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そしてその晩、たまたま、彼女持ちの同期が三人、堂上の部屋に集まり酒を酌み交わすことになった。 「最近、やたら周りのダチが結婚し始めて、年末までにあと三回式に呼ばれてんの。マジご祝儀貧乏」 30を越えたとなると、そろそろ周りの同期が身を固め始める頃だ。 「小牧んとこは流石にまだだよな」 「そうだね」 同期の言葉に小牧が小さく苦笑する。小牧側はもう結婚適齢期と言われる歳に入っているが、小牧の相手である毬江は10歳年下であり、まだ学生だ。意向の擦り合わせは早い段階で出来ていたが、そこはまだ未成年と毬江が二十歳を超えるまでは手を出さなかった小牧は、結婚も彼女が卒業するまでは待つつもりでありそこに焦りはない。逆を言えば、小牧達の場合、毬江が卒業さえしてしまえば待ったなし、なわけだ。 「それより、堂上たちのが早いんじゃない?」 「いや、俺のところも、まだ」 話を振られ、堂上は口籠る。そんな堂上の様子に同期二人は笑う。 「まー、相手はお子様の笠原だもんな」 お前も苦労すんなーと言われ、「別に苦労なもんか」とムッツリと返す。そういうところも含めて堂上は郁のことを愛しいと思っている。 ただ、実際郁は実年齢よりも「幼い」とは思っているのは事実だ。 堂上としては正直、そろそろ、とは思ってはいる。 それは年齢もということもあるが、理由の大半は相手が郁だからだ。 郁だから、早く結婚したい。 どんなに楽しくとも、常に門限を気にしなければならず、繋いでいた手も離さなければならない。 こうして、お互いに寮に、別々の場所に帰るのは堪らなく寂しい。 けれど―――。 今日のデートでの郁の様子を想い浮かべ、小さく溜息を吐く。 デートで一緒に過ごすだけで満足なのだと彼女は言った。 そしてそれ以上は望まなかった。 例えば、彼女の性格と、ひょんなことから聞いた駄々漏れの本音を考えればそこで「指環が欲しい」なんて言葉は出なかっただろうが、それに近しい言葉が出たのなら、そこを契機に少しずつ話を進めていけないかと算段していた堂上としては、聊かがっかりしたのも事実だ。 郁にとって堂上は初めての彼氏であり、今なお初々しい反応を返す彼女がまだそこまで意識していないと言うのは分からなくもない。そもそも手を出すのにその間堂上の入院という3か月のブランクがあったとは言え、意向の擦り合わせが出来たのは付き合ってから7ヶ月、実際に外泊を出せたのは8ヶ月目に入った頃だったことを思えば仕方がないのかもしれない。 ―――一応こちらとしてはそれなりのアプローチはしているつもりなんだがな。 正月には、イレギュラーな形とはいえ、実家に郁を呼び家族と対面させた。その気もない彼女を家に呼ぶほど堂上は浅はかではない。家に呼ぶということは、そういう意図があってのことだ。 幸い、一目で郁を気に入った堂上家は全員その気でいる。彼女が家族に気に入られ過ぎてて少々やっかいだとは思うことはあれ(何せ「で、郁ちゃんは次遊びに来るの」と母親や妹からは催促の連絡が次々に入るのだ。直接連絡を取りたがってるのを何とか阻止している状態である。堂上としてはそうそう二人の時間を潰されるわけにはいかないのだ。)、堂上側に結婚に対する障害はもう無いに等しい。むしろ家族においては「明日にでもお嫁においで!」状態だ。それはそれでどうかとは思うが。こちらが攻めあぐねている間に、うっかり外堀から攻められそうで冷や冷やするなんて状況は珍しいのではないかと思う。もし、万が一、恐ろしくて想像もしたくないが、郁を手放すことになったら家族総出で責められるだろう。 それに比べ、郁の方はと言うとそんな意図にはまるで気づいていないようだし、そもそも実家に恋人が出来たことを知らせているかどうかも怪しい。お互い既に成人していて、婚姻に両親の承諾が不要とは言え、やはりそこは筋として話を通すべきであると考えている堂上としては、正直気を揉む事案ばかりが山積みになっている。 そうは言ってもまだ「恋人」関係で手一杯に見える郁に、結婚を意識させる行動を迫るのは性急過ぎるのではないかと躊躇して、結局何も言えずにいる。 郁の心の準備が出来ていないときに、それをぶつけて重いと感じられて、ひかれたらと思うとどうにも今の関係から抜け出せない。逃げられるのが一番怖い。それなら、まだこのままの方がマシだと思う。 どこか苦い思いをしながら、堂上はビールを呷る。 「―――それより、お前はどうなんだ」 図書大時代からの付き合いで、もう交際期間10年を超えた彼女を持つ同期に問う。 言えば、男、瀬田はガシガシと頭を掻く。 「なんつーか、タイミング逸した感があってさ。ホントは部屋借りた時がそのタイミングだったんじゃないかって今なら思うんだけど、今更それを言い出すきっかけもなくてさ」 図書大を卒業し、士長からスタートした瀬田が、三正に上がった時近場に部屋を借り恋人と同棲のようなことをしているのは知っていた。いつ頃から始まった“ブーム”であるのかは分からないが、近くの部屋を二人で借りて過ごすというのは図書隊内で付き合いだした若手カップルには良く見られる行動だ。 「なんかそれからダラダラしちゃって、もしかしたらずっとこのままかもな」 その言葉に、堂上は何故かドキリとした。 例えば、このままズルズルと郁と「恋人関係」が続くとしたら。 いや、それが嫌なわけじゃないんだ。 ただ、郁が初めての恋人ができた、それだけで満足して、それで終わってしまったらどうしようかと思う。 初めてできた恋人とそのまま結婚するということは世間的にはそう多くはないだろう。 それに30を超えた自分と違い、郁はまだ20代半ばだ。縛られずに遊びたいと思うことだってあるだろう。 それが悪いことだとは思わない。当時の自分だってそうだったのだから否定しようがない。 けれど、そうしているウチにこの関係に飽きて、そしてもっと別のモノに苛烈な思いを抱くことになったら。 そして、それが結婚を考え始める時だったら―――。 その時の郁は、一体誰の手を取るのだろうか。 今、郁の気持ちは確かに自分にあるのだろう。けれど、それは明日も同じだと誰が保証してくれる? 最後の決め手に欠けもたもたしている間に、自分以外の、郁にとっての「最後の男」が現れたら―――。 「―――堂上?」 呼びかける声に、思考の淵に沈みかけていた堂上がハッとする。 「どうした?」 「あ、いや。悪い、ちょっと考え込んでた」 「今日訓練日だったもんな。酔い回ったか?」 空いた缶はいつもより少ない。酒豪揃いと知られる特殊部隊でも酒豪と呼ばれる堂上にしてみれば、多少疲れていたところでどうとなる量ではない。 それでも、「―――そうかもしれないな」と堂上はお開きとなる言葉を口に出した。 ―――『堂上教官こそ何か欲しいものないですか?』 郁の言葉が、グルグルと堂上の頭を巡る。 欲しいものはある。一番欲しいもの。 もう、それしか欲しくない。 ―――『なんつーか、タイミング逸した感があってさ。』 次いで繰り返される同期の言葉に眉を寄せる。 俺は、タイミングを逃したのか? いや、でもあの場面で、郁がお祝いを強請らないのに彼女以上に自分が欲しいものを告げるのは間違ってるだろう? あれから何度も繰り返される自問自答に堂上は頭を抱える。 だからと言って、何もない時にサラリとそれを告げられるほど自分が器用でないことも分かっている。 「結婚しよう」 だなんて、それなりの勢いがないと無理だ。当たり前の日常、いつも通りのデートをしているだけではなかなかその変化はやってこない。 ―――これじゃあ、まるで初めてカミツレを飲んだあの日のようではないか。 あの時の「次」の機会が巡ってきたのは10か月ほど後のことだった。 いつ来るか分らない次のタイミングを思い、堂上は思わず息を吐いた。 |