「郁」
「あ、ありがとうございます。じゃあ、これどうぞ」
「別に気にしなくてもいいんだがな。ありがとう」
堂上の頼んだセットについていたムースが郁のトレイに移り、郁のトレイから堂上のトレイへと揚げだし豆腐が移る。郁がデザート付きではない和食のセットを頼んだ場合に高確率で起こる光景だ
今日は和食メニューが郁の好物である鯵フライ定食だったため、どうしようかな、とディスプレイの前でむむっと悩んでいたら、笑いながら「俺がBを頼むから、お前はAを頼め」と堂上に言われた。もともと堂上はさほど食にはこだわりはなく、腹に溜まればいいというタイプであるし、何より郁に頗る甘い男である。甘やかせる時にここぞとばかりに甘やかすのがもはや趣味であり特技だ。
「え、でも・・・」と郁が遠慮している間に、「悩んでる間に昼休憩が終わるだろ」とさっさと二種の食券を購入した堂上が列に並んだものだから、郁も慌てて堂上の後ろに並んだ。
あっという間の流れでちゃっかり奢る堂上に、その様子を後ろから見ていた柴崎と小牧が堪らず吹き出すが、もはやそれぐらいでは動じない堂上である。
そんなわけで、郁の本日の昼食は大好物の鯵フライにデザートおよび堂上の愛情付きだ。ニコニコと「鯵フライ好きなんで嬉しいです」と笑みを絶やさない恋人の姿に堂上も思わず笑みが零れる。
甘ーい雰囲気に同席した小牧と柴崎はニヤニヤとし、手塚は視線を上げず黙々と目の前の食事を片付けるのに集中する。
「なぁに、手塚ったらそんなに黙々としちゃって」
からかい混じりの柴崎の声も敢えて無視だ。堂上と郁が付き合い始めてそろそろ一年。いい加減身の振り方も覚えるというものだ。反応したら負けだ。何の勝負かと言われても分からないが、負けは負けだ。強い意思で、この甘ったるい空気をガン無視する。
空気化した男を気にしたそぶりもなく、郁と堂上は無自覚にいちゃつく。
そんな中、柴崎が「そう言えば」とチェシャ猫のような笑みを浮かべた。
「最近、笠原にモテ期到来なんですよー」
ご存知でした?といたずらげに目を細める柴崎に、今まで緩んだ表情をしていた堂上の眉間に皺が寄せられる。如実な変化に「ど、どうじょ、露骨すぎっ」と隣に座る小牧がブハっと吹き出す。思わず横目で堂上が睨むが、軽い上戸に陥っている小牧に届くわけもない。


―――んなこと、言われるまでもない。

柴崎の言葉に、心中で堂上は苛立たしげに舌打ちする。
付き合う以前から、囮捜査以降郁に向けられる野郎共の視線にムカムカとした思いを抱き、堂上と付き合い始めて以降女の子らしい言動や格好をし始めた郁を「女」と見る野郎が急激に増え、暇を見つけてはちょっかいを出す輩がもぐら叩きゲームの如く、あちこちからポコポコと湧き出てきて日々鬱陶しい思いをしている堂上である。
散々馬鹿にしてきたくせに、今更郁の可愛さに気付いて、手の平返しのような態度の変化に苛立たないわけがない。
郁の可愛さの本質は今に始まったことではないというのに、上辺の魅力だけで、ホイホイ群がる「虫」を目障りに思わないほど堂上の郁に対する執着心や独占欲は小さくない。日々の牽制は当たり前だ。
そうだと言うのに、郁に向けられる視線が減ることがないのは、業務実績は置いておいて、「見た目なら俺の方が釣り合う!」という馬鹿が多いのだ。
ああ、ああ!どうせ俺は郁より、身長が低いさ!だが、お互いそこは納得済みだほっとけ!つーかジロジロと郁を見るんじゃねぇ!うざってぇっ!!
そう部屋飲みで吠えることも珍しくはない。
そうであるから、柴崎の話題は今更であり、堂上には不快感しか生み出さない話題だ。
牙を剥くような堂上の様子も柴崎には通じない。
「今日もまた公開プロポーズですよ。僕と結婚して下さい!って」
「あ?」
「ねー、笠原?」
ハグッと鯵フライを頬張っていた郁はうん?と鯵フライを銜えたまま僅かに首を傾げる。モグモグと咀嚼しながら、苦笑気味に頷いた途端、堂上にギロっと睨まれて、郁はビクっと身を竦ませた。
「おい、こら。どういうことだ。聞いてないぞ。つーか、またってどういうことだまたって!」
郁は慌てて鯵フライを飲み込む。
「えっと、言わなきゃだめでした?」
「当たり前だろうがっ!!」
バン!っとテーブルを叩かれ、郁は目を丸くする。
「あ、あの、教官」
食堂内の注目を浴び、郁が落ち着いて、とオロオロと両手を翳す。
「あらー、やっぱりご報告すべきでした?
 だったら、報告義務を怠ったのは手塚も同罪ですよねー」
「手塚、お前も知ってたのかっ!」
尊敬する上官に睨まれて、手塚は慌てて居住まいを正す。
「すみません、堂上二正。業務報告対象とは思わず。次回からは日報に上げます」
「馬鹿、手塚!あんた何言ってんのよ!あんなんいちいち書いてたらキリないでしょうがっ!てかくだらなさすぎる上、隊の皆に笑われるっつーの!!」
「馬鹿はお前だっ!」
堂上に怒鳴られ、郁はヒャッと肩を竦める。


堂上にしてみれば正に寝耳に水の話だ。
自分の彼女が男の目を引く現状は、ムカつきつつも致し方ない部分もあると堂上は諦めてはいる。なにせ、自分の彼女はべらぼうに可愛いのだ。堂上基準で郁以上に可愛いものとか存在しない。そしてそんな可愛いすぎて心底惚れ込んでいる彼女を手放す気などさらさらないのだ。というか郁が他所に走り出そうとするのも許す気はない。もしそんなことしようものなら力わざで捩じ伏せる気満々である。
だからてめぇらは遠くから指銜えて悔しがってろ!ざまぁみろ!!というのが堂上の真情であるから、当然にさっさと郁を自分の籍にぶち込みたい気持ちは強い。とは言え、昇任試験を思いそこをグッと堪えているのだ。
一人の女として大事に大事に囲い込みたい気持ちもあるが、部下としての郁も守ってやりたい。
次の試験は郁憧れのカミツレがかかった試験だ。結婚が評価者にどんな影響を与えるのか分からない以上、せめて郁が三正に上がるまでは、とジリジリと我慢しているのだ。

―――だというの!

恋人を差し置いてプロポーズとは何事だ!こちとらいっそ既成事実作ってやろうか!と走りそうになるのを必死で押し止めていると言うのに!何で、どこの輩とも知れない奴に先を越されなければならない!


「―――子細は後で、じっくりこってり聞いてやる。
 で、いくらお前が馬鹿代表とは言え、勿論彼氏がいるっつって、綺麗さっぱり、木っ端みじんに断ってるよな?」
半端な断り入れて、今後もウロチョロとされたら目障りこの上ない。
「それが聞いて下さいよー」
郁が口を開くより先に、柴崎がぐいっと郁を押しのけて、身を乗りだす。
「この子ったら、差し出された指環受け取っちゃったんですよー」
「はぁあ?!おい、こら馬鹿!お前何考えてるんだっ!この馬鹿!馬鹿郁っ!」
「―――・・・だって可愛かったから、つい」
「可愛かったからつい、じゃねえわ、このドアホ!」

おいおい、マジかよ。嘘だろ。
怒鳴りながらも堂上の顔から血の気がひく。
可愛かったから?つい?
そんな簡単な理由で、付き合ってる男を余所に、他の男からプロポーズの言葉とともに出された指環を普通ホイホイ貰うか?それともその意味が分からんほど馬鹿なのか、こいつは。それとも、あれか?恋愛と結婚は別物ってタイプなのか?いや、だが、それにしたって!


「―――んなもん、とっとと突き返せ!つか処分しろ!むしろ、そいつ連れて来い!」
「連れて来てどうするんですか!」
「殴り倒すに決まってんだろ!人の女に手を出しておいて」
「ちょ、何言ってるんですか。ハルキにそんなつもりはないんですって」
「・・・ハルキ、だと?」
おい、なんだ、その名前呼び。
今まで一度も名前で、しかもそんな親しげな呼び捨てなどされたことのない堂上だ。
「そうですよ!そんなことしたら可哀相じゃないですか!」
「可哀相?そんなん俺のが可哀相だろうがっ!!」
「え?教官、なんかあったんですか?」
「あったんですか?じゃねえわ!今、正に!お前から、とんでもない仕打ちを受けとるわ!!」
「えっ?えっ?」
何で?何した?えっ?あたし?
本気でわけが分からない顔で、オロっオロっとあわてふためく郁に堂上は本気で泣きたくなる。
溺愛している彼女が他の男にプロポーズされ、あまつさえ了承ととれる行動を返していたことをポロッと何事もないことのように知らされた俺以上に可哀相な存在はどれだけいると言うんだ!
しかも郁が本気でなんとも思ってないところがどこまでも痛い。

痛々しい堂上の隣で、ブハっと堪らず、小牧が吹き出す。
「こ、小牧教官?」
な、何で、いきなり?!
展開についていけず、郁はますますパニック状態だ。
「か、笠原さん。その、かわいくて、つい、貰っちゃった、指環って、今、もってる?」
「あ、はい。持ってます」
「堂上にさ、見せてやってよ」
言われて、郁はスーツの内ポケットに手を差し込んで、図書隊手帳を取り出して開く。


「これです。ね、かわいーでしょー」
えへへーと笑う郁に、堂上は目を丸くして絶句する。
「せっかくだから、押し花にして栞にしてみましたー。
 ―――教官?」
そこに挟まっていたのは、シロツメ草で出来た指環だった。
「きょ、教官っ!」
脱力した堂上は思わず、ガン、と額をテーブルに打ち付けた。

「教官!しっかりして下さい!」
「堂上二正!」
「どうしよう、貧血かな?!」
オロオロする鈍感な部下二人。
「やだー、堂上教官ったらどうされたんですかー」
含み笑いの魔女一名。
「ひっ、も、むり」
呼吸困難に陥る寸前の同期一名。
各方面で頭の痛い面子に囲まれ、堂上は呻く。

―――勘弁してくれ、マジで!

「それもこれも、お前が悪い!!」
「いきなりなんなんですか、もーっ!さっきから、意味わかんないですよ!」
「分かれよ馬鹿っ!」


―――あーもー本気でさっさと試験に受かってくれ!!



その数ヶ月後、当人および堂上が待ち侘びた昇任試験に見事に合格した郁は念願のカミツレを手にすることとなるのだが、誰のせいでもなく、自分の言葉選びの悪さにプロポーズどころか一ヶ月の冷戦に突入することになろうとは、この時の堂上は知る由もなかった。








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