普段の昼食は栄養バランスとボリュームと何より価格の素晴らしさから隊員食堂を利用し、時折気分転換に基地外に食べに出る郁であるが、年末年始や年度末、年度始など通常業務に加え事務処理の増える時期はゆっくり食事を取る時間も惜しいと売店やコンビニでおにぎりやパンを買い込み自席ですますことも多くなる。それは郁に限ったことではなく、昼休憩の時間であるにも関わらず、結構な人数が事務所に詰めていた。
「笠原買い出し行ってきまーす」
 そう言えば「笠原〜俺の分も」とパラパラと手が上がる。
「はいはーい。ちょっと待って下さい」
 メモ帳片手に聞きに行けば、財布から札を抜き出しながら「とりあえず米」「とりあえず肉」などリクエストとも言えない注文が飛ぶ。この辺りはかつ丼や焼き肉弁当、ハンバーグ弁当などを適当に買って選んでもらえばいいだろう。あとはおにぎりやパンを片っ端から買えばいいか、と結局はただの人数確認と化した注文票を見ながら郁は思う。少々多めに買ったところで余ることはないだろう。なにせ量を食べる戦闘職種の集まりだ。そして質にはあまりこだわらないのか、とりあえず腹にたまればそれでいいという人間がほとんどだ。量をそろえるだけでいい買い出しほど楽なものはない。
 おまけに、釣りはいらん。駄賃代わりに好きな菓子でもなんでも買って来いとまで言われるし。それに―――。
 集金した物を茶封筒に収めたところで、「一人じゃ大変だろう」と堂上が席を立つ。少し前までならここで「いえ、俺が行きます」と手塚が名乗り、それを小牧が笑いながら押しとどめるなんていうやりとりもあっていたが、流石にもう心得たのか手塚は我関せずという態で目の前の書類にペンを走らせている。
「別に言いわけなんてしなくてもいいのにね」
「うるさい!」
 からかわれる夫の姿に思わず笑みを零す郁に、少しだけ不貞た様な堂上が「さっさと行くぞ」とその腕を取って事務室を出る。
「寄り道なんてすんじゃねーぞ」
「誰がしますか!」
 掛けられる言葉に、乱暴に返し、音を立てて事務室のドアが閉められる。
 十数人分の弁当を運ぶのなんて郁にはわけないことは勿論堂上にも分かっているし、郁もそれを分かっている。
 腕を取っていた手が離れ、緩やかに繋がれた手がその理由だ。
「久しぶりのデートですね」
 はにかみながら郁が言えば「そういう顔は次の休みに取っとけ」と笑いながら額を軽く小突かる。
「しょーがないじゃないですか。篤さんと二人っきりだと、嬉しくてそれだけで顔が緩むんだから」
「―――あんま可愛いコト言うな。物陰に連れ込みたくなるだろうが」
「はーい。分かりました」
 今に限っては堂上のそれは言うだけで、実際に行動に移すことがないと分かっているから郁は余裕だ。ニコニコと可笑しそうに言う郁に堂上は渋面を作る。―――家帰ったら覚えてろ。小さく呟いた言葉は届いてないのか、郁は繋いだ手を嬉しそうに振っている。
 その姿に―――まあいいか、と渋面を崩す堂上も大概郁には甘い。



「あとどれくらいで落ち着きますかね―」
「まぁ今月いっぱいはなぁ」
「月末は書庫点検もありますしね」
「というか、監査前に備品突合もしないとだな」
「あれ?それ担当ウチでしたっけ?」
「結局はウチに回ってくるんだから、確認出来る時に確認しておいた方が無難だろ」
「そーやって篤さんが先に手を回しちゃうからウチに回ってくるんじゃ・・・」
「だからって放っておいてもくるんだから仕方ないだろう」
「確かに。去年大変でしたもんね・・・」
「ま、それさえ終わっちまえば後はたいしたことないだろ」
「そしたら少しは休み取れるかな?」
「そうだな。連休作って、小旅行で温泉にでも行くか」
「ほんと!やった!やる気出た!ありがとう篤さん!大好き!」
「とりあえず露天付部屋は外せないよな」
「なんで!」
「なんでって、そりゃ」
「いい!言わなくていい!そう!ご飯!急いでご飯を買いに行かなきゃ!」
「まぁまぁそう逃げるな」
「逃げるわ!」
「そーつれないコト言うなよ、奥さん」
「なんでーさっきまで業務モードだったのにー」
「先にデートだっつたのはお前だろうが。だから俺もお前に合わせて夫婦の会話をしたまでだが」
「違う!あたしはもっとほのぼのしてた!」
 そんな他愛もない会話をかわしながら結局最後は堂上のペースに持ち込まれ、それでもコンビニまでの短いデートを楽しむ。


 図書基地の近くということもあってか、近くのコンビニにはスタミナ系の弁当が昼時であっても切れることなく陳列してある。ガッツリした弁当数種類を取り合えず人数分放り込む。郁は自分用にミルフィーユカツサンドとえびカツサンド、デザートに生チョコロールをチョイスした。少々カロリーが気にならないでもなかったが、食べることくらいしかストレス発散することができない現状を思いそこは目を瞑った。下手に我慢をすればそれがまたストレスに繋がるし、無駄に間食が増えるのは経験上分かっていたのでこういうときは我慢しないに限る。
「デザートでかすぎやしないか?」
 クォーターサイズのロールケーキが二つ入った商品を籠に放り込んだ郁に堂上が笑う。
「んー。一個は夕方の息抜きの時に食べようと思って」
「なんだ。俺と一緒に、じゃないのか」
 からかい交じりに言われた言葉に、郁は「それもそうか」と頷いて、商品を取り換えた。
「じゃ、こっちのフルーツロールケーキにしよっと。こっちの方がクリームも甘さ控えめで、あっさり食べられるしね」
 篤さんはそっちのがいいでしょ?と笑いながら振り返る郁に、やられた、と堂上は思わず顔をそむける。
「―――篤さん?」
 きょとんとした声で呼ぶ郁の頭を堂上は照れを誤魔化すようにやや乱暴に撫でる。
―――ああ、もう!お前可愛いすぎる!!
 それを口に出して言えば、恥ずかしがって店内で騒ぎだすことが分かってるので、堂上は胸中の郁に向かって叫びついでに抱きしめておく。
 こうして無自覚に主導権を掻っ攫って行くんだから、堪らない。そうしてますます深みにハマって行く。
ただ、それは決して嫌なものではなく、愛しいとか、嬉しいとか、幸せだとかそういう感情をいっそう増やしていくもので―――ああこいつを好きになって、好きになってもらって良かった。とその度に堂上は思う。


 ひとまず必要な分を会計してもらい、余った予算でインスタントスープやみそ汁、それからカップデザートや和菓子などのプチデザートにスナック菓子を買い足す。こう言う時は栄養ドリンクもか、と一瞬思ったがウチのメンバーには必要はないな、と一瞬で却下した。どちらかというよりも頭脳派よりも筋肉馬鹿寄りの人間の多い特殊部隊だ。事務仕事に少々参っている感はなきしにもあらずだが、体力的にはむしろ有り余っているので不要だろう。一応堂上にも聞いてみたが「脳疲労でもなんでもしてもらって、少しくらい大人しくしてもらった方がいい」とバッサリ返されて、郁は苦笑して「それもそうですね」と頷いた。
 目ぼしい商品棚を空にして両手にコンビニ袋をぶら下げて基地へと戻る。手は繋げないが、より近くに寄ろうとするためか、ガサガサと互いに持つコンビニ袋がぶつかって音を鳴らす。その距離感が嬉しくて、郁は笑みを零す。
「―――どうした?」
「手ぇ繋いでなくても、篤さんが近くに居るなーって思うと嬉しくて」
 だからお前はなぁ、と堂上はごち、―――家帰ったら覚えてろ。ともう何度思ったか分らないことを繰り返す。



「お待たせしましたー」
「おー、寄り道せず帰って来たか」
「当たり前です!!」
 小分けにしていた自分の分をひとまず席に置き、空き机の上に買ってきた弁当を乗せる。袋から取り出し、同じ種類の弁当毎に並べていく。
「弁当だけで足りない人は、おにぎりやパンも買ってきてるので適当に選んでください」
「インスタントの汁物も買ってきてるのでそちらもどーぞ」
「おー笠原が淹れてくれるのか」
「セルフです!何人分淹れると思ってるんですか」
「なんだよ、それぐらいサービスしろー」
「知りませ〜ん。
 お菓子類も適当に買ってきてるので、そちらもどーぞ」
 弁当に群がる集団に逆行する形で、席に戻ろうとした郁が、既に自席で弁当を広げていた隊員の机を覗き込む。
「わー。村田一正は愛妻弁当ですか。うらやましー」
「そこでお前が羨ましがるのは間違ってるだろ」
「うっさい手塚!」
 小馬鹿にしたような声に思わず噛みつく。が、郁だって分かっている。
 官舎に移ってまだ一月も経っていない。そしてそれは郁の料理歴でもある。
 洗剤で米を洗うほどの料理音痴というわけでもなく、学生時代には家庭科の授業も受けていたので全くの0からのスタートと言うわけではなかったが、出来る人間が率先してやってくれていた授業とは違い、一から全て自分の手で作るのはほとんど初めての経験だ。
 そのため今の堂上家の食卓に並ぶのは、初心者定番のカレーや焼き肉のタレをかけた肉野菜炒め、焼きそば、ぱらぱらにならない炒飯に鍋類とまだまだ発展途上だ。弁当を作るまでの余裕はまだない。
堂上はお互い仕事をしている身だし焦る必要はないと言ってくれるが、それでもやっぱりと郁は思う。
―――普通はこういう時に奥さんがこうしてお弁当用意するんだ。
 女っ気が足りない足りないと叫ぶ連中も多いが、年上が多い職場でもあるので比例するように既婚者も多い。そして弁当を持参する隊員も。
 しゅんと俯いた郁の頭にポンと暖かな温もりが広がる。
「焦る必要なんてないから。―――来年はよろしくな」
 此処でごめんなさいと言うのは簡単だが、堂上はきっとそれを望んでいない。だからと言ってありがとうとも言えない。その言葉に郁は小さく頷くので精一杯だ。
 そして、そんな堂上の言葉に含み笑いで返したのは村田だった。


「そーだよな。一年もすりゃ堂上だってこれくらいは作れるようになるよな」


―――ん?
 思わず、郁は顔を上げる。


「―――それ作ったの奥さんじゃないんですか?!」
「ウチのカミさんのはもっとハイレベルだ」
 何気に惚気られた!―――じゃなく!
 思わず、村田の弁当をガン見する。


「負けた!戦闘職種筋肉男に負けた!」
「筋肉馬鹿にすんな!」
「いや、だって!!」
 うそだぁー!!思わず郁は頭を抱える。
―――死んでる!あたしの女子力マジ死んでる!!
「学生時代と社会人時代で6年近く自炊してたからな。これくらいなら出来るわけよ」
「いや、でも!いや、でも!」
「なんなら、教えてやろうか」
「是非!」
 郁の変わり身は早かった。
「―――ぃ、笠原。村田一正に面倒かけさせるな」
 堂上の渋い声も、目を輝かせている郁には届かない。
―――いきなり柴崎とか、家庭部の先輩レベルだとハードル高過ぎだけど。戦闘職種スタートならあたしでもいけるんじゃないか?



「ご指導よろしくお願いします、師匠!!」




 自席から転がしてきた椅子にピンと背筋を伸ばして腰かけ、昼食を膝の上に置き、スチャっとメモ帳を広げた郁が真剣な表情で村田に向き合う。
「そうだなー、まずそぼろは簡単で応用きくからオススメだな。
 一度に大量に作っといて、小分けにして冷凍しときゃいい」
「そぼろってあれですよね、ひき肉をお砂糖とお醤油で炒めちゃえばいいんですよね」
「いや、応用利かせるんなら最初は、塩胡椒、あとは肉の臭み消しに生姜入れるくらいか、で炒めるだけでいい。
 で、使う分をその時味付けしろ。
 砂糖と醤油で煮た奴は飯に乗っけるだけじゃなくて、卵焼きに混ぜたり、煮物のあんかけにも使える。
 あと、こいつは茶漬けにしてもウマい。飯にそぼろをのせてお茶をかけるだけだ。個人的にはほうじ茶がベストだな。それから、柚子胡椒なんかありゃ完璧だ。
 別口としてはケチャップとかトマトソースで味付けすりゃミートソースになる。こいつはそのままオムレツやらパスタの具になる」
「な、なるほど」
「あと、そうだな。魚なら鰯だな、まず。まさか魚触れませ〜んなんてこたぁないよな」
「それはないです、けど・・・捌く自信がありません、師匠」
「だから、鰯だっつってるだろ。鰯なら手で開ける。
 まず、鱗は大概の魚は親指で剥がせる。んで鰯は柔いからそのまま頭ちぎって頭のほうから人さし指を入れて腹さいて、ハラワタをかき出すだけだ。
 必要だったら中骨に沿って親指入れ込んできゃ簡単に身は開くし、あとは頭側から中骨を剥がして尻尾んとこでポキっとやりゃあいい。
 したら、生姜醤油で煮たり、ぶつ切りにしてすり鉢で磨って団子にしたりすればみそ汁でも鰯バーグにも応用できる」
「あー確かに。それなら出来そうです」
「だろ?てか、魚は三枚下ろしとかなら別として、見た目悪くても単に内臓取るくらいなら簡単にできるぜ」
「その技も是非!」
「よしよし。まず頭、エラの後ろくらいからだな、そっから腹に向かって3分の2ほどガッツリ切るだろ。んで頭と背中持って頭から腹の方に引きおろしゃー内臓が付いてくる。あとは流水で洗って終わりだ。尾頭付きじゃないが、塩焼きでも煮付でも味に問題はない」
「キャー師匠ステキ!!」



 キャーキャーと郁のテンションが上がるに比例して堂上の顔が渋いものになる。
「はいはーい。ハンチョ。奥さん取られたからって拗ねない拗ねない」
「―――拗ねてない!」
「いいじゃない。勉強熱心な可愛い奥さんで」
「知ってる!」
 だが、それとこれとは話は別だ!とますます堂上はムスリと口を引き結ぶ。


「師匠、ありがとうございます!笠原頑張ります!」
「おう、励め」
「はい!
 あ、そうだ、デザートにケーキ買って来たんで、お礼にあたしの半分あげますね!」
 その言葉に、堂上が堪らず郁を呼び寄せた。


「笠原!昼休憩はそろそろ終わりだ!早く仕事に戻れ!!」
「うぇえ!まだ5分あります!」
「5分前行動が基本だ、アホウ!!」
 珍しい鬼教官の降臨に、郁は慌てて席に飛び戻る。
―――なんで、そんな機嫌悪いのぉ〜?!
 そう思った郁は相変わらず男の機微に疎く、ことごとく夫の地雷を踏みまくることになり、家に帰りこってりお仕置きされることになる。





 そして以後、片っ端から料理本を読み込み、料理関係のレファレンスに堂上がやたら詳しくなるのはある意味当然の流れと言えた。





―――いやぁほーんと堂上ってば分かりやすいよねぇ〜。
―――どこが?!全然分んないですよ、小牧教官!!












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