|
「おはようございます」 「ああ、おはよう」 共用ロビーで待ち合わせする男女。 それだけを切り取ってみれば、なかなか艶めかしい状況ではあるが、これから先に待っているのは「仕事」だ。 それでも、思いを寄せる人物とのペアでの仕事となれば、わずかとはいえときめいてしまうのは仕方がない。 仕事仕事と念じながらも、私服での集合の指示もあったせいで掛ける声がいつもより高くなり、表情も綻んでしまうのを郁は懸命に押さえているつもりだ。 もっともわずかに苦笑を向ける堂上を見る限りそれはバレバレではあろうが、そこまで気を回す余裕は郁にはない。 ―――今日は少し予定を変更する。 そう堂上から連絡があったのは、7時を過ぎた頃の事だ。 「何かあったんですか?」 「出入り口のポイントに良化隊と思われる人間が乗った車が複数台張り付いているらしい。 官用車ではなく外で車を借りて行くよう指示があった。駅前まで出るぞ」 「わかりました。 やっぱり、割れてるんですかね」 「そんなことはない。と言うのはいささか楽観がすぎるだろうな。 当麻先生がウチに身を寄せているというのは向こうのマークを見れば当然に分かっていることだ。かと言って敷地内に今もいるかどうかということは疑問視されても仕方がない時期にはきてるだろうな」 「―――この前の未来企画くずれの件も、やっぱり向こうには流れてますよね」 郁の言葉に堂上は渋い顔を隠さず頷いた。 図書隊にかかる諜報活動は当然に行われているはずだ。 隠そうとしてもすべてが隠せるわけではない。そして漏れたほんの少しの情報からでも何があったのか推測することは可能だ。 「そうなると、匿う場所を変更するという考えも向こうには出てくるだろうしな。 もっとも、確証が得られるまで向こうも強硬な手段には出れんから、今はせいぜい偵察止まりだろうが」 権限の拡大に成功した良化隊といえど、個人宅に簡単に押し入ることはできない。当麻の所在を確実にするまでは、こちらの動向を注視しているだけだろう。 だからと言って、バカ正直に稲嶺宅へ案内するわけにはいかない。 あくまで郁と堂上は私用で出掛けるのだと思わせなければいけないということだった。 「―――行くか」 そう言って立ち上がった堂上はサラリと郁の手を取る。 勿論それは「偽装」の為だと思っても跳ねる心臓は跳ねる。 つか、此処?此処からスタートなの?! アタフタとする郁に構わず堂上はスタスタと歩いて行く。 プチパニックに陥ってる郁は、堂上の耳が僅かに赤く染まっていることなど当然に気付くはずもなかった。 「―――振り返るなよ」 「分ってます」 寮を出てから、尾行(つ)けられていることは分かった。 せいぜいバカップルのように見えるように。 かつての作戦を念頭に郁は堂上の息が詰まるのも気付かず、身体を寄せ囁くように返す。 ―――おまっ・・・!! 拳骨が落ちなかったのは、堂上の精神力の強さのおかげだ。じゃれるな、と軽く頭を小突くに留める。 どこからどう見てもバカっぷるだ。 駅前のレンタカーショップで手配した車に乗り込む。 チラリと堂上がバックミラーに視線を走らせるのと同様に、助手席に座った郁もサイドミラーを横目で見る。 3年も経験を積むとそういう嗅覚も培われる。 隣の車線に一台挟んで尾行いてくる白いセダン。 「―――少し迂回する。 隊長に連絡」 「はい」 玄田に連絡をすれば、そのまま車を走らせておけとの事だ。 せいぜいドライブデートを楽しんで来い、との伝言まで伝えると堂上は僅かに渋い顔をした。そして溜息。 「―――こっちは仕事だって言うのに」 「ですよね・・・」 なんだか最近この手のからかいが増えているのは気のせいだろうか。とは思いつつ、まぁ教官可愛がられてるしね、と合っているが何かが足りない結論に達した郁は苦笑を浮かべて返す。 「隊長から連絡がいってるかもしれないが、小牧達にも伝えておいてくれ」 「了解しました」 顧問である稲嶺には明確な出勤時間はないので、多少のズレは問題ない。もし大幅に遅れるようであれば別班を向かわせるなりして稲嶺の「出勤」自体は滞りなく行える。要は稲嶺宅を無人にさえしないことが、堂上達特殊部隊に課せられた一番の任務だ。 「寄り道するぞ」 そう言って、堂上はコンビニの前に駐車した。 「適当になんか買って来い。俺はアイスコーヒーでいい」 「分りました」 郁が車から降りると、ワンブロック後方に停まるセダンが目に付いた。なかなかしぶとい。 やっぱり、あたしと教官がデート、って見られるのはムリがあるのかなぁ。と軽い溜息を吐いて郁はコンビニへと向かう。 「教官は、ブラック、だよね。あたしは何にしようかな」 あまり長居は出来ない、と、郁は軽く商品棚に視線を走らせる。 堂上と同じように飲み物にするか。 「うん。アイスにしちゃおうかな」 目に付いたアイスを手にした郁は会計を済ませて、堂上の待つ車へと戻る。 「お待たせしました。 教官はブラックでいいんですよね」 「ああ。ありがとう」 どうぞ、とプルタブを開けた缶が差し出されるのに、堂上は僅かに瞠目した。 「あ、ごめんなさい。今飲まないつもりでした?だったら新しいの」 ドアに手を掛ける郁を堂上は慌てて押し留める。 「いや、大丈夫だ」 まさか此処でそんなやり取りが交わされるとは思わなかった、とは言えない堂上だ。なんだそのサービス。俺はもうお前の彼氏になったんだっけか?そんな錯覚を覚えてしまう。 隣の郁はそんな葛藤を堂上が抱えているなんて思ってもない表情でウキウキとカップの蓋を開ける。 「いただきまーす」 シャリっとシャーベット状のアイスにスプーンが入る。 「うん。さっぱり。 教官もどーぞ」 ハイ、と笑顔で薄黄色のシャーベットが乗ったスプーンが差し出される。 「シークヮーサーのシャーベットなんで、あっさりしてるから教官も食べれると思いますよ」 ニコっとした笑みには逆らえず、躊躇いながら堂上は口を開いた。 「どうですか?」 期待に満ちた瞳に苦笑しながら「うまい」と返せば、ホッとした笑みが返る。 「良かった〜。教官と食べようと思って買ったから、失敗したらどうしようかと思いました」 「―――自分が食いたかったから買ったんじゃないのか?」 「そですよ?」 「だったら、なんでそこに俺が出てくる」 「え?だってどうせだったら二人で一緒に食べた方が美味しいじゃないですか?そっちの方が嬉しくなるし。 あたしは甘くてもなんでも食べれるので、教官が好きそうなのがいいかなって」 あ、もう一口どうぞ、と笑顔で再度スプーンを差し出す郁に堂上は撃沈しそうになる。 ―――『笠原さんて、時々抱きしめたくなるほど可愛いよね』 んなこと、実はとっくに知ってた!! けれど、今この状況でそれができる口実も立場も持たない堂上は、僅かに肩を落とす。 「―――早くこの状況から抜け出したいな」 小さな呟きを拾った郁が隣で大きく頷く。 「そうですね!頑張りましょう!」 そうだけど。そうじゃない。 ああ、もう早くこの状況を打開したいと堂上は改めて強く思った。 そして当たり前の様に、二人を尾行けていた車はいつの間にか消えていた。 |