|
ヴァレンタイン―― 「2月14日に祝われ、世界各地で男女の愛の誓いの日とされる。もともと、269年にローマ皇帝の迫害下で殉教した聖ウァレンティヌスに由来する記念日であるとされている」――Wikipediaより抜粋。 そんなヴァレンタインは日本では独自の発展を遂げたものとなっている。つまり主として「女性が男性に親愛の情を込めてチョコレートを贈与する」という「日本型ヴァレンタインデー」の様式だ。 1月も半ばとなると至る所でヴァレンタイン商法が展開され始める。世間では本命チョコ予算は、平均が3000円なんて言われているらしく、ブランドメーカーはここぞとばかりに限定商品を出してくるし、そのほかにも「義理チョコ」「友チョコ」「逆チョコ」「自分チョコ」なんて商魂たくましい言葉が飛び交う。 けれど、そういう大人の事情は別にして街中がまっ赤やピンクのハートの飾りでいっぱいになると、どことなくソワソワウキウキとした気分にさせる。 ―――って、あたしは、どこのオトメか! こうした女の子特有のイベントはらしくないらしくないと遠巻きに眺めていただけだったのに。ちゃっかりヴァレンタイン商法に便乗し、いそいそと材料を籠に放り込む自分に郁は内心で苦笑しながらも、顔は綻ぶ。 ―――えっと。 カサリ、とポケットから取り出したメモを開いて籠の中の商品を最後にもう一度順番に確認する。 ―――小麦粉と、チョコレートはミルクとビター、それとピュアココア、卵にオリーブオイル。ドライフルーツはすでにブランデーに漬けてあるから・・・。 よしよし、と一つ一つ指差し確認をしながらメモと籠の中身に漏れがないことを確認して、郁はよし!と籠を持ち直してレジに進む。途中通りかかった洋菓子店のヴァレンタイン特設コーナーにはキラキラしいチョコレートたちが鎮座し、思わず魅入ってしまったが(だって美味しそう!)、それはそれ、だ。所謂大人のお姉さま方はこういうチョコを本命チョコにするのだろうが、なにせ郁のカッコ良くて時々可愛らしい旦那様は手作りを御所望なのだ。 それは半月ほど前に遡る。 夕飯を食べた帰りに堂上は酒の肴の乾物の買い足しを、郁はデザートをとコンビニへと寄った。それぞれの目的は違う場所に陳列されているため、それまで繋がれていた手がほんの少し離れる。それがほんの少し寂しいなーなんて思いながら、郁がレジ前を通りチルドデザート棚に向かおうとしたところで、――――もうそんな時期か、とエンド陳列されるシーズン商品が目に入った。 POPギャラリーにはふんだんにハートが使われ、お洒落に着飾ったチョコレートの箱が「さぁ手に取れ!」と主張している。その一番上で堂々鎮座ましましているのは高級チョコの代名詞GODIVAのトリュフチョコだ。こんなところまでもコンビニエンスか!思わず唸ってしまう郁である。これが柴崎であれば更に「まあ、売上げ坪単価を高める為に売れる範囲での高額品を並べたいコンビニとブランドの販売チャネルの間口拡大策がガッチリ合わさったってとこね」と経済分析をさらりと加えるのだろうが、そんな大人の事情など郁は考えたりしない。 ―――まぁ、確かに買えない金額ではないよね。 普段買っているコンビニスイーツより数倍高いが、ちょっとしたギフト用だけではなく自分用のご褒美に買おうとも思える値段だ。 その気はなくてもつい手に取って見てしまう。だってGODIVAだし。滅多に見るものじゃないし。コンビニに置いてあるだけでこんなにも身近に思えるのか。 「―――郁」 「うひゃ」 しげしげとパッケージを見ていたところに声を掛けられ、思わず声が上がる。振り向けば、苦笑顔の夫が立っていた。 「それにするのか?」 「え?ううん。これは見てただけ」 手元のチョコに視線が向いているのに気付き、郁は慌てて商品を棚に戻す。思ったより時間を食っていたようだ。 「ごめん。ちょっと待ってて」 チルドスイーツと少し迷ったが、すぐ裏の陳列コーナーからいわゆる『冬チョコ』商品を選ぶ。高級チョコには及ばないが板チョコよりも、ワンランク上の少し豪華な一口チョコだ。とろけるような滑らかな口どけはこの季節限定だ。まったく冬以外に食べたくなった時はどうすればいいのだ。この各メーカーが消費者の「もうちょっとだけ」感と飢餓を煽る手練手管はもはや匠の技の域だ。そして限定商法のみならず畳みかけるように各メーカーが毎年毎年いろんなテイストを出してくるのだから困る。 むむっと右と左に商品を持ち、あれこれ見比べ、今日はこれ!と郁は新発売の商品を手に取る。 「お待たせしました!」 「気になるなら他のも買っていいんだぞ」 「いーんです。こーやって悩んで選ぶのも楽しいんです」 そういうもんか?と笑いながら、堂上がさりげなく郁の手からチョコの箱を取り上げ、空いた手で郁の手を攫う。そうしてレジへと進む一連の動作に思わず笑みが零れる。 結婚する前まではそこで、自分の分は自分で払いますと鞄から財布を出していた郁だが結婚してからはそれも減った。物理的に堂上と郁が持ち歩く財布は別個のものだが、中身は同じものだと言う感覚が出てきたからだ。それが嬉しくもくすぐったい。 手を繋いだまま店内を出れば、暖かな空気から一転して、冬空の空気にヒャっと思わず肩を竦める。 ただ雲なんてひとつない空気が澄み切った夜空には月ず煌々と光を放ち、多くの星の瞬きを望むことが出来た。流れ星とかないかなー、そんな風に視線を上空に固定していたら、堂上のジャケットのポケットに導かれた郁の右手がツンと僅かに引かれた。 「ん?」と顔を向ければ、「なぁ」と僅かに口籠り、意識を引いたくせにやや視線を外した夫が切りだした。 「今年は手作りじゃないのか?」 ―――・・・何が? 意味を取り損ねた郁が―――うん?と首を傾げると、「だから」と仏頂面で堂上は言い放った。 「チョコ。見てたろ、お前」 「チョコ?」 その言葉が脳裏を一周したところで、郁の顔がポンっと茹る。 うわぁーうわぁー!!脳内で郁はジッタンバッタンと暴れ回る。なんだそれ! 「あ、あれはそういうのじゃなくて!スゴーイGODIVAだぁー!っていうだけで、思わず見ちゃっただけで、そういうんじゃなくて。 あ、えっと、ああいうのがいいんなら、ちゃんとしたとこで買うし」 「いらん」 コンビニエンスで済ませたりしませんという郁に、堂上はあっさり断りを入れる。 「そんなもんより、例え板チョコを溶かし固めたもんでも、郁の手作りの方が俺は嬉しい」 「―――なっ・・・!」 ―――なんつーことを真顔で言うんだこの人は!!これのどこが朴念仁よぉー!! 付き合いだして以降、相変わらず心臓に悪い言葉をサラリと投げてよこす夫に郁は顔を上げられなくなる。それでも逃げ出さず、きゅっと繋いだ指先に力を込めて握り返すようになったのは、これも一つの進化だろう。 「えっと、今年も手作りする予定ですよ・・・?」 その言葉に「ん」と短く返した堂上の声は嬉しさが滲んでいて、恥ずかしさに身悶えしながらも「こーいうとこが可愛くて反則だよね!」と思わず悔しくなった郁は内心で舌を出す。 仏頂面がデフォルトで朴念仁だと言われていた男は、プライベートでは案外子供っぽくて分かりやすく、そんな夫の姿に郁は翻弄されっぱなしだ。勿論堂上に言わせれば「お前が言うな!」という話ではあるが。 まさかこうも分かりやすく手作りを強請られる日が来るとは想像だにしていなかった郁である。 ―――って、なんでわざわざ思い出すかな、あたし!! ひゃーと赤くなった顔をペシペシと叩き、なんとか平常心を取り戻す。 レジを通り、足早に関東図書基地の女子寮へと向かう。 結婚するとこういうところが難しいよね、と郁は苦笑する。 去年は籍こそ入れていたがまだ官舎に移る前だったから問題はなかったが今年は違う。おはようからおやすみまで。そんでもって自宅から職場まで。同一サイクルで動く堂上夫妻のお互いの行動は相手に筒抜けだ。 ―――それでもやっぱり、サプライズしたいじゃない? そう考えての女子寮での作業だ。勿論、ヴァレンタイン直前のこの公休日、郁が何をしに出かけるのか当然堂上にはお見通しだろう。普段であれば、別々の休みを過ごす場合、誰と何処で過ごすのか聞いてくる夫が今日ばかりは何も言わずすんなりと送り出したのがいい証拠だろう。 手作り宣言している段階でサプライズも何もない気がするが、何をあげるのかはまだ内緒なのでいいだろう。 ここで本当に「板チョコを溶かし固めたものをあげればそれはそれで面白いんじゃないのー?」と元同室の親友はニヤニヤ笑って言ったが、夫相手にウケは狙っていないので「そんなことするか!」と断固お断りした郁である。 「お疲れ様でーす」 「おー出戻りか」 「なわけあるか!」 身分証を提示し、そんな警衛係のからかいを受けながら訪問帳に記帳し、寮の玄関へと向かう。玄関で来客用のスリッパを拝借し、女子寮に繋がるドアを開ければ寮監がにこりと笑いかけてきた。 「あら、笠原さん。じゃなかった。堂上さん、久しぶりね」 「ご無沙汰してます」 「今日は家庭部?」 「そうです。お邪魔します」 「うまく出来るといいわね」 「はい。ありがとうございます」 そんな激励にペコリと頭を下げ、キッチンへと向かう。 「こんにちはー。御台所借りに来ました」 「あーいらっしゃい、堂上三正」 「場所はそこの空いてるとこ使っちゃって」 「ありがとうございます」 「危なかったらいつでも声掛けてねー」 「大丈夫です!!」 「あははー、なら頑張れ」 同じ公休日だった家庭部の面々や練習しに来てるのだろう参加者に声を掛けられながら調理台の一角と道具一式を借りる。 机上に買って来たばかりの材料を並べ、一週間ほど前から仕込んでいたドライフルーツのブランデー漬を戸棚から取り出す。今年はブランデーをきかせたブラウニーを作ることにした。ベテラン勢が作るようなムースケーキやマカロン・ショコラにも興味はあるものの自分が作るにはまだセンスが足りないと自覚している郁は、一人でも出来る簡単なレシピを教えてもらった中で選んだ品だ。これなら混ぜて焼くだけなので自分にも出来るはずだ、と郁は気合十分に頷き、エプロンを身につけ腕まくりをしてさっそく調理に取り掛かる。 ―――えっと、まずは、っと。小麦粉と、ココアっと。 秤にキッチンペーパーを敷き、小麦粉とピュアココアを量り、粉ふるいにセットする。それからチョコレートを粗く刻む。 ―――ボウルに卵を入れて、と。 泡立て器で卵を溶いたところにオリーブオイルを加えてよく混ぜる。カシャカシャと音を立てながら泡立て器がボウルの中で踊り続ける。 ―――こ、こんなもん?よく混ぜるってどこまで?! 「ぶ、ぶ、部長!」 「なによ、早速。さっきの威勢はどこ行ったのよ」 はいはい、どうした、と苦笑しながらやってくるベテラン部員にボウルの中身を見せる。 「卵と油ってこんな感じで、大丈夫ですか?」 ちょっと貸してみなさいと言われ、ボウルを受け渡す。スっと泡立て器を2度ほど持ち上げた後、「うん」と頷かれて返される。 「白身も残ってないし、オリーブオイルもよく馴染んでる。これでいいわ」 「ホントですか。良かった」 「ていうか、ここで躓くとかないから。誰か付ける?」 「だ、大丈夫です!もう!大丈夫ですから!」 「ほんとに〜」 「ホントです!」 「よねー。あとは混ぜて焼くだけだものねー」 「もうっ!」 はいはい頑張って、と肩をポンポン叩かれ、思わず郁はむくれる。 ハッとして郁はいかんいかんとパンパンと両頬を叩いて気合を入れ直す。 ―――よし! ボウルに小麦粉とココアを合わせたものを振るい入れ、ゴムベラで切るようにザックリと混ぜる。そこにドライフルーツ、刻んだチョコ、ブランデーを加えてザッと混ぜ合わせて生地の出来上がりだ。型に生地を流し入れてトントンと軽く型を落としながら表面を平らにならし、オーブンで焼けば完成だ。 オーブン前にへばり付き、祈る様に焼き上がりを待つ郁を「どんだけ心配なのよ」と家庭部員は微笑ましげに笑うが、料理スキルの低い郁にはまだまだお菓子作りは未知の領域が多すぎる。 焼き上がりを知らせるタイマー音に恐る恐る、オーブンを開ければ、溶けたチョコのいい匂いが漂う。見た感じ焦げ過ぎている感じもしない。爪楊枝を差して焼き具合を確認する。 「―――」 「どう?焼き上がりは」 覗き込む先輩に、振り返り爪楊枝を差し出す。 「えっと、こんな感じです」 抜き出した爪楊枝には生地が付いているが、それがベストなのかそうじゃないのかどうか郁には判断しかねる。 「そうねぇ。そこまで生ってわけじゃないけど・・・あと5分くらいそのまま焼いてごらんなさい」 「は、はい」 アドバイスに従ってもう一度オーブンを閉めて、タイマーをセットする。 ピーピーと再度なるアラームにオーブンを開け、もう一度爪楊枝をさして見せれば「合格」との言葉を貰い、郁はホッと胸を撫で下ろす。 型から外して2本焼いた内の1本を試食用に切って食べてみる。 「―――うん」 ほろ苦いチョコ生地にブランデーがふわりと薫り、ドライフルーツからもブランデーが薫り良い感じだ。アルコールに弱い郁には少々キツメだが、酒呑みの堂上には問題ないだろう。一応切り分けて他のメンバーにも配って感想を聞いて回る。結果太鼓判を貰い、よっしゃ!と郁はガッツポーズをした。 「堂上一正はお酒好きなんでしょ?だったら、更にブランデーシロップを塗って寝かせてもいいと思うわよ」 そんなアドバイスを受けてもうひと手間。シロップを刷毛で塗った後、ラップでキッチリ包んで冷蔵庫に寝かせる。 あとは、ヴァレンタインデー当日に取りに来るだけだ。試食用の残ったケーキは赤いギンガムチェックの紙ナプキンを敷いたタッパーに詰める。間に合わせだが柴崎への「友チョコ」だ。「あら、残り物ですませようなんて」なんて軽い憎まれ口を叩かれるだろうが、本心ではちゃんと喜んでくれることを知っている。 夕飯の準備は堂上がしてくれることになっているので1時間くらいは話して行けるだろう。「ゆっくりして来い」との言葉に、どこまで行動が読まれてるんだか、と郁は苦笑する。 そして、ヴァレンタインの夜。 期待顔を隠すことなく向かいに座って夕飯を食べる夫の姿に―――だからそういうところが!と胸中で郁はバシバシとテーブルを叩く。嬉しいやら恥ずかしいやら居た堪れないやら。 ―――言っときますけど!あたしの料理の腕はいまや篤さんより下ですからね!! 自家製のタルタルソースがかかった鮭のムニエルの最後のひとかけを口に放り込んだ郁は内心でむくれる。 今日の夕飯のメインの鮭を焼いたのは郁ではあるが、味の決め手となるタルタルソースは堂上が作っていることがまた悔しい。くっそぅ。結婚した当初はどっこいどっこいだったはずなのに! 「―――郁」 流しに皿を運んで夕飯の片付けも終わったところで、声が掛る。カウンターから顔を出せば―――だからなんでそんな嬉しそうなんだって!! ―――くっそう。男の人でこんな可愛いって思うとか反則でしょう!! 「―――えっと、お腹に隙間ありますか?」 「甘いものは別腹、だろ」 それは女性の常套句だと思いますが。 「あ、じゃ、ちょと待ってて。デザート持ってくるから」 「ああ」 ―――だからそんな顔で笑うな! うーあーと堪らず冷蔵庫に寄りかかる。誰だあの人を朴念仁とか言った奴!も、ほんと心臓壊れる・・・! 「いーくー」 「あーもうっ!分かったからちょっと大人しく待ってて!」 甘さの欠片もない言葉に、愉快気な笑いが返ってきて―――だから!と郁は顔を赤くして冷蔵庫から目的の物を取り出し、乱暴に閉める。 課業後に女子寮の冷蔵庫から持って帰って来たブラウニーはしっとりとしてブランデーの芳醇な薫りが漂う。カットした物の中から断面が綺麗なものを選んで皿に盛り、ブランデー漬のドライフルーツの残りを混ぜたバニラアイスを添える。飲み物はブランデーとの相性を考えて紅茶を準備する。 「お待たせ、しました。 今年はブラウニー、というかブランデーケーキにしてみました。 篤さんの口に合うといいんだけど」 「ああ。ありがとう」 にこりと微笑まれ、郁の胸がキューンとなる。ドキドキしながら堂上がフォークを入れるのを見詰める。 フォークを口に運んだ堂上の顔が綻ぶ。 「ん。美味い。甘さ控えめで、ブランデーも結構きいてて」 「あ、ほんと?良かった」 フニャンと肩の力が抜けた郁の頭にポンと暖かな掌が乗り、そこからジーンとした温かさが郁の身体を巡る。 「最後にブランデーシロップ塗ったのが良かったのかも。チョコの甘さだけでお砂糖も使ってないんだ。あとオリーブオイル使ってるから、バターケーキほど重くないとは思うんだけど」 「ああ。俺好みだ。ありがとな、郁」 「ううん。篤さんが喜んでくれて、あたしも嬉しいし」 ペロリと一皿食べきり、紅茶も最後の一滴まで飲み干した堂上に抱き寄せられて、郁もニコリと笑う。 「来月はしっかり、お返ししないとな。何か欲しいも物とかあるか?」 サラリと頬を撫でながら言われる言葉に、そうだった!と郁はガバっと立ち上がる。 「郁?!」 「ちょっと待ってて!」 そう、ヴァレンタインはここで終わりじゃないのだ。というか、むしろ此処からだ。 バタバタと手に何かを握りしめた郁が戻ってきて、ソファーに座る。何故か正座で。訝しむ堂上などお構いなしだ。 「あたしからのヴァレンタインプレゼント受け取りましたね!」 「あ、ああ。ありがとう。美味かった」 「じゃあこれです!」 そうしてバン!と出されたのはレシートとレシピノートだ。 「あのケーキは1本700円もかからず出来ます!」 「―――・・・お前な」 なんつー情緒のないことを―――呆れたように額に手をやる夫の姿に、ここからが本番だと言わんばかりに郁は畳みかける。 「そして、ヴァレンタインデーのお返しは3倍にして返すのが礼儀!です! なので、お返しは2000円以内でお願いします」 「―――なっ!」 「お返しは2000円以内でお願いします!」 大切なことなので二度言いました。 そう、ヴァレンタインに堂上にチョコレートを贈るのはいい。喜んでくれるのも嬉しい。 たがしかし、堂上からのホワイトデーのお返しはいただけない。 なにせこの堂上篤と言う男。過保護とは言え、だからこそ業務中は正に仕事の鬼で一切甘い顔を見せないくせに、プライベートとなるととことん郁に甘い男になる。そんな堂上にとってホワイトデーなんていうイベントは格好の獲物だ。 恋人になって初めてのホワイトデーはハート形のケースに入ったマシュマロだった。というかマシュマロだと思っていたら、違った。 「ふわっふわとろっとろーおーいしー」と思いながら食べ進めていたら、その中からドルフィンテールをイメージしたオープンハートのモチーフがトップになったピンクゴールドのネックレスが入ったカプセルが出てきた。「こりゃまたミジンコでクジラを釣り上げたわねー」という柴崎の言葉に、トップにセットされたバラ色の石がルビーで、清楚な輝きを放つ石がダイヤだと知れた。 そして、去年。一昨年の経験を踏まえ「今年は婚約指環を頂いたので、お返しはアクセサリー類はなしの方向でお願いします!」、とこういうことに関しては意思の主張がはっきりとしている郁はきっりぱりと宣言した。ら、去年のお返しはデザイナーズホテルのフレンチフルコースディナーが付いたお泊りセットだった。―――・・・まぁその日の夜の出来事は果たしてどっちにとってのプレゼントだったのかは謎ではあるが。 そんな感じで、堂上から郁へのヴァレンタインのお返しは3倍返しどころか30倍返しもかくやというところだ。悪徳金融も吃驚の利回りだ。だからこそ、今年は「まとも」なお返しをしてもらおうと考えたのだ。 「―――あのな、郁。何度も言ってると思うが。 お前は俺がいくつ年上でいくつ階級が違ってどれだけ勤続年数が違うと思ってるんだ!?」 「だから3倍返しまでは許容するって言ってんです!」 なにせ郁の基本は等価交換。3倍返しですらなんたる暴利!と思う女である。それでも夫の矜持を思い3倍まで譲歩してやったところを汲んで欲しい。 これ以上は譲りません! バン!と再度レシートとノートを堂上の方に押し出し、見つめる郁の瞳には一切の妥協を許さない強い光を宿していた。 それを知る堂上は、一つ大きく息を吐いた。 「―――・・・せめて全材料費の3倍」 「残りの材料は我が家の台所に還元されてるのでお構いなく」 「―――じゃあブランデー代だけでも上乗せしろ!これはお前呑めんだろ」 「ブランデーは場所代として家庭部に寄付してきました! ―――っていうかみみっちい!みみっちいよ篤さん!!」 「そりゃお前だ!!」 ったく。 息を吐く堂上に「だって」と郁が呟く。 「―――嫌だったのか?」 「なわけないじゃん!嬉しいに決まってるじゃん!」 一昨年のプレゼントは今日だって郁の首元で揺れている。可愛らしいがチープさはないので館内勤務の時にも付けているお気に入りだ。 「ただ、やっぱり、あたしのはまだそのレベルに達してないって思うし」 「俺が郁に贈りたいと思ったものを贈ってるだけだぞ」 「うん。でも、あたしは、カミツレの一本でも篤さんがくれたのなら同じくらい嬉しいし。 篤さんだって、―――そうでしょ?」 ソファーに両手をついて身を乗り出して見上げてくる郁に、「参った」と堂上は苦笑してその顔を引き寄せた。 高級チョコより、例え板チョコを溶かし固めたものでも郁の手作りが欲しいと言った堂上と結局は同じなのだ。 「あーじゃあ、来月はその予算で何か作るか」 その言葉に嬉しそうにフワリと笑う郁に、あーもー可愛いな!と堂上は思い切り覆いかぶさった。 ―――まあその分誕生日に回せばいいしな。そんなことを思いながら。 |