郁本人に言えば、首と手をもげそうなほど全力で振って否定するのだろうが、堂上は自分の妻はいわゆる、いいとこのお嬢さん育ちの女だと思っている。
そして、そう思うのは自分だけでいいとも思っていた。
郁のいいところは全部自分だけが知っていればいいのだ。
郁の事に関して、堂上篤とはそういう男だ。





雑多な隊食堂を利用するのはもっぱら入隊まもない下士官ではあるが、上官クラスの人間が利用しないわけではない。
士官食堂のメイン利用者は現場から離れた年配職員や業務部の人間で、戦闘職種である防衛方の人間にはややお上品すぎる品揃えとなっているからだ。
そして本日は、菜食メニューデイであったため、バリバリの戦闘集団である特殊部隊員の堂上と小牧、そして途中で合流した柴崎は若手でざわめく一般食堂で昼食を取っていた。
業務部でありバリバリの女子である柴崎は菜食メニューでも全く問題はないのだが、一人で食事をしようものなら、ブンブンと五月蝿い虫がたかりやすいため、虫よけのある一般食堂へと足を運んだのだった。図書隊内でも有名なビジュアル班のツートップを虫よけに利用するあたり流石柴崎と言ったところか。
実際、堂上と小牧のエリート組が同席するところに割って入るような命知らずはいない。しかも、堂上に至っては仏頂面がデフォルトで普段から近寄り難い雰囲気であるのに、今は更に不機嫌オーラ全開で、そこにちょっかいを出そうものなら、出した手を食いちぎられそうな雰囲気だ。
堂上の不機嫌な理由は知る人にとっては分かりやすいほど明確で、愛妻である郁がいないからである。
たかがそれくらいで、と思うことなかれ。堂上にとって郁と過ごす時間こそが至福の時なのだ。
しかし現在、郁は新隊員の錬成教官を務めているため、勤務体制は堂上とは違ってくる。昼休憩の多少のずれは調整して一緒に過ごしているが、今日の郁の予定は午前の部が終了後、そのまま他の教官陣と共に新隊員の能力評価会議を兼ねたランチミーティングに参加することになっている。そろそろ訓練期間も折り返しだ。
―――新人研修はよ終われ!
というのが今の堂上の心境である。





「―――で、どうですか、『堂上教官』の評判は」
「―――今のところ問題はなさそうだな」
柴崎の質問に簡潔に応えるだけで、後は黙々と機械的に堂上は食事を口に運ぶ。
「鬼教官と評判だよね」
「まあ!愛しの奥様が『鬼』呼ばわりされてるようですが、心境のほどは?」
「・・・女だと舐められてるよりマシだろ」
「あんなにカワイー子が鬼だなんて、心外だと思いません?笠原が本当はすっごく可愛いんだってとこ教えてあげたら、見る目も変わるかもしれませんよ」
「余計なことすんなよ」
憮然とした顔で返す堂上に柴崎はクスリとした笑みを浮かべる。分かってる癖にワザワザ聞くな、と堂上は苦虫を噛み潰したような顔をする。
「そうだよね。笠原さんの可愛いとこは自分だけが知ってたらいいんだよね、堂上?」
小牧の言葉に堂上は完全に押し黙る。沈黙は肯定だと柴崎と小牧は顔を見合わせ含み笑う。お前ら煩い、と睨みをきかせたところで効く二人ではない。これは黙る方が得策だと知る堂上だ。
ああそうだよ!
堂上は自分の大切なものは見せびらかしたいタイプではない。隠しておきたい質だ。ひっそりと一人で愛でたいタイプだ。
だから言いたい。
―――お前ら俺の嫁を邪まな目で見るんじゃないぞ!
と。
そんな堂上にとって郁の「鬼教官」という称号は都合が良かった。
まったく狭量な男である。




賑やかな食堂が一層ガヤガヤと騒がしくなる。午前の訓練を終えた新隊員達が入ってきたのだろう。
あまりゆっくりと食事を楽しむ雰囲気ではない。もっとも堂上は初めから楽しんでいる雰囲気ではなかったわけだが。
堂上達を知る既存の隊員達は遠慮していたためか、空いていた周囲の席もあっという間に埋まっていく。
郁が同席していれば、ゆっくりとデザートまで堪能する姿を楽しむのだが、生憎と本日は堂上のデザートは不在だ。
元来、人出の多い五月蠅い場所は好まない堂上だ。長居は無用と黙々と箸を動かす。
最後のひと口を放り込み、残っていたほうじ茶を飲み干し、腰を浮かしかけた時―――。

「あぁ!きっちー!!」
「お前んとこ教官女だから俺らんとこよりマシだろう?」
「はぁ?!何言ってんだよ、あの女マジ鬼だぜ鬼!」

思わず聞こえてきた言葉に、堂上は上げかけた腰を再び下ろす。
顕著な反応に、柴崎と小牧は顔を見合わせてクスリと笑う。
仏頂面で言葉が少なく、なんとなく近寄りがたい怖いイメージを持たれることもある堂上だが、行動パターン、言ってしまえば妻、郁に対する関心さえ分かってしまえばいっそ微笑ましいくらい素直な反応を返す事が分かる。からかい甲斐のある可愛い男である。
そんな可愛いところを知る柴崎と小牧は大人しく堂上の様子を観察する。この場で茶々を入れることはしない。今はネタ仕入れの時間だ。


「マジ鬼!女じゃねぇし!なぁ、お前もそう思うよな」
よほど絞られていると見える新人が隣の同期に話を振る。
「まぁ、男性教官に負けず劣らず厳しいよなぁ」
「鬼子だ鬼子!」
「でも、堂上教官って実は育ち良さそうだよな」
「―――お前、目大丈夫か」
固まる空気に、堂上の表情もピシリと固まる。
「いやさ、実際あの人の所作って、一つ一つ見てみると結構綺麗だぞ。
 乱取りん時とかは別だけどさ、移動ん時とかあの人絶対畳の縁踏まねぇの。武道場の、だぞ。ありゃもう畳歩く時の癖だな。
 あと、飯食うのも箸使いとかスゲー綺麗だし、迷い箸とか刺し箸とかしねぇし。
 きちんとした躾けの家庭で育ってきたんじゃねぇの?」
迷い箸ってなんだ?とか言ってる奴もいるが、それは別にいい。
堂上の表情が徐々に険しいものになる。
「あ!そういや女子が言ってたけど、堂上教官酒めっちゃ弱いらしいぞ!」
「は?マジか?!見えねぇ!!」
「この前女子会に堂上教官呼んだらしくって、そん時アルコールはカルチュウ1杯しか飲まなかったらしい」
「単にセーブしてるだけじゃねぇ?」
「でもその一杯に選ぶのがカルチュウって意外じゃね?」
「確かに!なんか芋とか飲んでそうだよな!」
ゲラゲラと笑う面子の中の郁のイメージは「鬼」なのだろう。
それはいい。そのままでいい。むしろそっから替えてくれるな!
堂上はギリギリとした思いで続く会話を聞く。


「飲み会でカルチュウ頼む、実は育ちのいい堂上教官―――?」
「うわ、ちょ、なんだよそのギャップ」
「いや、一回さ!ちゃんと見てみろって!あの人マジいい線行ってるから!」
「確かに!スタイルいいしな」
「胸ねぇけどな」
「いや、脚!脚がある!!」
盛り上がる若い男たちの会話に、表情を消した堂上がガタンと立ち上がる。
一瞬ひやりとしたが、何も言わず食器を返し食堂を後にする堂上の後ろ姿に、小牧と柴崎は小さく息を吐く。
そこに浮かぶのは苦笑だ。


「―――さて、今日の堂上家では笠原にどんな課題が課されるんでしょうね?」
「そりゃ勿論―――」










「郁」
「何?篤さん、どうしたのそんな真剣な顔して」
何だろうこの膝詰め説教な雰囲気は。
帰宅早々、とりあえず座れと促された郁は大人しく夫のその指示に従った。
正座する場所はソファの上でいささか緊張感に欠ける気がしないではないが、目の前で同じように正座する夫の表情は真剣そのものだ。茶々を入れるのはよろしくなさそうだ。
しかし、皆目理由に見当がつかない郁は首を捻るばかりだ。
そんな郁を前に堂上は重々しく口を開いた。


「いいか。今度から人前では飯はカッ食らえ」
「は?」
「もういっそ犬食いぐらいの勢いで!」
「え?ちょ?」
「それから、俺ら以外との飲み会では芋焼酎頼め!」
「いや、飲めないから。焼酎とか無理だから」
「いいか、お前は育ちのいいお嬢さんなんかじゃなく、鬼!鬼教官だからな!」
「や、ちょっといきなり意味分かんないんだけど」
「分かれ!」
「無理!!」


妻周辺の事に対して大変狭量な言葉足らずの夫の言い分を、機微に疎い鈍感代表の妻が分かるはずもなく、その議論は永遠平行線を辿ったのだった。













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