それは茨城県展から戻り、隊長不在の特殊部隊がいつもの落ち着きを取り戻した12月上旬のある日のことだった。



「あ、折口さん!いらしてたんですね!」
 郁が特殊部隊の事務所に戻ると、新世相の記者の折口がいた。
「玄田くんのお見舞いのついでにね」
 かつて付き合っていたという玄田と折口の二人は、今なお独特の距離間でつき合いが続いている。そうした関係もあってか世相社とは対良化隊に関し協力関係となることも多く、馴染み深い折口がこうし特殊部隊の事務室に出入りするのは珍しくない。
「はい、これ差し入れ」
 差し出される紙袋に、郁はチラリ、と堂上を見る。小さく頷き返されたのを見て、ペコリと頭を下げ礼をする。
「ありがとうございます。いただきます」
「生ものだから早めに食べちゃってね。笠原さんメインで考えたから遠慮せず」
 なんだろう、と中身を覗いた郁の顔がぱっと華やいだ。
「マカロンだ!」
 赤いリボンがかけられた透明なケースに入った色とりどりのカラフルなお菓子に郁の瞳が輝く。
「あ、ていうかコーヒー入れますね!座っててください」
 気心が知れている相手とはいえ折口は客だ。まだもてなしがされていない状況に郁は慌てて給湯室に向かう。
 食器棚から滅多に使われることのない来客用のコーヒーカップとソーサーを取り出し、軽く水洗いをる。
 珈琲も普段飲むインスタントではなく、「お客さん用だから」とドリップ式を用意する。
 コーヒーメーカーにお湯で濡らしたペーパーフィルターをセットする。一度湯通しすると紙臭さが減り、珈琲の香りがよくなると言う話を聞いてから実践していることだ。
 それでどこまで香りが良くなるかはいまいち分からないが、ほんの少しの手間で風味が良くなるのなら試さない理由はない。どうせなら少しでも美味しいものを飲んで欲しい。
 そう思う相手は「お客さん」ではないが。



 ドリッパーに珈琲粉を入れてスイッチを入れる。コポコポとした音が響き始めると、インスタントとは違う、ドリップされたコーヒーの芳醇な香りがたちこめ始める。
 ついでだし、とひっそり言い訳をしながら、郁は班員の分もカップに注ぎ入れてトレイに乗せる。
 珈琲の香りは好きだが、苦みが苦手な自分の分は、堂上が称するところのクワガタコーヒーだ。もったいないと言われるかもしれないが、ブラック、微糖が飲めないのだから仕方がない。
 男性陣はブラックだろうが、一応数本のスティックシュガーとミルクをトレイに乗せる。





「お待たせしました」
 香りいい珈琲を受け取り、折口はにこりと笑う。
「やっぱり、女の子がいると違うわね。気遣いが雲泥の差」
 それまでは、おもてなしなんて受けなかったもの、とさっぱりと笑う。
「まぁ、玄田君が隊長だしね」
 隊員よりも、おそらくずっと深い部分を知る折口はそうしたところを含めて、玄田のことを理解し、傍にいる。
 玄田の方も、折口のことを特別扱いしているが、それは女性だからと甘やかし守るわけではなく、一人の人間として認め、互いの意志を尊重しあっていることがよく分かる。
 甘い男女の関係ではないが、そうしたお互いをよく理解し合ってそれぞれが自立している二人の姿に郁は憧れにも似た思いを持つ。





「お持たせですが、よろしければ」
「ありがとう。それじゃあ一つ頂くわね」
 折口の指が伸び、鮮やかな緑色のマカロンがソーサーに乗る。抹茶だろうか、ピスタチオだろうか。テイストを想像するだけでも楽しい。
「教官たちもどうぞ」
「いや、俺は珈琲だけでいい。それにお前用にって持ってきてくださったんだから」
「独り占めなんてしません。こんな立派なお茶菓子滅多にないんですから、みんなでいただきましょうよ」
「―――甘いんだろ」
「えっと、この黄色のは多分柚子かレモンだと思うんで、そこまで甘くないと思いますよ。あと、茶色のはモカとチョコかな?」
「残念。茶色いのはチョコとマロンよ。
 黄色のやつは柚子で正解」
 折口の言葉に堂上は最初に郁が選んだものを指さした。
「じゃあ、そっちくれ」
「はい」
 堂上のソーサーに鮮やかなカラーが乗るのに、郁はこっそりと微笑んだ。
「小牧教官と手塚も」
 ほら、と差し出される箱に小牧と手塚の手が伸びる。
 チョコかマロンか、それぞれのソーサーに茶色のマカロンが乗る。
「どれにしよーかなー」
 残ったマカロンを郁は楽しそうに吟味する。
「残りは笠原さんが食べてしまっていいわよ。
 残したって人数分ないのだし、どうせ彼らに味なんてわかんないわよ」
 郁よりも特殊部隊との付き合いの長い折口の言葉に、それもそうか、と郁は苦笑する。
「じゃあ、残りは柴崎といただいちゃいますね」
 朱色のマカロンを選び、郁は箱を置いた。



「いただきます」
 ちょこん、と手を合わせた郁が両指先でマカロンを支え、「んっ」と小さくかじる。
「甘酸っぱくておいしー」
 数回咀嚼した後、郁の顔がふにゃりととろける。
「ふふ。やっぱり女の子がいると違うわね」
 華やぐ声に、折口も微笑ましそうに郁を見る。飾らず、感情を表に出す郁は自然と人を引き付ける力があり、構いたくなる雰囲気がある。
「ねぇ、堂上くん?」
 どこかからかう色を乗せた折口の言葉に、堂上は無言で珈琲を啜った。いろいろ内情がバレてる気がするのは気のせいだと思いたい。
 思わずチラリと見やる郁はのんきに至福の表情で菓子を頬ばっている。
 小さく吐く溜息とともに、思わず堂上の頬が緩む。
 郁に対する気持ちを認めてさえしまえば、その感情が緩み出るのは仕方がなかった。



 幸せそうにマカロンを口に運ぶ郁につられるように、堂上も鮮やかなイエローのマカロンを摘む。なかなか自分とはお目にかかれない色の組み合わせだが、なんとなく郁が勧めてくれたというだけで心が躍った。
 歯を立てれば、表面がサクっと音を立てて崩れる。爽やかな柑橘系の香りと、中に挟まれたクリームには柚子ピールが入っていて確かにさっぱりとしている。
「どうですか?」
 堂上がマカロンを口に運んだのを見た郁が、小首を傾げながら尋ねる。
「味はさっぱりはしてる、が、不思議な食感だな」
 表面のサックリとした食感から中のもっちり、ねっとりとした食感の違いに堂上は小難しい顔を見せる。まるで分析官のような顔に郁はクスクスと笑う。
「この食感がいいんですよ〜」
 楽しげな郁の様子に「そんなもんなのか?」といまいち納得し切れていない様子の堂上は珈琲を啜る。個人的にはこちらの方が好みだ。
 堂上の口から「美味い」と小さく漏れた声を拾って、郁は甘い珈琲の入ったマグカップを両手で持ち、口元に運びながら小さく笑む。
 そんな二人の様子に、小牧と折口が思わず吹き出し、手塚が不思議そうな顔をする。どうした、と怪訝な表情を向ける堂上に、小牧は「なんでもない」と片手を上げて答える。
 なんてことはない、いつもの光景だ。










*** *** ***











「ところで」
 珈琲一杯分を飲み終えた頃、指を組んだ上に顎を乗せた折口がニコリと郁に笑った。
「笠原さんは近々空いてる休みってある?」
「休み、ですか?」
「そう。所要時間は半日くらいなんだけども」
「今度の休み―――明後日なんですけど、特に予定はないですね」
「そう。じゃあちょっとアルバイト頼まれてくれない?」
「はい?」
「―――折口さん」
 ピクリ、と眉を寄せ低い声を出したのは堂上だ。
「確かに笠原は阿呆ですが、そこまで阿呆ではないですよ」
「ちょ!教官!!ヒドイ!!それ褒めてない!褒めてないです!!」
「褒めてはいないからな」
 サラリと言う堂上に、郁はプスっと頬を膨らませる。
「じゃあお前、何が問題か言ってみろ」
「―――公務員は副業禁止、です」
「よしよし。ちゃんと服務規定理解しててえらいぞー」
「―――やっぱり褒められてる気がしないんですが」
 ポンポン、クシャと頭を撫で撫でられて、不貞腐れた様な、嬉しいような奇妙な顔をする郁の姿に、クスリと折口が笑う。
「大丈夫よ、分かってるわ。金銭のやり取りは発生しないから安心して。
 綺麗なドレス着て、ちょーっと写真撮らせてくれたら、お礼にフレンチのフルコースランチ付けちゃう」
「え?」
「なんて。これも披露宴の食事の試食会なんだけどね」
「披露宴?」
「そ。クリスマスウェディングフェアのモデル頼まれてくれない?っていう話」
「はい?」
「ブライダル会社の知り合いから、誰か良い子居ないかって頼まれてね。
 あ、勿論顔出しNGならそれ用のカットもあるから心配しないで」
「いえ、あの。折口さん、モデルって・・・ドレスって・・・ウェディングドレスをあたしが着るってことですか?」
「そーいうこと」
にんまりと折口は笑った。
「むっ、無理です!!」
「大丈夫大丈夫。ドレス着て、適当に立ったり座ったりしてるだけでいいから」
「っていうか、あ、あたしにドレスなんてッ!っていうかウェディングドレスって・・・」
「マカロン、食べたわよね?」
「え?!」
 ニッコリと笑う折口とスカスカになったマカロンの箱の間を郁の視線が行き来する。オロオロとしたに折口が堪らず噴き出す。
「冗談よ。難しく考えないで頂戴。
 たまには全く違う格好するのも気分転換になるものよ」
 ね?と首を傾げながら微笑まれ、郁は飲まれる様に「わ、分かりました」と頷いた。



「そうそう。この試食会って男女ペアチケットなのよ。
 笠原さんがお休みってことはみんなもお休みよね?」
「すみません、俺は先約が」
 班で唯一の彼女持ちの小牧がさらりと断りの言葉を入れ、折口は「そう」とにこりと笑う。
「じゃあ手塚君は、どう?笠原さんとランチデート」
「―――――――遠慮します」
「そこ!心底嫌そうな顔すんな!!」
「お前とデートとか無理だろ」
「それはこっちのセリフでもあんだからね!!」
 キャンキャンとやり合う二人に、クスクスと折口が笑いながら堂上を見る。
「堂上君は?班長さんは忙しいかしら?」
「いえ、俺は・・・」
「もし、予定があるようなら、ウチの若いのを適当に引っ張ってくるから」
「―――大丈夫です」
「そう。じゃあ、いつも玄田君の無茶に振り回されてる慰労だと思って、美味しいランチ召し上がれ」
 楽しげに笑う折口に堂上は思わず苦った顔をする。玄田と同じように、折口にもいろいろと勝てる気がしない。










「あの、教官」
 折口が帰った後、オズオズと郁が堂上の前にやってきて、気遣わしそうな顔を見せる。それに苦笑した堂上から、ポンと温かな掌が頭上に乗せられる。
「どうせ暇だったんだ。たまには美味い飯を食うとしたもんだろう」
 思いのほか柔しく伝わる笑みに、思わず心臓が跳ねる。いっそ心臓止まれと念じながら、郁は平静を装い「はい!美味しいもの食べましょうね!」と返す。
 ほんのり色づいた頬は勿論隠し遂せるものではなかったが。










*** *** ***



*** *** ***











「はい。じゃあそのまま動かないで」
 スラリとした純白の花嫁の斜め後ろからフラッシュがたかれる。カシャ、カシャと少しずつアングルを変え、いくつもの写真が撮られていく。
 ヴェールを被った花嫁の表情は紗に透けて判然としない。
 ただ、清らかな輝きだけが写し出される。





「どう?笠原さんの花嫁姿。なかなか綺麗じゃない?」
 部屋の隅で静かに佇む堂上に、こそりと耳打ちするように声をかけた折口の表情は悪戯気に綻んでいる。
「―――そうですね」
 思いもよらぬ肯定の言葉に、折口は僅かに目を丸くする。ここまで素直に返すとは思っていなかった。
「ただ―――」
 堂上は、目の前の花嫁―――郁の後ろ姿から目を離さないまま小さく呟いた。










*** *** ***











 折口に連れられ、郁と堂上がやってきたのは折口の知り合いが運営するというブライダル会社の関連のリストランテだった。
 そこは春先からは深緑が織りなし、秋には美しい紅葉が広がるだろうと思われる自然の中で、静かに佇む小さなチャペルを併設していた。
 少人数対応の挙式会場として新たにオープンさせたという。今回はそのPRを兼ねたパンフレット作成らしい。





 スタッフに連れられ、メーク室に入った郁は見事な花嫁となって出てきた。
 なめらかな光沢を放つ月白色の生地に、真っ赤なリボンとコサージュが立体的に施された豪奢なウェディングドレス。
 合わせるように手に持つブーケや髪飾りには赤と緑の色合いのコントラストが鮮やかな花が飾られている。



「ど、どうですか?」
 オズオズとヴェールの向こうから気弱げな視線が向けられる。
「や、やっぱり、こんな・・・似合いませんよね」
「何弱気になってる。ちゃんと似合ってるから安心しろ」
「ほんと、ですか」
「嘘言ってどうする。ほら、行って来い」
 形を崩さないように、軽く乗せられる掌にようやく郁がホッと小さな笑みを浮かべた。
「はい、行ってきます」
 自信なさげに小さくなっていた身体は、今やピンと背筋が伸び、凛としている。その佇まいは、美しいながらも媚びなど感じさせず、清廉な輝きに満ちていた。
 それは堂上が郁を初めて見た時と変わらない姿だった。










*** *** ***











「なんなら堂上君も記念に一緒に撮る?タキシードの貸衣装もあるわよ」
「結構です。
 ごっこ遊びをするつもりはありませんから」
「そう」
 堂上の回答に折口はどこか満足げに口の端を上げた。



「―――ありがとうございます」
 身体を向け、頭を下げる堂上に折口は緩やかに首を傾げる。
「何のお礼かしら?」
「あいつを“気分転換”に連れ出して下さって」



 ここ一ヶ月の間で、郁の周りの環境は激動した。
 実家のある茨城への出張。そこにある醜い内部争いに巻き込まれ、確執のあった母親との決定的な対峙。
 初めて「殺す気」で人を撃った抗争。
 目の前で散弾を浴びせられる玄田の姿。
 そして特殊部隊が茨城から帰るとすぐに発表された稲嶺の引退。
 それで参るなと言う方が酷というものだ。
 ただ本人が気丈に振る舞っている手前、下手に手を差し伸べることは出来なかった。
 おそらく今回の件は、豪放磊落でありながら部下に対する配慮は怠らない玄田の意向があってのことだろうと堂上は察した。
 クリスマスまであと半月ほど。しかしこの時期にPRだというパンフレットを作成するのは少し遅いだろう。



「なんのことかしら?私はただ知人に頼まれたお手伝いをしただけよ?」
「そうですか」
 堂上の言葉に折口は言葉なく、静かに笑んで返した。堂上もまたそれ以上質問を重ねることはなった。
 それを追求するのは野暮というものだ。










*** *** ***











「笠原さん、お疲れ様。
 あとはゆっくり美味しいランチ食べて帰ってね」
 写真撮影が落ち着いた所で、折口はそう言い置いて仕事があると戻っていった。



 撮影が終わりドレスを脱いだ郁は、ベージュに黒のベルトが付いただけのシンプルなワンピースに着替えている。
 肩の力は抜けた様子の郁はテーブルに運ばれてきたアミューズ・ブーシュに「キャー」と声を上げた。
「すんごいキレイ!!」
 アペリティフのシャンパンと共に運ばれたアミューズ・ブーシュは見た目にも楽しめる一皿となっていた。
 オマールのプレッセ、サーモンのプティムース、プティキッシュに野菜のヴィネグレット、トマトのコンポートがガラス製のひと口スプーンに飾られている。乙女心にダイレクトヒットしたようだ。
 キレイやら美味しいやらを繰り返し、運ばれる料理に郁は歓声を上げ、口に運ぶ度に顔を綻ばせる。
 鴨のテリーヌとフォアグラムース、カリフラワーのポタージュ、スズキと帆立貝のポワレ、グラニテにはフランボワーズソルベ。
 色鮮やかな氷菓を口に運んだ郁が「さっぱりしますね」と笑う。
 カトラリーの使い方は洗練されていると思うほど美しく、大人の女性を思わせるが、表情豊かに食事をする様は少女のようでもある。その飾らなさが愛おしいと堂上は今では素直に思える。



「そう言えばお前、最初折口さんの申し出渋ってたが、女はこういうの好きじゃないのか?」
 男勝りな所を見せる郁の中身が純情乙女であるところは既に知っている。
 そういう事に疎い堂上ではあるが、ウェディングドレスが乙女の夢の一つであることぐらいは分かる。
 聞けば郁は言い辛そうに口籠った。
「笠原?」
 どうした、と尋ねる堂上に郁は「だって」と口を小さく割る。
「・・・結婚する前にウェディングドレス着たら、結婚できないって・・・
 ああ!もうっ!分かってますよ!生まれてこの方彼氏もいない女が結婚なんて夢のまた夢だってことぐらい!」
「―――何も言ってないだろうが」
「言わなくてもわかりますー」
「むくれるなむくれるな。
 ほら、メイン来るぞ」
 プスーと頬を膨らませていた郁だが、メインの牛ほほ肉の赤ワイン煮が運ばれてくるとパっと目を輝かせた。その様を堂上は僅かに苦笑しながら見詰める。
「―――まぁ、それは要らん心配だな」
 そんな小さな呟きは郁には聞こえなかったようだが。





 ショコラムースとイチゴのミルフィーユのデザートを楽しみ、食後のカフェは郁は紅茶を、堂上はエスプレッソを選び食事の余韻に浸る。



「この花、ブーケにも入ってたよな」
「ああ。ポインセチアですね。クリスマスフラワーっても言われる花ですよ」
 テーブルの上や、店内を飾る花に郁の説明が入る。
「樹液には毒性があるので、ブーケや髪飾りのは造花ですけど」
「そうなのか」
「クリスマスカラーの綺麗な花なんですけどね。
 そうそう、意外にクリスマスの定番の植物って、毒があるのが多いんですよね。
 ポインセチアの他にも柊、シクラメンの球根にも毒がありますし、ヤドリギの実も触るとかぶれることがありますからね。
 もしかしたらそれでキリストの受難をあらわしてるのかもしれないですけど」
 ティカップを両手に持ち、緩やかに笑う郁に、堂上も穏やかに頷き返す。





 おいしかったーとカップをソーサーに戻し満足げに郁は息を吐く。
 ほぼ同じタイミングでカップを下ろした堂上が口を開く。


「ところで、笠原。
 例の店は検討ついたのか?」
「あ、はい」
 例の店、と言われて思い付くのは一つだ。
「出事のついでに、今日行きますか?」
「そこは日を改めてゆっくり味わうとしたもんだろう。
 そうだな、これから年末年始は忙しくなるから、年明け2週目の公休あたりでどうだ。
 その頃なら業務も落ち着いてるだろうしな」
「わかりました。じゃあ予定空けておきますね」
「すまんな。付き合わせて」
「いいえ」




 そうして一つ一つプライヴェートな約束と時間を重ねていければいいと思った。










*** *** ***



*** *** ***











 どうぞ、と係員の案内で堂上は待ちわびた部屋のドアを開けた。
 そして、鏡台前に座る女性(ひと)の姿に言葉を無くした。
 そこに居るのは純白な輝きを放つ美しい花嫁。
 一緒にドレス選びにいき、試着した姿も見た。
 けれど、今日という日に見る郁の姿は、一段と輝きを増して見えた。
 この姿を自分よりも先に係員が見ているというのが、なんだか気にくわない。仕方のないことだと知っていても。
 いつの間にこんな狭量になったのだろうと堂上は我がことながら驚く。
 しかし自分が変わったわけではない、昔から、それこそこの気持ちを認める前から郁に関しては心の狭い、独占欲の強い男だった。
 こんなにも固執するのは初めてだったからこそ、その感情の揺れに戸惑い、その原因を遠ざけようとしたこともある。
 なんて恐ろしいことだろうと今では思う。
 こんなにも固執し、いつしか心全てが囚われて、愛しさばかりが溢れる存在が、離れていくなどもう耐えられるはずもない。
 いつか小牧に零した「逃げられるのが怖い」という思いは、初めからあったのだ。
 だから幻滅され、背を向けられるのが怖かった。現実を見られる前に、自分の傷が小さい内に離そうとした。
 溶けあう距離の近さを知ってしまった今となっては、もうそんなこと出来そうにもない。
 いつかこの感情に絞め殺されるのでないかと堂上は思う。けれど、それでもいいかとも思う。



 凛と輝いて見える美しい背筋。あの時から堂上が焦がれてやまない姿がそこにある。
 堂上にとっては永遠に思えるほどゆっくりと時間が流れ、その背中が―――郁がゆるりとこちらを振り向いた。
 白い肌に似合いの白いドレス。余計な装飾を排し、腰からの控え目なスカートの広がりが甘すぎず、郁によく似合っている。
 装飾らしい装飾は縁をカミツレに似せた花の刺繍とパールをあしらった可愛いらしいヴェールくらいだろう。
 かつて見たドレスのような豪奢さはないけれど。
 シンプルなのに、綺麗だ。いや、シンプルだからこそ余計に、かもしれない。
 郁自身が持つ輝きを隠すことなく見せている。





「ねぇ・・・なにか言ってくださいよ」
 焦れたように声をかける郁に、ようやく口を開いた堂上は「こんなに美しい花嫁を、他の誰にも見せたくない」と僅かに拗ねた調子で零した。
 一気に郁の頬に朱が走る。



「前に見たドレス姿も、確かに綺麗だったが―――こっちの方が似合ってる」
「―――篤さんと、選んだから」
「そうだな」
 優しく、柔らかく、甘く微笑まれ、郁は恥ずかしさに顔を伏せる。
 座っているせいで、いつもは見える顔が見えない。
「いーく。顔が見えん」
「み、見なくていいです!」
「そんな勿体ないことできるか」
「ちょっ・・・」
 両頬に暖かな掌が添えられる。
「お前はホントによく泣くな」
「―――わかってるなら、泣かせるようなことしないでください」
「―――この格好じゃハンカチにはなってやれんから、今はこれで我慢しろ」
 そっとティッシュで目元に浮かんだ涙を抑えてやる。





「郁」



「―――追いかけて来てくれて、ありがとな」
「もうすぐ、追いつきますから、待っててください」
「ああ、早く来い」
 ヴェールの形を崩さないように、柔らかく堂上の掌が郁の頭に乗る。
 そしてこの美しい花嫁を迎えるため、一足先にチャペルの祭壇の前で待つ。











 祭壇奥にあるステンドグラスからは優しく光が差し込み、幻想的な雰囲気がチャペル内に広がる。
 清廉な静寂の中、後方の扉が開き、眩い光に負けない輝きを滲ませた花嫁が現れる。
 ヴァージンロードを静々と歩む花嫁。ふわりと純白のヴェールが揺れ、ブーケがかさりと音を立て、微かに甘い花の香を空気ににじませる。
 会場の目を釘付けにする美しさを纏った郁の姿に、堂上は誇らしさを覚えるとともに、やはり少しくらいその輝きを隠せばよかったと、ほんの少しだけ思った。





































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