出張に出ていた教官が帰ってくる日。

それは突然来た。






先月からの28日周期を考えると、確かにもうそろそろかもしれないと頭の片隅には置いていたけれど、体脂肪率が低くて、もともと安定した周期ではないからどうせずれるだろうと思っていたのに。

よりによって今日じゃなくても・・・・・・。





私は、しくしくと痛む下腹を押さえトイレの中でがっくりと落ち込んでいた。








最終日は午前中上がりで直帰できるから、と昼から駅で落ち合ってデートをする約束をして教官は出て行った。
昨晩も電話での逢瀬で「楽しみにしてる」と言ってくれた。
ついでに外泊の準備もしておけと。




「あと着替えも忘れんなよ」
「え?着替え?」
「当たり前だろ。半日で郁が補充できるか。何のために此処に公休あてたと思ってる」
「なっ・・・!公私混同です!」
「めんどくさいシフト調整してんだ、それぐらいの融通利かせるのはシフト作成者の特権だろ。
 ―――なんだ、イヤか?」
甘く囁かれたら顔を真っ赤にして黙りこむしかない。その表情は相手には見えないのに、思わず隠すように下を向く。
「―――郁」
携帯から漏れる恋人の声は、プライヴェートになると途端に甘くとろけたものになる。
促される様に名前を呼ばれれば、溶かされた心はスルリと言葉を吐く。
「や、じゃないです。あたしも教官にぎゅってされたい」
「―――だから、お前は!そういう可愛いことをサラっと言うな!」
明日は覚悟してろと堂々宣言されてしまった。


そんな本日。
特段の覚悟を用意できたわけではないけれど。
覚悟などなくとも愛しい恋人には逢いたいわけで。





だから私は、お腹に感じる違和感を無視して寮を出た。






約束の時間よりも少しばかり早く待ち合わせに着く。
そこには当然のように既に教官の姿があった。
本当はすぐに駆け寄りたかったのだけれど、そんなことしたら確実に下腹にボディーブローでアウトだろうとなんとかそこを抑える。


「教官!お待たせしました」
「いや、乗り継ぎが上手くいって一本早い電車に乗れただけだ」
気にするな、と暖かな掌がポンと乗る。


「パンツ姿、久しぶりに見たな」
教官と付き合うようになってからは、少し背伸びして可愛めの格好をするようになった。
今まではズボンばかりだったクローゼットにスカートやワンピースが増えてきた。
けど、今日はスースーしてお腹が冷えても嫌だと思って、あと一応用心のために濃い色のジーンズを履いてきていた。




「はい・・・ちょっと。ダメでした?」
「そんなことはない。お前は脚が長いから、そういう格好もよく似合う」
ただ――。
そう言ってスルリと手を取られ、指と指が絡む。
そのまま引き寄せられて、耳元に教官の口元が当たる。
「俺の為に可愛い格好しようとして、スカート履いてくるお前も可愛くて好きだ」
「ひゃぅ!」
低く囁かれ、ツゥっと手の甲を指が走って、思わずビクンと身体が跳ねた。



「郁のスカート姿は俺だけの特権だと思いたいからな。他の男の前で履くんじゃなくて、こういう時に履いてこい」
「べ、別に、普段だって、他の人のためにスカート履いてるんじゃありません!」
「ならいいが」
ふっと優しく微笑まれ、顔が火照る。
「つ、次は、スカートで」
「ああ。楽しみにしてる」


ホントは、スカートで来たかったんだけどな。
最初用意していたロングスカートは腰から膝上にかけて少しくびれ、フレアするマーメイドラインのもので、柴崎に「あんたみたいに脚が長くて長身だからこそ格好よく履くことができるものよ。綺麗なシルエットだわ。ミニで直接的に攻撃すんのもいいけど、こー中身の想像を掻き立てられるのもそそるってもんよ」と自信を持って勧められたものだった。
教官は今日の格好だって褒めてくれたけれど。
やっぱりスカートの方が良かったのかな、となぜだか心に痛かった。



「どうする?先に軽く何か食べるか」
「そ、そうですね」
ツキンと走る痛みを誤魔化すように、ニコっと笑う。
「あたし、ちょっと行ってみたいカフェがあったんですよね」
「じゃ、そこにするか」
教官は私を甘やかすのが好きだ、と思う。遊びに行くときに私が行きたいこと、したいことを言うと嬉しそうに顔を綻ばせる。
その分教官も勤務中には見せない我儘を見せてくるのだけど。



映画館が併設されているモールの近くに最近オープンしたカフェは女子寮でちらほら話題に上がっていて気になっていた。行ったことのある子にオススメのメニューもリサーチして楽しみにしていたのだけど、いざ来てみると痛みからかあまり食欲もなくどうしようかと店頭のディスプレイメニューを前にうぅんと悩む。何を勘違いしたのか、教官がクツクツとおかしそうに笑う。
「気になるのがあれば片っ端から頼んでいいんだぞ。お前ならペロっと平らげるだろ」
「そ、そんなんじゃありません!」
「朝から柴崎の分も片づけるくらいだもんな」
「今は関係ないじゃないですか!」
「あ?」
教官が、きょとんとした顔で私を見つめているのがわかる。
こんなの普段の軽口なのに、何故だか今日はイラっとしてしまって慌てて「すみません」と謝る。
「お、お洒落なカフェでそんなことしません!」
「悪かった悪かった。からかいすぎた」
宥めるように教官の掌がポンポンと頭の上を撥ねる。
それに何故か。
ポロリ。
と涙が一粒零れた。
「い、郁?悪かった!言いすぎた」
「ちが、違うんです。きょ、かが、悪いわけじゃ、くて」
駄目だ。感情が上手く制御できない。
やってしまったと、凹んでいる所に急にお腹に激痛が走った。

「ぃっ・・・たっ」

今日一番の波に私は立っていられなくなり、その場にうずくまってしまった。

「え・・・おい!郁?どうしたっ?!」
教官が慌ててしゃがんで私を覗き込む。
「な、なんでもな・・・、いったたた・・・」
私は、教官の方を見ずに、何ともいえない痛みに耐えながら、お腹を抱え込んだ。
痛みの正体は分かってるけど、教官に言えるはずもなく。



「おい、何でもなくねーだろ!!爪先も紫色になってるじゃないか!救急車呼ぶか?!」
血行の巡りが悪くなって、チアノーゼの症状が出ている。手を取った教官が、慌てた顔でそう言う。
「だ、いじょうぶです・・・呼ばないで」
私は、ただそう言ってしゃがんだまま頭を伏せて手を額に当て、左手でお腹を抱え込んだ。
(やば・・・頭痛もしてきた・・・)
薬は飲んできたけれど、もともとあまり効きがいい方ではない。所詮は気休めだ。
お腹がひきつりそうなほどの痛みに、本当に動けなくなってしまった。



「あいたた・・・教官、ごめんなさい」
心配そうに私の肩を抱く教官にそう言った。
「なに謝ってんだよ。顔色も悪い。やっぱ救急車・・・」
と言って立ち上がろうとする教官を呼び止める。
「やだ!やだ、呼ばないでっ」
私は必死で頭をふるふると横にふる。
「お前、こんな時にわがまま言ってんるんじゃない!」
「いいの、呼ばなくて・・・」



「た、ただの、せ・・・生理痛、なんで」



「―――は?」



消え入るような声で訴えた私に、教官の動きが止まる。
ああ!業務中なら私も教官も気にならないのに、ってか気にしたらそれはただの業務妨害だ。
なのに、何故だろうプライヴェートな時間というだけでこんなに気恥ずかしいのは。
うぅっとお腹を抱えながら小さく丸まっていたら、御馴染みの衝撃が降ってきた。


「このアホウ!!」
―――ゴチン!と。
「いっったぁ!!」
なんだか何が痛いのか訳が分からなくなってきた。
プチ混乱に陥った所に教官の手が私の両膝の下に回って、一気に視界が高くなった。


「ぅえ!ちょ!教官!!やだ!下ろして!重いから!!」
「うるせぇ黙れ!」
「だ、黙れって」
なんだかもう本当に訳が分からなくて、泣きそうになったところに労わるような教官の声が降った。
「―――揺れたら悪ぃな」
「きょ、かん」
「無理しやがって」
「だって」
だって。
だって。
逢いたかったんだもん。
言葉にはならなかったが、教官は分かっているとでも言うように、支える頭を軽く撫でた。
「横になれるとこ移動する。異論は認めんからな」


そして私は、そのまま運ばれた。いわゆるラブホテルというやつだ。
まさかこんな形でその手の施設に足を踏み入れることになろうとは。
普段なら、恥ずかしくて暴れている所だろうけれど、痛みにそれどころではなく大人しく運ばれ、そっとベッドに下ろされる私。





「なんかあったかいもんでも飲むか?」
「・・・いいです」
「薬は?」
「持って、きてないし、飲んでこれです」
「触って平気か?」
そう言って私のお腹に手を当てた教官。
「さ、触んないで・・・!・・・ちょっともう話しかけないで」
私は、あまりの痛さにもう何も答えたくなくて、顔を伏せたまま、教官に向かって大胆なことを言ってしまった。


(話しかけないでなんて・・・ごめんなさい、教官。でも、なんだかイライラが止まらないの)


けれど教官は、怒りもせず聞いてきた。
「そんな痛いのか・・・?」
「もう、も―――っのすごく、痛い」
私は、ものすごくのあいだに充分小さい「つ」を入れて言った。
教官は、私の隣に座って、体を私に向けた。
「服。着替えなくていいか?」
「あ」
確かに、ゆっくりした服に着替えはしたいけれど。
視線を泳がせた渡しに、ちょっと待ってろと言って教官が持って来たのは薄ピンク色のバスローブだった。
「ほら、万歳しろよ」
「え?」
「万歳。脱がせてやるから」
「ちょ、やだ!自分で着替え・・・」
いつのまにか、教官の両手が私のシャツの裾を掴んでいる。
「いーから」
「よ、よくな・・・きゃあぁっ―――!」
私は、教官に抱きかかえられるようにして、顔を教官の胸に押さえられ、そのままシャツを下から上へ脱がされた。

「ちょっ!!」
一瞬だけ下着姿になると、すぐにバスローブが被せられた。
「ほら、何も見てねーから」
教官はそのまま私の腰に手を回し、私と目を合わせると、ニッと笑った。
被せられたバスローブに慌てて腕を通しながら、私はただ何も言えなくなっていた。



また大きな痛みが襲ってきて、私は途切れ途切れに言う。
「ぅ・・・あたっ。し、下は、自分で脱ぐんで・・・」
「分かった」
教官が私の腰から手を離すと、ベッドから降りてバスルームに入って行った。
急いで(といっても痛いから実際はノロノロと)ジーンズを脱ぐ。




私は、痛くて痛くてゆっくりと寝ることも出来ず、ベッドで仰向けになってぼーっとしていた。
痛みを逃すように、息を吐く。
(うぅ、ズキズキする・・・どうして今月はこんなに痛くなっちゃったんだろ。
 ていうか、教官、呆れちゃった、よね・・・)


「いだーい・・・」


生理のときって、腰は痛いし、どんな体勢で寝ればいいのやら・・・。
体勢を変えようと寝返りを打つ。
(あ・・・この方がちょっと楽かも)


痛みは増すばかりで、教官の言葉を思い出したりして、なんだかイライラしてくる。
余計なことを考えていると、お腹の痛みがどんどん広がったように、頭痛がひどくなってきた。
もう、頭痛がするから余計なことを考えてしまうのか、考えるから頭痛がするのか、それさえ分からない。




(スカートじゃなくて悪かったですね)



(大食いで悪かったですね)



(重いのに抱きかかえないで)



(服も勝手に脱がせないでよ)




(一人でこんな部屋にいさせないで)






「教官の・・・ばか」







「誰が馬鹿だ、誰が」
「きょっ」
私は、いつのまにか声に出してしまっていたらしい言葉を、いつ戻って来たのかわからない教官に聞かれていた。
目の前には、ベッドに座って、いつもの笑顔で私を見下ろしながら、私の髪にやさしく触れている教官。

(あれ・・・私、一瞬寝てたのかな)


「お前どーいうことだよ。どんな夢見てたんだ?このやろ」
そう言って、私の頬を軽くつねる教官。
私は、普段は嬉しいそのしぐさが、このとき無性にうざったく感じてしまった。
もう、なんだかどうでも良くて、痛みで色んなことが頭をぐるぐる回ってて。



そして、言ってしまった。



「―――痛い。離して」



教官が、目も合わさずに手を振り払って言った私を、少し驚いた顔で見つめる。
その視線に、少しだけ罪悪感を感じながらも、枕に顔を伏せながら、教官の出方を待つ。
教官は、ため息を吐いた。






(め、めんどくさがられた!!)


ビクンと身体が強張る私を無視して、教官はベッドから立ち上がると、また部屋を出て行ってしまった。
私は、自分が言ってしまった言葉や、教官の態度傷ついて、思わず涙が溢れてきた。



体が重くて、好きな人にも八つ当たりしちゃって―――





「ゥ、ヒック、・・・ぅあいたた・・・も、やだぁ」
グスッグスっと枕に顔を埋めて鼻をすする。




ごめん。ごめんなさい、教官。
ひどい言葉で、イライラをぶつけてしまってごめんなさい。
心配してくれてたのに。
私を気遣って、揺らさないようにそっとベッドまで運んでくれたのに。
あんなにやさしく微笑んで見つめてくれていたのに。



もうやだ・・・痛いし・・・そばにいてほしいのに、いてほしくないって思っちゃうし・・・



もういや・・・全部だめだ・・・


だめにしちゃった。





罪悪感で涙がポロポロと溢れてきて、しばらく泣いていた。



(どうしよう。教官、もう帰ってこないのかな)


そんなことを考えてると、いきなり、頭を撫でられたから驚いて顔を上げる。


「きょ、教官っ?!」
「悪い起こしたか」
「あ、あの」
「薬局、行ってきた」
「やっきょ」
「薬、ないよりマシだろ」
カサリと鳴るビニール袋の中にはミネラルウォーターと紙コップ、そして鎮痛剤。
教官は紙コップの封を開け、一つ取り出し部屋に備え付けられているポットからお湯を注ぎ、ミネラルウォーターで冷ましたものを渡してくれた。
「温かい方がいいだろ」
コクンと頷き、受け取れば、今度は鎮痛剤のビニールを破り箱から錠剤を取り出し「ほら」と掌に乗せてくれた。
受け取ったそれをゆっくりと飲む。その間教官は優しく髪を梳いてくれていた。
それだけで、ホッと笑みがこぼれた。


「少し、顔色良くなったな」
教官掌が頬に触れ、指先が目尻の涙を拭う。
「少し、目腫れてるな。泣くほど痛かったか?」
教官が、私の顔を覗き込んで言うから、私は恥ずかしくなってパッと目元を手で隠した。



「ちが。痛かったけど、そじゃ、なくて。
 だって、きっと、教官めんどくさいって、ぜった、思ったし。
 あた、あたし痛くてひどいこと言っちゃったし、それで、き、嫌われたって」


あんなこと言ったのに、教官が私のために薬を買ってきてくれたことが、本当に嬉しかったけど、同時にものすごい罪悪感が襲ってくる。


どうして、どうしてそんなに優しいの・・・?


そこまで言うと、さっきまでの感情が溢れて、また涙が出そうになった。



「『痛い、離して。パシッ』」
教官が突然、大げさな身振りと顔つきで言った。
「えっ・・・」
「さっきの郁のマネ」
「ご、ごめんなさい!」
「バカ!謝るな。そんぐらい分かってる」
「教官?」
「ウチは母親が看護師だし、妹もいるからな。
 女って大変なんだなっというか辛いんだろうなって思ったから、何も言わずに外に出た。
 話しかけないでとか言われるし?」
「ご、ごめんなさい」
「だから分かってるって言ってるだろ」
郁が大変なこと。
そう言って頭ポンをしてくれる教官に
ぽろぽろと、私の目から大粒の涙がこぼれた。
「ご、ごめんなさい。教官。ごめっ」
「あー、分かってる分かってる。今情緒不安定なんだろ。
 ったく、さっきようやく笑ったばっかりだってのに、なんでまた泣くかなお前は」
笑いながら、呆れて言う教官が、私の体を抱き寄せ、頭を撫でてくれる。
私は、教官から情緒不安定という言葉が出るなんて寛大すぎると、驚いて目をぱちぱちさせる。



「わか・・・分かんないと思ってた」
「お前、俺をばかにしすぎだろ!
 辛いの分かるし、・・・いや分かりきれねーけど、分かりたいと思ってるから。 
 だから、何でも言えよ。いくらお前が分かり易くても言わなきゃわかんねぇことだってあるんだから」


そう言って、私を見つめながら、私の頭を撫でる手を止めて顔を近づけ、ついばむようなキスをした。
短かったり、長かったりする、何度も触れるだけのキス。
心臓が速くなる。
やっぱり妹さんがいる分、こういうときの女の人の感情の機微に敏感なのかな。
私は、教官の言葉に胸が熱くなった。




教官は、ゆっくりと唇を離しながら言う。 





「『教官のばか』は、ちょっと傷ついた」
「ごめんなさい」
「怒らなかっただろ?俺って心広いよな」
「ふふ」
「ほら、もう少し横になっとけ」
「きょかん」
「ん?」
「お腹、さすってくれますか?」
お安い御用だと笑った教官の手がゆっくりと優しく痛む下腹を撫でる。その感覚が温かくて安心する。
「ずっとついててやるから、安心しろ」
「ん」



そして教官は甘くてとろけるキスをくれた。









いつもはこんなにひどくないけど、



こんなにひどいときに、



あなたがいてくれて本当によかった。


一人じゃないって思ったら、



痛い夜も怖くないって思えたよ。





一緒に乗り越えようとしてくれてありがとう。







あなたの優しさに、たくさん救われました。







テレワークならECナビ Yahoo 楽天 LINEがデータ消費ゼロで月額500円〜!
無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 海外旅行保険が無料! 海外ホテル