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「あの―――」 ぎゅっと息をつめて郁が堂上を見つめる。 「あたしが、堂上教官の隣に立っても、教官は恥ずかしくないですか」 「お前は、部下としても女としても俺の自慢だ。そこはちゃんと誇っとけ」 「あたしが教官の彼女だって、胸を張っても許されますか?」 「当たり前だろ。でなきゃ、俺一人が浮かれてるみたいじゃないか」 「浮かれる、ですか?」 「当然だろ。お前と付き合って俺が喜んでないとでも思ってるのか。 可愛い格好したお前が注目されるたびに俺がどんだけ優越感に浸ってるか知らんだろ」 モデル体型と言われる郁の着飾った姿は男女問わず注目を浴びる。山猿だのと呼ばれていた頃や図書隊の制服を着ている時ならまだしも、プライベートの彼女モードで堂上の隣で笑う郁は、どこまでも可愛いオンナノコだ。そうなると自然に隣に立つ堂上にも視線は流れる。そして男たちの「なんであいつが」という視線。身長の釣り合いが取れていないことなど、周りに言われるまでもなく分かっている。不躾な視線に苛立つこともままあるが、それと同時にざまあみろという優越感があるのも事実だ。男として自分の彼女が羨望の目で見られるのは悪い気分ではない。 「身長にコンプレックスがあるのはお互い様だ。だけどお前との関係に身長なんか関係ない。そうだろ?」 堂上の言葉に郁はコクンと小さく肯く。 「そしてお前がうっかり満載な部下だっていうことも織り込み済みだ。 それでも俺はお前がいい。それじゃだめなのか」 「だめじゃない、です」 「だからな、別に仕事の面でやる気になるのは構わないが、そういうことはまず俺に一言相談してくれ。じゃなきゃ、いらん心配するし、不安にもなる」 おそらくこういう展開になったのは、ウチのお姫様を心底大切に思っている魔女からの仕置きであるのだということを堂上はなんとなく理解した。 つまり、 「あたしの可愛い健気な笠原がつまらない女どもの中傷に一人で対処しようとしているのに、さてその原因となっている彼氏様は一体何をしておいでで?」 というところだろう。 柴崎は郁が堂上と付き合うことに手を貸していても、堂上が郁と付き合うことを後押ししているわけではない。今回の件は郁に見合う男は何も堂上だけではないのだという警告なのだろう。郁のことを大切に思えるのはなにも堂上だけではない。もしかしたら自分よりももっと―――。 そんなこと、言われるまでもなく分かっている。 分かっているから、心配し、不安になって、苦しくなる。 郁に誰が必要なのかではない。 自分に郁が必要なのだ。 郁を掻き抱く堂上の腕に力が入る。 「ごめんなさい。どうせだったら、ちゃんとできるようになったところを見せて、教官を驚かせたくて」 「違う意味で驚いたわ」 「違う意味?」 きつい腕の中で、郁が身じろぎして顔を上げる。きょとん、と首を傾げる様は幼さすら感じさせる。 「もし俺がお前と同じようなことしたらどうする?」 「教官が、ですか・・・?」 じっと考え込んだ郁がしばらくして口を開く。 「―――紹介、して欲しいです」 「は?」 「だ、だって!堂上教官がレファレンスの練習頼むような人なんて超スゴイ人じゃないですか!」 「誰がレファレンスの話をしてるか!そこから離れろ!!」 そうだよな、こういう奴だよなと堂上は思わず苦笑する。そういう男の機微が分からないからこういうことを仕出かすのだ。駆け引きだとかそういうことを知らず、いつだって感情を素直に表す郁は隠し事ができないタイプだということは、こうして目の前に居る時にははっきりと分かるのに、姿が見えなくなると途端に不安に駆られるなんて俺もまだまだ青いなと堂上は再び苦笑する。 「デートの誘いを断った彼女が自分の知らんところで知らん男と会って、楽しそうに笑ってたら誰だって驚く。捨てられるかと思った」 誤解も解け、ようやく落ち着いた堂上がおどけて言えば郁がびっくりしたような顔をする。 「逆はあっても、そんなことはあり得ません!あたしが好きなのは堂上教官だけです!!」 その言葉に「そうか、あり得ないか」と堂上は笑う。 「あり得ません!」 重ねて言う郁の頭を抱き寄せて全身で囲う。 「―――俺だって、あり得んわ、アホウ」 「―――なぁ。郁。俺に不満に思うことがある時はちゃんと言ってくれよ」 「だから、教官に不満とかないですよ?」 「あったら、だ」 「分かりました」 言って郁は小さく笑う。 「教官だって、言ってくださいね」 「あったら、な」 そこまで言って、堂上は一瞬考え込むように黙り、口を開く。 「―――あんまり他の男に笑顔を見せるな、握手だろうとなんだろうと簡単に身体を触らせるな」 「きょ、教官?」 「あと、俺の知らんところで、男と二人っきりになるな。怖いから」 「―――教官」 「信じてないわけじゃないんだ。ただ、俺だって自信がない。 俺はお前より身長が低いうえに5つも年上だ。そのくせ言葉も足りずに、気遣いにも欠ける。 お前の恋人として、足りないところだらけだ」 「そんなこと、そんなことありません!教官はあたしにはもったいないくらいカッコいい人で。でもそういう、見た目とかそういんじゃなく・・・あ、もちろん見た目だってすっごくかっこよくて好きですよ!でも、それが一番じゃなくて、あたしは、堂上教官が堂上教官だから、好き、です。 身長だって、年の差だって関係ない!仕事は厳しいけど、それだってちゃんと見てくれてる証拠だし、ぷ、プライベートの時はとんでもなく優しいし。っていうか、優しすぎてあたしの心臓壊れそうだし!あ、だから、ちょっとその辺りは配慮して欲しいっていうか・・・」 「そうか」 言い募る郁の言葉に堂上が笑う。 「そうです!毎回毎回、あたしは死にそうです!」 「それに関してはお互い様だな」 「あたしは何もしてません!」 「実際俺は今日心臓が止まりそうになった」 「うっ・・・それは、・・・すみませんでした」 「それだけじゃなく、俺はお前の可愛いとこにもしょっちゅう殺されかけてるからな」 「かっ・・・!だから!教官はすぐそういうこと言う!言葉が足りないとか大ウソ! 教官はあたしに可愛い可愛い言いすぎです!不整脈であたしを殺したいんですか?!」 「可愛いもんを可愛いって言って何が悪い」 「だから!そーいうところが心臓に悪いんですーっ!」 「別に俺だけじゃなくて、柴崎や、小牧だって言うだろ」 「そうですけど!でも、違うんです!堂上教官のは違うんです!」 「なんだ、嫌なのか?」 堂上の声はすでに楽しげなものに変わっているが、いっぱいいっぱいな郁にはそれは分からない。 「そんなわけないです!嬉しいです!あ、べ、別に他の人に言われるのが嬉しくないわけじゃなくって・・・ 教官の可愛いは特別で、特別嬉しくて、でも嬉しすぎて、心臓おかしくなるんですっ!!」 「―――お前はほっんと、可愛いな」 「もーだからぁ〜〜〜っ!!」 それ以上喋らないでー!!顔を真っ赤にさせて涙目で口を押さえてくる郁の掌を堂上はペロリと舐める。 「きゃあーーーっ!!なめっ!なめっ!!」 「ああ、美味そうだったからつい」 飛び退く郁の手首を捉えながら、堂上はそれはそれは楽しそうに笑う。 「嫌だったか?」 「教官じゃなきゃ回し蹴りです!」 そうやって言外に俺を許容するから、ついどこまで許されているのか確かめたくなるのだとは当然に気づいていないのだろうな。 笑いながら掴んだ手首をそのままに堂上が歩き出せば、郁が慌てて声をかける。 「きょっ教官、手!」 「手?ああ―――繋ぎたいんならそう言え」 手を離し、すぐに指を絡めれば郁が「そうじゃなくって!」と声を上げる。 「嫌か?」 「だから!そうでもなくて!」 うーうーともどかしさにジタバタする郁に唸るな唸るなと堂上は笑う。 「お前どうせ、このあと予定ないんだろ」 「ないです、けど・・・」 「じゃあ、俺に付き合え。デートするぞ」 「ちょっ!まっ!今日は無理!今日は無理です!」 「なんでだ。優先順位は俺が一番なんだろ?」 「そうですけど!でも、今日の恰好はおしゃれ着じゃないし!教官とは可愛い恰好で出かけたいし!」 「じゃあ、お前の言うところの可愛い恰好を揃えたらいいだろ。好きなの買ってやる」 「教官に見せる服は自分で買いますー。っていうか、女の舞台裏は秘密なんです!出来上がった格好を見て欲しいんです!プライベートの教官の前では恰好だけでもせめて可愛い姿でいたいから!」 「―――だから、そーいうところがな・・・」 あーもう、堪らんと堂上はごちる。これで自分は可愛くないと言うんだから、どんだけだ。 「お前はもうちょっと自分が俺に与える影響力を考えた行動をしろ」 言えば、しょぼんと郁が返す。 「・・・これでも、精一杯教官のこと考えてるんですけど」 「―――たとえば?」 「うぇっ、た、たとえばっ?」 「たとえば」 「―――たとえば・・・教官を待たせないように、今日は早めに部屋を出なきゃ、とか。この服、教官に変に思われないかな、気に入ってくれるといいなとか。この映画あたしは面白かったけど教官はつまらなくなかったかな、とか。このお店の料理教官は好きかな、とか。コンビニ行くのにわざわざメールするなんて迷惑じゃないかな、とか。寝る前に声聞きたいけど、そんなので電話なんてしちゃいけないから我慢しないと、とか。そんな、いろいろ、考えてるん、です、けど・・・」 ―――笠原さんみたいなのも、男泣かせって言うのかな。 いつかの小牧の言葉に堂上は脳内で大きく反論する。男泣かせなんて可愛いもんじゃねーぞ。悪魔だ悪魔。こいつは俺を萌え殺そうと虎視眈眈と狙っているに違いない。 「―――やっぱり、まだ、全然・・・ですよね。ごめんなさい。頑張ります」 器用な上目遣いで言ってくる郁に、おいおい、勘弁してくれよ、と堂上は思わず天を仰ぐ。これ以上頑張られたら俺の身がもたんぞ、マジで。煽られてぐらつく自制心を精一杯抑えてるこっちの身を少しは考えろ! 「―――やっぱり俺はお前のせいでいろんなもんすり減らして、いろんなもんに我慢を強いられて、いろんなもんを諦めなきゃならんみたいだぞ・・・」 その言葉に郁がハッと堂上の手を握る。 「―――郁?」 「諦めないでください。諦めちゃ、やです。 あの!あたし、まだ、全然、いろんなことできなくて、教官の満足にたりないかもしれないけどっ!頑張ります、から・・・だから! ・・・あたしは、少しでも、教官に喜んでほしいから。教官のしたいこと、とか、して欲しいこととか、あたしは知りたい。 あたしみたいなのが教官の期待にどこまで添えられるか分かんないけど・・・でも、努力するので、ちゃんと、言って欲しい、です・・・」 「――――――」 「きょ、きょう、かん・・・?あの・・・」 無言で歩きだした堂上に手をひかれながら、郁が不安がるような声をあげて続く。 「そうだな。お前は口で言うより身体で教えた方が覚えがいいもんな」 「きょ、教官?」 「言えって言ったし、努力するって言ったよな、お前」 「きょ、教官?!あ、あのっ!」 「お前のどんな言動が俺を煽って、それを俺がどんだけの努力で抑えてたか教えてやる」 「まっ、間違った?!あたしまたなんか間違えたー?!」 「間違っちゃない。間違っちゃない。彼氏を喜ばしてその気にさせるっていう点においてお前以上に出来た彼女とかいねーから。もう、満点?」 「いやぁー!楽しそうな教官が逆に怖いぃぃっ!!よく分かんないけど、身の危険、あたし、身の危険を感じる―――!!」 「お、相変わらず野性的勘は抜群だな。大丈夫だ、安心しろ。ちゃんと自分で事前回避ができるようになるまで、俺が責任もって時間をかけてじっくり教え込んでやるから」 「何それ怖い!」 「大丈夫大丈夫。怖くない怖くない」 「その笑顔が怖いっつってんですよ!それ、やらしいこと考えてる時の顔ですから!」 「失礼だな。勉強熱心な彼女を持って幸せだな〜っていう顔だろ」 「嘘!絶対嘘だからそれ!!」 やけに生き生きしだした恋人に引きずられながら、郁は頼りになる親友の名を呼ぶ。 「柴崎ぃ〜〜〜っ!!助けて!この状況どうにかしてぇぇぇ!!」 勿論、この時すでに先読みできる魔女みたいな親友の手により「笠原の分でーす。受理願いまぁーす」と笑顔で外泊届が出されていることなど、当然郁が知る由もない。 |