関東図書隊には「犬猿の仲」と称される二人がいる。
この4月に採用された新隊員 笠原郁と図書隊でもエリートとして知られる特殊部隊員で郁の教育隊の教官でもある堂上篤。
この二人の仲は今や図書隊員では知らぬ者がいないほど有名なものとなった。
堂上は女性唯一の防衛部志望である郁をことのほか、いっそ理不尽と言っていいほど辛く扱き、郁もまたそんな堂上に反発するように噛み付く。終いには教官相手にドロップキックだ。堂上は堂上でそんな郁に腕ひしぎを決めるなど、通り抜けすぎて思わずまたかと周りが苦笑するほどの仲となった二人だ。
今日もまた堂上は郁に容赦なく鉄拳を落とし、郁は郁で堂上のことを「チビなクソ教官」と言って憚らない。



そんな二人が恋仲で、ましてやバカップルと言われるほどベタ甘オーラを纏う二人になるなど、想像できるものは皆無といってよかった。







「―――これはまた・・・豪快に腫れたわねぇ」
しみじみとした同室の柴崎の言葉に郁はプクっと頬を膨らませた。膨らませる必要もないほど片頬は腫れているわけだが。




先日の実地研修の際、郁は図書損壊犯を見つけた。までは良かったのだが、その後の対応がまずく、その時バディを組んでいた指導官の堂上に頬を張られ、厳しい叱責を受けた。
その結果として、郁の頬は見事に腫れ上がった。
(―――手加減されるとは思わないし、手加減してよとも思わないけどさ)
あーあ、と鏡に映る自分の顔に郁は思わず溜息を吐く。



「今日の予定は?」
「この顔でホイホイ外に遊びに行けるとでも?」
柴崎の言葉に郁は再度溜息を吐く。
柴崎も分かっていたのか、苦笑を返し「そんな笠原には忍びないけど、あたしはちょっと出かけてくるわ」と外出の準備を整える。
「はいはい。行ってらっしゃい」
ヒラヒラと手を振り、郁は柴崎を見送る。





ポスン、とベッドに横たわり郁は大きく息を吐き出す。



―――遊び、行きたかったなぁ。



久しぶりの休みだ。
それがまさかこんなことになるなんて。
自分に責があるとはいえ、どうしたって恨みがましい息が出る。
ピコピコとメール着信を知らせる点灯を放つ携帯を開けば、外出のお誘いだが、―――だから行けないっての、と溜息を吐いて郁は手短に断りのメールを打つ。




男兄弟の中で育ち、自身も男勝りあることを自覚している郁は怪我をすることを恐れたりしない。
ましてや、図書隊の防衛員という戦闘職種を希望している時点で、顔に傷ができることぐらい織り込み済みだ。
ただ、プライベートの恋する乙女としては話は別だ。
腫れ上がった顔でデートなんてできはしない。





メールを送信すると、しばらくして今度は音声着信が入ってきた。
躊躇いながらも郁は通話ボタンを押す。



「もしもし。―――あ、はい、大丈夫です。柴崎も出てるので。
 ―――だから、顔が腫れてるから無理です。
 ―――いや、それはあたしにも非があるから別にいいんですけど、単にこんな顔で隣を歩きたくないんです。―――は?ちょっと?!」



見つめる携帯は既に一方的に通話が切れている。
―――オイ。
思わず呆れた目になりながら、いや、まぁ行きますけどね。と郁は部屋着から外出着に着替える。
それから少し時間を置いて部屋を出る。会う人間会う人間にからかわれつつ心配されながら、寮を出て駅に向かう。
チラチラと人の視線が向けられるのを感じるが、別にどうってことない。一人なら別に気にしたりしないのだ。




指定された駅、国分寺駅の北口改札前で先に待っていた恋人に郁は駆け寄る。



「篤さん」



「篤さん」と呼ばれたのは郁が基地内で「クソ教官」と称する堂上だ。
軽く手を挙げていた堂上は、パタパタと駆けてきた郁に「ん」と小さく頷き、郁の手を取る。



「―――待ち合わせが此処ってことは行き先は篤さんのお家ですか?」
「―――人目に付かんところで、ゆっくりできるのはそれぐらいしか思いつかなかったからな。
 それに親父たちもお前に会いたがってたし、たまにはいいだろ。
 夕飯は家でになるが構わないか?」
「いえ、それは構わないんですが。―――あたしこの顔でおじさんたちに会うんですか?」
アイスノンを貼り、ガーゼで押えている頬は妙齢の女性としてはやや恥ずかしい格好だ。
「―――お前が、どうしても嫌だというなら、お袋たちが帰ってくる前に帰るが・・・。
 ―――俺は少しでも長くお前と一緒に居たい」
堂上の言葉に「ずるい」と郁は口の中で呟く。
「―――そんなの、あたしもに、決まってるじゃないですか・・・」
一緒に居たい、と恥ずかしげに俯いて言う郁に堂上も微笑んで頷く。








基地内で「犬猿の仲」と呼ばれ、そう呼ばれるだけの態度を取っている二人だが、実はこの二人交際5年目に突入している恋人同士だ。
二人の出逢いは郁が高校三年の時に遡る。
茨城県のとある本屋で良化特務機関の検閲に遭遇した郁を、当時茨城県で研修を受けていた堂上が助けたのがきっかけで二人は出逢った。
互いに惹かれるものを感じた二人は、その場で連絡先を交換し合った。
とは言え、一時的な研修で茨城に来ていた堂上はすぐに東京に戻ることとなったため、しばらくは月に数度のメールのやり取りをするような仲だった。
そして、出逢ってからおよそ半年後。郁が東京の大学へ進学したのをきっかけに二人は男女の交際をスタートした。
図書隊は決して恋愛禁止を課すような部隊ではない。
それでも自分たちの関係のきっかけは良くも悪くも有名である以上、変な色眼鏡を掛けて見られてはならないと、あえて基地内では恋愛感情を匂わせないよう振る舞うことを決めた。
というのも、堂上は郁の面接官の一人であったことに加え、あろうことか今まで堂上が郁の素性を伏せてきた中で当の本人が自ら面接官の前で入隊希望動機を熱っぽく滔々と語って見せたのだ。
郁の志望動機を簡単にまとめると「本屋で助けてもらった図書隊員に憧れて、彼を追ってきました!」だ。
郁の語りに堂上が思わず頭を抱えたのは言うまでもない。



図書隊は図書館の自由を守るという名目で組織された機関である。その根拠法となる図書館法の権限は原則として図書館内に限定される。
もちろん、例外として図書館外で効力を持つ権限がないわけではないが、そしてそれを使って堂上は郁を助けたわけだが、例外の濫用は図書館と良化隊の衝突の増幅につながる。
故にそれは慎重に取り扱わなければならないし、個人単位で発動していい権限でもない。
だからこそ堂上は郁を助けた後、その行動が問題視され、長期に渡る査問という咎を受けることとなったのだ。
そして、それは決して多い事例ではない。
「ちゃんと篤さんの名前は出さなかったですよ!」
と面接後に自信満々で言ってきた郁に「お前は全然わかってない!」と堂上は嘆いた。
堂上が越権行為ともいえる「見計らい権限」を行使するに至った相手。
報告書や査問の間も、堂上は郁の名を一切出さなかった。
堂上にとって郁は、陳腐な言葉で言ってしまえば運命の相手で、これから先もずっと付き合いを続けていたいと思う女だ。
もし郁の正体が知れたら、将来的に郁にどんな弊害が出るのか分からなかったからだ。
郁の名を出さないことで、堂上は未来をも含めた郁を護ってきた。
それを郁はあっさりと「それあたしです!」と上層部の前で言ってのけたも同然のことをしでかしたのだ。



人事権を持たない堂上は郁の合否に関与することはできない。
けれど、郁が堂上の見計らい権限の行使の原因で、おまけに恋人であると分かれば徒な中傷が生まれるのは想像に易い。
そのため、郁自身がその仕事を認められるようになるまで二人の関係は伏せておこうと決めたのだ。










「―――痛むか?」
「いえ、今はもう。腫れだけです」
ベッドの上で郁を膝の上に横抱きにした堂上がそっと頬に触れる。
「―――ごめんな」
「いいんです。何回も言ってますけど『堂上教官』の判断は間違いじゃないですから」



ごめんなさい、と小さく謝る郁に堂上は手を止める。



「『堂上教官』の言葉は、篤さんの本音だって、分かってます」




事あるごとに郁は教官である堂上に、この仕事は向いていない、辞めてしまえという言葉を向けられる。
それに郁は悔しさに歯を食いしばり、それでも真っ向から噛みついている状態だ。



「―――それでも、あたしは図書隊員になりたいんです」



ポツリと漏らす郁の頭を掻き抱いて、堂上は自身の胸に抱き寄せる。




「―――お前の人生に、俺がケチをつける権利なんてないことは百も承知だ。・・・分かっちゃいるんだ」



郁が図書隊の、それも危険職として知られる防衛部を希望していることを知った時堂上は反対した。
抗争に伴うリアルな危険を語り、説得しようとした。当たり前だ。何よりも大事な女をあんな世界に誰が好き好んで置ける。
図書隊は正義の味方ではない。幻想なんてない。あるのはキナ臭い現実だけだ。
それでも。堂上の包み隠さない話に郁は苦しそうな顔をしながら、郁は首を縦に振らなかった。
それでも図書隊員になりたいのだと、郁は声を詰まらせ、涙を零しながら訴えた。
そんな郁を堂上は認めざるを得なかった。
堂上に郁を否定できるはずもなかった。



だから堂上は、郁の受験に一つだけ注文を付けた。
それは受験区分は「関東(東京)」で受けること。
もし、郁が図書隊に採用された時に、離れた基地に配属されたら、何か危ないことはないかと気が気でないと思ったからだ。
東京採用であれば、最初は堂上の在籍する武蔵野での採用となる。そうすれば目を掛けられる。
郁自身、地元の茨城に戻る気はなかったし、縁もない土地に就職する気もなく、初めから東京志望だったのでその点については特に問題なくクリアした。



それでも恋人が危険な職を選ぶことを諸手を挙げて賛成できることもできず、堂上は郁の図書隊の試験に関して一切の手も貸さなかった。
どこかで勉強の苦手な郁が試験勉強に躓いて、挫折すればいいという思いもかすかにあった。
けれど、郁は堂上に泣き言を言うこともなく、一人で耐えてみせ、無事に試験を突破してみせた。
それは郁一人の努力の証であり、決意の表れでもある。
堂上はそれをなかったことにはしないし、それを汚す奴は許すつもりもない。
だから、郁がこの道を選んだというのなら、ただ堂上は郁が死なないよう、少しでも傷つかなくて済むように育てることしかできない。



―――これについてこれないのなら、ドロップアウトして欲しい。



今なお燻り続けるそんな感情を堂上は明言したことはない。
けれど、男女の機微に疎い郁だが、何故かこうした本質に対する嗅覚は鋭く、理不尽とも見える扱きを人前であえて愚痴ることはすれど、堂上本人の前でそれを口にすることはない。




ただ、言わなくても分かっているからとでも言うように微笑み、黙って受け止める。
郁にはそういうところがある。そうやって堂上の全てを受け入れようとしてくれる。
それに気づくたびに堂上は堪らない気分になる。



回す腕に力を籠めれば、郁の身体は逆らわらずに堂上の元に落ちてくる。



「―――我儘なのは、俺の方だ。
 郁の人生は郁のもんだって、分かってるんだ、ちゃんと。
 それでも俺はまだお前に傷ついてほしくない。そんな俺のエゴをお前に強いている」
「わがままだなんて」
郁は微笑んで、堂上がそうするようにそっと頬に触れた。
「あたしだって同じです。あたしだって篤さんには傷ついてほしくない。
 きっと誰だってそうです。好きな人に傷ついてほしくないっていうのは当たり前の感情です。
 それでも篤さんはこの道を選んだあたしを認めてくれた。受け入れてくれた。
 あたしはそれが嬉しいんです。
 それに、この痛みはあたしのことを思ってくれている篤さんの苦しみや痛みだって分かってるから、平気なんです」
笑って、「あたしはそんな篤さんのことが好きですよ」と伝えてくる。
そんな郁に堂上は「だからお前には負けるんだ」とごち、思い切り郁の身体を抱きしめた。




























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