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堂上はもともと食に関して大して五月蠅い人間ではなかった。 一応の味の好みは持っていて、味覚音痴というわけではないかったが、酒と違って何かを食べて「うまい!」と唸ることはなかった。 独身時代は寮生活だったため、食事のほとんどは隊食だ。 栄養バランスはそこらの外食よりもずっと優れている。だが、それだけだ。残念ながら感動するほど味がいいわけではない。 けれど、それにとりたてて不満があったわけでもない。 仕事の都合で、食堂が利用できない場合は適当にコンビニ飯で済ませることがほとんどだが、当然そこに味を求めるわけではない。 堂上にとって食事とはもはや仕事の一環、義務であった。 陸自のレンジャー訓練ほど過酷なものではないが、奥多摩訓練を始めとする集中軍事訓練では食についてとやかく言える状況ではない。主な食事はコンバットレーションだが、それにいちいち文句を付けるようなら到底図書隊員の防衛方としてはやっていけない。士気に関することであるから味に関してもある程度考慮はされているが、所詮その程度だ。楽しむものではない。 そうした味は二の次、栄養を補給することに意味があるといった食事に早い段階で慣れたことも原因の一つだろう。 堂上にとって食事とはどちらかと言うと、質より量。体力の維持が出来ればいい。味が良ければ儲けといった感じであった。 そんな堂上が食に目覚めたきっかけは、ある意味分かりやすいと言えば分かりやすく、今では愛妻となった郁である。 男女の性差もあるのだろうが、郁はとにかく食べることが好きな女性だ。そして、表情豊かだ。 美味しいものを食べている時の表情は分かりやすくその顔はパッと輝き、満面の笑みで食べている。 そんな郁の顔を見ると、郁の目の前にある料理がとても美味そうに見え、つい手が伸びる。郁もそれを咎めはしない。 「二人で分け合うと一層美味しいですよね!」 ニコリと笑われ、堂上も確かにそうだと頷く。 郁と二人で食べる食事は今まで食べた物と比べ物にならないほど「美味い」と感じる。 そして、そんな風に美味そうに食べる郁の顔が見たくて、次第に堂上はグルメ情報を集める様になった。 意識をすれば染まるのは早い。 見た目が華やかな盛り付けを見れば「郁が喜びそうだな」とピックアップし、その料理がどんな味なのか想像し「郁が好きそうな味だ」とリストアップしていくのは、郁と付き合ってからの日課のようになった。 そして堂上本人の嗜好が劇的に変化したのは郁と結婚し、一緒に生活するようになってからだ。 今まで食事そのものにさほどの感動を覚えたことのなかった堂上だったが、なんにつけてもとにかく郁の料理がメチャクチャ美味いと思う。 初めて自宅の食卓に並んだ郁の手料理を見た時の感動は一生忘れることはないだろう。 勿論、一般的に見れば郁はけっして「料理の上手い嫁」ではない。堂上もそれは分かっている。 材料は不揃いだったり、煮物の人参が時折カリッとした歯ごたえがあったり、ハンバーグの表面が少々炭化していたり、味のバランスがズレていたりすることは珍しくない。 だが、それがどうした。世間一般の評価なんて知ったこっちゃない。 むしろ、そんな些細な失敗をシュンとした顔で、時には瞳を涙で潤ませながら心底申し訳なさそうに謝ってくる郁の姿もひっくるめて、堂上は美味いと思う。 今なら分かる。料理は愛だ。そんでもって食事は心の栄養だ。 確かに高い金を払ってこそ、味わえるものもあるだろう。けれど家での食事はそれ以上に充たされるものがあると堂上は思う。 しかも、バレンタインの手作りチョコを初め、郁の手作りは全て堂上のために作られたものだ。 その事実に堂上は内心でガッツポーズを繰り出す。 郁の手作りというだけでも心躍るというのに、それが全て自分のために作られたとなればこれほどの贅沢品はないだろう。 開き直った堂上は敢えて思う。 俺の嫁が世界で一番可愛いし、俺の嫁が作った料理が世界で一番美味い。 世間の同意なんて必要ないし、そもそもその感覚を誰かと共有しようなんて思わない。 郁を可愛いと思うのも、郁の手料理が美味いと感じるのも俺だけでいい。 「―――だからって、毎回食事に呼ばれる度に出される料理がお前作ってのもどうかと思うよ」 「うるさい!郁の手料理が食えるのは俺だけの特権だ!」 |