこと、されてないですよ?」 「ほんとは、もっと、加減してやんなきゃいけないんだろうけど・・・」 すまん、とまた謝られる。 なんというか、不思議な気分だ。 あの、“堂上篤”に、加減が出来ないほど求められているのが、わたしだということ。 つまり、それだけ“好き”ってこと・・・? (なんだろうな) やはり、不思議な気分だ。 でも、やっぱり、「嬉しい」。 「だいじょうぶ、です、よ。 きょかんは、ちゃんと、優しい・・・と思うし」 初めてだから、比較出来ないけど。 「別に、やじゃ、ないから」 「やじゃない?」 「・・・ですよ」 何だか猛烈に恥ずかしくなって、つい布団を引き上げて顔を隠す。 ゆるゆると、あやすように教官の手が髪を撫でる。 その穏やかな振動にホッとする。 「ごめんな」 まだ言うか、と視線を上げれば、何故か教官は照れたように視線を動かす。 ・・・何故? 見上げれば、こっち見んな、ってな具合で視線を反らされる。 「・・・なんか、俺ばっか、いい思いしてる気がして」 よく分からない。 と思ったが、多分あれだ。 わたしがまだ慣れてなくて、どうしたって最初の方はキモチヨサより痛みの方が勝ってる状況のことを言ってるのだろう。 確かに、痛いけど。 「わたしは、それでも、うれしいんですけど」 と言ったら。 「俺がヤなんだよ」 と返ってきた。 そーゆーものなの? 教官は、ひどく やさしい。 ときどきわたしは、甘やかされすぎじゃないかと思うくらいに。 すこし前それを本人に言ったら「そうだな。可愛い彼女は甘やかしたいからな」と嬉しそうに言った。 や、もうほんと「誰だこの人?!」と思うほど蕩けそうに甘い顔で。鬼教官とはなんだったのか。 けれどその裏に併せ持つ教官の、彼自身の乱暴な部分も 確かにあって、その両方をこの行為のときは感じることが出来ると気がついた。 ただ優しくされるだけじゃなくて、率直に彼の乱暴な部分を見せられるのも、わたしはすき なんだ。 「でも、いつか慣れる、もの、でしょ?」 初めの頃は痛いって聞くし。 (確かに初めては予想以上の痛さと恥ずかしさだったけど。・・・その節はすみませんでした、堂上教官) 言って、しまった!と思う。 教官もちょっと驚いた顔でこっち見てるし。 (うあぁ〜・・・!) 聞かなかったことにしてくれ、と言いたい。 だって、これじゃあ―――。 (や、教官とこういうことするのがヤなわけじゃないんだけど) だけど、さっきの言葉は。 (またやろうって誘ってるみたいじゃないっ・・・!!) ヤバイ。恥ずかしい。恥ずかしさで死ねる。 そりゃ、堂上教官もびっくりするよ。 わたしだってびっくりだ! 「あ、のさ、郁」 「ん、うん」 「ヤ、だったらいいんだけど」 教官が控えめに、言葉を切り出してきて、こんな雰囲気の始まりを、前にもしたなあ と、わたしはまたふと記憶の中の過去に戻った。 忘れもしない、あれは一ヶ月ほど前の話だ。 「郁、あのな」 ・・・あれは、いま思い出しても笑えるかも。 たって、あの!鬼教官が!あたしに! 捨てられた子犬みたいな目で“懇願”だよ?! 「・・・なに、笑ってんだよ、」 「ご、ごめんなさい、」 ただの思い出し笑いだから気にしないで と言えば なに思い出したんだよ、と不機嫌そうな視線。 「教官の可愛いところを思い出してました」 なんて、言える雰囲気ではなくて。 (言ったら絶対、機嫌悪くなる。か、落ち込む。 一回イジケると、結構尾を引くんだよね、教官って) 「いいから。・・・何ですか?」 話を逸らそうと、本来の教官の問いにかえせば、さっきの視線は何処へやら。 や、だから嫌だったらいいんだけど・・・と、言葉を濁す。 なに?そんなに言い辛いことなのだろうか と、不思議に思ってじぃ と彼を見つめる。 てん、てん、と彼の視線はあちこち動いて落ち着き無い。 「きょーかん?」 呼べば、観念した様に視線が合う。 ・・・教官?なんでそんな、耳赤いの・・・? 「・・・もう、いっかい、とか言ったら・・・」 あー・・・うん。 つまり、アレでしょ? ・・・元気ですね、教官。 って、わけ、じゃ、ないんだろうけど。 (・・・よね?) 「嫌か・・・?」 「・・・じゃないん、だけ、ど・・・。 えっと・・・今?」 「・・・・・・」 沈黙は肯定とみなしますよ。 っていうか、肯定なんだよね・・・。 ・・・もしかしなくとも。 (煽っちゃったの、あたし・・・?!) どうすればいいんだろう・・・。 困った、と視線を彷徨わせていたら、 「悪い!」 いきなりガバッと、正座して、というか、土下座して教官が謝ってきた。 って、言うか。って言うか! (目のやり場に困るっつーの!) お互い裸で、着ていたシャツとかTシャツはベットの下に投げ捨てられてる状態、で。 「えっと、きょ、教官!」 「すまん!調子に乗った!悪い!」 お前、まだ本調子じゃないのに。 モゴモゴと。 あー、だの、うー、だの呻きながら頭を掻きむしる。 「ガッツキすぎ、だよな、俺」 項垂れたところから、そっと、伺うように顔が上がる。 ・・・情けない顔。 どんだけ必死なんですか、教官。 すまん、と言う教官はとても可愛くて、やっぱり笑ってしまう。 とてもやさしくて、時に乱暴で、率直に欲求をぶつけてくる彼をいとおしく感じる以外にない。 だから、自然に。 「―――・・・いいですよ」 と小さく返したら、少しだけ、彼は目を見張り、しばらくしてゆっくり、頭を振った。 「―――いい」 「やっぱ無理させたく、ないしな」 「・・・いいのに」 「お前が『いい』っつっても、やっぱ負担かかるのは変わんないし。 お前に無理させてるって、思いながら抱くのは、ヤだしな」 やはり、彼は、やさしい。 最後の最後で、彼はやっぱりわたしに譲るのだ。 「いいですよ」 って言ったのは、本当。 まだ、慣れていなくて、痛いけれど、彼と繋がる行為は嫌いではない。 それを、彼も喜んでくれるから。 だけど、身体が辛いのも本当。 ちょっと、昨日はね。 うん。 もう一回重ねて「いいですよ」と言えればいいのだろうけど、やっぱり彼の言葉に甘えてしまう。 (教官だって辛いだろうに) そう、思っても。 「―――その代わり、抱きしめて眠っていいか?」 その言葉に こくり と小さく頷けば、ホッと笑みを零した彼が腕を伸ばす。 そのまま、抱き寄せられて広く逞しい彼の胸板に頭を預ける。 ポスリ、とゆっくりとベットに沈む。ふわりと彼に包まれて。 我慢をさせてしまっている教官に(ごめんなさい)と謝りながら。 安心する、教官の体温とにおいに、もうすこしだけ、甘やかされていよう、と思った。 「・・・おやすみなさい、きょかん」 そう言って再び幸せなぬくもりの中に落ちていく。 |