赤い飛沫を散らしながら、傾ぐ郁の身体。



「―――郁ーーーーッ!!」




喧噪の中で響く自身の声。
時が止まる。
時が戻る。










フラッシュバックする自身の声で堂上はハッと飛び起きるように目を覚ました。
途端に先ほどまで見ていた映像は霧散し、見慣れた部屋の天井が映る。
心臓は早鐘を打ち、拭う額はじっとりと汗をかいている。







「―――あつしさん?」
うとうと、としながら口籠った声で響く声に、堂上はそっと息を落とす。
「すまん、起こしたな」
手を頭に乗せ、軽く髪を梳くと郁の顔がふにゃりと崩れる。
しばらくして、身を起こした郁が「どうしたの?」と心配そうに尋ねる。
そっと伸びて頬に触れる指は冷えた堂上の頬に暖かく触れる。
「―――夢見が悪かった」
「そう」
それ以上詳しく聞くことはなく、郁はそっと堂上の手に自分の手を重ねて、柔らかく笑む。
「まだ、早いからもう一眠りしよう?
 篤さんが怖い夢みないように、あたしが手を繋いであげる。二人なら、平気でしょう?」
そう笑う郁に、堂上も「お前が居れば百人力だ」と笑って返す。





そうして、堂上の悪夢はリセットされる。































けたたましい警報が館内に響き渡る。
反図書館のグループの一味がどうやら発火装置を仕掛けていたらしい。
ジリジリジリとけたたましい火災報知機が鳴り響く館内に、白い煙が充満し始める。
スプリンクラーも作動しているが、今はまだ火の手の勢いが勝っている状態だ。
堂上と一緒に館内を駆けていた郁が階段に足をかける。
「教官!あたしが上から下に利用者が残ってないか見てきます」
堂上と郁。どちらがより俊敏性に優れているかと言えば、それは郁に軍配が上がる。逡巡を捨て堂上は頷いた。
「思ったより、火の回りが早い。一つの部屋に長居はするなよ」
「了解!」
言うやいなや郁はその自慢の足で一気に階段を駆け上がる。その背中を一瞬見送り、堂上も近くの部屋に飛び込み、残留者の有無を確認する。
インカムに流れる音に、異変が起こったのはそれからすぐだった。




ドンという音が耳に響く。インカムからだけではない。直接に聞こえる爆発音。建物が揺れた気がした。




「―――笠原ッ!無事か?!応答しろ!!」
鋭い問いかけに返る声はない。郁のインカムから反応は微かな音すら返らない。
堂上は踵を返し、階段へと向かう。
「堂上っ!!」
階下から駆けてきた小牧が険しい表情で現状を伝える。
「退避だ!各所でバックドラフト現象が起きている」
バックドラフト現象とは火災の現場で起きる爆発現象の一つだ。火災により酸素が欠乏し、可燃性の一酸化炭素ガスが溜まった状態の時に窓やドアを開くなどの行動をすると、熱された一酸化炭素に急速に酸素が取り込まれて結びつき、二酸化炭素への化学反応が急激に進み爆発を引き起こす。
「待て、笠原がまだ―――ッ」
堂上が悲鳴に近い声を上げたところで、また大きな爆発音が聞こえ、階上に続く踊り場に火の手が舞うのが見えた。
堪らず駆け昇ろうとする堂上の腕を小牧は強引に引く。
「退避だ、堂上!!」
「だが、笠原がっ―――!―――ッ、郁ッ!郁ーーーーーっ!!」
堂上の声をかき消すように、書架が燃え崩れる音が響いた。












ようやく鎮火した館内から運び出されたたった一つの遺体に、堂上は声もなく縋りついた。
倒れた本棚の下敷きになっていたという郁の遺体は、おかげで、と言うべきか激しい損傷を免れていた。
けれど、それは何の慰めにならないことは、誰の目に見ても明らかだった。





「俺が、あの時引き留めてれば。俺が、郁の代わりに上がっていたら。俺が、退避命令を出していたら」
悔やんでも悔やみきれない。
こんな形で郁を失うなんて、有り得ない。
在っていいはずがない。






ああ。そうだ。これは夢だ。きっと、悪い夢に違いない。

































「―――篤さん?」
どうしたの、大丈夫?と榛の瞳が心配げに揺れる。
それを見た時、堂上はホッと腕を伸ばして郁の頬に触れた。
「すごく、魘されてたよ」
「ああ・・・ちょっと夢見がな」
「何か温かい飲み物持ってこようか?カモミールティとか」
「―――大丈夫だ。お前が居るなら、大丈夫だ」
「―――そう?」
堂上の言葉に首を傾げながらも、篤さんがいいなら、と郁はそっと笑う。
「まだ早いから、もう一眠りするぞ」
「はい」
抱き寄せる堂上に、郁は笑んでその身をスルリと堂上の胸元に寄せる。
繋がる鼓動に堂上は深く息を吐いた。






―――今度は、間違ったりしない。












おおよその発火場所は覚えている。そこを殊更意識して、堂上は館内巡回に当たる。





「―――よく気付いたな」
「昨日と配置がズレていた」
「どんな記憶力してんだか」
感嘆とも呆れとも取れる小牧の言葉に堂上はこともなげに返す。
「別に。普通だろ」



―――なにせ、こっちは郁の命が掛ってんだ。



神経を尖らせて、些細な違和感も見逃さないようにする。
あの日の事は鮮明に覚えている。




堂上が一つ、発火装置を見つけたおかげで、館内の一斉探査が始まった。
館内に設置されていた発火装置は全て撤去され、武蔵野第一図書館が火の海に染まることはなかった。



その代わり、良化隊との交戦の狼煙が上がった。
















何度繰り返しても、郁はその日に命を落とす。
ある時は、事前通達を必要としない良化隊賛同私設団体の銃乱射事件に巻き込まれ。或いは立て籠り犯の自爆に巻き込まれ。
堂上が前回の危機を回避しても、力を失くした郁の身体を抱き上げることになる。






―――図書館にいるから・・・。




ならば、と堂上はその日郁に年休を与えた。




「あれ?あたしここ別に年休希望してないですけど」
配られたシフト表に郁は首を傾げた。
「―――上から年休消化率が悪いと通達が来てるから、年休希望してない奴は人員に余裕がある所に入れただけだ」
見れば、他の隊員も適当な箇所に年休が捻じ込まれている。それに郁は「分りました」と笑って頷いた。






その日の堂上は館内業務でスーツだったこともあり、昼食は郁と一緒に外で食べた。
穏やかな一日だ。
「篤さん、今日は何が食べたい?」
「なんでもいいぞ」
「もー!それが困るのっ!」
「肉」
「もっと具体的に!!」
「ドネルケバブ」
「ねぇ、それケンカ売ってる?!」
もう!っと拳を振る郁に堂上は笑う。
「冗談だ。そうだな、ハンバーグでどうだ」
「分かった。ハンバーグね」
じゃあ、あたし買い物して帰るね、と手を振る郁を見送る。
そろそろ昼休憩も終わる、と図書館へと堂上が脚を向けた時―――


ドン!!



と背後で激しい衝突音がした。



慌てて振り返ると、既に喧騒が始まっていた。




―――トラックが。


―――女の人が。


―――警察ッ!


―――救急車ッ!!




「―――郁ッ!!」





人混みを掻きわけて、堂上は渦中へと出る。
アスファルトを黒く染める血の海で、郁の身体が横たわっていた。









―――外に、出るから、いけなかったのか。













だからその日は一日、外に出ることもなく自室で過ごすことにした。



















「なんか久しぶりに、家でゴロゴロして過ごしたね」
クスクスと腕の中で郁が笑う。
「まぁ、今日は待機日でもあるからな。
 やっぱり、どこか出掛けたかったか?」
「んー。どうだろ。外出したら外出したで気になってたかもしれないね。
 まぁ、たまにはいいんじゃない?」
髪を梳く動作に、郁が顔を綻ばせる。




チラリと見た時計はそろそろ午後11時を指そうとしている。




まもなく、『今日』が終わる。




「どうしたの?さっきから時計ばかりみて」
「―――もうすぐ今日が終わると思ってな。そしたら待機解除だ」
「え?・・・きゃっ!」
笑って郁の身体を組伏せると、堂上の身体の下で郁がもうっと頬を染めた。
「―――まだ、だよ?」
「そうだな?」
「いつまで、このまま?」
「待機解除まで?」
もーやーだー、と郁がジタバタと手脚をバタつかせる。
「こーら。暴れんな」
「きゃー」
クスクスと笑って、郁は堂上から逃げるように身を捻る。
そんな風に笑いあってじゃれている時だった。




―――堂上と郁の携帯から集合を示すアラームが鳴った。







瞬時に表情を研ぎ澄ました郁が、先にベッドから降りてクローゼットを開ける。
羞恥もなく、着ていた寝着を脱ぎ捨て、手早く隊服に着替えて行く。







―――なんでっ・・・!!




堂上は震えるほど強く拳を握り、唇を噛締める。






なんで、郁は、『今日』を越えられないんだ―――!!





「篤さんっ!どうしたの?!早くっ!」





ゆらり、と近づく篤に「これっ!」と郁は着替えを差し出す。
けれど、堂上はそれを受け取らず、郁の首に指を伸ばした。





え?と驚愕に目を見開く郁に「もう耐えられないんだ」と堂上は絞り出した声を向ける。



「もう、これ以上、お前を喪うのは耐えられない。
 お前が、『今日』を越えられない運命だというのなら。
 誰かに奪われる前に、俺が、この手で―――」

















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