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特殊部隊の堂上篤二正が、当麻蔵人先生の亡命計画の途中で良化隊の発砲を受け緊急入院したというニュースはあっという間に関東図書基地に広まった。それは事件の大きさゆえだけではなく、関東図書基地内、特に女子隊員内における堂上二正の知名度によるものが多かったと思う。 病院に運ばれた時は失血が酷かっただけではなく、肺炎を併発しかけかなり危なかったらしい。そのため、しばらくはご家族や特殊部隊などの限られた人しか見舞いに行けなかったのだけど、容態が安定し基地近くの指定病院に転院してからは一般に面会できるようになり、どうしようかとそわそわしだす女子隊員があちこちで見られた。 堂上二正は精鋭部隊として知られる特殊部隊で一班を率いる若きエリートであり、大柄な隊員が多い中ではいささか低めの身長ではあるが、一般的な女性から見ればさほどの問題があるわけではなく、またルックスも精悍な顔付きで整っている部類となれば好意を寄せる女性が多いのはある意味当然と言えた。堂上二正自身が厳格な性質であるからか、日頃騒がれるわけではないが、少なくない人間がひっそりと心内で思いを寄せていることは女子寮では公然の秘密だ。 ―――かくいう私もそうであるのだけど。 とは言え、特殊部隊の堂上二正と業務部の私との間には大した接点があるわけではない。館内業務の応援で特殊部隊から堂上班が派遣される場合でも、業務部は業務部内で仕事を回し、特殊部隊は特殊部隊で仕事を回すからだ。勿論、館内業務が本務ではない特殊部隊員に業務部がフォローすることはあるが、それだって下官である私がしゃしゃり出る場面ではない。・・・そもそも堂上二正がフォローされるような場面に出くわしたことはただの一度もない。それだけ優秀な人なのだ。 ただ、唯一ある接点は、入隊してすぐの教育訓練で指導にあたってくれたのが堂上二正だったということだけだ。それだって大した接点とは言えないと思う。マンツーマンの指導ならまだしも訓練生は50人ほどいるのだ。そんな中で積極的に話しかけたこともない私のことを覚えているかどうかも怪しい。でも、もしかしたら、と淡い期待を抱いてしまうことくらいは許して欲しい。 ―――そう。かつての訓練生が元教官を心配して見舞っても不自然じゃない、よね? そう自分の中で結論付け、鼓舞しながら堂上二正の入院する病院に足を向けたのは、堂上二正が入院してそろそろ一月が経とうとする頃のことだった。 手ぶらで行くのも恰好が付かないと思い、小振りの籠ブーケと和菓子の缶ギフトを手土産にチョイスした。 男の人に花はどうかな、と思ったけれど、殺風景な病室だとそれだけでも気が滅入るよね、と華やかさを抑えたグリーン系を中心にしたものを選んでもらった。花はアクセント程度なので匂いもそこまできつくない。ベッドのサイドボードに飾って貰えたら嬉しい。そして、少しでも私の事を思い出してくれたら―――そんな風に好きな人に対して甘い夢を見るのは恋する乙女の特権だと小さく主張したいところだ。誰に迷惑をかけるわけでもない思想(というか妄想だけども)の自由は日本国憲法第19条で認められた自由権の一つだ。そう、それは公務員であっても認められる権利だ!・・・そんな大層な話ではないことは自分が一番分かっているけれど、それだけ様々葛藤があってここまで来たのだということを少しでも分かっていただければ、幸いだ。・・・誰に対してだ。 それから、病室は適温に保たれているのだろうけど、まだまだ暑いしさっぱりしたものがいいかと思って、缶入りの葛切り、蜜豆、水羊羹の甘味セットを選んでみた。女の人ならケーキやフルーツジュレなどの生ものでもいいのだろうけど、甘い物が苦手なら邪魔になるだろうし(お酒好きだということは知っているけれど、流石に入院している人にお酒は持っていけない)、これなら日保ちもするし食べられないようならご家族に持って帰ってもらえるし。食べ物の好みも知らない程度の繋がりだということをそんな気遣いでカムフラージュしてみたり。 ―――よし。 両手の荷物を抱え直し、受付で聞いた病室の前で深呼吸一つ。控えめにノックをすると「どうぞ」と通る声が返ってきた。久しぶりに聞く堂上二正の声だ。 「し、失礼します」 カラカラとスライド式のドアを開ける。入院しているせいなのか、記憶の中の堂上二正よりも少しだけ穏やかな感じがした。 「お、お久しぶりです堂上教官」 ―――「教官」 そう呼んだのは、少しでも私に対するヒントになればと思ったからだ。ちょっと逃げが入ってるのは自信がないからだ。仕方がない。 そんな中、堂上二正は「ああ」と頷き、私の名前を呼んだ。それだけで嬉しくなる私はなんて単純。 「―――小島か。久しぶりだな」 「はい!堂上教官が入院されていると聞いて、お見舞いに伺いました」 「―――お前はもう俺の訓練生じゃないんだから、教官呼びは」 「あ、すみません。堂上二正」 「いや、・・・謝るほどの事でもない。それよりいつまでも入口に突っ立ってないで、中に入ってこい」 「はっはい。失礼します」 少しだけ緊張しながら中に進む。 個室に、二人きりとか、ちょっとこれは予想外のハプニングだ。どうしよう!いや、どうもしないけれども!! 「これ、お見舞いの品です。よろしかったら」 「ああ。わざわざすまない。そのサイドテーブルの上に置いておいてくれるか」 「あ、はい―――」 すぐ脇のテーブルに目をやると、フィルムに包まれた小さな花束が置いてあった。 「―――あの、こちらのお花活けてきましょうか?」 無造作に放られている花束が忍びない。おそらく受付に言えば花瓶の一つくらい貸してくれるだろう。そう声を掛ければ「ああ、それはいい」と断られてしまった。 もしかしたら、すでに看護師さんに頼んでいるのかも。そう思っていたら、突然堂上二正が視線を上げた。 「―――郁」 ―――え? 何だろうと思い振り返ると、ドアの擦りガラス越しに人影が見える。パッと身だけでスラリとした長身だ。 ただ、なんだかそわそわ、というよりおどおどしているような。 ―――というか、名前? 堂上二正が呼んだのは、人の名前だろうか。まさか苗字ということはないだろうし。それだけでは相手が男か女なのかは分からないけれど、親しい関係なのだということは分かる。 「何してる。さっさと入ってこないか」 ドアの前で逡巡しているのか、しばらくの間が空いて、ズルズルとドアがゆっくりとスライドする。 おずおずと、顔を出したのはよく知る人物だった。 「―――笠原っ?!」 現れたのは同期の笠原郁だった。透明の花瓶を胸に抱く笠原は「えっと」と戸惑った風に眉尻を下げて、なかなか中に入ってはこない。そんな笠原と私の困惑をよそに、堂上二正は溜息交じりに声を出す。 「まったく。あんまり帰りが遅いから、どこほっつき歩いてるのかと心配したじゃないか」 「あ、すみません。ちょっと話をしてて」 「話って―――誰とだ」 ムッとしたような、堂上二正の声。 ―――ムッとしたような・・・? いや、なんとなく状況は理解しているのだけれど。混乱が脳を充たしていて上手く処理が追いつかない。 「教官のリハビリ担当の、ほら、メガネかけた、えっと、名前は忘れちゃったんですけど」 ああ、あいつか、と堂上二正が苦った声で小さく呟く。 「―――そんなもん振り切ってこい」 「いや、そんな失礼なことできませんよ。それに・・・教官の術後経過、気になるし」 「そんなん、俺が事細かに教えてやる。 いいから、お前はとっととこっち来い」 「あ、や、でも、お邪魔かなって」 「アホウ。なんでお前が遠慮する必要がある。いいから、早くこっちに来い!」 「う」 「郁!」 「はいっ!」 短く名前を呼ばれた笠原がギクシャクと、チラチラとこっちを意識しながら進む。 ―――いや、っていうか「郁」って・・・! つまり。つまり?そういうことなの?いや、ちょっと待って!っと脳がいろんな方向から意見を出してまとまらない。 「あ、えっと。こ、こんにちは?」 「あ、うん。こんにちは。か、笠原も来てたんだ、お見舞い」 「ま、まぁねっ」 なんだろう、この探り探りの会話は。いや、でも仕方がないじゃないか。笠原とは同期で同じ堂上班だったことで、全くの知らない仲というわけではないけれど、だからといってプライベートなことに突っ込めるほどの仲と言うわけでもない。いや、中には関係なく切り込める人はいるのだろうけれど。残念ながら、私にはそこまでの勇気はない。 「あ、あのっ。や、やっぱり花粉舞っちゃうといけないんで、そ、外でお花活けて―――」 何とか逃げの活路を見つけようとする笠原だったが「じゃあそれは後でいい」とバッサリ堂上二正に切られていた。 ―――ああ、うん。 悔しいだとかそういう感情の前に、なんとも言えない生温かい感情が湧いてくるのは何故だろう。自分の知らない顔で笠原の名前を呼び、そしてそんな堂上二正を前にワタワタとオンナノコの顔をする笠原を前に、何かを言ったりできるほど私の神経は図太くはできていないということだ。 ―――確かに。堂上二正の事「いいな」とは思っていたし、夢を見るくらいには憧れていたけど。 これじゃあね、と苦笑する。 厳つい「上官」以外の素の顔が見れたのは得なのか得じゃないのか。なかなかの悩みどころではあるが。 目は口ほどに物を言うと言うが、正にそれだ。正にそれですよ、堂上二正。 そしてああ、それでかと、妙に納得する。何故か教育期間中、笠原にだけ特別厳しかった堂上二正。その理由は未だに分からないけれど、その時から既に笠原は堂上二正にとっては「特別」だったのだろう。私たち訓練生に偏りなく一定の距離を置いて平等に接していた、冷静で理知的な「堂上教官」があっけなくその枠を超えてしまうほど。 それが見て取れる雰囲気に割って入るほど、私は無粋ではないし、度胸もない。少しでも好きだと思っていた人から冷たい視線を受けて平気でいられるほど強くはないのだ。 ―――ダダ漏れです、堂上二正。 「郁。それは後でいいって言っただろ」 花束を手に取った笠原に、堂上二正が不貞腐れた様な声を出す。・・・不貞腐れたって。なんて私の知っていた堂上二正に似合わない言葉だろうか。 「お花が可哀想なので。―――ここでしますから」 「ならいい」 「あ、こっちのブーケは小島から?」 「えっ、あ、うん」 いきなり話を振られてちょっと驚く。ワタワタしていたのは何処へ行ったのやら。花瓶に花を活け、少し調整をしていた笠原は、すっかり調子を取り戻していた。 「籠ブーケおしゃれだね。可愛い」 「そういう方が飾りやすいかなって」 「そうだよね。オアシスタイプの方が手入れも楽だし」 オアシスって何だ、と尋ねる堂上二正に笠原が「この吸水スポンジのことですよ」と説明している。知っている光景とは逆の姿がなんだか微笑ましい。 「色々な角度から挿せるので、こんな風にフラワーアレンジによく使われてますね」 笠原の話を聞く堂上二正の表情は優しい。ああ、こんな顔が出来る人だったのか。なんだか今日は色々発見し過ぎだ。 そうか「堂上教官」の素はこれだったのか、と意識を飛ばしていると「あ!」と笠原が嬉しそうな声を上げた。 「千寿庵!」 「なんだそれ」 「老舗の和菓子屋さんです」 鶯色の紙袋を掲げた笠原が「これも小島から?」とにっこりと笑う。 「おいしいよね、此処」 「カフェメニューはちょっと高いけどね」 「そうなんだよねー。でも前に柴崎と食べた白玉クリームあんみつは絶品だった!」 「―――また甘そうなもんを」 「えー。でもそんなにくどくないんですよ。アイスは抹茶味で、フレッシュフルーツもたっぷりだし。 こし餡も上品な甘さで、寒天はさっぱりつるんとしてるし。 わらび餅とか葛饅頭も食べましたけど、全体的に甘さ控えめですっきりしてるんで、教官の口にも合うと思いますよ?」 「―――そうか」 笠原の言葉に、堂上二正が嬉しそうに笑う。 ああ、笠原は、私と違って堂上二正の味の好みも分かってるのか。そして、それが嬉しいんですね、堂上二正は。 「どれか冷やしときますか?葛きりと蜜豆と水羊羹がありますけど」 「郁の好きなのでいいぞ」 「いや、これ堂上教官への差し入れですし」 「別に俺は何でも―――そうだな、じゃあ水羊羹にするか」 「羊羹好きなんですか?」 「いや?それが一番食べさせやすいだろ」 「ん?」 「郁が俺に」 「はい?」 「葛きりや蜜豆だとお前、口に運ぶまでに零しそうじゃないか」 「―――って!自分で食べてくださいよ!」 ―――なんだ、このバカップル。 どうやら、堂上二正は入院と同時に恋の病を発症させたらしい。それも重度の。 ―――はいはい。馬に蹴られる前にお邪魔虫は退散いたしますよ。 スッと堂上二正の視線がこちらに移り、小さく肩を竦める。 「それでは、堂上二正」 声を掛ける私に、笠原がバッと顔を向け、見る見る間に顔が染まっていく。どうやら綺麗さっぱり私の存在を忘れてくれていたらしい。まぁ二人の世界に入っていたし仕方がないか。 「ああ。―――悪いな、小島」 悪いな、なんて、そんなこと思ってもいないくせにね。 「いいえ。お元気な顔が見れて良かったです」 そう言って笑って見せる私の顔は少しはイイ女に見えただろうか。 ―――貴方への想いはちゃんときっぱり断ち切るので、安心してください。 だって、あんなにも愛おしくて大切だという眼差しを目の当たりにして、その眼差しを自分の物にできると思えるほど私は自信家ではないのだ。 そして、そんな堂上二正の幸せを壊せるほど無神経でもない。 堂上二正にとって笠原がどういう存在なのか充分に理解できた。 だから、私が言えるのはこれだけだ。 「お大事に!」 |