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「よし、やりますか!」 腕まくりをし、キッチンに立った郁は、スチャっと千枚通しを構えた。 この手の事は任せて!と鼻歌交じりに早速作業に取り掛かる。そんな初春の昼下がり。 そして、郁が作業を始めてからそろそろ一カ月になる頃。 「それでは、笠原、業務部応援に行って参ります!」 「ああ、励んで来い。後で顔を出すから」 前半は上司の顔で、後半は夫の顔が混じった幾分柔らかい表情をした堂上に郁も笑顔付きの敬礼で返す。 「ホント、笠原さんってばイベントの顔だよねぇ〜」 いってきまぁーす、と手を振って出て言った郁の姿に小牧がクスクスと笑う。 イベント毎に郁が業務部の指名を受けて貸し出されるのは、もはやお決まりのパターンだ。 一度、奥多摩での訓練期間と被り郁が不参加だった時は、熱烈なファンから多くのクレームが入った。 「ねーねー郁ちゃんはぁ〜?」「なんで郁お姉ちゃんいないのー?」「なんで、なんでー郁ちゃんは?」「郁ちゃん出してよ、郁ちゃん!」「やーだー郁ちゃんがいーいー!」 イベントの主役でもあるチビッ子軍団から熱烈な支持を受ける郁の不在はイベント遂行の上でなかなかの障害となった。以後、忙しい時は合間に顔を出すだけでもいいからと業務部からの依頼により、大きなイベントの際には原則参加する流れになったのだった。 「今日は何するのかな?」 「―――知らん」 何か手伝えることがあれば言えと言った堂上に、郁は笑って「これはあたしの仕事ですから!」と言うだけで作業内容を教えてもくれなかった。何をするのかと問えば「内緒です」と唇に手を当てて可愛らしく笑いながら秘密にされた。夫婦なんだからいいだろうと言えば「主役の子供たちだって内緒にしてるのに、篤さんだけに先には教えられません」とやぱりつれなかった。 不貞腐れたような堂上の声に、小牧が可笑しそうに笑う。 「なんか、いつぞやの昇進試験の時みたいだね」 お前は相変わらず過保護だな、と笑われ、堂上の顔が不機嫌そうに歪む。 企画物で郁がドジを踏むことはまずない。ちょっとしたイレギュラーなアクシデントがあっても、それをリカバー出来る応用力がある。知識が物を言う配架業務はまだまだな面もあるが、子ども相手を始めとする人と人とのコミュニケーション能力は業務部から一目置かれているほどだ。 堂上だって、それを知っていて。そのことを小牧も分かっている。 いつだって郁に対して心配はしているが、業務を心配している訳ではない。そういう意味では安心している。 ただ、どんなにささやかなことでも隠し事をされていることが、少しばかり気に入らない。言ってしまえば、ただの独占欲だ。相手の事で何一つ知らないことがあるのは嫌だという、身勝手でガキ臭い感情だ。 だから、それを押しとどめて必死に大人ぶっているというのに。 そういうことを分かっていて、敢えて「過保護」と指摘して蒸し返すのだから堪らない。 「―――イースターイベントなんだから、イースターエッグペイントかエッグハントだろ」 ブスっと言われた言葉に小牧が腹を折ってブハっと吹き出す。 大方の内容が分かっていても、内緒にされるのは、やはりどこか面白くないのだ。 「それじゃあ答え合わせのためにも、さっさとその書類片付けて図書館に出向かなきゃね」 「―――ああ」 言われなくとも、と堂上は手早く書類をめくる。本来なら自分が警備業務に当たりたいところだが、年度末のこの時期には処理しなければならない書類が多くどうしてもシフトの都合が付かなかったのだ。 「はーい。みんな、こんにちわー」 「こんにちわー」 今日のイベントは、イースターと言うことで、オフホワイトのスーツを着た郁の登場におはなし室に集まった子供たちが「わー郁ちゃんだー」と賑やかな声をあげる。 「どうしたのー郁ちゃん」 「それかわいー」 「ありがとう」 キャッキャと集まる子供たちに郁は照れながらお礼を言いイベントの説明に入る。 「今日は、イースターというキリスト教のイエス様、神様の復活を祝うお祭りの日です。 みんな、イースターって知ってるかな?」 聞けば「しらなーい」と言う声が返る。 同じようなキリスト教のイベントでもあるクリスマスや、仮装をするイベントとして流行り始めているハロウィーンに比べてまだまだイースターの認知度は低い。 「それじゃあ、まず。みんなにイースターがどんなお祭りなのか知ってもらうために、ご本を読みます。 そうしたら、お姉ちゃん達がどうしてこんな格好をしているのか分かると思います。 はい、みんな。お姉ちゃんたちの周りにまぁるく座ってね」 そうして、業務部のメンバーたちと用意した紙芝居と指人形を使ってイースターにまつわる絵本を紹介していく。 「あるところに、ふわふわのしっぽを持ったうさぎの女の子、コットンテイルがいました。 そんな彼女の夢はイースターバニーになること!」 イースターバニーになることは、ウサギにとって大変な名誉です。 イースターの夜に世界中を回ってこども達に幸せを呼ぶ卵を届けるうさぎのことです。 いなかうさぎのコットンテイルもイースター・バニーになる夢を持っていましたが、いつしか彼女はおとなになり、結婚して21匹のあかちゃんを生みました。子育てに忙しくて、彼女はイースター・バニーになる夢をあきらめてしまいました。ところが―――。 そうして可愛くて優しいイースターの話が終わった後、子どもたちに質問する。 「みんなの枕元にはタマゴが置いてなかったかな?」 なかったよー!とガッカリした声に、郁は「実は!」と笑う。 「イースターバニーさんたちが、昨日この図書館に来てこっそり卵を隠していったみたいなの」 そう言って、「ほら」と手のひらサイズの小さな箱を見せる。 中には色とりどりのペーパークションに包まれている薄いパステルピンクに染まった卵が入っている。 「なにこれー!」「かわいー!!」「郁ちゃんずるーい!」「あたしもほしいぃ!」 覗き込み、ちょうだいちょうだいとスーツの袖や裾を引っ張ってくる子供たちに「大丈夫」と郁は笑う。 「みんなにも、ちゃぁんとイースターバニーさんたちが卵を置いて行ってくれたよ。 でもね、悪い人に取られないように、隠して行っちゃったの。 良い子のみんなにはきっと見つかるから、今からお庭に探しに行こうね。 はい、じゃあみんな、お母さんとお手手繋いで、お庭に移動!」 はーい、じゃあ皆付いて来てーと案内係の図書館員に引率されてキャッキャと子供たちがはしゃぎながら出て行く。 手を振って子供たちを見送った郁と数名の図書館員は、よしその間に。と次のイベント、エッグペイントの準備をする。 キッチンペーパーの芯を切って、絵の具で色や模様を描いた卵置きをカウンターやテーブルの上に設置して、完成したイースターエッグを飾って行く。 パステル系のピンク、グリーン、イエローなど軽めの色調に染まった卵にはカラフルな模様が描いてあったり、フェルト生地で耳と尻尾を付けたウサギ、とさかと口ばしを付けたニワトリも用意した。 「準備大変だったんじゃない?」 「そーでもないよ。それより取り出した中身を使った料理を考える方が大変だったかな」 今回のイベントに使う卵を用意したのは郁で、その数は全部で20個近くになる。 お疲れ様、と労う柴崎に郁はたいしたことじゃないと笑う。 実際、準備自体はたいした労力ではなかった。 千枚通しで卵の上下に小さな穴を開け、そこから細みの針金を差し込み、少しかき混ぜる。 開けた穴の片側から、強く息を吹き込み、中身を出して洗えばいい。 あとはフードカラーを溶かした水に漬けこめば表面にうっすらとパステルカラーで塗装された卵が完成する。 毎日卵を使うとは言え、食堂でそんな手間のかかることはお願いできないし、ということでこの作業は郁が引き受けた。そのこと自体は工作が得意な郁にとってたいした手間ではなかったのだが、その後の卵料理の方がなかなか大変だった。夫に言えば勿論手伝ってくれたのだろうが、そこは部下として上官にいいところを見せたいという思いもあり、当日までは内緒にしていたのだ。 柴崎や料理部からアドバイスを受け卵焼き、親子丼に茶碗蒸し、オムレツ、ホットケーキ、フレンチトーストと料理のレパートリーの少ない郁ながらも一回に3、4個の卵を使う料理を作ってその作業はなんとか乗り切った。 染色作業は女子寮の方で引き受けてくれて、菓子箱などを再利用した小さな箱に色紙や包装紙を張り、ペーパークションを敷きつめて卵を入れればエッグハント用およびエッグペイント用の卵の準備は完了だ。 あとはエッグペイントの見本となるイースターエッグをいくつか作り本日の運びとなった。 「もうそろそろかな」 左手首にはめた腕時計を確認すると、子どもたちが出てから30分ほど経っている。 安全面を考えて、探索範囲は区切ってあるし、卵が入った箱も子供たちが見つけやすいように背の高いところには設置していない。木の根元や植え込みの中など簡単な場所なのですぐに見つかるだろう。 ガラリと扉の開く音に振り返った郁がすぐさまパッと顔を輝かせて無邪気に駆け寄る。 「教官!」 その光景に思わず堂上は立ち尽くし、仕事のし過ぎで妙な幻影でも見えてしまったかと目を瞬かせるが、――理解しがたいことに、その光景は現実のようだった。 「――何をしてるんだ」 ある意味あり得ない光景に頭痛を覚える堂上の一方で郁はニコニコと報告する。 「子供たちは今はエッグハント中です。もう少ししたら戻ってくると思うんで、そしたらエッグペイント始めます」 えへへーこれ作ったんですよ、と近くに飾ってたカラフルなイースターエッグを自慢げに掲げて見せる。 「―――じゃなくて、なんだその格好」 「え、何って。今日はイースターイベントなのでイースターバニーになってみました。 初めはちょっと恥ずかしいかなぁーって思ったんですけど、子供たちにも好評で良かったです」 満面の笑みを浮かべる郁の頭上で、ふよん。と真っ白なふわふわとしたうさ耳が揺れた。 そのウサ耳は、堂上の黒く硬質なものとは違い淡く柔らかめの髪を持った彼女に良く似合っている。―――ではなくて!! 思わず堂上は額を抑える。 ―――これか・・・! ―――『今日の業務部、見たか』 ―――『見た見た!すっげーファンサービス!』 ―――『あとは網タイツだな!』 ―――『いや、お前それは流石に変態だろう』 ―――『じゃあお前見たくないのか』 ―――『そうは言ってないだろう』 途中で聞き付けたそんな笑い声を含んだ噂に何事かと訓練速度で来てみれば。 「これ、しっぽも付いてるんですよー」 フリっと振り返ってお尻を向ける郁に堂上の頭痛は治まる気配はない。 「聞いてくださいよー、堂上教官」 郁の肩口に顎を乗せて顔を出した柴崎の頭には黒いうさ耳が乗っている。見るものが見れば可愛らしい格好なのだろうが、堂上にはどんな形状であれ、柴崎のそれは黒い悪魔のソレにしか見えない。 「どうせだったら、タイトのミニスカに網タイツにしろっていったのに、パンツルックですよ、もー」 「当たり前だ!」 碌でもない思考回路を持つ悪魔あるいは魔女から純真無垢な仔ウサギを引き離す。迂闊すぎるウサギがいつ自ら魔女の餌食になりにいくのかこっちはそれでなくとも気が気じゃないと言うのに。 「―――お前、その格好で外ほっつき歩いたりしてないだろうな?!」 両肩に手を置いてクワっと詰め寄られるも、そんな堂上の剣幕に良くも悪くも慣れている郁はそのままキョトンと首を傾げる。 「あたしはエッグペイントの用意もあるのでずっと此処に居ましたけど?」 そうしてハッとした表情をする。 「むしろ特殊部隊のあたしが警備も兼ねて子供たちと一緒に外出るべきでしたか?!」 「だから出るなっつーに!!」 慌てて駆けだそうとする郁の腕を堂上はがっしり掴んで押し留める。 元から可愛い上にこんな可愛らしい格好をした愛妻を誰が見るとも分からない外に出すとかあり得ないだろう。 そして気付く。 「今日の参加者に男親とか居ないよな!?」 「父親」だろうがなんだろうが、堂上にとって男は男だ。そんな必死な様子に柴崎がブハっと吹き出した。 「大丈夫ですよ、堂上教官」 その言葉にホッとしたのもつかの間。クスリと笑った魔女がのたまった。 「もうすでに警備係の若い防衛部員にはバッチリガッツリ見られてますから〜」 その言葉に今後イベント時の郁の貸出は事前審査をしっかり行い、当日のスケジュールおよび内容を事細かにがっつり把握する必要があると強く思う堂上だった。 |