それはいつもの特殊部隊の飲み会―――いや、少なくとも今の堂上にとってはいつも通りというわけではなかった。
何せ本日の飲み会には可愛がっている部下の一人であり、目に入れても痛くないどころか目に入れて持ち歩きたいくらい溺愛してる愛妻が不参加なのである。


堂上の愛妻であり、特殊部隊の紅一点、末っ子、娘っ子、お姫様こと旧姓笠原郁は本日、若手防衛女子隊員を対象にした関東合同研修に参加している。とは言え、そこで課される訓練内容は護身術を中心にした武術訓練や後方支援を想定したものであり、郁の上司であり夫である堂上は話を持ってきた玄田に割とはっきり難色を示した。
「隊長!何ですかあれは!なんだって笠原が今更こんな基礎訓練に召集される必要があるんですか!」
もともと訓練生の時分から、実技において男顔負けの実力を見せ付けていた郁は、今や特殊部隊においても他の男性隊員に劣ることなく戦線の最前線に立つ立派な戦力であり、日頃特殊部隊での訓練をこなしている郁にとって基礎訓練はとうに通過点となっている。
「たまにゃ、ウチ以外のメンツと一緒になるのも必要だろ」
確かに人脈を広げることも必要なことだとは思う。理解もできる。しかしそんな玄田の言葉だけでは納得できない。
バン!と玄田の机に両手をついて、堂上は抗議した。
「だからって、なにも基礎訓練に出す必要はないでしょうが!中等科研修に参加させた方がよほどあいつの為になります!」
「まあ、そう言うな」
苦笑気味の緒形の執り成しが入る。
「笠原はどちらかと言えば、研修生と言うよりカンフル剤だ。女子隊員の底上げには笠原以上の適材がないことはお前にだってわかるだろう」
「――――それは、確かに、そうですが」
何せ郁は「全国初」であったり今なお「唯一」という冠が付く女性特殊部隊員であり、良化法に対する「革命」における第一立役者でありと、特に新人隊員の中には郁に憧れを持つものが多くいることは堂上だって知っている。そして、そういう存在によってやる気が跳ね上がるという心理も分からないではない。憧れの人の前では、誰しも良いところを見せたいと思うものだ。
だから、今回の郁の召集が侮られているわけではなく、寧ろ評価によるものなのかもしれないとは思うが―――
「何だって、三日後の研修の話が今頃降りて来るんですかっ!!」
何でも何も、いつものよう事務処理が大雑把すぎる玄田が、半月近く前に来ていた事務連絡を下ろす前に適当に放り、ついさきほど「おー忘れとった。笠原、お前三日後から一週間、外部研修に行ってこい」と「業務命令」を下したのだった。
玄田の無茶振りには郁も随分と慣れ、また上官命令は基本的に絶対である環境であるため、すぐに「了解しました!」と敬礼を返したが、それに了解出来なかったのが、寝耳に水の話を聞かされた郁の直属の上司でもある堂上で、言うだけ言って隊長室に引っ込んだ玄田に断固抗議をしに行ったのだった。
「だいたいウチはシフト勤務ですよ!研修に行くなら、人員配置も変えなきゃいけませんし、その間の公休日だって移動させなきゃならんのですよ!」
その七面倒くさい作業を誰がやると思っている。勿論、堂上だ。いきなり、部下と妻を一週間引っこ抜かれることになるわ、面倒臭い上に急ピッチで決裁を貰わなければならない仕事を課されるわで堪ったものじゃない。
「おう。だからシフト組み直すまで、できるだけお前にゃ仕事回さんようにしてやるわ」
「もとから自分の仕事を俺に回すのは止めて下さい!」
ガハハと笑い、決定事項だと言う玄田の「思い付き」はどれだけ文句を言ったところで撤回されることはない。


そんなわけで、本日の堂上はいつにもまして、ムッツリとした顔でグラスを空けている。いつもは上官の世話をしながら郁の様子に目を配り、注文をとりながら郁の食べ物を選りわけてよそったりと忙しく動いているため、酔うほど飲むことはないのだが、今日は酔えない理由がなく、むしろ呑まずにやってられるか!という感じでグラスを空けるピッチが速い。
空いた堂上のグラスにドボドボと日本酒を注ぎながら、先輩隊員が「まあまあいいじゃないか」と堂上の肩を叩く。
「久しぶりに笠原もいないんだ。たまにゃパーっと呑め」
「そうそう。鬼の居ぬ間にってやつだな」
特殊部隊は堂上率いる堂上班が一番の若手であり、他の班員には既婚者も多い。進藤を始めとする愛妻家も多いが、何せ伴侶は猛者揃いの特殊部隊員を旦那に迎え入れる肝っ玉の持ち主だ。愛嬌だけではなく度胸もある女性ばかりで、旦那が嫁の尻に敷かれているカカア天下世帯も多い。
「―――鬼?」
眉を寄せて考え込む様子の堂上に周りが笑う。
「おいおい、大丈夫か。酔い周りすぎじゃねーの」
「此処で鬼っつったら、カミさんのことだろーが」
笑いながら言われる言葉に、堂上は「ああ」と納得したかのように頷き、言った。
「そうですね。ウチの嫁は恐ろしいほど、鬼可愛いですね」
全く一日に何度理性が殺されそうになることか。
真顔で返された言葉に至る所でアルコールの霧が噴出される。噴きかかる酒を堂上は鬱陶しそうに払う。
「ど、どじょ、どっどんだけ」
上戸に陥りながら、切れ切れに言う小牧に「何がだ」と奇怪そうな視線を返せば、小牧はひぃひぃ腹を抱えて言う。
「や、ホント、か、笠原さんのこと、カワイイんだなって」
「当たり前だろ。郁以上に可愛いもんなんてあるか!だいたい郁が可愛くなかったら、この世に可愛いものなんて存在しないだろうが!」
ブハッと吹き出した小牧が「も、もう、無理っ!」と床に伏した。
ひぃひぃ腹を抱えて床を笑い転げる小牧を「何がおかしい」とブスッとした顔で堂上は見下ろす。


「それじゃあ、そんな可愛い嫁と離れた旦那はさぞかし心配だろう」
「―――心配?」
含み笑いで言われた言葉に、堂上はダンっとグラスをテーブルに叩き付けた。
「ど、堂上?」
「心配しないわけないでしょうが!!」
クワッと目を剥いて言われ、「お、落ち着け」と思わず身を引く先輩に構わず言い募る。
「だって、あんだけ可愛いんですよ?!研修だとか指導だとかに託つけて言い寄られるに決まってます!あの可愛い顔と声で「教官(ハート)」なんて呼ばれたら、血迷う男がアホほどいるに、っていうか、俺以外の男があいつに「教官(ハート)」なんて呼ばれてるかと思うとそれだけでどれだけ業腹か・・・っ!」
「いや、「教官(ハート)」なんて聞こえてるのは、お前だけだと」
「ですよね!郁の教官は俺だけで十分だと思いますよね!!だから、せめて俺を指導員として派遣して下さいっつったのに、あんのおっさん!それは無理だとか、自分は散々無理言ってるくせに!たまには俺の無理だって聞いてくれたって罰は当たらないと思うんですけど!!どう思います?!」
「分かった!落ち着け!堂上!とりあえず落ち着け!」
「まあ、呑め!いいから呑め!とりあえず呑め!!」
ザバーと注がれた焼酎を律儀に「ありがとうございます」と礼を言い、堂上は一気に呷る。すでにリミッターは外れている。
「だいたい、郁も郁だ!訓練中は危ないってのは、まあ分かる。ただ、付け外ししてる間に無くしたら困るとか言って、結婚指環置いてくとかどういうことだ!自覚がないにもほどがある!そんなことしたら、独身かと勘違いする男がいるに決まってるだろ!そして口説かれてることに気付かず、ホイホイ飯食いに行ったりするに違いない!気付け、そこは!そのまま連れ込まれたらどうするつもりだ!!」
堂上の愚痴を聞く隊員は、心配しすぎだろ、とは思ったが、しかし、本人は隠しているつもりでも、結局はダダ漏れ状態だった堂上の気持ちに全く気付くことのなかった郁の様子を知っている特殊部隊の面々はあながち否定は出来んな、と思わず視線をそらす。それと同時にあの天然娘は無自覚ゆえにそのアプローチをアプローチとも気付かず上手くかわすだろうとも思う。
周りから見ればあからさまではあったが、一応本人的にはさりげなくアプローチしていた堂上のアプローチを完全スルーしていた郁の戦績は男側から見ればかなり恐ろしい。
―――何故気づかない!どうしてそこまでされてて気付かない!むしろ何をしたら気付くんだお前は!!
郁に思いを寄せる男は「番犬」を乗り越え、かつ、鈍感な郁に意識をさせることから始める必要がありと、特殊部隊のお姫様はかなりの難攻不落な砦の中にいるのだ。
恋愛面において当事者である堂上を始めとする特殊部隊の面々を軽い恐惶状態に陥らせた郁のニブチン具合はポっと出の男が早々に攻略できるものだとは思わない。というか、そう易々と攻略されたら堂上の立場と言うものがない。
―――笠原を落とすのにどれだけの時間と手間と忍耐と理性をコイツが費やしてきたか。よくもまぁ、途中で挫けなかったものだ。
そこまで思って、フト、そう言えばと各々思った。
そう、当初思ってもなかなか聞けなかったこと。いや、一度チャレンジャーがアルコールに乗じて郁に直接聞いたことがあったのだが、全てを言い終わる前にその頬を掠めるようにアイスピックが飛んできて、飛んできた方向を見ると目の据わった堂上がいたというなんともホラーチックな出来事があって以来、その質問はお口にチャックされてきた。
自分でお手つきにしておきながら、穢れなしの純真無垢な無菌状態のように扱おうとするのもどうかという感じだが、堂上が郁に対して多方面において過保護なのはもはや仕方のないことだ。
しかし、今晩はその純粋培養要無菌室なお姫様はおらず、居るのは長いこと特殊部隊に浸りすっかり抗体ができている王子様だ。王子様とは言え男だ。積極的ではなかったとはいえ、堂上だってかつてはその話の輪の中に居たのだ。
堂上(しかも相当酔って何やらやたら素直になっている)相手ならイケるだろうと周りの悪い大人たちは思った。
生々しい話を郁に振れば堂上は激怒する。激怒すれば面倒くさい仕事を押し付ける相手が居なくなる。それは困ると今まで口を噤んできたのだ。今聞かなくて、いつ聞くと言うんだ。大人とは得てしてズルイ生き物である。それが悪い大人となれば尚更だ。
ところでよぉーとニヤニヤ笑いながら、大人たちが堂上の肩を組み取り囲む。



「いや、しかしそんだけ鈍いんなら、堂上もイロイロ大変だな」
「お前も苦労するよなー、イロイロと」
「郁が可愛いのは仕方ありません。郁の可愛さに罪はないです。悪いのは俺の郁に言い寄る男だけです」
「いやいや。それだけじゃなくてさ、例えば夜の営みとか、他には夜の営みとか、それでなくとも夜の営みとかさ」
「そーそー。おこちゃま笠原相手だとそんな雰囲気に持ってくのも一苦労じゃねぇのか」
「つーか、その気になる前に寝オチとかありえねーことやりそーだよな、アイツ!」
全くもって下世話なことだが、気になっていたのだから仕方がない。大体戦闘職種の野郎が集まりあまつさえアルコールが入ればその話題のほとんどは下ネタだ。郁が入ってきてから、郁が同席する空間では自ずと抑制されていたのだが、今日はその必要もなくエンジンフルスロットルだ。完全にセクハラと言われる内容の言葉もガンガン飛び交う。
「やっぱ、あの胸はちっと寂しいよなぁ」
「そーそ、やっぱ視覚的にパイズリとかは欲しいよな。胸に挟んだ状態で銜えてもらったりさぁ」
「そこんとこどうなんだよ、堂上」
ニヤニヤと言われる言葉に、堂上は律義にまじめに返す。
「全く問題ありませんね。というかパイズリなんてなくても、充分視覚的に煽られる可愛さですから俺の嫁は。
 確かに大きさは小振りかもしれませんが、俺の掌にピッタリ納まる具合が俺の為に誂えた様で、むしろ完璧ですね。
 ツンとして張りのある胸は形よく肌はしっとりとして、触り心地も感度も抜群です!
 だいたいデカかったら「小さくて恥ずかしい」と頬を染めて恥じらう郁の姿が損なわれるじゃないですか!
 だから郁の胸はアレでいいんです!てか、アレがいいんです!むしろアレ以上の胸とかないですから!」
「そ、そうか」
酔ってるとは言え、まさか堂上が愛妻の胸について此処まで赤裸々に熱く語るとは思わず、質問をぶつけた大人たちは少しばかり後悔し始めていた。後悔先に立たずとは良く言ったものだ。
「なので、郁に関して俺が苦労していることなんてありません!むしろ郁に関することは全部俺の特権ですから!
 まぁ、強いて言えば普段から充分可愛いのに更に輪を掛けてベッドの上の郁はあまりに可愛すぎる上に純情で、たまに俺は天使を汚してるんじゃないかって心配になることが困ってると言えば困ってますね」

―――天使って・・・!!

ゴホォっと至る所で撃沈する隊員に堂上は「先輩方、飲み過ぎです。そんな無茶な呑み方するから奥さんに怒られるんですよ」と見た目だけはいつもと変わらない生真面目な顔で諭す。誰のせいで、とは言えない。ある意味自業自得だ。
悪酔いする勢いで回るアルコールに、周りが堂上を恨めしげに睨みつけるが、堂上はそれには取り合わず、震え始めた携帯を瞬時に取り出す。
それと同時に甘ったるい空気が場を支配する。



「―――どうした、郁。何かあったか。大丈夫か?」
『やだ、篤さん。何もないよ。心配性だよね、ホント。
 ただ、ちょっと寝る前に声が聞きたいなって、それだけなんだけど―――ダメ?』
「なわけあるか」
『良かった。篤さんの方こそ何もなかった?』
「ああ。ただ、お前が居なくて寂しい」
『ちょっ・・・!や、やだっ!な、な、何言ってっ』
「なんだ、お前は俺が居なくて寂しくないのか?」
『そっ、そんなことっ!い、言わなくたって、分かってるでしょ?!』
「郁の口から聞きたい。ダメか?」
『―――っ』
「いーくー?」
『―――・・・さびしい』
「ん。早く帰ってこい」
『うん。すぐ帰るから待っててね』
「待ちきれなくて、迎えに行くかもな」
『もうっ!』
「―――俺が居ないとこで無茶するなよ」
『分かってます。篤さんもね』
「ああ。明日も早いんだろ?しっかり休めよ」
『はい。篤さんも飲み過ぎには注意して、早めに休んでくださいよ』
「分かった。今日はもう我慢する。その代わり帰ったらたっぷりご褒美くれよ?」
『―――じゃあ、あたしも研修頑張ったご褒美くださいね?』
「ああ。たっぷり可愛がってやる。だから疲れ残さないようたっぷり寝とけよ」
『何ソレ!もうっ!』


電話口でイチャつく夫婦の姿に、意識を奪われながら特殊部隊の面々は思った。


―――あの堂上の相手が素面で出来るお姫様どんだけ最強だよ・・・!!


一人、また一人と脱落者が増えていく。


「これ以上飲むと郁との約束破ることになるんで、俺はこれで失礼します。飲み代此処に置いときますから」
そう言って、さっさと帰り支度をした堂上はバタバタと倒れていく仲間を顧みず、屍だらけの会場を後にしたのだった。












Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!