「改めて、結婚おめでとうございます」
「ああ。ありがとう」
 華やかなパーティドレスを身にまとった柴崎は、いつにもまして注目を集める存在となり招待客の主役のようになっていた。
「まぁ真の主役には負けますけど」
 柴崎の言葉に本日の主役の添え物である堂上は柔らかく笑った。今日の主役を一番間近に見て、一番見惚れていたのは間違いなく自分だろう。
 純白のドレスに身を包んだ郁の姿は世辞の必要もないほど美しかった。ドレス選びに付き合った堂上は、もちろん郁がどんなドレスを着るのか知っていたし、試着やリハーサルの段階で実際にそのドレスを身に纏っている姿を見ている。それでも、今日というこの日にそのドレスを着た郁の姿は格別で、そしてそんな郁の隣に立てることが感慨深く、微笑まれるたびに何度も息を飲んだ。堂上が郁に惚れ込んだのは心根の気高さであり、その見た目は二の次であったが、惚れた欲目を抜きにしても自分の伴侶となる女性が身も心も美しい人間であることが証明されたようで、誇らしくも思った。
言った言葉に「当然だろう」と目を細める堂上の姿に、柴崎は小さく笑う。



「―――堂上教官。

 “あたしにしときません?”

 あれ、結構本気だった、って言ったらどうします」
「どうもしない」
 即答される言葉に、柴崎はまた小さく笑う。
「初めから、そのつもりで答えたからな」
「あたしのためにやっかみを受ける気にはなりませんか」
「悪いが、な」
「それなりに価値のある女だと自負してたんですけどねー」
 残念です、とおどける柴崎に堂上は茶化すことなく返す。
「そうだな。少なくとも俺の知る中で、二番目にいい女だよ、お前は」
「―――ふふ。ありがとうございます」
 一瞬、わずかに目を見開いて柴崎が笑う。
「そんな教官のお眼鏡にかなった一番はよっぽどいい女なんでしょうね」
「ああ。とびっきりにいい女だな」
「彼女のためなら、どんなやっかみを受けても構わない?」
「ああ。もちろん」
 どんな才媛だろうと、どんな傾国の美女が相手であろうと、堂上にとって郁以上に価値のある女はいない。彼女が手に入るのなら、何を差し出してもいい。手に入れた先で受けるやっかみなどどれだけだって引き受けてやる。それが彼女を手に入れる代償だと言うのなら喜んで受けてやる。
 堂上の答えに「初めからそう言ってくださればよかったのに」と柴崎は肩をすくめる。
「そしたら、もっと早く教官のこと諦められたのにー」
「―――初めから分かってたくせに、何をいまさら」
「えーなんのことですかぁ〜」
 人差し指を顎に当てながら柴崎は空恍ける。


 そう。柴崎は初めから知っていた。
 堂上の目には初めから郁しか映っていなかったし、その揺るぎない視線があったからこそ柴崎は安心して堂上に「好き」だと言えた。

 ―――そうですね。笠原のことがあんなにも、こんなにも好きじゃない堂上教官なら、きっとあたしは何の興味も抱かなかった。

 言われるまでもなく、それは柴崎自身が自覚している。その視線が羨ましくて、だけど、その視線が向けられることがないと分かっていたから軽口でも「好き」だと言えた。これが他の男なら、冗談でも言わない。ちゃんと自分の「価値」を自覚している。それはとても根深い部分で。




「―――第一、お前は俺よりも郁の方が好きだろ」
 苦笑しながら言われた言葉に、柴崎が弾ける。
「ええ!負けるつもりはありませんよ?」
「―――俺は時々負けそうになる」
 苦りきった堂上の言葉に柴崎がコロコロと笑う。
「あいつ俺といるときも『柴崎』『柴崎』言ってくるんだが、どうにかならんのか」
「どうにもならないですねー。ほら、あたし、笠原に信頼されてますから?」
 アハっと笑い「男の嫉妬は醜いですよー、きょーかん」と茶化す。
「あんだけの信服を見せられたら、嫉妬の一つも妬きたくなるわ!」
 事あるごとに「でも、柴崎はこう言ってましたよ?」「んーじゃあ柴崎に聞いてみます」「だって柴崎がこっちの方がいいって言うし」と、堂上が訊ねたことの郁の回答の根底に居るのはほとんど柴崎だ。恋人および婚約者ならびに配偶者となった堂上の言葉よりも優先される節がある。
 ―――先に柴崎と比べるなと言ったのはお前だろうが!
 つまらないことだとは思いつつも、そうした些細なことに嫉妬してしまうのは仕方がない。郁に関して堂上に余裕などない。
 かつて茨城のコインランドリーで郁に言われた言葉をそっくりそのまま返してやりたくなる。堂上側で郁と柴崎をそういう同じ土俵に上げたことなどないのに、郁は平気で堂上と柴崎の言葉を同じ天秤に掛ける。そして結構な確率で柴崎の方に傾くのだから堪らない。




「それでも、あの娘が最後の最後に選ぶのは教官ですよ」
「―――じゃなきゃ困る」
 本気で嘆く堂上に柴崎は笑う。
 笑いながら同じ人を好きになってごめんと泣きながら謝った郁を思う。
 ―――ばかね。人を好きになるために必要な「資格」なんて本当はないのに。ましてや恋愛感情は先着順で決まるものでもない。
 それでも、悩んで苦しんでしまうのが郁が郁たるところだろう。
 相手が「親友」の自分でなければあれほど悩み苦しむこともなかったのかもしれないと少しだけ胸が痛む。
 けれど、その一方でそのことを嬉しく思うのも事実だと柴崎は思う。
 今まで、柴崎が誰かを好きになり、そして同じようにその男に思いを寄せる女がいたり、あるいは、柴崎に思いを寄せる男を思う女がいる場合、大抵の場合その向こうにいる女は何も言わずに逃げていくか、一方的に敵意を持たれるだけだった。あんな風に正面から「告白」されたのは初めてだった。
 何事に対しても真っ直ぐで、それでいて恋愛には臆病だった郁。でも、最後はその「好き」から逃げなかった。同じ方向に「柴崎」がいると知っていても。
 そうやって、柴崎を認めて、逃げずに受け止めてくれたのは郁だけだった。

 ―――だから、あたしはあの娘のことが好きなのよね。

 ひっそりと柴崎は笑う。


 もとから敵わない恋をしていたのは柴崎の方だ。郁じゃない。
 堂上の視線の先を知っていて、その視線が自分に向くことがないと分かったから柴崎は堂上を「好き」になった。それがなければ、きっと堂上に「好き」だなんて言っていない。郁とは逆方向で柴崎の恋愛コンプレックスもまた根深いものがある。
 ―――でも、あたしと違って小賢しい逃げを打たないあの子が王道のハッピーエンドを迎えるのは道理だわ。
 そんな郁を羨ましいと思う気持ちはある。けれど、不思議と妬ましいとは思わない。
 何をどう思ったところで、柴崎は郁のようにはなれないし、またなろうとも思わない。そういう計算がちなところも含めての自分であるし、自信でもあると柴崎は自分のことを評価している。それに―――その弱さを見せることができる人間がいるだけで、そうならざるを得なかった頃よりも救われていると思う。それが誰とは言わないが、誰とは。まだ。
 ―――だから、まぁあたしは、いいのだ、これで。幸せに満ち溢れているわけではないけれど、だからって人生を悲観するほど不幸せでもない。
 そういう風に思えるようになったのも全て郁との出会いがあったからだ。「好き」になっても平気だと思える堂上と出会えたのも、―――“あいつ”との縁ができたのも。
 だからこそ、郁には素直に幸せになってほしいと思えるのだ。

 ―――まあ、でも?と柴崎は苦笑する。
 たとえ、恋愛が早い者勝ちのルールだったとしても、堂上との恋愛を勝ち取ることができたのは郁以外にありえない。

 ―――だって、あたしが教官を「好き」になるよりも、ずっとずっと前から、教官はあんたに落ちてたのよ?

 新婦の親友に本気で苦々しい表情を浮かべ、嫉妬の視線を向ける新郎ってどんだけだ。


 だから、時々イジメたくなるのだ。






「でも、よかったですね。逃がした魚は大きかった、なーんてことにならなくて」
 にっこりと笑って柴崎は堂上に言ってやる。
「あの時、笠原がお試しにでも手塚と付き合ってたら、とーっても、面白い展開になってそうだったのに。ほーんと残念!」
「面白がるな!残念がるな!」
「でも、考えませんでした?手塚と笠原が付き合ったらって。
 同期のあたしが言うのもなんですけど、手塚は教官に負けず劣らず優秀な隊員ですし、もうエリートコース確定、みたいな?見た目だって文句なし、ですし? 朴念仁で唐変朴ってのが玉に瑕ですけど、まぁあれでも誠実ですし、付き合いだした女はそれなりに大切にするんじゃないですか?
 イチャイチャバカップルにはなりそうにないですけど、最近じゃ笠原とのコンビも様になってて相性だって悪くないと思うしー。ケンカップルっていうか相棒?みたいな感じで、それはそれでアリじゃないですか?
 たぶん、その選択をしても、あの子はそれなりに平凡でそこそこ幸せになったと思いますよ?」
「―――そんなIF話はしらん。
 例えがどうであれ、今郁の隣に立っているのは俺で、これから先もそこを譲る気は一切ない。
 今後、どれだけ俺より優秀で、あいつの見目に似合う容姿で、郁のことを俺以上に好きだと抜かす奴が現れたとしても、だ」


「だったら―――ちゃんとあの子を幸せにしてください。他の誰もが太刀打ちなんてできないって思えるくらい、あの子を幸せにしてください」


 真っ直ぐな視線が堂上を射抜く。


「―――じゃなきゃ、お前に郁を奪われそうだしな」
 その言葉に柴崎はおどけて笑う。
「ええ。もちろんです。いつでも出戻りできるように、笠原の後釜なんて入れませんし」
「―――させるか、んなこと」
「あたしの逆鱗に触れる輩は誰であろうと、どれだけ泣いて許しを請おうと赦しませんよ?
 ―――たとえそれが堂上教官であっても」
「―――・・・お前俺のこと好きとか言ったの嘘だろ」
「いいえ?ただ、あの子の方が好きなだけですよ。
 もし、あの子が別れたいとか言い出したら、あたしの全身全霊をもってして引き離しに行きますので覚悟しておいてくださいね?」
「―――分かった」



「郁は俺がちゃんと幸せにする」


 茶化すことなく、真っ直な堂上の言葉に柴崎は満足げに笑う。
 朴念仁代表たるこの男にそこまで言わせたのなら上等だろう。

 ―――もう、十分釘は刺したことだし。


「そうですね。
 見た目だけで人を判断するような中身の薄い輩にあたしの可愛い笠原を盗られたりしたら癪ですから」
 その言葉に堂上はハッと振り返る。
 女友達を中心にした友人らのシャッター攻撃を四方から受けていた本日の主役は、何時の間にやら新婦新郎側の参列者入り混じった野郎どもの壁に阻まれてその姿を確認することができない。


「―――郁っ!!」


 血相を変えて飛び出す新郎の後ろ姿に柴崎はケタケタと人前では見せないはずの笑いを出す。
「主役の横には猛犬注意、の看板が必要だったかしら?」
 人垣を引き裂いて、引っ張り出した花嫁を背に隠し、ガルルルと威嚇している番犬の姿に呟く。
「まったく、このあたしを振ったあげく、あたしの大事な親友を掻っ攫っていくんだもの。
 幸せにならなきゃ許さない。幸せにしなきゃ許さないんだから」



 空を見上げれば、新しい門出に立つ二人を祝福するかのように降り注ぐ白日が目に眩しく、腕で影を作る。

 ―――これは、単に眩しすぎる陽の光が目にしみただけ。

 誰に対するわけでもなく、柴崎は一人言い訳をした。














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