そうして迎えた堂上の誕生日当日―――。
彼女である郁の当初の予定としては、まず日付が変わると同時に
「お誕生日おめでとうございます!」
のメールを送り、朝一で用意したプレゼントを渡す予定だった。
ところがどっこい。
堂上の誕生日当日が公休だったのはまあいいとして、前日の業務上がりは20時過ぎであり、仕事が終わってから適当な店に入り食事を取った後はお決まりのようにホテルになだれ込み、そうこうしている内に日付はとっくに変わっていった。メールではなく直接言える機会だったとは言え、そんな中で郁にまともな思考が残っているはずもなく、堂上に翻弄される形で最後は意識を飛ばし、気が付けば既に半日終わろうとしているとかどういうことだ。
朝一番に交わす挨拶の脳内シュミレーションではにっこり微笑み、可愛らしく頬なんか染めちゃったりしながら
「教官お誕生日おめでとうございます。堂上教官が生まれた日にこんな風に一緒に過ごせるなんて幸せです」
なんてことを言ってるはずだったのに、現実は寝起きという理由以外も含めて声は若干掠れてるわ、朝と言うか昼だし、予定総崩れっぷりに思わず不貞腐れた声で「お誕生日おめでとうございます!」とやや投げつけるような形になるとか、まったくもって郁の予定を台無しにしてくれる彼氏様だ。彼氏なら彼氏らしく彼女の機微を汲めよ!と思わないでもなかったが、「じゃあお前も同じだけ汲めよ」と反論されたら困るのは郁の方なので、そこはぐっと堪えることにした。



そして、何よりプレゼントだ。一応昇任祝いと併せて少々奮発して本革の名刺入れと有名万年筆メーカーが作るボールペンを用意した。ボールペンと言えば10本いくらの事務ボールペン愛用者の郁だったが、ボールペンは昇進祝いの定番だとパールのきらめきが上品なフラワーモチーフのクリップがついた可愛らしいボールペンを堂上に贈られて、ならばと自分も乗っかってみたのだった。
渡した瞬間目を細めて「センスがいいな」と褒めてくれた堂上の様子に郁は良かったと胸を撫で下ろしたが、やはりそこは堂上が一番欲しいと思っている物を贈りたい。堂上は当日になったら教えてくれると言ったが、ランチを食べた後でもその様子がなくむっくりと郁は膨れる。
というか、堂上の誕生日にも関わらず相変わらず奢られるってどういうことだ。
本日のランチはホテルビュッフェで、普段のランチを考えれば少々値が張るが、それでも今日は堂上の誕生日だからといつもより多めの予算を立てている郁には問題のない額であり、「今日は教官が主賓なんだから大人しく奢られてください!」と言って財布を出そうとしたところ「俺の誕生日なんだからお前が俺にあわせろ」と暴君もかくやという発言をされてしまった。
喚き散らすのは簡単だが、一応そこは郁も大人になっている。彼氏の誕生日にケンカとか冗談じゃない。ぐぅっと唸るだけに留め「その言葉あたしの誕生日の時も覚えてろよ!」と胸中で吐き捨てた。





「―――で!」
「で?」
「だから!教官の欲しいもの!いい加減教えて下さいよ!」
「そうだな。じゃあ、まずお前の言うお泊り的なものから貰おうか」
「は?」
「あんだけ飯食ったから体力も回復したろ」
「は?―――はぁあ?!」
ちょと待て!と抗議する郁を無視して、押し込まれたその手のホテルで昨晩に引き続きまたも濃密な時間を過ごしていたら辺りはどっぷり暮れてましたとか、オイコラどういうことだ!それなりの質の物が手に入る百貨店はもうすでに閉店時間を迎えている。
おぉぅ…もう。流されたあたしもあたしだけども・・・!!
ぐったりと頭を抱える郁をやけにスッキリした顔で抱きしめる堂上を郁は半眼で睨み上げる。
「何だ、不満か。ヨくなかったか」
「―――聞きますか!それをっ!」
クツリと笑う堂上に抗議するように、その逞しい胸板を押してその腕から逃げようにも、相手は自分よりも格上の戦闘職種である。笑いながらあっさりと腕を取られ、さらに閉じ込められる。もーもー!と郁がジタバタもがけばもがくほど頭上に降る笑みは深くなる。結局最後は郁が根負けする形で、あーもーっ!とポスンと堂上の胸に身体を預けた。ぎゅっと抱きこまれる腕に、ちらりと盗み見た堂上の顔は優しく溶けていて、結局その顔に絆される形で「まあ、いいか」と郁は小さく笑った。





「もうすぐ終わっちゃいますね、教官の誕生日」
門限の延長は出しているが、明日は早番なので外泊はなしだ。というか、これ以上はいかに体力に自信がある郁と言えどもたない。―――ケダモノめ!
甘い痺れの残る身体で郁と堂上は手を繋いで、寮へと続く道を歩く。
見上げた漆黒の空にはぼんやりと光る銀の煌き。隣を見ると、堂上も黙って空を眺めていた。
同じように夜空を眺めている事実が嬉しくて郁の顔には知らず笑みが浮かぶ。
漆黒の空に吐く息は白く溶ける。
暖かな幸福に心は溶けていても、やはり頬に感じる空気は突き刺さるように冷たい。
だからだろうか。堂上のコートのポケットの中で繋がれた手がやけに暖かく感じるのは。
その事が嬉しくて―――幸せで
これ以上ないぐらい・・・幸せで―――
郁が繋いでいる手をギュッと強く握り直すと、堂上の優しい笑顔が降ってきた。その背後には星が綺麗に煌めいている。
面映ゆくなって顔を伏せると「本当にお前は可愛いな」とますます顔を上げられなくなることを堂上は言う。
気恥ずかしさを誤魔化すように、郁は言葉を重ねる。



「今年は欲しいものがあるって言うから、楽しみにしてたんですけど。
 結局教官は何が欲しかったんですか?」
まさか本当にお泊り的なもの?
いや、それならそれで構わないと言えば構わないのだけれども。これも女冥利に尽きるってやつ?
きゅっと指を絡ませながら言う郁に、堂上が笑う。
そうして、「欲しいもの」について話始める。




「大物なんで貰えるかどうかわからないが」
「え?ちょ・・・そんなに高価なものなんですか?!」
いや、そりゃ三正に上がって手取りも増えたと事あるごとに言っては来ましたが。
しかしそれが、高が知れてる額だと言うことは、同じ道を辿ってきた堂上一正はもちろんご存知ですよね?
世の中にはお金で買えるものと買えないものがあるわけで。お金で買えるものでも買える人と買えない人がいるわけで。そして現実問題、あたしは買えない人に分類されるものの方が多いのですよ、堂上教官。
それとも初めから、あたしに用意できない無理難題を言うつもりだったのか。
有り得る、と郁は唸る。なにせ郁の彼氏様は恋人を甘やかすのが大層好きで、郁が金を出すことを大層渋る男だ。
その気にさせるだけで、初めからプレゼントをねだるつもりなどなかったのかもしれない。



「―――教官はなよたけのかぐや姫ですか」
ぷすーと頬を膨らませる郁に少しだけ驚いた顔をした堂上が「そういや、お前は童話系は得意だったな」と全くもって失礼なことを言う。
ますます膨れる頬は、指で頬を突かれてガス抜きをされる。
「まー、あながち間違いではないか」
それから笑いながら言われた言葉に、郁はきょとんと首を傾げた。
「―――かぐや姫、ですよ?」
教官が?訝しげな視線を向ける郁にそっちじゃない、と堂上は笑う。
「それがなかったら話にならんからな」




「言っとくが、俺は引かないからな。
 答えはハイかYESしか聞かない」
「―――なにその暴君」
「誕生日だからな」
愉快気に言われた言葉に、郁は―――いえ、あなたは誕生日関係なく割と振り回してくれてますが。おかげでこちらは毎回心臓壊れそうになりますが。と思わず胸中で反論する。言ったら言ったで「心臓に悪いのはお互い様だ」とこれまた笑いながら言われるのを知っているわけではないのだが。



「―――それでも、聞くか」
挑むように言われて、郁は思わずムっとした。負けん気が強くて、喧嘩っ早いところがこんなところでも出る。
「望むところです!」
そんな姿にまた堂上が笑う。




「俺の欲しいものはな」
「はい」
「笠原郁さん」
「―――へ?」
いきなり、のフルネームさん呼びに郁の口から間抜けな声が出る。
いや、だから、なに?
それでも、見つめてくる堂上の顔にからかいはなく真摯なもので、郁も同じように見つめ返す。




「だから―――。
 お前のこれから先の人生が欲しい。
 そう言ってるんだ」





これから迎える日々の何気ない風景。
例えば、朝起きた時の気だるさや、日暮れに感じる切なさ。
喜びも。苦しみも。
日々の何気ない、そんな些細な出来事をいつだって二人で迎えたいと思う。
そして、何より。
自分がもう、隣に郁が居ない生活を考えられない。
郁の隣に自分以外の誰かが居座るなんて考えたくない。
だから―――





「それ以外はいらない。返せと言っても返せない。返さない。
 一生俺のもんだ。
 それでも、お前はそれをくれるか」









―――どんな光景も最後まで一緒に見ます。



先に俺にそう約束したのは、お前だったよな、郁。









「―――答えは、ハイかYES、しか聞いてくれないんでしょう・・・?」
震える郁の言葉に堂上は笑う。




「教官」
「ん?」
「堂上教官―――・・・」
そんな堂上の笑顔を見た郁は自分の視界が揺らめき始めた事に気付き繋いでいない左手で慌てて目の辺りを押さえる。


「教官は、あたしが、あの時。
 教官が、昇級祝いくれるって言ってくれた、あの時。
 一番欲しかったものって、知ってますか?」
「―――何だ?」



「二人で近くに部屋とか借りたいな―――本当はあの時、そう言いたかったんですよ」




つまり、そういうことだ。
遠巻きな郁の返事に、堂上は笑った。




「―――俺と結婚してくれるか」




「―――郁」
「あ、はは・・・は。冷たい空気に当たっちゃったからかな…何だか急に目が潤んできちゃった…」
何度も何度も手で目の辺りを擦っている郁の身体が温かな空気に包まれていく。
堂上の左腕が郁の肩を抱き寄せ自分の胸へと郁を誘うと同時に肩から背中へと手を滑らせてその事に郁が驚く暇もないぐらいのタイミングで強く抱きしめる。
「―――こうすれば、涙も止まるだろう?」
堂上の温かい胸に抱き寄せられて郁は潤んでいた瞳から少しだけ涙が零れ落ちた。
でも、その涙も堂上の温かさがゆっくりと自分へと伝わってきて徐々に止まっていく。



「―――借りる部屋は官舎になるが、それでもいいか」
「良いも、悪いも。あたしは、教官と一緒に居られるだけで幸せだって、言ったはずですよ?
 場所なんて、どこでもいい。どこだっていい。教官が居てくれたら、それだけでいい」
堂上は郁を抱きしめながら視線をそっと郁から満天の星空へと向けた。
そこには澄みきった純粋な光で満たされた星達がまるで宝石のようにちりばめられていた。
それを見ながら、「こいつにふさわしい宝石を用意してやらんとな」と郁の左手を持ち上げ、薬指にキスを贈る堂上はそっと思った。






結婚は人生の墓場?ええ!死ぬまで離しませんとも!!












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