「 教官!日報確認お願いします!」
ズイっと両手で差し出されたそれに、堂上はわずかに目を見開く。
終業時間からまだ、時計の長針は一周していない。
「なんだ、どうした。随分早いじゃないか」
「なんでそんなビックリした顔してんですか!!
 っていうか」
「おい、笠、」
まじまじと顔を覗き込んできた郁が、堂上の目元に指を伸ばしてきた。
「何かありました?隈出来かけてますよ?」
「―――っ!!」
ドアップになる郁の顔。今朝がたの映像がフラッシュバックし、堂上はのけぞるようにしながら、日報をひったくる。
「いっつもいっつも残業だからな!今日は珍しく早く帰れそうだが」
「言外に責めるのやめてくれません?!」
「あー、もういい。もういい。お前はさっさと帰れ」
シッシと追い払うように手を振れば、「言われなくても帰りますよ」イーと子供のように不貞る。
「お先に失礼します!」
バタバタと事務所を出ていく姿に、堂上はなんとも言えない溜息をついた。











「―――静かだな」
成人男性の集団生活とは言え、そこはまだ若気も体力もあり過ぎる体育会系の野郎の集まる独身寮となれば、寮則の在る消灯時間以外はどこもかしこも騒然としているのが普通だ。
一般の集合住宅の廊下に比べれば騒音クラスではあるのだろうが、今夜は随分と大人しめだ。
いつものように酒を片手に部屋を訪れていた小牧がその声を拾い「ああ」と答えを返した。
「今日は笠原さんの同期を中心にした若手飲みがあってるらしいから、それでだろ」


―――笠原。


思わずその名前に指がピクリと跳ねたのが分かり、堂上は内心で舌打ちした。
なぜこんなにも意識しているのか。
ここで小牧が郁の名前を出したのは何か意図があってのことではないはずだ。あってたまるか。
何期というよりも身近な人間を例に挙げた方が分かりやすいし、手塚ではなく郁の名前が出たのは確率の問題だ、きっと。
そつのない手塚に比べて、随分と手のかかる郁は注意や怒鳴り声を上げることが多くその名前がついて出やすい。
少なくとも堂上はそうだ。断じてそれ以外の理由は介在しない!!
行動が気になって、目で追うのも、うっかり満載の部下を野放しにすると班どころか隊を巻き込んだ大騒動を引き起こしかねないから、上官の監督義務としているだけで他意などない。
あるいは、一部下として心配するのは上官としては当たり前であって、心配せざるをえない場面が手塚よりも多いだけで―――。
ぶちぶちと肚裡で言い訳を繰り返す。



上官として、これは間違ってはいない。―――はずだ。




「あー・・・あいつも参加してるのか?」
「あいつって?」
コレはワザとだろうと分かった。首を傾げてみせているが、長い付き合いだ。そんなことが分からない男は小牧ではない。
「―――わかるだろ」
けれど、今日の小牧は素直に頷いてはくれなかった。
「分からないよ」



「言わなきゃ分からないよ、堂上」



「いつか想いは通じる、なんて幻想だ。通じるのは想いを表す言葉だよ。
 分かってるはず、って言葉にしないのはただの甘えだ。
 分かれよ、とそれを相手に一方的に望むのはただの傲慢だ。
 口下手だから、なんて体のいい逃げだ。
 口下手だろうがなんだろうが、伝える努力をしないのはただの怠慢」



「―――ま、そうと理解してても出来ないのがお前なんだろうけど」
「―――うるさいっ!」
相変わらず小牧は容赦がない。
苦々しい顔で缶ビールを呷る堂上を小牧は笑って見る。



確認した訳じゃないけど。
そう前置きして小牧は言った。
「参加してるんじゃない?笠原さんなら」
ほら見ろ。自分が言いたいことは分かっているじゃないか。
苦々しく思いながら、ビール缶を傾ける。
「今日はほぼノー残業で日報あげてたし」
「―――だな」
酒は苦手なくせに、郁は飲み会に参加するのは好きなようだ。少なくとも、特殊部隊での飲み会は今まで無欠席だ。
―――何も言ってなかったのに。
堂上は今日一日郁と組んでいたがそんな話はついぞ出なかった。業務後の、それも班や隊とは関係のない飲み会についてわざわざ上司に報告する義務はない。
それでも、堂上の胸にもやもやとしたものが生まれる。




「―――手塚に迷惑かける事態にならなきゃいいけどな」
郁は酒に頗る弱い。総じて酒に強いと言われる者ばかり揃っている特殊部隊でも酒豪と言われるほどの堂上から見ればあり得ない弱さだ。
フル参加している特殊部隊の飲み会では、常に一次会途中敗退だ。
寝オチした郁を寮まで負ぶって帰るのは、直属の上司である堂上の役目であるのはもはや暗黙の了解となっている。



背中から全身を伝う郁の温もり。
男にはない柔らかさを纏った身体。
アルコールにほてった体温。
首筋にかかる熱い吐息。
そして。


―――どーじょきょーかん。


むにゃむにゃと紡がれる自分の名前。
それらを思いだした堂上の眉間に皺がよる。その様子に、全く分かりやすい、と小牧は声に出さず笑う。




「ま、そこは心配ないよ。手塚は不参加だし。というか多分誘われてない」
「―――なっ」
掴み損ねた缶が堂上の指から滑り落ちて、床に落ちる。カンっと軽い音を立て床を転がった缶の中身はあらかた飲み終わっていたため床にはたいした被害はない。
けれど堂上にはそれを気にかける余裕はなかった。
恐ろしく、なかった。




「あいつらの同期会だろ」
「違うよ。彼らの代を中心にした若手飲み、だよ。
 独り身の寮生同士の若手飲みがほとんど合コンのノリだって言うのは、堂上だって知るところだろ。俺達の時だってそうだったろ。
 純粋な同期飲みとか寮飲みならともかく、そんな所に参加させれば持って行かれることが分かりきってる手塚は呼ばれないよ。ついでに言うなら柴崎さんもね」
思わず、堂上の腰が浮く。
「―――どうするつもり?」
「―――どうするって」
「別に心配しなくとも、防衛部員なら寝オチした笠原さん一人くらいなんなく運べるでしょ」
「だから、それがっ! 」
「それが心配?」
「当たり前だろうがっ!」
「当たり前、ねぇ」
そうした飲み会の後、数組の外泊が出るのは知っている。もともとそうした出会いを目的とした会だ。
そして、本人がどれだけ「170センチ級の戦闘職種大女」と称しようが、郁は女だ。どうしようもなく『女』だ。



「まあ、確かに普段の笠原を思えば、確実に寝オチしちゃうだろうけど―――」



「でも、そのせいで何かあっても、それは笠原さん自身の責任であって、堂上が負うものじゃないよね。
 彼女も大人なんだから、それくらい分かるでしょ」
「大人じゃない!」
「大人だよ、笠原さんは。
 子供っぽいところは多いけど、彼女はもう大人の女性だ」



―――分かっている。



小牧に言われるまでもなく、彼女がどれだけ『女』であるかなんて。
だから心配なんだと。



堂上は結局口にすることは出来なかった。
ただの上官に過ぎない堂上にはけして出来ない。
そんな自分を彼女に見せるわけにはいかない。





―――堂上教官に真っ先に相談します!



見つめ返す彼女の視線は、まっすぐに自分をに向いていた。
切り捨てた過去の自分の背中ばかり追っていた彼女の視線が、今の自分に向けられた。
認めて欲しかった女に、認めてもらえた。
それがどれだけ嬉しかったのか、きっと彼女は一生掛かっても理解できないだろう。
それでいいと思う。







上官として心配することを許してもらえた。
それで、満足できないとか嘘だろ。



沸き上がる気持ちに蓋をする。
そうしなければいけない。
上官である自分が、こんな浮ついた感情を抱いていると知ったら、きっと彼女は失望する。
ようやく手に入れたその地位だけは、どうしたって失うわけにはいかない。
今の自分は彼女の「王子様」にはなれない。
ならばせめて、彼女が追いかけたくなる「上官」になるしかない。
それしかない。




浮かせた腰を落ち着けることなく、堂上はそのまま立ち上がる。
「―――酒、買い足してくる」




今夜もろくに寝れる気配がない。
アルコールに逃げるのはみっともないかもしれないが、それくらいは許せよと誰にともなく許しをこう。
ちゃんと朝には上官の顔に戻るから。



「素直じゃないね、お前も」
小牧の声はあえて無視した。



―――俺が素直になったら困るだろ。





共用スペースに降りた堂上は、思わず足をとめた。
まじまじとそこにいる人物を見つめる。
その視線に気づいたのか、振り向いた顔が綻ぶ。



「教官!こんばんは。ビールですか?」
「あ、ああ」
にこっと駆け寄ってきた郁に堂上は慌てて返す。
「―――何でお前がここにいる」
「居ちゃ悪いですか」
「あ、や、そうじゃなくて、」
むぅっとむくれる郁からわずかに視線を泳がせる。



淡いブルーのシフォンシャツに細く長い脚がより強調されるスキニージーンズを合わせた郁の格好は、部屋着ではなく外出着であることが分かるが、飲み会に行くには少しラフすぎる。
堂上の知る限り、ではあるが、飲み会に参加するとき、一応は妙齢の女性であるためか、郁は少しばかりのお洒落をしてくる。
さりげないレース使いの服をきたり、シンプルながらもアクセサリーを身につけたり。
たまに、カミツレだろう控えめな甘さを含んだ匂いを立たせたりして、堂上を不安定な気持ちにさせる。
召かし込んでいないから、と言って飲み会に行っていないと断言できるものではないが、九時を少しすぎたくらいのこの時間はまだ一次会の途中だろう。
「―――行かなかったのか」
思わずホッとした声が漏れる。
「へ?何がですか?」
「飲み会。今日、若い連中は飲み会やってんだろ。お前も誘われただろ、当然」
言えば、「ああ」と納得いったとばかりに郁は笑って頷いた。
「柴崎行かないって言うから、断りました。
 それより、駅前のパスタ屋さんに行こうって」
なので、今日のご飯はパスタでした!と嬉しそうに報告してくる。
「―――そうか」



それに、どれだけ堂上が安堵したのか、郁は知らないだろう。
ニコニコと笑う郁の頭を「よかったな」と堂上が撫でてやれば、エヘヘと更に笑みが深まる。



「―――何、買うんだ」
「え?」
「奢ってやる」
「えぇ?いいですよ!理由無く奢ってもらうわけには」
「―――日報」
「?」
「今日、早くだしただろ」
「―――柴崎待たせるとか恐ろしすぎます」
「ほう、つまり俺は待たせてもいいと」
「なっ!誰もそんなことは行ってません!
 ―――そりゃ、いつもお待たせしちゃってますけど」
ワザとじゃないもんとシュンとしょげかえる郁の頭を宥めるようにポンポンと軽く叩く。
「悪かった、悪かった。分かってる。冗談が過ぎたな、すまん。
 ほら、何でも好きなもん買ってやるから機嫌治せ」
「―――じゃあ。私も、いつものお詫びにビール奢ります」
「アホウ。部下に奢られた酒が飲めるか」
「や、でも―――」
「だから日報を早く仕上げた褒美と詫びだと言ってるだろうが」
「―――日報ちゃんと出すのは当然で、褒められることじゃないと思うんですが」
そういうまじめで一本気なところも可愛い、とそう思うのは間違いではないだろう。
「なら、明日も励めってことだ。
 部下を褒めて伸ばすのも上官の務めとしたもんだろう」
そうまで言われてしまっては、郁としては頑強に突っぱねるわけにはいかない。
「あ、じゃ、アイスココアで」
「ココアな」
小銭を投入し、ピッとボタンを押す。すぐにガコンと吐き出された缶を手渡せば、郁は両手で受け取り、胸元できゅっとつかむ。
「あ、ありがとうございます。明日も励みますね」
「ああ、励め」
癖のように、ポンと右手を頭に乗せれば破顔する。




子供じゃないんだから。
簡単にあんな顔をするな、アホウ。
勘違いする男がいたらどうする。



「教官!ありがとうございました。おやすみなさい。また明日!」
笑って、ペコリと一礼してパタパタと戻っていった郁の後ろ姿を見送りながら、そんなことを思う。
思って堂上は顔をしかめた。



どうやら、自分は思ったよりも酔っているらしい。
当初予定していたビールではなくミネラルウォーターを購入する。
キュっとキャップを捻り、冷えた水を口に含み、


―――別に、上官としては、間違っちゃいないよな。


という思いとともに飲み込んだ。




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