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「随分と繁りましたね」 青々とした葉が広がる様に郁は苦笑混じりに言った。 「紫蘇は繁殖力が強いからな。落ちた種がそのまま成長したんだろう」 しかし。 「どうしましょうか」 目の前に広がる紫蘇の量には苦笑しか出ない。 薬味としても、天麩羅としても、または彩りを添えるものとして紫蘇は大変重宝する。とは言え一度に大量に消費するものではない為、一度増え始めてしまったらその加速度に消費量が追い付かない。なまじ、手がかからない植物だったため、あまり手入れをしていなかった。その結果気が付けば当初予定していたよりも遥かに広い紫蘇畑がベランダに広がっていた。この調子で増え続けたら他の作物を育てるのにも邪魔になる。 「結構花は摘んでいたつもりだったんですけどね」 「仕方ない。ある程度残して後は抜いて、茶かなんかにするか」 ズボっと手近にあった紫蘇を根っこから引き抜きながら堂上が言う。郁も堂上に倣い予定外に増えた株を引き抜き始める。 「赤紫蘇は漬物用を残してジュースにしましょうか」 「そうだな。赤紫蘇の方は多めに抜いても構わんだろ」 もともと梅干しを始めとする漬物用にと植えた赤紫蘇も青紫蘇に負けず劣らず繁殖している。効用的には赤紫蘇の方が青紫蘇よりも優れていると言われるが、いかんせん赤紫蘇は着色がメインとされ食用としての馴染みは薄い。どうしても青紫蘇よりも使用頻度が落ちる。けれど、着色に利用されるように赤紫蘇のエキスは色鮮やかな朱色のため、見た目に美しい。時期も時期なのでジュースにすれば需要もあるだろう。赤紫蘇には女性が喜ぶポリフェノ−ルが多く含まれていることだし。この辺りは女である郁よりもその夫の方が考えている。 「今日は梅を漬けるだけの予定だったんだがな」 抜いた紫蘇を一つに纏めれば、こんもりと山を作っていく紫蘇を前に堂上も苦笑しかない。 纏めた紫蘇を腕一杯に抱えて台所へと運ぶ。ふわりと届く芳香にじっとりとした空気の中で作業して汗ばんでいた身体もさっぱりとした気分になる。 摘んだばかりの紫蘇をたっぷりの水で洗い泥を落とす。まずは青紫蘇で紫蘇茶を作る。 たっぷりお湯の中に新鮮な葉を入れれば鮮やかな新緑色の紫蘇茶が出来上がる。緑茶よりもさっぱりとした味はとても飲みやすく、夏バテ防止にもなる。引き上げた紫蘇もお浸しにすれば残す所はない。出来上がったお茶は水を張った盥に入れて粗熱を取る。 その場で飲まない分の紫蘇は竿にかけて、ベランダに吊す。半日程乾かせば水分は飛ぶ。細かく砕いてティーパックに入れれば後はお湯を注ぐだけで紫蘇茶になり、お風呂に入れれば入浴剤にもなる。保湿効果や美白効果もある優れものだ。 梅雨の湿った空気に爽やかな紫蘇の香りが漂う。軒先に全ての紫蘇を吊るし終え一先ず青紫蘇の処理は終わった。 「漸く今日の本題だな」 半月ほど前に収穫し、漬けていた梅を取り出す。重石をした樽の中では梅が浸かる程白梅酢が上がっており赤紫蘇を入れるには十分な時期といえた。 収穫したばかりの赤紫蘇の葉を、出来るだけ大きくて色の良いものを選び取り汚れを落とし水気を切る。水気を良く切った紫蘇はボウルに移し塩をふりかけギュッギュと底に押し付けるようにして灰汁を出す。固く絞っては塩を振りかけて同じ作業を繰り返す。始めは黒紫色だった汁も次第に綺麗な紫色へと変わり十分灰汁が出た所で、紫蘇の入ったボウルへ梅酢を少し加える。紫蘇をほぐしていけば綺麗な赤紫色が現れる。熱湯消毒した漬け瓶の中へ紫蘇と梅を交互に詰めていき、最後に紫蘇をほぐして色の付いた赤梅酢と白梅酢を全部入れて密封。 「後は土用干しだけですね」 「それも大変だがな」 晴天が続く日を見計らって、盆ざるに只管梅の実を並べて三日三晩乾すという作業だが、これがなかなかに大変だ。昼間に何度か梅をひっくり返して均一に乾さなければならず、なかなかの手間だ。しかし、それでも皺が増え旨みが増していく様子を見たら中途半端なことは出来ない。何より職人気質の堂上が作るのだから手など抜くわけがない。大変だと分かっていても毎年漬けるのはやはりこだわりがあるからだろう。 「まあ、取り敢えず梅干はこれで良いとして、後は残りの赤紫蘇の処理だな」 漬ける梅干の量と比べ、それに使う赤紫蘇はそれほど多くはない。まだたっぷりと残っている赤紫蘇の葉を茎から取り、水でしっかりと洗い、鍋へと入れる。ぐつぐつと沸く湯の中に紫蘇の葉を入れればしばらくすると葉の色が変わる。赤から緑へと色の変わった葉を引き上げて砂糖を加える。出てきた灰汁は丁寧に掬い取る。褐色の煮汁にお酢を加えれば色鮮やかな赤い色へと変わり赤紫蘇ジュースの原液が完成する。水や炭酸、または酒で割ればさっぱりとした酸味が利いた夏場にぴったりのドリンクとなる。 「やっぱりシソジュースは赤い方がいいですね」 ボトルを抱えた郁が華やかに笑う。 カサカサと紫蘇の葉が揺れる爽やかなベランダが夕日に照らされ茜色に染まる。 「結局一日潰れたな」 山になっていた紫蘇もそれぞれ予定通りに処理し終わり、堂上と郁はリビングのソファーに並んで座りほっと息付く。冷ましていた紫蘇茶と紫蘇のお浸しでさっぱりとした休憩。一息ついたら今度は夕飯の準備だ。 今日は何にしようか。紫蘇の天麩羅にトマトにオクラ、冥加などの夏野菜に紫蘇ドレッシングをかけてさっぱりとしたサラダを付けようか。紫蘇の葉と梅ペーストを豚肉で巻いて炒めるか。濃い目の塩水でさっと茹でた紫蘇とジャコをご飯に混ぜても美味しそうだ。 さっぱりとした気分で夕飯の献立を並べていく。 今日は最後まで紫蘇に付きっ切りのようだ。 「まあでも。放っておいたらもっと大変になってたでしょうから、今日できて良かったんじゃないですか」 これから益々夏色を帯びる空の下で延々紫蘇を抜く姿を想像して堂上はそれもそうだと頷いた。ジリジリと焦がすように照りつける夏の紫外線は肌の大敵だ。 「夏の太陽の下に長時間肌を晒させるわけにもいかんしな」 郁のことを思って堂上は鷹揚に頷く。 肌が弱いことで手入れをしっかりしているためか、郁の肌はしっとりとしている。手に吸い付くような質感は何時までも触っていたい心地よさだ。 「・・・あ、あの。篤さん?」 すべすべと手の甲を撫で始めた堂上に躊躇いがちに郁が声を掛けるが堂上の動きが止まる様子はない。それどころかスルスルと昇って来た手がツーっと腕をなぞり上げる。 「ちょっ・・・ん」 爪で引っかかれるように触れられれば、思わず声が上がる。小さく身じろいで逃げる郁をゆったりと余裕のある動きで堂上が追う。 「今更照れる必要もなかろうに」 可愛い奴めとそれはそれは愉しそうに目を細めながら堂上がじりじりと迫る。 「あ、あの・・・篤さん?」 あの、まだ明るいし。 戸惑ったような郁の表情すらも愛おしく、堂上はそっと頬に指を滑らせる。 「さっぱりと紫蘇風呂にでも入るか、二人で」 真っ赤になった郁を見下ろしながら堂上はニタリと笑った。 その向こうでは爽やかな香りをさせながらカサカサと紫蘇の葉が揺れていた。 |